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日本経済・飛翔 の「癌」:(JAL日本航空の体たらくぶり)

2006-02-28 13:22:03 | 教養・文化・歴史
 華麗なる冬季五輪ゴールドメダリスト・静香イナバウアーの話題で沸き返った先週末、我国の衆議院予算委員会は「ほりえもんメール騒動」のガセネタ騒動で沸騰し、今も尚「?HK」国賊テレビ放送局をはじめとするTV各局を賑やかにして止まない。これ、冷静沈着にして常識のある国民は、こぞって「メール騒動の帰結」を予測できる。(私論は、早かれ遅かれ民主党の空中分解的解体であろう)
こんな中、
見落としてはならない忌々(ゆゆ)しき「経済ニュース」があるので取り上げておかねばならない。(これ一企業体のお家騒動ではない。日本を代表するフラグキャリアー<国家を代表する国際線航空会社>であるからして、もっとマスメディアが本気で上げるべき日本の国際経済競争の根幹を揺るがす大問題なり!)

そう、
いわずもがな、日本航空のお家騒動である。

先に申し上げておく。
我輩、単に一私企業を非難中傷するつもりは、もうとうない。この企業、元々国の税金を基に国策として設立された公営企業であり、私企業となった今尚、日本を代表する「航空会社」、国民の安全と世界経済競争を左右する日本の国家的要(かなめ)を押さえる重要な企業であるからだ。
グローバル世界、物流経済と人的交流の「担い手」我国民間航空の旗頭「日本航空」のテイタラク振り、我国の21世紀、益々の世界躍進に必要欠くべからざる「国の翼」が壊れていては、日本の飛躍はありえない!
今や、勝ち組負け組みピンキリ問わず、我々一般庶民の末端までが、グローバルな世界経済と国際社会の流れの中で日々の生活を営んでいる。すなわち、秒単位で進歩するIT技術は、地球規模を瞬時に駆け巡る情報交換を可能とした。ジャンボジェットの巨体を大空に飛び交わすこと可能にし、航空技術と航空輸送システムのコンビネーションは、大量空輸時代の到来をみるに至った。IT技術をベースにした膨大な通信量と驚異的な交信速度を以ってする飛躍的な通信技術の発展は、グローバル流通経済に多大なる貢献をした。もって、21世紀の世界経済を支えるのは、「高速大量通信システム」と「国際航空流通システム」からなる2本の大黒柱に支えられている事は明白の理、疑う余地もない。
おもえば、しかし、
9・11テロ事件以降の航空業界には、大きな異変が到来した。
一夜にして、世界一跨ぎを可能にする大量輸送手段あればこそ可能となった「大量殺人テロ事件」の発生である。忌まわしき国際テロ事件以降、国際航空業界は一変し、更なる競争の激化とそれに伴う航空業界の淘汰を強いられ、我国の航空業界もその影響を受けた。
しかし、このたびの「JAL・お家騒動」は、上記の現象とは事を異にする「一企業の内部」の問題。しかし、今となっては一企業内部の問題でもなく、ひいては我国の経済基盤に影響する。
理論経済学の片隅に、「企業の寿命」という語彙が存在する。
人間に寿命がある如く、法人格を持った「企業」にも、寿命がある。当該論旨から、すでに日本航空の企業寿命は尽き果てており、いち早く「企業の安楽死」を遂行する時期に来ているといっても過言ではなかろう。時代の流れと共に、変革改革を余儀なくされた日本の護送船団型銀行システムは、大きな痛みを経て、今ようやく息を吹き返しつつある。企業規模の大小を問わず、日本の企業は改革を迫られ、20世紀型の旧式システムから脱却し新たなるシステムの新機軸に移行可能となった企業体のみが生き残れる時代になっていることは、万人の知るところである。
このような改革進展を迫られ今日に至った日本経済社会に立脚して眺めれば、日本航空という「企業体」が、いかに旧態依然とした組織体であるか。が、分かり良いほど明確になる。
1)いまどき(半期で)300億円以上の赤字を平然と計上し、
2)従業員は9体の組合組織に別れて互いの足を引っ張りつつ、日教組と張り合っても劣らない左巻一大集団、
3)(国内航空業界いや世界か?)業界一位の高賃金にあぐらをかき、JAL海外支店の中間管理職たるや某国外務省職員以上に(現地日系人に対して)威張り散らし、
4)加えて今、トップに造反する中堅幹部が400人も結束し、家内騒動と内紛に気炎を上げ、これ、一般企業で可能な行動かどうか?無理であろうが、JALならならこそ、罷り通るから摩訶不思議、
5)「・・・!」
いまどき、こんな会社が「存続」している事、不思議でたまらない・・・
このようなテイタラクの航空会社に乗って「命を落とす」は、まさに「犬死」である。
日本航空の会社発足は1951年、戦後の経済復興と共に、国策により設立された
「日本のフラッグキャリアー」である。が、今は民間企業。民間企業といえども国を代表する航空会社ならば、もっと本腰を入れて運輸省、もとい、国土交通省の指導により、一刻も早く「企業解体」すべき時が来ていると考える。もはや、持病の老害(含む老衰)に蝕まれたJALを治療し元気な企業に回復させうる処方箋はない。早い方がよい。一刻を争って「国家の癌=JAL」は、解体手術により切断切除しなければならない。が、如何?

病んだJAL・・ 不要なJAL・・ 
国家の癌「JAL切除」の緊急オペ、賛成であるか?
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「以下、Yahoo 経済ニュースより、引用」

[JAL内紛混迷深く「業界の盟主」急降下]

 日本航空(JAL)の事業子会社の役員4人が新町敏行社長ら代表取締役3人に退陣を迫り、JALの内紛が起こってから2週間が経過した。留任の意思が固い新町社長は、代表取締役と造反役員の双方から退任者を出す「妥協案」で着地点を見いだそうと社内調整を進めているが、退陣要求に賛同した約400人の幹部社員や、賃金カットに反発する労働組合の不満が解消される確証はない。社内を広く巻き込んだ内紛で、乗客の信頼を失うのは必至。航空業界の盟主を自負してきたJALの経営基盤は、大きく揺らいでいる。
 しばしば社内抗争を繰り広げ、「もめ事はお家芸」と言われるJALで、また内紛が起こったのは今月10日。造反役員4人が、新町社長に経営体制の刷新を迫った。新町社長は「再生を軌道に乗せることが役目だ」と拒否し、4人には解任を含めて対処する方針だった。だが、4人も引かず、幹部社員の同調署名も約400人に増えたのが「内紛の構図」だ。
 社長と経営責任を分かち合わねばならないはずの造反役員に、支持者が増えたのには、社内事情がある。相次ぐ運航トラブルによる旅客離れなどで、平均10%の賃金カットを決めた経営陣に対して、社員には「経営トップの責任はどうか」という反発があったからだ。
 さらに「ワンマン」と言われた前会長の兼子勲氏が、社長時代に営業や経営企画などの幹部を追放し、05年に傍流部門出身とされる新町社長を後継指名したことへの不満が噴出した面もある。マグロの空輸などで貨物部門の業績を上げた新町社長の手腕は、JAL内部では社外ほど評価されず、支持基盤は弱かった。
 新町社長は造反に対して「責任を取らせるべき時は、厳しく対処する」と語っていたが、経営陣の中で「懲罰的なことは一切やめろ。社内が混乱するばかりだ」との声もあがった。結局、造反役員側に責任を取らせる一方で「新町社長は留任するが、羽根田勝夫副社長と西塚英和専務が退任する」という「妥協案」が浮上し、事態収拾を図っている段階だ。
 だが、収拾できてもあいまいな解決が禍根を残す恐れもある。「造反役員が残って、一枚岩の経営ができるのか」(航空関係者)との疑問だ。
 さらに旧日本航空と旧日本エアシステムが経営統合した影響や職種ごとに大きく賃金が異なるため、労働組合が九つもある複雑な労使環境だ。だが、06年3月期連結決算で470億円もの最終赤字を計上する見通し。誰が社長になっても賃金カットは避けられず、労使対立が紛糾する可能性もある。
 ナショナル・フラッグ・キャリア(国を代表する航空会社)の誇りの一方で、甘さを露呈してきたJALは、全社が意識改革しないと再生できない局面に追い込まれている。
 ◇給与高止まり、旧型機主力 「赤字体質」染み付く
 JALは収益力などで全日本空輸(ANA)に差をつけられ、既に「航空業界の盟主」の座を明け渡したような状況だ。
 経営上の最大の問題が、染み付いた「赤字体質」だ。労使対立で正社員の給与が同業他社より高止まりしているうえ、燃費の悪い旧型ジャンボ機が主力を占めており、原油高の影響をもろに受けている。続発する安全トラブルによる乗客減も深刻だ。
 一方、ライバルのANAは05年9月中間期は売上高、経常利益とも過去最高を更新した。02年のJALと日本エアシステム(JAS)の経営統合に危機感を募らせ、大胆なコスト削減を進めた結果だ。投下した資本でどれだけ利益を稼いだかを表す「総資本経常利益率」などの収益力を示す指標では、軒並みJALを圧倒する。企業価値を表す「時価総額」も、05年8月にJALを逆転した。
 規制緩和もJALを揺るがしている。羽田―札幌などの「ドル箱路線」も発着枠拡大で競争が激化。国際線でも、航空会社間のアライアンス(航空連合)に乗り遅れた。【瀬尾忠義、坂井隆之】
 ◇コップの中の争い
 航空業界を題材にした経済小説で知られる作家、本所次郎さんの話  JALは、国営だったころからの「親方日の丸意識」を払しょくできていない。そこに、旧日本エアシステムとの合併で社内が混乱している。
 JALはこれまで、米国のホテルを買収したり、国際路線を増やすなど拡大路線を取ってきた。しかし、今の航空業界を取り巻く環境は違う。原油高の逆風もある。新町社長は環境の変化を感じ、賃金カットなどの政策を打ち出したが、幹部社員や組合は「親方日の丸」から抜け出せず、「社長はけしからん」とコップの中の争いに走っている。もっとも、新町社長の社内掌握にも大きな問題はあるが……。
 経営破たんした米国大手航空会社の例もある。内紛で、JALの前途が閉ざされる危機を感じるべきだ。(談)
(毎日新聞) - 2月25日7時32分更新

