?????
これ、この画像、昨日午後の撮影にて、南天の枝に晩秋午後の日差しが照り映えて茜色に輝いているもの?
時間の推移は早いもので、7月上旬に「初刊本」の発刊を定めてから4ヶ月経過なのだ!?!
こうして見れば、なんと、我家の庭の草木も「季節的黄昏」に突入ですなぁ……
(このところ、不肖エセ男爵メにして些かジレッタク、且つ泰然自若的精神疲労を感じつつ……)
いやなに、筆者・トーマス青木君と出版社の間で、只今最終印刷校正をしているところでして、たぶん出版は11月下旬になるでしょうな。
それにしても、初版本の出版は、もたつきますね。
ま、しかたないでしょう。
「・・・?」
な、何故か? ですって?
嘗て周知していない世界だから、流れに任せるより仕方ないでしょうがぁ~…
(エセ男爵的苛立ち!前面に出る……)
しかし、なんですなぁ~、 書き上げた原稿に、出版社の編集担当先生(この業界の大先輩)から「直々のご指導」を仰ぎつつ、自分の思考回路とは全く異なる「思考回路」を見せ付けられ(時に押し付けられ)時間経過すること約3ヶ月間。 四六時中叱責され且つ蔑まれれば、トーマス青木君は本気になって激怒する。 激怒しつつも、ここは大先輩のご意見に耳を傾けねばならず、以って初心者たるを実感し、未だ修練の足りぬことを再認識すべし。と、叱咤激励を改めて血肉とし、明日への躍進の糧にしなければ!等と、打ちひしがれつつも生気を取り戻し、完成したはずの原稿を読み返すことかれこれ20数回にも及ぶ。
そうして出来上がったモノに目を通せば、やはり「違い」が見えてくる。
見えてくるから不思議であり、あらためてあらためて、文章表現には限りがないこと、再認識するのであります。 (なにおかいわんや? 何も言えない言わない言いたくない… よ~し、見ておれや、今暫しの辛抱であるぞ!!!)
さて、
小説の本筋とはほとんど関係ない場面に於いて、登場人物「井本金治」氏(小説の主人公:本田幸一の、元会社の先輩のこと)の「人となり」を表現するため、たまたま浄瑠璃の話題に踏み入ったところ、なんとなんと、なぜか(大阪在住の)編集プロの先生から、以下のような《注釈》を頂きました。 目的and/or意味不明の注釈にて、ま、読み流しておけばよいものか?はたまた浄瑠璃のクダリに歌舞伎を絡めた解説をせよ、と、仰せなのか?
一晩寝て起きて思い出してみると、「ブログねた」に都合良いか。と思い立ち、小説原稿の一部をご披露する傍ら、その経緯をお伝えしておきたい、、、。
以下、ひとまず編集プロ先生の「付記」を掲載する。
-------------------------------------------
江戸時代の庶民の楽しみが始まったのは、歌舞伎が始まりとされる。 それがなになに座を隆盛させ、役者人気が出た。 能やお茶のような特権階級だけの「たのしみ」から、庶民文化が起き、それが中村座のような「座」での演目として、歌舞伎以外のものの庶民文化が始まったされるが。
(以上、付記より転載…)
------------------------------
* 上記「付記」に対し、筆者トーマス青木君は、下記のように返答する。
