Cafe & Magazine 「旅遊亭」 of エセ男爵

志すは21世紀的ドンキホーテ?
はたまた車寅次郎先生を師に地球を迷走?
気儘な旅人の「三文オペラ」創作ノート

お世話になりました、地蔵尊さま・・・

2019-10-24 09:45:30 | 大聖院さん日録

<添付画像>『大聖院さんで一番ハンサムな地蔵尊』
(撮影年月日):平成26年の初秋
(天 候):快晴、秋晴れ  
(撮影場所):広島県廿日市市宮島町大聖院境内
(撮影機材):FUJIFILM X20
(撮影者):トーマス青木


 宮島の大聖院さん本堂は、『波切不動明王』の祀られている勅願堂である。

 その右横の小道を南方向即ち弥山山頂方向に向け約十メーターほど歩くと、進行方向右手に見えてくる異次元風景あり。

 その風景景色とは、大小様々各種の仏像お地蔵さん群像の事。

 さて、
この写真画像の地蔵尊様、お名前が思い出せない。

 でも、
ひときわ目だつ『ハンサムな地蔵尊』・・・

 あの当時、この地蔵尊から、いろいろと、知恵と元気と勇気を与えて頂いた。

 感謝、、、。

 令和の時代になって、初の秋、あらためて、またお礼に参上します。
 

執筆開始?歴史ファンタジー小説、題して『追憶・大亜細亜の奇石』・・・

2019-10-01 17:08:45 | 小説家・トーマス青木


『添付画像』:<南満州鉄道会社 (South Manchuria Railway Co.) 集客用宣伝.ポスター>
(昭和10年頃制作)満州鉄道の利用を喚起する旅行宣伝ポスターです。クオリティーの高い作品だと思います。


お待たせしました!

未だ推敲途中なのですが、来春(令和2年正月)発刊予定の書籍、

 題して『追憶・大亜細亜の奇石』(仮題)

 その『まえがき』(案)のご紹介です。

明治以降、昭和初期の時代から平成まで、めまぐるしい日本近世歴史のなか、間違った解釈をされたまま、令和の次世代に語り継がれることの無いよう、不肖トーマス青木の歴史解釈を語る一冊。ファンタジックな歴史小説として面白く語りながら、その実、真面目に描き切ってみたいと思います。

本日は(ファンタジック以前の)真面目で少し硬い前書き(案)をご紹介します。


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『追憶・大亜細亜の奇石』(仮題)


  ー まえがき -

 (碑文の文言によせて)


東京軍事裁判インド代表判事パール博士の石碑がある。それは、広島市中区小町の本照寺境内にある。

さて、
一体全体、

石碑を建立した人は? (Who made it?)
(誰が、いかなる経緯で、パール博士の石碑を建立したか?)

碑文を書いたのは誰か? (By whom was written it?)
(何の目的で、いかなる経緯で、お書きになったか?)

何故にこの碑文なのか? (What is the purpose?)
(一体全体、何の目的をもって書いたか?)

 いつ頃、この碑文の文章は書かれたのか? (When this poem was written?)
 (原爆投下後、いつ頃書かれたものか?石碑に刻まれた文言の中には、それぞれの文章を揮毫した年月日がある。その日時の意味するところは、何なのか?)


 あれこれ考えていると、日本を取り巻く大アジアの歴史が流れ往く四次元の空間が見えてくる。
 事の始まりは、どうやら日露戦争の終りの頃からか、昭和に入り、満洲國の建国を境にインドをはじめとするアジア諸地域で独立運動が芽生え、活発になる。その活動拠点が新興国家の満洲國となる。インド人独立運動の活動家ナイル氏と、宗教家である本照寺先々代住職の筧義章(かけいぎしょう)氏との出会いがある。膨大な第二次世界大戦の荒波を乗り越えつつ日本の敗け戦さとなり、ポツダム宣言受諾前の原爆投下あり、終戦を向かえる。
 明治の中頃日清日露戦争の時代から、昭和20年の終戦まで。戦後の復興から、今日に至るまで、四次元を突っ走る時空移動超特急に乗車し、日本近代史を駆け巡ってみたい。

 さあ、歴史探訪の旅へ、出発しよう。

 少し遠回りしながら、パール博士碑文に至るまでのアジア大陸に関わる日本の、近代歴史的背景を解きほぐしつつ、上述の疑問の答えを探り当てる、、、。

 〆て、
 世界平和を謳う仏教世界の在り方を将来世代に投げかけ、求めるもの必要なものを探り、後世に繋ぎたく、本書の目的としたい。