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「日本航空の4‐12月期最終損益は230億円の赤字」
 [東京 6日 ロイター] 日本航空(JAL)<9205.T>が6日に発表した2005年4─12月期連結決算は、最終損益は230億円の赤字に転落した。国際旅客や国際貨物が増収となったものの、燃油費の高騰などが収益を圧迫した。
 売上高は前年比3.6%増の1兆6692億円だった。このうち、国際旅客は同3.1%増の5282億円、国際貨物は同4.6%増の1386億円と堅調に推移したが、国内旅客が同1.4%減の5042億円に落ち込んだ。
 2006年3月期業績予想は、前回予想を据え置いた。
(ロイター) - 2月6日12時34分更

(日本航空機による航空事故の歴史)

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以下、ウイキペディア百科事典より引用
「JAPAN AIRLINES」
From Wikipedia, the free encyclopedia
Website: http://www.japanair.com
Japan Airlines Corporation (株式会社日本航空, Kabushiki Kaisha Nihon Kōkū?) TYO: 9205 is the largest airline operator in Asia.

Two companies operate flights under the main JAL brand: Japan Airlines International (日本航空インターナショナル, Nihon Kōkū Intānashonaru?) and Japan Airlines Domestic (日本航空ジャパン, Nihon Kōkū Japan?). JAL Domestic has primary responsibility for JAL's large network of intra-Japan flights, while JAL International operates both international and trunk domestic flights. JAL Corporation also owns eight smaller airlines—Harlequin Air, Hokkaido Air System, JAL Express, JALways, J-Air, Japan Air Commuter, Japan Asia Airways, and Japan Transocean Air—which feed or supplement mainline JAL flights.

Among other distinctions, JAL has the largest fleet of Boeing 747s in the world (approximately 76, at March 2005), and is the only Asian airline that flies to Mexico City.

The airline has signed a memorandum of understanding with the oneworld alliance, and is expected to join in 2007. American Airlines will be supporting JAL as its prime oneworld sponsor, assisted by Cathay Pacific


(ウイキペディア百科事典より引用)

沿革
2002年(平成14)10月2日
日本航空株式会社(現日本航空インターナショナル、以下同じ)及び株式会社日本エアシステム(現日本航空ジャパン)が株式移転し、株式会社日本航空システム(JALS)設立。
2003年(平成15)4月1日
吸収分割により日本航空株式会社から株式会社ジャルセールス及び株式会社ジャルキャピタルの管理営業を承継し、両社を完全子会社化。
2004年(平成16)4月1日
日本アジア航空株式会社(JAA)と株式交換し、同社を完全子会社化。
2004年(平成16)6月26日
商号を株式会社日本航空に変更。
2005年(平成17)3月31日
グループ会社であった航空会社ハーレクインエア(HLQ)の全航空事業を終了。
2005年(平成17)10月25日
JALグループは国際的な航空連合(アライアンス)である『ワンワールド』への加盟方針を決定。
2006年(平成18)4月1日
日本航空インターナショナルが同社を存続会社として、ジャルセールスと合併する予定。
2006年(平成18)10月1日
日本航空インターナショナルが同社を存続会社として、日本航空ジャパンと合併する予定。
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JALグループ企業
[編集]
航空事業者
JALグループは、グループ全体で売上高が航空業界世界第3位の、巨大航空グループ(メガキャリア)である。 なお、構成企業には、株式会社日本航空(持株会社)直接の連結子会社(JAL,JLJも含む)、日本航空インターナショナル(旧日本航空)系列の連結子会社、JALジャパン(旧日本エアシステム)系列の連結子会社と大きく3グループに分かれる。

日本航空(持株会社)
日本航空インターナショナル (JAL)
日本航空ジャパン (JLJ)
(対外的には、上記3社をまとめて「日本航空」「JAL」と呼称している場合が多い。なお、2006年10月1日にはJALとJLJは合併する予定である。

日本トランスオーシャン航空 (JTA)
JALエクスプレス (JEX)
日本アジア航空 (JAA)
JALウェイズ (JAZ)
ジェイエア (J-AIR)(運送の共同引き受けによりJAL便名にて運航、法人名として表記する場合以外は「ジェイ・エア」を対外的に使用)
琉球エアーコミューター(RAC)
日本エアコミューター (JAC)
北海道エアシステム (HAC)
日本航空システム発足当初は、貨物事業(国内・国際とも)を「日本航空カーゴ」として分社する計画だったが、航空協定上の問題があったため、日本航空インターナショナルの事業とした。

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その他
JALUX(商社)[1]
JALブランドコミュニケーション(宣伝、広告、出版)[2]
ジャルセールス(販売総括、2006年4月1日、JALと合併する予定)
AGS(機体整備や空港での地上業務)[3]
JALホテルズ(ホテル運営)
ティエフケー[4](TFK、機内食)
JALロイヤルケータリング(機内食)
JALスカイ(空港カウンター業務)
JALスカイ東京
JALウェイブ(航務)[5]
JAL航空機整備成田(JALNAM)(航空機整備)
JAL航空機整備東京(JALTAM)(航空機整備)
日東航空整備(NTM)(航空機整備)
JALロジスティクス(自動車運送取扱事業・倉庫業・通関業)
ジャルカード(クレジットカード事業)[6]
JALビジネス(人材派遣・紹介)[7]
ジャルパック(海外旅行の企画・運営)
ジャルツアーズ(国内旅行の企画・運営)
ジャルトラベル(JAL利用の個人・団体旅行および外国人旅行手配)
JALインフォテック(システム開発・運用)[8]
JALテクノサービス(消防設備・環境管理)[9]
ジェイ・エス・エス(警備業)[10]
なお、日本航空高等学校等を運営する日本航空学園とは、資本・人的関係はない。

『主な株主』
2004年3月末現在の筆頭株主は東京急行電鉄である。これは、旧日本エアシステムの親会社であったことに由来する。個人筆頭株主は実業家で富豪としても知られる糸山英太郎で、日本航空のエグゼクティブ・アドバイザーでもある。他の大株主は東京海上日動火災など。

『トラブル多発』
2005年3月には、度重なる運航上のトラブルにより国土交通省から業務改善命令を受けるが、その後も連続する様々な運航上のトラブルに対して、4月には国土交通省による立ち入り検査が行われた。しかしその後も整備上のミスが相次いで発覚したり、ジャカルタ-成田線において、旧JALと旧JASのサービスマニュアルを統一しないまま、機材の共用化を開始した事により機内食が全員にサービスされず、しかも機内食のカートが収納されないまま着陸するというトラブルを起こす(日本航空ジャパンのトピック[11]コーナーにも記載アリ)など、運航上・サービス上のトラブルが多数発生した。他方でマスコミの過剰、過敏な報道も目立っており、マスコミ対応への弱さが浮き彫りになった。

この影響により、国内線では2005年4-6月期のJALの旅客数は前年並だったのに対して、ANAは前年より3%増えている。相次ぐトラブルを嫌った利用客がANAへ流れてしまっているのである。また、2004年度決算では、売上高でJALの60%しかないANAの方が最終利益では上回っている。さらに、2005年4-6月期では、燃料価格高騰への対策を誤ったこともあってJALが320億円もの営業損益赤字を計上したのに対して、ANAは170億円の黒字を計上。両社の業績に差が出始めている。

2005年8月12日には、JALウェイズの福岡発ホノルル行きのDC-10が離陸直後にエンジンから発火し、部品が市街地に落下するという事故を起した。この日は1985年の日本航空123便墜落事故からちょうど20年目にあたり、午前中の慰霊行事で社長が二度と事故を起さない旨の挨拶をした直後だったため、同事故の遺族をはじめ各方面から批判の声があがった。
(この項目は現在進行中の事象を扱っておりますが、Wikipediaはニュース速報ではありません。性急な編集をせず事実を確認し正確な記述を心懸けて下さい。またウィキニュースへの投稿も検討してみてください。なお、この内容は不特定多数のボランティアにより自由に編集されていることを踏まえ、自身の安全利害に関わる情報は自己責任でご判断ください。)
2006年2月14日には、経営再建方針をめぐり、一部の役員が新町敏行社長兼CEO以下の代表権を持つ3人の経営陣に対し、退陣を迫っていることが明らかになった。新町社長は拒否し、対立が続いている。これについては、国土交通省も「重大な関心を持っており、今後も監視していきたい」旨のコメントを発した。

同年2月24日、羽根田勝夫副社長が退任し、新町敏行社長兼CEOが留任する方向に入った。

『日本航空出身の著名人』
深田祐介(作家)
安部譲二(作家)
仲谷かおり(ヌードモデル)


(注:表記画像の引用)(from Wikipedia, Jet Engine)


トリノ五輪の「華」=金メダリスト静香さんに寄せて・・

2006-02-26 15:57:52 | つれずれ紀行
 嗚呼「美しき快挙」、伊太利亜トリノに、日本人の「伝統と美」の結晶を見た。日章旗の掲揚される中、演奏される日本国国歌「君が代」の空間に立った我らのSHIZUKAの姿に日本文化の「美意識」をみつけたり。国歌の奏でられる中、国旗掲揚と共に映し出された「金ダリストSHIZUKA」の姿。これぞ瞬時にして世界に発信された「日本の誇る文化の象徴」である。と、位置付けしたい!