歌舞伎は「芸能」。浄瑠璃の口演は「歌う」ではなく「語る」という用語を以てし、浄瑠璃系統の音曲をまとめて「語り物」と呼ぶのが一般的である。浄瑠璃は歌舞伎という芸能の根底にある「語り物」にて、この井本氏にして只単なる不良中年的遊び人ではない場面を、前もって布石したいがためである。また、浄瑠璃は「江戸言葉」を包括した江戸時代の共通用語であったこと、司馬遼太郎作「菜の花の沖」にも明確に謳われている。今後、この井本氏の教養と行動形態のアンバランスと、本田の非日常的な志向とを織り合わせ、滑稽さを表現してみたい。その布石として井本の教養溢れる嗜好を羅列しておきたかったのです。〆て、浄瑠璃は文学〔語り物〕であるからして、その文学を基礎に書き下ろした歌舞伎は、浄瑠璃の系等を汲む「庶民的芸能」である。井本は、あくまでも文学として浄瑠璃を嗜んでいる江戸下町育ちの高邁な不良中年なり…
(以上、筆者トーマス青木君の「言い訳」より転載)
-----------------------------
翻って、一体全体小説のどの部分から「この遣り取り」が発したのか? 明らかにしておきたいので、本日は未発表小説「黄昏のポジョニ・ウッチャ」の原稿を切り取り、以下に掲載する……
【黄昏のポジョニ・ウッチャ・第一巻5章「久しぶりの正月休暇」(その2)より】
(二)
ハンガリーのビジネスを思い立った経緯は、今から三~四年前にさかのぼる。当時書類作りの世話をしていた芸人紹介業者との動きからヒントを得たことは、すでに述べた。
頻繁に上京していた本田は、外務省ならびに東南アジア諸国の大使館に出入りしていた。しかし毎回地方から直接東京の仕事に関わるのは効率的とは云えず、東京に在住する人物との連携プレーは必要であり、この種の仕事を継続するための最低限の条件となる。
本田の業務の仲介役を引き受けた人物が、井本であった。
その人物は、本田のサラリーマン時代の先輩の一人である。本田が退職した六年後に、彼も早期退職した。江戸中期ころから、先祖代々上野公園の近くに住みつき、旅館や料亭を生業にしていた母方の養子となって婿入りした弁護士の父親をもつ生粋の江戸っ子。今もってお坊ちゃま育ちの勝手気儘のし放題、贅沢三昧を生活の基準とする不良中年である。大学入試のとき、外国語の試験はドイツ語を選んだ。英語は当然のことながら、高校時代からドイツ語の基礎にも通じている頭脳明晰な人物は、旅行業界に必要不可欠な貴重品的存在であった。
過去に幾度か、本田は彼の酒の相手をしている。酒が進むにつれて井本の喋りは流暢になる。そんな彼独特の江戸弁に、本田は好んで耳を傾けた。彼の江戸弁の使い回しは、地方出身の本田の耳には心地よく響く。正調下町風江戸弁の、味わい深い話し言葉に耳を傾けつつ、一献交えるのが大好きであった。4~5年前、本田は初めて彼の自宅を訪れた。彼の書斎には、壁一面に設えてある重厚な本棚があった。
(井本さんは、読書好きな人物である!)
と、想像はしていたものの、井本の集めている書籍の質と量には、さすがの本田も目を剥いた。中でも、二~三十冊もの分厚い浄瑠璃の専門書が鎮座している光景を目にした本田は驚いた。
本田は質問した。
「あ、本田ちゃん、これか?」
「おれ、ほんとはね、浄瑠璃の研究者よ…」
さっぱり浄瑠璃の解らない本田にとって、この書棚にある浄瑠璃専門書の中味は全く異次元の世界である。解っていることは唯一つ、数十冊にも及ぶ専門書の一冊一冊は机上版大型事典に見えて仕方なく、発刊部数の限定された高価な書籍である、と、いう程度である。
「これだけ集めている人間、そうそういないぜ」
「若し集めていても、ほとんど飾りだな。普通はまったく読まないぜ。おやじも浄瑠璃が好きでよ。ぼくは高校時代からこいつを読んでいたのさ」
(浄瑠璃といえば、江戸時代から伝わる伝統文化か?)
