<添付画像>宮島大聖院仁王門
(撮影月日)平成26年10月28日午前9時過ぎ
(撮影場所)広島県廿日市市宮島町
(撮影機材)FUJIFILM X100s
(撮影者) トーマス青木
宮島は大聖院さんの入り口、その門の名を『仁王門』という。
宮島大聖院さんへお参りする日、否、お参りする時は、その度に、何度も何度も、この位置から仁王門を視る。
私自身の問題であり、そしてその理由は定かではないけれど、一度たりとも、同じ風景に見えた事、すなわち『同じ仁王門』と感じた記憶が無いのがこの位置から観る大聖院山門『仁王門』である。
そう、こんな時こそ、あらためて、風景そのものを擬人化すべきである。
すなわち、風景としての『仁王門さん』ご自身は、いろいろな御顔を持たれている。
此の日、朝のこの時間、たいへん美しい仁王門を観た。
そして数回シャッターを切る。 「良い仁王門さん写真が撮れた!」と自画自賛するのがこの一枚である。
写真画面の中央辺りを、ご覧頂きたい。やや乾燥気味の透き通った空気を突き切って、早朝の日差しは山門を通る。 その日差しは山門から出でて即刻、吾輩の両眼に注ぎ込まれる。
なんとも美しき事か!
これまでは、畏怖するのみだった大聖院仁王門。その門枠を通過した朝の日差しの、何ともたおやかな事。この光こそが「仏様の慈愛なるもの注がれているのか……」と信じ込みたくなるような光景に出くわしたのであります。畏れ多いこわばりを感じる山門の光景に、この朝、あらためて、親しみ深い美しさを感じ次第であります。 (トーマス青木)
(撮影月日)平成26年10月28日午前9時過ぎ
(撮影場所)広島県廿日市市宮島町
(撮影機材)FUJIFILM X100s
(撮影者) トーマス青木
宮島は大聖院さんの入り口、その門の名を『仁王門』という。
宮島大聖院さんへお参りする日、否、お参りする時は、その度に、何度も何度も、この位置から仁王門を視る。
私自身の問題であり、そしてその理由は定かではないけれど、一度たりとも、同じ風景に見えた事、すなわち『同じ仁王門』と感じた記憶が無いのがこの位置から観る大聖院山門『仁王門』である。
そう、こんな時こそ、あらためて、風景そのものを擬人化すべきである。
すなわち、風景としての『仁王門さん』ご自身は、いろいろな御顔を持たれている。
此の日、朝のこの時間、たいへん美しい仁王門を観た。
そして数回シャッターを切る。 「良い仁王門さん写真が撮れた!」と自画自賛するのがこの一枚である。
写真画面の中央辺りを、ご覧頂きたい。やや乾燥気味の透き通った空気を突き切って、早朝の日差しは山門を通る。 その日差しは山門から出でて即刻、吾輩の両眼に注ぎ込まれる。
なんとも美しき事か!
これまでは、畏怖するのみだった大聖院仁王門。その門枠を通過した朝の日差しの、何ともたおやかな事。この光こそが「仏様の慈愛なるもの注がれているのか……」と信じ込みたくなるような光景に出くわしたのであります。畏れ多いこわばりを感じる山門の光景に、この朝、あらためて、親しみ深い美しさを感じ次第であります。 (トーマス青木)