(その1)「天晴れなり!しなやかなる和風美の代表!Miss Shizuka ARAKAWA」

 冬季五輪報道・・・
連日の連夜に亘るメディアの空騒ぎから、メダルを期待する報道の空転振り虚しく、トリノ冬季五輪における日本選手団の不振は悲惨極まりなく、つい数日までは、メダル無しに終わるかと思いきや、女子フィギュアスケートで静香さんが史上初(フィギュアスケート種目に於ける)の金メダリストに輝いた。ここに至るまでには、幾多の苦難と挫折を乗り越えた「自分との戦い」があったはず。そんな時間空間の推移する中、物理的な修練と鍛錬に加えて、頭脳的精神的切磋琢磨の連続は、いよいよ五輪に向けて結実し、カタチになり「金メダル」までに結晶した。
 五輪会場銀盤での彼女の演技は、動きの中に「しなやかさ」がかもし出され、伝統的日本の「和の美」があふれ、あたかも日本舞踊を舞っているが如く日本風独特な素養が感じられた。銀盤の舞に、我輩は彼女の持つ精神的素養を見た。その素養が、いまや、彼女の容姿は世界に通用するもの、誇れるもの、しかし東洋的且つ日本的な美しさであったこと、思い浮かべる。我輩が思ったくらいであるから、彼女の演技に見入っていた世界中の鑑賞者は、まさしく同じ(同じ以上)感度で見入り、「日本的美」に陶酔したに違いない!
(お詫び!我輩の試論的な感情移入がしつこくなり、恐縮!)
 そして女子フィギュアー世界における金メダルが日本人選手にもたらされたニュースは、世界のメディアに大きく取り上げられ、いやがうえにも「日本国」の栄光が世界に報じられた。これ、日本国民にとって大変うれしい出来事ではないか。
うれしい出来事は素直に喜ばなくてはならない。が、我々はここで、重要な事柄を見落としてはいけない。

その重要な事柄とは、
つまり、
「これでようやく、我々は日本人としての面子と自信を取り戻した」
等と、
一億総日本国民をして上述の事を感じているに違いない。
その実、ひそかに我輩、日本人のプライドを回復し、不思議に、気分が爽快となっているのである。
 いつの時代もスポーツの世界に於ける自国の優位性は、間違いなく自国民に自信と夢と希望を与える。すでに世界中のメディアにより、「ゴールドメダリスト静香」のニュースは一夜にして世界に報じられた。美しく清楚なSHIZUKAの演技、容姿と立ち居振る舞いをとくと観た世界のTV視聴者は、彼女をして日本人女性の総体をイメージしたはず。よきイメージも悪しきイメージも、世界を駆け巡るが、この度は誇るべき日本女性のイメージを世界に発信できた。(総合的な意味で)日本の美を発信するは、受け取る側によって日本の「伝統と美意識」にも拡大し、昇華させうるものであること、あらためて認識したい。

 あらためて、荒川静香さんの「秀麗な演技」に感動された方、以下のバーをクリックいただきたい!

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(その-2)「世界に発信される日本の伝統の美、芸術と文化」

本日あらためて、日本の文化と美意識を振り返ってみる。
 A)明治維新後間もない若き独立国家日本は、新渡戸先生の名著「武士道」により、日本的武士道の精神は世界に発信された。江戸時代の末期に遡れば、開国以前19世紀の科学技術と世界文化を一堂に会した「バリ万博」の逸話に及ぶ。当時、ヨーロッパに紹介された日本文化の中、「浮世絵」の紹介があったと聞く。日本文化の一遍「浮世絵」に触発された往時の欧羅巴絵画世界は、浮世絵の画法に観る簡潔且つ無駄のない日本絵画技法に、大いに影響を受けたと聞く。かくして19世紀のパリ画壇は、印象派をはじめとする「近代絵画」の新たな手法を生み出す切っ掛けが浮世絵であったこと、思い出す。

 B)現代世界の外食文化おいて、近い過去は「すき焼き」に「テンプラ」。今や「寿司」文化は世界を駆け巡り、米西海岸においては和風の「うどん屋」は予約無しでは入れないほどの大流行と聞くし、日本原産カップラーメンの需要は、東南アジアのみならずヨーロッパ諸国にまで浸透し、韓国製カップラーメンの流通が激しくバリエーション多く、すでに和製オリジナルを凌駕する、、

 C)また、すでに日本の国技「柔道」たるや、世界の柔道になって久しく、哀れかな、お家芸から世界の柔道に昇天させられてしまった。が、世界の巷では、日本の「空手」の先生は引く手あまたと聞き及ぶ。空手を修めている「日本人空手家」は、世界を放浪しても食うに困らないと聞く。

 D)日本の盆栽は、いまや東南アジアの裕福層の間で「流行」し定着し、Bonsaiという趣味世界の新語が生まれており、世界に流行し始めて久しい鑑賞魚の王者「鯉」は、英語のCarpと共に世界語となっている。

 E)ハワイ・フィリピンの「夜の巷」では、四半世紀以上も前から「KOKONI-SACHI-ARI(大津よしこ唄・ここに幸あり)」の歌謡と演奏を耳にして久しく、なぜかここに幸ありの旋律とウクレレの奏でるハワイアンメロディーは、心憎いほど溶け込んでいる。

 F)欧羅巴諸国、いや、いまや全世界の夜の社交場においては、SAKURA & Koujouno-Tsuki(荒城の月)のバイオリン演奏は哀調を湛えて日本人旅行者に郷愁を回想させ、

 G)フランスやベルギーに於いては、ドラエモンを始めとする日本アニメ文化がTV番組に浸透して揺るがず、

 H)言わずもがな、かの坂本九ヴォーカル・作曲中村八大・作詞永六輔各位の手になる「上を向いて歩こう」の不朽の名曲は、SUKIYAKIとなって世界を駆け巡っているし、

 I)映画界を辿れば、日本の生んだ映画界の巨匠黒澤明氏の存在は金字塔となり、今尚世界映画界の伝説的存在となり、

 J)我が敬愛する坂本龍一氏は、今や世界の名作曲家として名を馳せ、バルセロナオリンピックの音楽プロデューサーに抜擢され、且つ、名画ラストエンペラーの映画音楽をプロデュースし、さらに活動は続く、、、

 K)和製ポップスの定着は、台湾韓国を皮切りに東南アジア全域に広がり、当然ながら現地語で歌われている。まさか?と、思った「カラオケ文化」は、今や世界中に蔓延し、発祥の地日本を凌いで「地元住民」の憩いと社交の場を提供しているから、二の句が告げない、、

 K)まだあるまだある、際限がない・・・

 これ!と思った心当たりのある世界の日本文化人の名前が浮かんだら、如何かコメント欄にてご紹介且つお教えいただきたい!
 (あえてこのたび、世界に躍進する日本企業やビジネス世界の話題は省いた。なぜか、我輩の不得意なスポーツ選手の名が出てこないこと、少々お詫びする)
 まあこうして、世界に躍動する日本出身者を上げれば切りがない。

 かくして今、国境を飛び越えて、世界の文化世界に名を馳せ活動を続ける日本人文化人は、数え上げればきりがない。スポーツ世界も同様、日本の生んだ冬季五輪女子フィギュアスケート金メダリストたる静香さん、日本における大なるスポーツ文化の発展と日本文化の世界規模発信は、すでに金メダルを獲得した時点で行なっているからすばらしい。
そう、
21世紀も6年経過する今日、今尚試行錯誤しつつ、未だに閉塞感の充満する我々日本人。この度の「静香金メダル」の朗報をバネに、あらためて我国の将来と我々の目標について、我輩は整理してみたくなった。加えて迷わず、次世代の日本人のため、我国の伝統と歴史と文化を再認識し、広く世界に発信する活動に賛同する。日本文化の世界発信の根幹には、いかにも我国教育世界の占める責任は重要であると考える。せめて、50年先の日本の栄光と繁栄を考えるならば、目先の経済競争(狂騒)や近隣国の井戸端会議的こき下ろしに惑わされず、本来日本人の持つ勤勉なる向上心を基盤に、我々日本民族に受け継がれている繊細な文化的素養の探究と練磨の集積に尽くすべきだと考える。
さあ、日本の老若男女よ、日本の誇る歴史と文化と伝統を、再認識しよう。
日本は今日すでに、世界の認める技術立国となって久しい。ならば、21世紀をして世界に誇れる文化立国と為るを目指し、日本から世界に向け日本の歴史と伝統に育まれた「新たなる日本的文化」を、世界に発信しようではないか。

 
日本文化を世界に発信することに異議のない方、賛同いただける方、是非下記ランキングバーをクリックして頂きたい!