よく分からない本田にとって、人間国宝モドキのオジサンが演壇でなにやら唸っている様子が目に浮んでくる。人形浄瑠璃など「操り人形」のBGM程度の認識しか持ち合わせていない。本田はさらに質問する。
「人形浄瑠璃?そう、親父にくっ付いて行ってさ、本物は何度も観ている」
江戸幕府を中心に幕藩体制を敷いていた中世の日本には、参勤交代で地方と江戸屋敷の間を行き来する武家の一部を除き、日本全国津々浦々に存在する方言のみ氾濫し、全国共通用語のない時代が続いた。しかし、江戸時代になって庶民文化の花開いた時、演劇世界の台詞を通し、つまり浄瑠璃文化を通して、一般庶民の間で共通理解できる話し言葉が出来上がったという。すなわち限られた地方の方言を乗り越え、浄瑠璃の用語用法は唯一当時の標準語的存在であった。解読の難しい仏教用語以外に庶民文化を伝える方法は口承伝承しかなく、その口承伝承を補って余りある伝達継承手法が浄瑠璃ことばなのだ。と、井本は熱弁を振るう。
「いやぁ~、ぼくはこれの専門家だよ、今年も京大から『講義してくれ』と、言ってきたが、断ろうと思っている。ハンガリーのほうが面白そうだ。ついでにドイツやオーストリーにも行ってみたくなっちゃったなぁ~」
「関西まで行ってさ、浄瑠璃の講義をしたって面白くもなんともねえよ。いいかい、解るかい?本田ちゃんよ、浄瑠璃の講義ね、君が相手なら、いつでも講義するぜ」
彼のいつもの話し方は、本来話すべき筋書きから若干外れて始まる。その実、決して外れていない。彼独特の婉曲話法がその根底にある。と、本田は読み取っている。
彼は、まさしく本田のハンガリー計画に協力してやろうといっている。
「ありがとうございます、よろしくお願いします、先輩…」
「ま、本田ちゃんが浄瑠璃に興味あれば、いつでも俺れっちが教えるから」
本田は今までに一度も、浄瑠璃の何たるか?を、彼から教わっていない。理由は単純明快、互いに酒を飲む時間はあっても、本田には浄瑠璃を勉強する気分がない。
彼の演説から察するに、浄瑠璃は、江戸時代の庶民文化花開いた結果の主要産物。且つ江戸庶民の教養の根幹である。と、結ぶ。その江戸庶民的文化と教養の中に育った井本の環境は、本田の聞きたがる井本流江戸弁を大集成したものにほかならない。本田は、この頃から井本の人間的魅力に陶酔し始めた。これが良くなかった。感情的陶酔の開始と同時に、井本特有の処世術の貧弱さを察知できなくなっていた。井本に対して、本田は半盲目状態に陥り始めていた。
新宿の鰻屋から始まったミーティングは、酒が回り始める頃には、すでに話の本筋からはずれかけていた。この夜もいつも通りのはしご酒が始まり、気がつくと二人で数件の居酒屋を飲み歩いていた。
本田がハンガリーで仕事を開始したことは、すでにフランフルトの本田の旧友沖田を介し、井本は計画の概要を知っていた。
このたびの上京の目的のほとんどは、この井本に会うことであった。本田は東京に出向き、彼に会って、現地の詳しい状況を報告したかったのである。本田にとって、ハンガリービジネスを確実に手早く成功へ導くには、早かれ遅かれ、東京在住の井本の本格的な協力をお願いしなければならなかった。互いの仕事の割り振りを再調整した。仕事の割り振りとは、本田は、ハンガリーで芸人を掘り起こし東京に連絡する。井本は、その芸人を東京で売りさばく担当である。
二~三日かけて本田は井本に付き従い、しかるべき関係先を訪問した。
音楽事務所 ― 一箇所。
ホテル ― 三箇所。
外国芸能人斡旋業者 ― 二箇所。
結果、ハンガリーと聞くと、さすがに興味を持った。しかし、ハンガリアン・ジプシーミュージックについて話題の中心にはならなかった。
A.某音楽事務所は、若くて個性のある女性歌手を見つけてきてほしい。と、云う。すでに過去の伝説的存在となっていた南米はアルゼンチン出身の女性歌手、すなわち往年のグラシェラ・スサーナのような女性歌手を、ハンガリーで発掘して欲しいと言う。
B.ホテルは軒並み不景気で、(音の出るものを、すべて取っ払いたい。ハンガリーからの楽団なんて、今は、お話にならない)と、口をそろえて云う。
C.外国芸能人斡旋業者は、いずれも女性ダンサーがほしいという。
(女性ダンサーは、直ぐにでも欲しい。音楽関係の斡旋は難しい!でも、女性シンガーや女性奏者の入っている音楽バンドなら、グループで東京に引きたい!)
と、いう業者もいた。この会社の社長は、井本とは旧知の間柄であった。
その業者との商談は、とんとん拍子に進んだ。井本もそのオーナーも、本田がハンガリーにいるとき、是非にも現地視察に出向きたく、その時は、是非、現場の案内を本田に請いたいという。
「しめた、こりゃ当たりだよ、今日は良かったな…」
「ハ、はい!」
「本田ちゃん、これでぼくも、メンツが立った。せっかく上京してきた君に対し、手ぶらで帰らせる訳にはいかんだろうが…」
「ありがとうございます」
「よっしゃ、とにかく今日はおつかれ様、めでたい、めでたい」
「すべて井本さんのおかげです」
「いいさ、いいさ、ハンガリービジネスに乾杯しようや」
彼はすでに、明日にでもハンガリーに出向きたい雰囲気である。
「ハンガリーで、井本さんをお待ちしています…」
「おう、本場のグヤーシュスープとフォアグラを肴にしてな、そうさな、サラミセージもあるな、ハンガリーが本場だからなあ、それでもって上等のトカイワインをねえ~、グイーといきたいよな、しかしハンガリーにゃ刺身はねえよなあ~」
と云いながら彼は冷酒をあおり、好物の〆鯖を注文する。酒が入ればいつもどおり、彼独特のスローテンポな江戸弁の独演会になる。
まるで白髪頭の鬼瓦である。そんな井本の『赤ら顔』は、酒のエネルギーでさらに赤味を増す。井本は、酔うたびにますますご機嫌になる。今夜もまた、井本と本田は新橋の飲み屋で酒を酌み交わし、いつになく盛大に気勢を上げていた。
気分よく、本田は翌朝の飛行機で東京を発った。
(以上、長編小説「黄昏のポジョニ・ウッチャ」第一巻5章より、引用掲載 …了… )
これ、この画像、昨日午後の撮影にて、南天の枝に晩秋午後の日差しが照り映えて茜色に輝いているもの?
時間の推移は早いもので、7月上旬に「初刊本」の発刊を定めてから4ヶ月経過なのだ!?!
こうして見れば、なんと、我家の庭の草木も「季節的黄昏」に突入ですなぁ……
(このところ、不肖エセ男爵メにして些かジレッタク、且つ泰然自若的精神疲労を感じつつ……)
いやなに、筆者・トーマス青木君と出版社の間で、只今最終印刷校正をしているところでして、たぶん出版は11月下旬になるでしょうな。
それにしても、初版本の出版は、もたつきますね。
ま、しかたないでしょう。
「・・・?」
な、何故か? ですって?
嘗て周知していない世界だから、流れに任せるより仕方ないでしょうがぁ~…
(エセ男爵的苛立ち!前面に出る……)
しかし、なんですなぁ~、 書き上げた原稿に、出版社の編集担当先生(この業界の大先輩)から「直々のご指導」を仰ぎつつ、自分の思考回路とは全く異なる「思考回路」を見せ付けられ(時に押し付けられ)時間経過すること約3ヶ月間。 四六時中叱責され且つ蔑まれれば、トーマス青木君は本気になって激怒する。 激怒しつつも、ここは大先輩のご意見に耳を傾けねばならず、以って初心者たるを実感し、未だ修練の足りぬことを再認識すべし。と、叱咤激励を改めて血肉とし、明日への躍進の糧にしなければ!等と、打ちひしがれつつも生気を取り戻し、完成したはずの原稿を読み返すことかれこれ20数回にも及ぶ。
そうして出来上がったモノに目を通せば、やはり「違い」が見えてくる。
見えてくるから不思議であり、あらためてあらためて、文章表現には限りがないこと、再認識するのであります。 (なにおかいわんや? 何も言えない言わない言いたくない… よ~し、見ておれや、今暫しの辛抱であるぞ!!!)