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<添付画像>:、'06.冬季五輪開催地・伊太利トリノ市遠望(スイスアルプスを望む)from
Wikipedia


小説「フォワイエ・ポウ」(第6回)<2章(安易な決断ー1)>

2006-02-24 09:06:48 | 連載長編小説『フォワイエ・ポウ』
Photo by Mr. G.A.: (The entrance of traditional Piano Bar in Barcelona Spain on Jul. 1994.)

掲載済みの小説「フォワイエ・ポウ」は、下記から入れます。

1)第1回掲載(2月9日)
2)第2回掲載(2月10日)
3)第3回掲載(2月15日)
4)第4回掲載(2月17日)
5)第5回掲載(2月22日)

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エセ男爵ブログ・連載小説
  『フォワイエ・ポウ』

著:ジョージ青木

2章

1(安易な決断)

(1)

「兄貴、今日、会社終わってそっちに行っていいか?」
昭和63年の10月中旬の頃、本田の弟から彼の事務所に電話がかかった。
「おう、かまわんよ。何時頃になる?できるだけ早く来てくれないか。久しぶりだから、たまには一緒にめしでも食いに行くか?」
「ありがとう、できるだけ早く行く。そうだな~、6時頃でどうだろうか・・・」
「分かった、あまり遅れるなよ!待ってるぞ」
電話が終わって一時間と経たないうち、本田の事務所に弟の譲治は姿を現した。
「こんばんは!お待たせ・・・」
「おう、来たか!めずらしく時間厳守だな」
「うむ、兄貴、今日は相談したい事があるんだ」
「なんだ、また愚痴か?またまた、『いよいよ会社辞める』って言うのか?」
「いやいや、今日は前向きの話しだよ」
その頃、譲治は仕事に打ち込めないサラリーマン落第生一歩寸前、なぜか出世街道へ出遅れているサラリーマン。本田幸一は脱サラして3年目。未だにサラリーマン時代の殿様商売が抜けきれていない、不器用な経営者であった。
「小林さん、今日はもう、このまま仕舞いなさい、帰っていいよ」
彼女の名は、小林美智子。本田の事務所のたった一人の事務員である。
「ありがとうございます」
小林美智子の退社時間は、通常6時過ぎである。が、今夜は意外と早く本田の弟が現れたので、美智子は喜んだ。
「時には、早く帰んなさい」
「お二人にコーヒーお出しして、帰ります」
「ありがとう・・・」
「おい、ところでこの時間、コーヒー飲むか?」
と、本田が弟に確認すると、
「うん、そうだな、この時間になるとアルコール分のある方がありがたいな~」
「そういうと思った、小林君、グラス二つ、それからいつもの1階の喫茶店から、ビール2本、電話で出前注文してよ」
「分かりました、おつまみどうしましょう?」
「あ、いらないよ、ビールだけでいいよ」
顔なじみの1階の喫茶店のマスターに電話した美智子は、ニコニコ笑いながら2人に挨拶し、事務所をあとにした。

本田が事務所を構えるビルは、市内中心地のワンルーム・マンション。1階だけは店舗が入り、2階からは住居ビルとなっている12階建てのマンションであるが、ロケーションに特徴があった。
つまり、県庁舎に合同庁舎、地方裁判所に家庭裁判所がそれぞれ徒歩5~10分の位置にある。ロケーションが良いので、弁護士事務所ならびに司法書士などの業種が打ち揃って入居しており、一般住民は一割に満たない。
本田は3年前、国際イベントのソフト業務を取り扱う「目的」で脱サラして開業。そのためにこの位置にこの事務所を借りた。
わずかに2回、さりとて2回、外国からの参加者を含めて、参加者総勢500人規模の大きな国際イベントを引き受けた実績がある。本田の引き受けた仕事はことごとく成功し、関係者からは高い評価を受けた。しかし、当時の本田は「儲け方」が解らなかった。ことごとく赤字を出した。当時、納得してすんなりと、本田の仕事に対しノウハウ料を払う発想など誰も持っておらず、当時の地方都市のイベント主催者の感覚として、未だ全く理解を得ていない時代であった。つまり、知的ノウハウに対する価値観は、まだ存在しない時代であった。本田は、これを最初に試みた、この地この地方都市での数少ないパイオニアの一人であった。しかし、当時、いや今も尚、この手の業種は地方都市では儲からないし、流行らない。サラリーマン時代の旅行業界で、約16年培ったノウハウが、この手の業務をこなすには如何にレベルの低いものであるか、本田は極度な自信喪失に陥り始め、試行錯誤を繰り返し始めた。
大きな国際イベントがあるときは、それに関連するほとんどの業者を東京から呼びつけ、なぜか実力ある地方の業者が存在するにもかかわらず、地元の中小零細業者には決して任せない。という当地独特の悪癖ともいえる商習慣がある。国際交流のコンサルタントといえば、聞こえはいい。しかし、ビジネスにはならなかった。企業という組織から離れた個人経営者の苦悩は、大企業の歯車であった本田には想像を超えるものがあった。まして、国際イヴェントという新しい事業体の運営が如何に難しいものか。立ちはだかる壁と大きさが、ようやく解かりかけてきた本田は、いささか取り扱い業種の矛先を変えようと、日夜頭をくゆらせていた時期であった。
しかし、石の上にも3年。ようやく本田の存在が認知されつつあった時期、想えば考えれば、今からようやく芽が出始める時期に差し掛かっていたと判断できなくもない。が、本田の事業を継続するための致命的な欠落があった。立上げ当初からの自己資金の少なさであった。3年前、わずか300万円でスタートした有限会社であったが、その内の運転資金に当たる現金は、およそ150万円。残りは持ち寄った自分の車、その他調査資金と称して半分以上の資本金相当額は、ただ単なる帳簿上の数字合わせで、取り急ぎ開業した。
しかし、考えれば、その時、自己資金の少なさを耐えて耐え凌ぎ、あらたな業界で本田の名を定着させることができていれば、いや、すでに定着しかかっていた現状を維持さえできれば、本田の人生が変わっていたかもしれない別のシナリオが、わずかながらも残されていたに違いない。が、わずかな資金は底をつき、町金融や自己手形割引に手を染めた半年前から、すでにどうにもならない限界が来ていた。一刻も早く事務所を閉ざし、全てを整理すべきときが来ていた。いや、もうすでに手遅れであったし、もっと早く事務所を閉める決断をすべきであった。

「兄貴、ところでひとつ、飲み屋をやってみないか」
小林美智子が退社し、事務所のドアが閉まった瞬間、譲治が口を切った。珍しくも、アルコールに口がつく前である。
「なんだって?『飲み屋』がどうしたって?」
本田は驚いた。
「ま、一杯やろう、おつかれ・・・」
お互い、グラスに口をつけた。
わずか1分もかからなかったが、互いに暫らく口を開かず、沈黙した。
「例の、兄貴もよく知っている『フォワイエ・ポウ』だよ・・・」
「なんだって? あの店、山根君がやってんだろうが、彼、どうしてるんだ」
「いや、実は・・・」
ようやく譲治は、事の仔細を語り始めた。

<・・続く - 3月1日(水)掲載予定>


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小説「フォワイエ・ポウ」(第5回)

2006-02-22 11:22:55 | 連載長編小説『フォワイエ・ポウ』
解説:2月8日から掲載をはじめた連載小説「フォワイエ・ポウ」の記事投稿は、本日で5回目となりました。そして本日、第1章の最終回となり、次回(2月24日金曜日)から第2章に入ります。
毎週水曜日と金曜日の2回投稿を心がけ、執筆を進めます。
最終章は17章辺りまで書き進める予定です。ブログ掲載には、短編記事が適切かと思いながらも、敢えて長編連載に挑みます。スナックバーという限られた空間の「定点観察」から、その場に出入りし居合わす人間アラカルトを素材にします。物語は、バーのオーナーである本田マスターと、店に出入りするサラリーマンや学生、OLからクラブホステスなど、様々な顧客の織り成す人間模様を描きながら、世代を超えた男達の無骨な生き様を、抽出してみたいと考えます。是非続けて読み進めていただきますよう、何卒宜しくお願い申し上げます。

掲載済みの小説「フォワイエ・ポウ」は、下記から入れます。
1)第1回掲載(2月9日)
2)第2回掲載(2月10日)
3)第3回掲載(2月15日)
4)第4回掲載(2月17日)


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エセ男爵ブログ・連載小説

『フォワイエ・ポウ』
著:ジョージ青木

1章

2.(クリームチーズ・クラッカー)


(2)
カウンターでおおよそ30分、栗田係長はマスターと会話していたがその間、奥のボックス席にいる女性社員たちは、全く別のお喋りを、それなりに楽しんでいた。
そんな時、ゆっくりと店のドアーが開いた。
カウンターの中で栗田係長と話していた本田からは、左手前方になるが、ゆっくり開くドアーが視界に入る。ドアーの外に人がいる。
ドアーの外からこっそりと店内をのぞく女性が居ることに気がついた。
「いらっしゃいませ」
いつも通りの自然体で、客を迎え入れる言葉を爽やかに投げかける。
「あ、すみません。こちらにJGBの栗田係長が来てませんか?」
斜め背中の方向から流れてくる声を聞いた瞬間、栗田は声の主が誰なのか判り、ただちに反応した。
「おお、来たか来たか!待ってたんだ。この時間まで、たいへんだったな。お疲れさん・・・」
「あ、係長!このお店で、よかったんだ。お店、間違ってませんでした。どうもお待たせしました、申し訳ございません」
「いや~問題ない。みんな奥の席で待ってるよ。ところで君1人で来たのか?あとの2人はどうした」
「すみません。まだ仕事やってます。それで、なんだか予定があるみたいで、私ひとりが来ました」
奥のボックス席から、五反田恵子がカウンター席まで出てきた。
「真理子さん、おつかれさま、みんな待ってました」
と、五反田恵子が新しく加わった女性に声をかけるやいなや、
「おい、檜木田君、奥に入る前にちょっと、ここに座れ!」
「マスターマスター、紹介します。彼女、檜木田真理子です。うちの支店で一番の歌姫は檜木田君です。あとで歌を聞いてやってください」
「はじめまして、檜木田です。五反田さんから、すてきなマスターの事、いつも伺っています」
真理子は、照れている。
「はじめまして、本田です。今日は楽しみです。あとで是非、聞かせてください」
と言ったものの、本田の目に映るこの女性、
(小柄で、やや色黒。なになに、歌姫だって?どうみても歌の上手な女性に見えないぜ)
如才なく対応しながらも、本田はこの新規の客のなにがしか、を、無意識に伺っている。
(この真理子さんとやら、歌がうまいのか?うまいのであろう。ま、周囲の人間が言うのだからほんとうにうまいのであろう。それはそれとして、ウム、となると、『天は、二物を与ない』と言った昔の人、真によく表現したものだ・・・)
などなど、本田は思っている。
真理子が合流したところで、栗田もカウンターから奥のボックス席に移動した。こうして全員そろったところで、もう一度乾杯。あらためて全員のおしゃべりが始まった。

こんな時、本田は時計を見た。
(まだ、8時半だな・・・)
決して表情には表さないが、本田は1人で気分爽快になる。
(今現在で8人。ボトルのキープも入っているから・・・ ヨ~ッシャ、これで今夜は出来上がりだ!)
などと、気分的に本田のゆとりが出てきたとき、また店のドアーが開いた。
「浜田君、いらっしゃい!」
「こんばんは。今まで残業、少しやってました。社から直行しました」
常連客の浜田主任はいつも通り独りで店に来た。浜田は、単独行動で飲み歩く。入社4年目、まだ27歳の未婚の若者は、いまや飛ぶ鳥を落とす勢いの山谷證券H支店に勤務するサラリーマン。トップクラス営業マンである。
「今日も、仕事がんばったんだ・・・」
「いやいやたいしたことないですよ。ア~喉かわいた!マスター、いつも通りハイネッケンの生を頂きます」
「りょ~かい」
入り口に一番近いカウンターの端の席に、深く座り、本田の差し出したハイネッケンの生ビールをグイ~と、最初のひと息で中ジョッキー半分まで飲み干してしまった。
星の数ほどある飲み屋の中、この浜田には、この店に来る目的があった。
以前から、酔えばその度に、マスターにはもちろん、呑んでいる周囲の人間に何度も何度も繰り返し話す彼自身の精神論。すなわち「浜田節」がある。
それは、
「その日に起こった仕事中のあらゆる不愉快さ、横柄な顧客との会話などなど、すべからく自分のみがへりくだる。的確と思われるあらゆるお世辞をへつらう。さらに社に帰ってから、周囲に対し気を使い、とくに上司には気をつかわなければならない。そんなサラリーマン独特のストレスを翌日に持ち越さないよう、気分を発散する。今まで、あちこちの飲み屋に顔を出してきた。なぜかしかし、この店『フォワイエ・ポウ』に足を運ぶようになってからは、スムーズなストレス発散ができるようになり、さらには、明日に向かっての勇気と希望がわいてくるのです」
「・・・」
「何故だろう? これって、女のやっている店では意外とそうはいかないんだよな~」
「・・・」
「なんだか、女性に対する見栄というか、弱みを見せたくない問題、触れられたくない所、というか・・・」
「・・・」
「つまり、十分にサラリーマンの経験を持ったマスターの背中を見ていることで、それに酒が入れば元気になり、そして行き着く先は?そう、元気と安心・・・」
生ビールのジョッキを片手にすれば、ようやく仕事から解放された気分になる。人心地付いた浜田は、今夜も本田を相手に浜田節をつぶやいていた。
話しながらも、浜田は一人で黙々と、おつまみとして出されたチーズのラップを慣れた手つきで上手にはぎ取る。
マスターとの会話の合い間に、さらに次のクラッカーを手に取る。
クラッカーの上に、まずパセリと、半分にカットしたプチトマトを敷く。
その上に一枚まるごとクリームチーズを上手に載せる。
まるでオープンサンドウィッチをほおばるように、器用に食べる。
時に、間合いをとり、ハイネッケンを一口・・・
そんな浜田の姿を、カウンター越しに見ながら、マスターの脳裏には、すでに傷つき、すりきれた年代物映画の如く、『とある映像』が、静かによぎりはじめる。
それは、おおよそ十数年前、若かりし頃のサラリーマン時代の自分自身、そんな本田の姿を写し観ているようだった。

 <続く- 第2章>

ティータイムの出来事 (Hiroshima RR Hotel)

2006-02-21 11:48:38 | つれずれ紀行
画像:広島リーガロイヤルホテル「コーヒーハウス・コルベイユ」

 昨日は、一週間ぶりに市内に出かけた。
用向きはいたって単純。痛風の薬がなくなったので病院に取りにいった。その帰りに紀伊国屋によって本を立ち読みし、込み合わないよう時間を見計らって、同じビル内のレストラン街の和食の店に飛び込んで天丼を食した。その後、止めようと思って止められない「スモーキング・タイム」の為に、同じフロアーの一角の喫茶店「風車」に移動。ところが喫煙席が満席となっているではないか。たぶん、いや如何見たってタバコを吸わない類いの昼食目的客が、4人掛けの喫煙テーブルにそれそれ一人陣取って食事をしているボックスが4箇所。我が故郷の街の飲食習慣は、相席を常としないから始末が悪く、さりとて、こちらも可能な限り相席をしたくない。
致し方なく、隣接するホテルの敷地に移動した。
ティータイムの場所として選んだ、H・リーガロイヤルホテルの『 コーヒーハウス・コルベイユ』は、170席近くの客席を配備する、ゆったりとしたスペース、ガーデンレストラン的な開放感のある落ち着いた雰囲気。食事も結構いけるリーズナブルなCoffeeShop&Restaurantである。
入り口にはテーブル案内の受付があり、
「我輩一人、喫煙テーブルを所望す!」
と、案内係にオーダーするものの、かって知ったレストランのいつものテーブル二足を運ぶ。が、すでに先占有者あり。致し方なく自分勝手に、第二番目のいつものテーブルに足を運んだ。こちらがテーブルに着く頃、いつの間にか現われた「黒服」が、にこやかに挨拶し、テーブルの椅子を引き、我輩の着席をサポートする。昼食に、時に夕食に、時々再々訪れる我輩の顔を見知っているのかどうか?合わせて注文を聞くので
「May I have a cup of coffee,,,」
「Yes, Sir! Just moment,,,」
てなことを日本語でかわし、しばし待った。
しかし、およそ10分待てども、コーヒーは出てこない。
昼食時間が少し過ぎ、ようやく一段落したレストラン内の客は、まばらなり。入社してまもない研修生らしき女性従業員が、ぎこちなく、テーブルの上をかたずけたり、注文を受けた料理を、客席にゆるゆると運んでいるのを見て、我輩は手を挙げて(無言で)呼びつけた。
「お~い、ネエチャンネエチャン、おいらのコーヒーはまだかいな?」
とは、決して言わなかった。
しかしウエイトレスは、我輩の方を見て見ぬふり。あいかわらず緩々とした動作で自分の目の前の仕事に熱中している振りをする。
たまらないので声を発した。
「あの~、ちょっとお願いできますか?」
「・・・?」
ようやく(見るからに、嫌々ながら)我輩のテーブルに接近した研修生風ウエイトレスは、心ここにあらず状態で我輩の説明を聞く。
「コーヒーを注文して、もう十分くらいになるが、如何致した?コーヒーのオーダーが通っていないのではないの?ちょっと調べてみてくださいな」
ここまで話しても、まだ、きょとんとした顔で、我輩の日本語が聞き取れていないようだ。
もう一度同じ内容の会話を違った言葉遣いで説明した。
何も我輩に返事せず声もかけず詫びもせず、突然ゼンマイ仕掛けの人形ように、パントレーにかけていった。上半身、白のシャツに、黒+緑色の格子縞?のポンチョ、下半身は、ひざ上迄の短めタイトスカート、の、制服姿を、後ろから見ているとダックスフンド風豚とアヒルの「あいの子」が、パンプスを履いて駆けているように見えたから、我輩の方も始末が悪い。
「ま、ここまで云ったのだから、待ってやろう。こちら別に急ぎはしない・・・」
てなことで、先ほど本屋で買った3冊の本に、ようやく目を通し始めた。
それから数分後か、
「申し訳ございません。大変お待たせしました!」
本から目を離し、ふと見上げたら、最初に我輩をテーブルに案内した黒服がコーヒーポットを片手にテーブル傍に立っている。黒服自ら、おもむろにコーヒーを注いでくれる。
ここで我輩、一言、黒服に云った。
「いつも研修生とおぼしき寸足らずの従業員がいるが、客が呼んでいる時には逃げず隠れず、直ちに客の要望を聞き届けるように、、」
「まして、今は、昼食の一段落した閑な時間帯であるからこそ、研修生らしき新人といえども、レストラン内にいる客の一挙手一投足を絶えず"watch"し、注意を怠らずして、お呼びがかかれば直ちにそのテーブルに足を運ぶことこそ、レストランサービスの基本ではないか?」
我輩の言に対して、すでに平身低頭の黒服曰く、
「申し訳ございません、注意します」
「RRホテルといえば、この街では一流にして一番のホテルだから、それなりの誇りを持ってがんばって下さい・・・」
てなことを、またまた放言してしまった。
タバコに火をつけ、黒服の注いでくれたコーヒーを、飲んだ。
ナナ、何と!
いつもより美味しいコーヒーではないか!
我輩、遅ればせながら、ようやく気がついた。
あの黒服め、自分自らキッチンに入り、わざわざ新しいコーヒーをたててくれたのか!
ありがとう!
ご承知の通り、客足の途絶えた流行らない大型食堂のコーヒーは酸味強く苦く香り無く、とても飲めたものではない。
たぶん、昼食時にたてた古いコーヒーがあったはず。それが証拠に、我輩より後からレストランに来た中年カップルのコーヒーは、先ほど見ていたら先に出た。そのカップルに対し、研修生が注いだコーヒーは、我輩のものより早くサービスされたものの、古いコーヒーが出たに違いない。