さて、
小説の本筋とはほとんど関係ない場面に於いて、登場人物「井本金治」氏(小説の主人公:本田幸一の、元会社の先輩のこと)の「人となり」を表現するため、たまたま浄瑠璃の話題に踏み入ったところ、なんとなんと、なぜか(大阪在住の)編集プロの先生から、以下のような《注釈》を頂きました。 目的and/or意味不明の注釈にて、ま、読み流しておけばよいものか?はたまた浄瑠璃のクダリに歌舞伎を絡めた解説をせよ、と、仰せなのか?
一晩寝て起きて思い出してみると、「ブログねた」に都合良いか。と思い立ち、小説原稿の一部をご披露する傍ら、その経緯をお伝えしておきたい、、、。
以下、ひとまず編集プロ先生の「付記」を掲載する。
-------------------------------------------
江戸時代の庶民の楽しみが始まったのは、歌舞伎が始まりとされる。 それがなになに座を隆盛させ、役者人気が出た。 能やお茶のような特権階級だけの「たのしみ」から、庶民文化が起き、それが中村座のような「座」での演目として、歌舞伎以外のものの庶民文化が始まったされるが。
(以上、付記より転載…)
------------------------------
* 上記「付記」に対し、筆者トーマス青木君は、下記のように返答する。
歌舞伎は「芸能」。浄瑠璃の口演は「歌う」ではなく「語る」という用語を以てし、浄瑠璃系統の音曲をまとめて「語り物」と呼ぶのが一般的である。浄瑠璃は歌舞伎という芸能の根底にある「語り物」にて、この井本氏にして只単なる不良中年的遊び人ではない場面を、前もって布石したいがためである。また、浄瑠璃は「江戸言葉」を包括した江戸時代の共通用語であったこと、司馬遼太郎作「菜の花の沖」にも明確に謳われている。今後、この井本氏の教養と行動形態のアンバランスと、本田の非日常的な志向とを織り合わせ、滑稽さを表現してみたい。その布石として井本の教養溢れる嗜好を羅列しておきたかったのです。〆て、浄瑠璃は文学〔語り物〕であるからして、その文学を基礎に書き下ろした歌舞伎は、浄瑠璃の系等を汲む「庶民的芸能」である。井本は、あくまでも文学として浄瑠璃を嗜んでいる江戸下町育ちの高邁な不良中年なり…
(以上、筆者トーマス青木君の「言い訳」より転載)
-----------------------------
翻って、一体全体小説のどの部分から「この遣り取り」が発したのか? 明らかにしておきたいので、本日は未発表小説「黄昏のポジョニ・ウッチャ」の原稿を切り取り、以下に掲載する……
【黄昏のポジョニ・ウッチャ・第一巻5章「久しぶりの正月休暇」(その2)より】
(二)
ハンガリーのビジネスを思い立った経緯は、今から三~四年前にさかのぼる。当時書類作りの世話をしていた芸人紹介業者との動きからヒントを得たことは、すでに述べた。
頻繁に上京していた本田は、外務省ならびに東南アジア諸国の大使館に出入りしていた。しかし毎回地方から直接東京の仕事に関わるのは効率的とは云えず、東京に在住する人物との連携プレーは必要であり、この種の仕事を継続するための最低限の条件となる。
本田の業務の仲介役を引き受けた人物が、井本であった。
その人物は、本田のサラリーマン時代の先輩の一人である。本田が退職した六年後に、彼も早期退職した。江戸中期ころから、先祖代々上野公園の近くに住みつき、旅館や料亭を生業にしていた母方の養子となって婿入りした弁護士の父親をもつ生粋の江戸っ子。今もってお坊ちゃま育ちの勝手気儘のし放題、贅沢三昧を生活の基準とする不良中年である。大学入試のとき、外国語の試験はドイツ語を選んだ。英語は当然のことながら、高校時代からドイツ語の基礎にも通じている頭脳明晰な人物は、旅行業界に必要不可欠な貴重品的存在であった。
過去に幾度か、本田は彼の酒の相手をしている。酒が進むにつれて井本の喋りは流暢になる。そんな彼独特の江戸弁に、本田は好んで耳を傾けた。彼の江戸弁の使い回しは、地方出身の本田の耳には心地よく響く。正調下町風江戸弁の、味わい深い話し言葉に耳を傾けつつ、一献交えるのが大好きであった。4~5年前、本田は初めて彼の自宅を訪れた。彼の書斎には、壁一面に設えてある重厚な本棚があった。
(井本さんは、読書好きな人物である!)