HRRホテルレストランの黒服君よ、昨日はどうもありがとう!コーヒー一杯でうるさく云った事、勘弁してくれよ。飲食サービスの良し悪しは、一にも二にも顧客とのコミュニケーションであるぞ!

がんばれ、限りなく可能性を求めろ、黒服君!

又来るよ、今度は昼食を頂きますぞ・・・

話し変わる。
思えば、昔懐かしいレトロな喫茶店が、日本全国の主要都市から消え去りつつある。落ち着いて煙草が吸え(タバコを吸わなくてもよいが)、コーヒーの香りを楽しみながら音楽を聴き、読書したり瞑想(思考的迷走?)に耽ったり、そんな落ち着いた喫茶店文化があったはず。今は少ない。
旧きよき時代の喫茶店にノスタルジーを感じつつ、黒服の配慮に感謝しつつ、昨日の午後は心豊かにティータイムを過ごした。

レストランサービスの向上に「ボランティア精神」を発揮するお節介な不肖エセ男爵の「心配り」はともかくも、レトロ感覚の喫茶店に郷愁をお持ちの方もそうでない方も、下記「BAR」をクリックして頂きたい・・・

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 喫茶店という「語彙」を見てみた。
実に面白いので、またまた引き抜いてきた。


<参考資料:ウイキペディアより>


 《 喫 茶 店 》
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション, 検索
喫茶店(きっさてん)は、コーヒー、紅茶、中国茶、日本茶などを専門に飲ませる飲食店。

「喫茶を提供する店」という意味である。喫茶とは鎌倉時代(源実朝の時代)から始まった茶を飲用し効用を嗜むと言う作法から来ている。

日本では、ケーキ、サンドイッチ、スパゲティなどの軽食、モーニングセット、パフェなどの独自のメニューがある場合も多く、都市部では、サラリーマン、学生等が朝食に利用する事が多い。

ヨーロッパの大都市には、路上にテーブル席を並べたカフェが多く、著名人の交流の場としても知られている。新聞を読んだり、政治を論じたりといった男社会の交流の場でもあった。(詳細は、コーヒー・ハウスを参照)

日本では、若者向け・女性向けに内装や食器、雰囲気などを重視した店舗を中心に「カフェ」と呼ばれることも多くなってきた。また、見晴らしの良いテラスにて「カフェテラス」を行っているところもある。

ヨーロッパ風の店をヨーロピアン・カフェ、イタリア風の店をイタリアン・カフェと呼ぶ事もある。

一時期、テレビゲーム機を設置した店が多かった事から、子供の教育上よくないと思われた時代もあり、学校の校則に喫茶店への入店を制限するものが日本全国でみられる。

喫茶店の「喫」の字から一部愛煙家の中には喫煙できる場所と曲解する向きもあったが、喫茶とは茶を楽しむと言う意味なので喫煙とは全く関係はない。しかしながら禁煙の場所が増えてきた今日、禁煙の措置を取らない喫茶店もあるため、会社員や外回りの営業マンなどの間でコーヒーとともにタバコを一服する場所としても定着している。

(1)「喫茶店の歴史」
1650年、イギリスにヨーロッパ初のコーヒー・ハウスができる。(ロンドン、ギャラウェイが特に有名。)
1675年、パリに世界最古のカフェができる。(現在のカフェ・プロコップ。)
1898年、東京上野に日本初の喫茶店ができる。
1920年代 日本で喫茶店ブーム。当時コーヒー一杯10銭。
1950年代後半 日本でジャズ喫茶(JAZZ喫茶)、歌声喫茶、名曲喫茶などが流行。
1959年、談話室滝沢が東京都内にオープン。日本の高級喫茶店のはしりとなる。
1960年代後半から1970年代 日本で純喫茶が流行。店主自らコーヒーを淹れるこだわりの店が増える。
1980年代、チェーン店のドトールコーヒーが誕生。
1990年代、日本へスターバックスなどシアトル系チェーン店が進出。コーヒー一杯を400円から500円で売る。

(2)「日本の喫茶店の多い地域とサービス」
愛知県、岐阜県、石川県などは喫茶店の数が多いことで知られている。特に愛知県や岐阜県の場合、1999年の総務省統計局発表データによれば、全飲食店のうち喫茶店の占める割合が、全国平均は24.3%、東京都は17.7%、多いといわれている大阪府でも36.1%に対し、愛知県は41.5%、岐阜県は40.4%となっていて、喫茶店に対する支出も愛知県は全国平均の約2倍、岐阜県は約2.5倍を誇っている。
当然ながら数の多い分だけ競争も激しく、それら地域ではコーヒーを頼めば菓子がついてくるのが半ば常識化している。また1960年頃から豊田市・一宮市などで「モーニングサービス」と称し、コーヒーの値段で朝の開店時刻から10時ごろまではゆで卵・トーストをつけるサービスもはじめられたが、これは好評だったので中京圏全域に広まっていたといわれる。
現在ではもっと競争が激しくなり、営業している全時間帯を「モーニングサービス実施」とする「フルタイムモーニング」や、茶碗蒸し・サラダ・おにぎりといった物までつけ、朝食と変わらない量でコーヒー1杯分の値段とする店も出てきている。そのため、中京圏では町内の会談なども喫茶店で行うことが多いといわれる。また、スターバックスやドトールコーヒーといったセルフサービスのコーヒーショップも同地域に昨今進出しているが、前述の通り喫茶店の利用率が高いことから、なかなかシェアは獲得できずにいるともいわれている。

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アッパレTV番組:やしきたかじんの「そこまで言って委員会」

2006-02-19 16:18:21 | 教養・文化・歴史
<画像>:(読売テレビ「たかじんの、そこまで言って委員会」HPより、引用)

 なんだか、読売テレビの宣伝マンになったか?

ちょいと、違う!

通常TV番組を見て、いつも爽やかになる番組が関西系読売テレビの番組内にある、と、自分の意見と好みを言いたい。つまり、視聴率21%を突破する日曜日の午後必見のTV番組があるので紹介する。

云わずと知れた 『そこまで言って委員会』!

残念ながら「関東地区」というより東京で放映されていない「隠れ番組」との事。やしきたかじんの名(迷?)司会に、今や読売テレビの誇るキレモノ辛坊治郎アナウンサー、もとい、解説委員の総合司会の基に、政治評論家三宅久之先生を筆頭とする出演者(パネラー)連による、歯に衣着せない「論戦」がすこぶる面白い。なかんずくJINBOHとTAKAJINNの掛け合い、レギュラー的存在の三宅翁と宮崎・橋下両君の間合いは凛として筋が通り、それに台湾出身の金女史が加わるから、論戦展開は見事に美味爽快である。
そして、なんと、先週の視聴率は21%を上回り、チャンネル占有率48%を上回るというから、当番組放映範囲地区内における日曜日の午後にTVをつけている2人に1人は、当番組を見ている計算になる。
いや、この番組は確かに面白い。

これから推察できることは、当番組の右寄り爆弾発言とバトルが、今や世の主流として好んで受け入れられる状態になった。と、云うことか。

 若しそうなら、日曜朝の寝ぼけた独断的勉強不足司会者:田原総一司会の政治報道に出演する三流政治家どうしの寝ぼけ談義が如何に前時代的で当世時流から大きく違(たが)えた左翼的番組か。が、判る。加えて田原司会の番組が、いかに我国の世論を亡国的似非正義論に盛り上げていく目的を持った無神経且つ時代遅れ的センスの溢れる老醜臭う腐り番組である事、判明する。もって、田原的Asahi流番組の陳腐さと、「そこまで言って委員会」の人気と視聴率アップに裏付けされた正しき時流と反比例する事、明らかとなり、アンチ田原で充満する我輩の気分は、爽快となる。

かくして、
「そこまで言って委員会」的番組の人気高まること、たいへん喜ばしい事象である。
とかなんとか言って、今朝の10時から先ほど(午後3時)まで久しぶりにテレビにかじりついていた。 

過激意見にご賛同の方、この番組に興味のお持ちの方、見ていないが、見てみたい方、以下のランキングバーをクリック頂きたい!
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添付資料:[読売テレビホームページより、抜粋]

《 2月19日放送分の出演者》

◇司会 やしきたかじん、辛坊治郎(読売テレビ解説委員)
◇パネラー 三宅久之、舛添要一、金 美齢、勝谷誠彦、 宮崎哲弥、
橋下 徹、桂ざこば、高田万由子

毎週1つのテーマに対して、あなたも"そこまで言って"ください!