と、想像はしていたものの、井本の集めている書籍の質と量には、さすがの本田も目を剥いた。中でも、二~三十冊もの分厚い浄瑠璃の専門書が鎮座している光景を目にした本田は驚いた。
本田は質問した。
「あ、本田ちゃん、これか?」
「おれ、ほんとはね、浄瑠璃の研究者よ…」
さっぱり浄瑠璃の解らない本田にとって、この書棚にある浄瑠璃専門書の中味は全く異次元の世界である。解っていることは唯一つ、数十冊にも及ぶ専門書の一冊一冊は机上版大型事典に見えて仕方なく、発刊部数の限定された高価な書籍である、と、いう程度である。
「これだけ集めている人間、そうそういないぜ」
「若し集めていても、ほとんど飾りだな。普通はまったく読まないぜ。おやじも浄瑠璃が好きでよ。ぼくは高校時代からこいつを読んでいたのさ」
(浄瑠璃といえば、江戸時代から伝わる伝統文化か?)
よく分からない本田にとって、人間国宝モドキのオジサンが演壇でなにやら唸っている様子が目に浮んでくる。人形浄瑠璃など「操り人形」のBGM程度の認識しか持ち合わせていない。本田はさらに質問する。
「人形浄瑠璃?そう、親父にくっ付いて行ってさ、本物は何度も観ている」
江戸幕府を中心に幕藩体制を敷いていた中世の日本には、参勤交代で地方と江戸屋敷の間を行き来する武家の一部を除き、日本全国津々浦々に存在する方言のみ氾濫し、全国共通用語のない時代が続いた。しかし、江戸時代になって庶民文化の花開いた時、演劇世界の台詞を通し、つまり浄瑠璃文化を通して、一般庶民の間で共通理解できる話し言葉が出来上がったという。すなわち限られた地方の方言を乗り越え、浄瑠璃の用語用法は唯一当時の標準語的存在であった。解読の難しい仏教用語以外に庶民文化を伝える方法は口承伝承しかなく、その口承伝承を補って余りある伝達継承手法が浄瑠璃ことばなのだ。と、井本は熱弁を振るう。
「いやぁ~、ぼくはこれの専門家だよ、今年も京大から『講義してくれ』と、言ってきたが、断ろうと思っている。ハンガリーのほうが面白そうだ。ついでにドイツやオーストリーにも行ってみたくなっちゃったなぁ~」
「関西まで行ってさ、浄瑠璃の講義をしたって面白くもなんともねえよ。いいかい、解るかい?本田ちゃんよ、浄瑠璃の講義ね、君が相手なら、いつでも講義するぜ」
彼のいつもの話し方は、本来話すべき筋書きから若干外れて始まる。その実、決して外れていない。彼独特の婉曲話法がその根底にある。と、本田は読み取っている。
彼は、まさしく本田のハンガリー計画に協力してやろうといっている。
「ありがとうございます、よろしくお願いします、先輩…」
「ま、本田ちゃんが浄瑠璃に興味あれば、いつでも俺れっちが教えるから」
本田は今までに一度も、浄瑠璃の何たるか?を、彼から教わっていない。理由は単純明快、互いに酒を飲む時間はあっても、本田には浄瑠璃を勉強する気分がない。
彼の演説から察するに、浄瑠璃は、江戸時代の庶民文化花開いた結果の主要産物。且つ江戸庶民の教養の根幹である。と、結ぶ。その江戸庶民的文化と教養の中に育った井本の環境は、本田の聞きたがる井本流江戸弁を大集成したものにほかならない。本田は、この頃から井本の人間的魅力に陶酔し始めた。これが良くなかった。感情的陶酔の開始と同時に、井本特有の処世術の貧弱さを察知できなくなっていた。井本に対して、本田は半盲目状態に陥り始めていた。