調査No.122
今スグ結果を見たい方は「調査室」へGO!
  先々週に飛び込んだ秋篠宮妃紀子様ご懐妊のニュースは、「皇室典範改正」を打ち出して批判にさらされていた小泉総理のピンチを救いました。現在の皇室典範では皇位を継承できるのは「男系の男子」に限られ、以前より皇統が途絶える恐れから改正の検討が重ねられています。総理は今国会での改正案の提出を断念する方針ですが、論争に終止符が打たれたわけではありません。もし産まれたお子様が女子だった場合、論争は振り出しに戻ってしまうのです。
ここで皆さんに質問です。
あなたが思うお世継ぎ問題の最善の解決策は何ですか?
<調査期間 2006年2月26日(日)13時30分まで>
  ※その理由を簡潔にお書きください。


<最近の視聴率と出演パネラーについて>

◆第125回:2006/2/12放送
視聴率:21.6%
やしきたかじん、辛坊治郎
三宅久之、田嶋陽子、鴻池祥肇、村田晃嗣
宮崎哲弥、橋下 徹、桂ざこば、山口もえ

◆第124回:2006/2/5放送
視聴率:18.1%
やしきたかじん、辛坊治郎
三宅久之、金 美齢、森本 敏、中山泰秀(自民党衆議院議員)、
宮崎哲弥、橋下 徹、桂ざこば、楠城華子
ゲスト:李 英和(関西大学教授)、島 和博(大阪市立大学大学院教授)

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いよいよ、この番組を見てみたくなった方も、すでに観ている方も、興味をお持ちの方、ふるって・・・
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ウイスキーの話(1/2)

2006-02-18 05:20:58 | 趣味の話&本と雑学メモ
Photo: from "The Scotch Malt Wisky Society"

すでに1ヶ月も前になるか?
ブログ友達のTSさんから(なぜか)我輩に質問があった。
その質問とは、
「ウイスキーの話をせよ!スコッチウイスキーやバーボンの話もまとめてみろ!」
というリクエストが入った。
かなり厳しい質問である。
なぜかしかし、安易にこれをを引き受けた。
かくして難解な大宿題になってしまった。
我輩の知っている(つもりの)「ウイスキーの知識」など、あまりにも貧弱すぎるではないか!
知っているつもりが大したことはない。思っていたほどに自分の知識は多くなく、全くの不十分。
そう、
今はまっているWikipediaを紐解けば、なんとなんと、きちんと整理されているではないか?ここは一つ自分で翻訳。と、思ったものの、何てことはない。日本語のページは、すでに存在するのである。翻訳する必要もなく、すでにウイスキーの解説が詳しく載っているのである。
一週間考えた。
そして得た結論は、
「まずは、ウイキペディアから引用すべし!」
つまり、
知ったかぶりは、したくない。
ならば、
素直にWikipediaのお世話になろう!
「???・・・」

しかし、しょっちゅうWikipedia引用では面白くない。
でも、この度はそれでよいのだ。
あまりにも知識不足とわかった今、甘んじてウイキペディア百科事典のお世話になっても、けっして恥ずべきことでは無かろう・・・
しかし、もう一度、あらためてウイスキーの話を取り上げる。
そう、
本日第一回目は、ウイスキーの基礎知識を整理する。
第二回目にてウイスキーの歴史を取り上げ、あわせて、ウイスキーにまつわる「自分の体験と感性」をまとめておきたい。

スコッチウイスキーの歴史

国書刊行会

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ウイスキーに関しては、この本が読みたい・・・
ウイスキーの種類となるや、予想以上に多岐多種にわたり、奥が深すぎるくらい深い。この深き奥を究めるには、現場主義をモットーとする我輩にして、飲みながら味を利き分けながら研究するのが一番である。しかし、いかにも我が生涯をかけたとしても、すでに飲みきれないであろう。寿命を短めるのが落ちである。命を惜しむわけではないが、ウイスキーと心中するほどの酒キチガイではない。いや、事ここに至って、寿命と相談しながら飲みたくない。
さらに開き直れば、
出来上がったウイスキーを飲んでるだけでは面白くない!
これ、負け惜しみではないが、
寿命をちじめつつ、命を懸けた飲酒現場の実戦で探求する以外の方法をとらねば、、、。と、なれば、まずは書物にて、ウイスキーの歴史と育った背景を探りたくなった・・・

「まあ~ これもボツボツちびちびと、酒でも飲みながら、やりますか・・・」

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[下記、ウイキペディアより引用]

“WHISKY”
From Wikipedia, the free encyclopedia

Whiskey is also the letter W in the NATO phonetic alphabet.
Whiskey is also the international aviation word used to represent the letter "W."

Scotch whisky-Whisky (or whiskey) (from Irish uisce beatha and/or Scottish Gaelic uisge beatha, both meaning "water of life") is an alcoholic beverage distilled from grain, often including malt, which has then been aged in wooden barrels.

Contents: 1 Spelling 2 Characteristics 3 History 4 See also

1) “Spelling”
The spelling whisky (plural whiskies) is generally used for those distilled in Scotland, Canada, and Japan, while whiskey (with an e; plural whiskeys) is used for the spirits distilled in Ireland and the United States; however, there are exceptions. Kentucky, for example, usually spells its product "whisky". A mnemonic used to remember which spelling is used is that "Ireland" and "United States" have at least one "e" in their names, while "Scotland," "Canada" and "Japan" do not. International law reserves the term "Scotch whisky" to those whiskies produced in Scotland; whiskies produced in other countries in the Scotch style must use another name. Similar conventions exist for "Irish whiskey," "Canadian whisky," and "Bourbon Whiskey." In North America, as well as in Continental Europe the abbreviated term "Scotch" is usually used for "Scotch Whisky." In England, Scotland, and Wales, the term "Whisky" almost always refers to "Scotch Whisky", and the term "Scotch" is rarely used by itself. The Welsh version is wysgi.

Other countries also have their own "water of life": see the Scandinavian akvavit, whose name derives from the Latin aqua vitae, while vodka is sometimes referred to as zhizennia voda in Russian, with the same meaning.

Irish whiskey is typically distilled three times from a mash of several grains. Scotch whisky is typically distilled twice, either from barley malt alone (see single malt whisky), or from barley malts and other grain malts which are then mixed together. Kentucky whisky, called Bourbon, is normally only distilled once, as are most other American and Canadian whiskeys.


2) “Characteristics”
Bottles of whisky: Whisky is drunk straight, with water or ice, or mixed with other spirits or drinks (such as "Rye & Coke" or "Rye & Ginger"), including hot coffee (Irish coffee).
Malt whisky consists of whisky made from 100 percent malted barley; malt whisky from one distillery is called single malt to distinguish it from blended varieties. The grains used to make whisky include barley in Ireland, Scotland, Canada, and the United States, rye in Canada and the United States, and corn in the United States. Pure pot still whiskey is made in Ireland from a combination of malted and un-malted barley. Various types of straight whiskey, such as Rye whiskey, Tennessee whiskey, and Bourbon whiskey which are produced in the U.S. are aged in charred, oak barrels. Blended whisky is made from a combination of any of the above whiskies with the similar grain whisky or neutral grain spirits, which are much less expensive to produce than the other types of whisky. Blends will almost always identify the type of base whisky used, ie. blended Scotch, blended Canadian, or blended Bourbon. Light whiskey is a style of American whiskey made up almost entirely of neutral grain spirits, with small amounts (typically less than 5 - 10 percent total volume) of straight whiskey and sherry added for flavor and coloring.
At one time much of the whiskey produced in the U.S. was "Bottled-in-Bond" according to the dictates of an 1898 Act of Congress; this practice has been largely discontinued, because one of the requirements of the Act was that such whiskey be produced at 100 U.S. alcoholic proof (50% alcohol by volume). Whiskey this potent is currently rare in the U.S., partially because of changing public tastes but also because an alcoholic content so high is illegal in many countries, limiting the export market for it.