新宿の鰻屋から始まったミーティングは、酒が回り始める頃には、すでに話の本筋からはずれかけていた。この夜もいつも通りのはしご酒が始まり、気がつくと二人で数件の居酒屋を飲み歩いていた。
本田がハンガリーで仕事を開始したことは、すでにフランフルトの本田の旧友沖田を介し、井本は計画の概要を知っていた。
このたびの上京の目的のほとんどは、この井本に会うことであった。本田は東京に出向き、彼に会って、現地の詳しい状況を報告したかったのである。本田にとって、ハンガリービジネスを確実に手早く成功へ導くには、早かれ遅かれ、東京在住の井本の本格的な協力をお願いしなければならなかった。互いの仕事の割り振りを再調整した。仕事の割り振りとは、本田は、ハンガリーで芸人を掘り起こし東京に連絡する。井本は、その芸人を東京で売りさばく担当である。
二~三日かけて本田は井本に付き従い、しかるべき関係先を訪問した。
音楽事務所 ― 一箇所。
ホテル ― 三箇所。
外国芸能人斡旋業者 ― 二箇所。
結果、ハンガリーと聞くと、さすがに興味を持った。しかし、ハンガリアン・ジプシーミュージックについて話題の中心にはならなかった。
A.某音楽事務所は、若くて個性のある女性歌手を見つけてきてほしい。と、云う。すでに過去の伝説的存在となっていた南米はアルゼンチン出身の女性歌手、すなわち往年のグラシェラ・スサーナのような女性歌手を、ハンガリーで発掘して欲しいと言う。
B.ホテルは軒並み不景気で、(音の出るものを、すべて取っ払いたい。ハンガリーからの楽団なんて、今は、お話にならない)と、口をそろえて云う。
C.外国芸能人斡旋業者は、いずれも女性ダンサーがほしいという。
(女性ダンサーは、直ぐにでも欲しい。音楽関係の斡旋は難しい!でも、女性シンガーや女性奏者の入っている音楽バンドなら、グループで東京に引きたい!)
と、いう業者もいた。この会社の社長は、井本とは旧知の間柄であった。
その業者との商談は、とんとん拍子に進んだ。井本もそのオーナーも、本田がハンガリーにいるとき、是非にも現地視察に出向きたく、その時は、是非、現場の案内を本田に請いたいという。
「しめた、こりゃ当たりだよ、今日は良かったな…」
「ハ、はい!」
「本田ちゃん、これでぼくも、メンツが立った。せっかく上京してきた君に対し、手ぶらで帰らせる訳にはいかんだろうが…」
「ありがとうございます」
「よっしゃ、とにかく今日はおつかれ様、めでたい、めでたい」
「すべて井本さんのおかげです」
「いいさ、いいさ、ハンガリービジネスに乾杯しようや」
彼はすでに、明日にでもハンガリーに出向きたい雰囲気である。
「ハンガリーで、井本さんをお待ちしています…」
「おう、本場のグヤーシュスープとフォアグラを肴にしてな、そうさな、サラミセージもあるな、ハンガリーが本場だからなあ、それでもって上等のトカイワインをねえ~、グイーといきたいよな、しかしハンガリーにゃ刺身はねえよなあ~」
と云いながら彼は冷酒をあおり、好物の〆鯖を注文する。酒が入ればいつもどおり、彼独特のスローテンポな江戸弁の独演会になる。
まるで白髪頭の鬼瓦である。そんな井本の『赤ら顔』は、酒のエネルギーでさらに赤味を増す。井本は、酔うたびにますますご機嫌になる。今夜もまた、井本と本田は新橋の飲み屋で酒を酌み交わし、いつになく盛大に気勢を上げていた。
気分よく、本田は翌朝の飛行機で東京を発った。
(以上、長編小説「黄昏のポジョニ・ウッチャ」第一巻5章より、引用掲載 …了… )