<ウイスキー>

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

Scotch whiskyウイスキー (ウヰスキー)または ウィスキー (英: Whisky または Whiskey) は、蒸留酒の一つで、大麦、ライ麦、トウモロコシなどの穀物を麦芽の酵素で糖化し、これを発酵、蒸留したものである。
そのままで(ストレート)、または氷を入れて(オン・ザ・ロック)、さらに水で割って( 水割り) 飲まれるほか、カクテルの材料とされることもある。
「ウイスキー」の名称は、ゲール語のuisce beatha(ウィシュケ・ベァハ 、「命の水」の意)に由来する。

『一般的な製法』
麦を発芽させ、その麦芽に含まれる酵素を利用してデンプンを糖化させる。この方法自体はビールの仕込みとほぼ同じである。これを濾過して麦汁(ばくじゅう)を得、これを酵母によって発酵させると、アルコール度数7~8%の「ウォッシュ」(Wash)と呼ばれる液体となる。これを単式蒸留器で蒸留する。一般に、複数回の蒸留を終えた際のアルコール度数は60~70%で、色は無色透明である。(これをニューポットと呼ぶ)蒸留液は木製の樽に詰められ、(スコッチ・モルト・ウイスキーでは通常、材木にオークが用いられるが、これに限らない)数年以上熟成させられることによって豊かな味わい、風味と色がつくようになる。最終的にはこの原酒を水で薄めたあと、瓶詰めされ出荷される。なお、ワインと異なり瓶詰め後に熟成が進むことはない。

『ウイスキーの種類』

材料による分類
「モルト・ウイスキー」
大麦麦芽(モルト)のみを原料とするもの。一般的に、単式蒸留釜で2回(ないし3回)蒸留する。少量生産に適合的で、伝統的な製法。もっとも、大量生産や品質の安定が難しい。
「グレーン・ウイスキー」
トウモロコシ、ライ麦、小麦などを主原料にするもの。連続式蒸留器で蒸留する。
「ブレンデッド・ウイスキー」
モルト・ウイスキーとグレーン・ウイスキーをブレンドしたもの。大量生産や品質の安定に適合的。
「ライ・ウイスキー」
主に北アメリカで生産される。ライ麦を主原料とする。

『産地による分類』
産地などによって原材料や製法に違いが見られ、そのため以下のように区別される。スコッチウイスキー、アイリッシュウイスキー、アメリカンウイスキー、カナディアンウイスキー、ジャパニーズウイスキーが世界の五大ウイスキーとされる。

「スコッチ・ウイスキー」
スコットランドで造られるウイスキーをスコッチ・ウイスキーまたは単にスコッチと呼ぶ。仕込みの際に、泥炭(ピート、Peat)で麦芽を燻蒸するため、独特の香気(スモーキー・フレーバー)があるのが特徴である。

「アイリッシュ・ウイスキー」
アイルランドで造られるウイスキーを アイリッシュ・ウイスキー と呼ぶ。大麦麦芽のほか、未発芽の大麦やライ麦、小麦なども原料として使用する。

「アメリカン・ウイスキー」
アメリカ合衆国で醸造されるウイスキーの総称。

「バーボン・ウイスキー」
ケンタッキー州バーボン郡を中心に造られるもので、単にバーボン(Bourbon)とも呼ばれる。トウモロコシを主原料(50%以上80%未満。80%以上はコーン・ウイスキー(en)に分類される)とし、内側を焼き焦がしたオーク樽で熟成させる。
テネシー・ウイスキー
テネシー州を中心に造られているウイスキー。広義のバーボン・ウイスキーに含まれることもある。バーボンとの違いは、蒸留したばかりの原酒を同州産のサトウカエデの炭で濾過した後に樽で熟成するところ。有名なブランドには「ジャック・ダニエル」などがある。

「カナディアン・ウイスキー」
カナダ原産。トウモロコシを主原料とするベース・ウイスキーとライ麦を主原料とするフレーバリング・ウイスキーをブレンドして作るのが特徴。

「ジャパニーズ・ウイスキー」(国産ウイスキー)
ジャパニーズ・ウイスキーの特徴
戦前、渡英した竹鶴政孝によってスコッチ・ウイスキーの伝統的製法が持ち帰られる。竹鶴は壽屋(現サントリー)に在籍し、次いでニッカウヰスキーを創業した人物であり、両社には竹鶴の影響が色濃く残っていると云える。その後、両社は独自の発展を遂げ、世界的にも最高級の品質のウヰスキーを創り出すようになった。ここ数年では国際的な品評会において、本場のスコッチを凌ぐ評価を得ることも多い。

主な製品としてはトリスウイスキー、BLACK NIKKAなどがある。

日本の主なウイスキー製造会社
主なメーカーとしては
サントリー
ニッカウヰスキー
キリンディスティラリー
メルシャン
などがある。

「その他の産地」
タイ・ウイスキー
タイでのみ生産されている。ウイスキーとは呼ばれているが、焼酎の仲間である。米と糖蜜を主原料とし、発酵させたものを蒸留し、ウイスキーの香りを付けている。他のウイスキーより甘みが強いのが特徴。代表銘柄はメコン・ウイスキー。日本で一般的な飲み方の外に、特殊なものとして、ストレートを半口とミネラルウォーターを交互に飲む方法と、タイ漢方薬などの薬草と混ぜて上記の方法で飲むヤードーンと呼ばれる方法とがある。

 <続く―(2回掲載予定)>

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小説「フォワイエ・ポウ」(第4回)

2006-02-17 09:03:55 | 連載長編小説『フォワイエ・ポウ』
<Photo添付資料>:(フレンチレストラン・ウエイティングバー at Old Auberge Blanche Fuji)

掲載済みの小説「フォワイエ・ポウ」は、下記から入れます。

1)第1回掲載(2月9日)
2)第2回掲載(2月10日)
3)第3回掲載(2月15日)

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『フォワイエ・ポウ』

著:ジョージ青木

1章

(2)(クリームチーズ・クラッカー)その2

本田がこの店を始めて早くも一年になる。すでにこの店に訪ねて来る客のほぼ全員は、このおつまみに慣れてしまい、もはや、好き嫌いも言わずに納得している。チーズの食べ方の説明、及び、クリームチーズの癖のなさの説明。いつこのクリームチーズと出会った本田の体験。つまり、このおつまみが出てくる理由は、この店の客全員が承知している。体験談は至って単純である。当時、未だプロセスチーズしか市販されていない時代、本田はヨーロッパ旅行の途中にスイス航空の機内食の朝食を食した。
スイス航空の朝食とは、
(1)ソフトドリンク類
(2)ワインのチョイス
(3)電子調理器で暖めた、各種パン類
(4)バター&ジャム
(5)バターナイフでパンに塗りこめるほどソフトな、クリームチーズ(約2種類)
(6)コーヒーまたは紅茶
少し話が脱線する。
そして、このメニューについて少々詳しく説明しておきたい。

*ソフトドリンクのジュース類
オレンジジュースを始めに、トマト、アップル、コーラ・セブンアップ、ジンジャーエールなどなど、ヴァリエーション豊かなソフトドリンク。当時、米国ならびにヨーロッパはもとよりアジア線でも、未だ「ウーロン茶」は航空会社の機内飲み物として乗客の目の前には出てこない。くわえてこの時代は、ミネラルウオーターに関して言えば、決して機内常用サービスのアイテムには現れなかった。あえて言うならば、水はカエルの飲み物であるというフランス人的常識に則り、文化人的人間は水は決して飲まず、必要に応じてワインを飲む、というレストランでの常識があった。まず食事時には水を注文。食事しながら、水をがぶがぶ飲む日本人をフランス人からみれば、カエルに近い下品な人種である、といった常識があった。したがって当時は、ミネラルウオーターの重要性に気付いていない時代であった・・・

*ホットなブレッド類
フレンチロール、その他ヨーロッパ流の味の無いテニスボールを半分にしたような大きさのパン、これら、全てがレンジで暖められている。しかし、何故かホットなトーストは出てこない。

*バターと、各種ジャム
ジャムは、それぞれピンポン球を一回り小さくした大きさの、かわいいガラスの容器に入っていた。このガラスの容器には、それぞれ容器の中身を説明をするための可愛いラベルが張ってある。このビン詰めジャムを一回り大きくすれば、立派な市販のジャムの容器に等しくなる。

*極めつけは、「クリームチーズ」
ここでクリームチーズと出会っており、あたたかいパンの切り口に必要な分量だけ、あたかもバターの取り扱いと同じくバターナイフで塗りつけて食す。

*温かい飲み物
つまり、コーヒーまたは紅茶
という具合に、追加説明をしておく。

さらに当然ながら、朝食時間帯からアルコール類を好む乗客には、赤または白のワインが具されている。

これらのメニューを整理してみれば、なぜか、アメリカンブレックファーストでもなく、あるいはコンチネンタルブレックファーストでもない。つまりスイス流か?スイス流とは、コンチネンタルのシンプルな朝食、すなわちコーヒーか紅茶にパン。パンにつけるバターかジャム。以上終わりのシンプルなコンチネンタル流に加え、クリームソフトなチーズが常識的にくっ付く流儀を、本田はスイス航空機内食で出会ったのである。
「何故ですか? どうしてクリームチーズとクラッカーが最初のおつまみでサービスされるのですか?」
という質問をする客も、多くいた。
そんな顧客に対して、右(上記)の内容を手短に説明した。そんな質問者への対応は、さりげなくエレガントに、
「アルコールとチーズの組み合わせは、この店の個性にしたいのです」
と、答える。
さらに異なる性質や経験を持つ異なる客にあわせ、真剣に、マスター本田は対応していた。
そうして一年後の今日この頃、店を訪れるほとんどの客が、クリームチーズのフアンに成り切っていた。
そんな客は、この店のテーブルチャージにもすでに納得している。
このバーには、テーブルチャージと称してお客一人あたり2千5百円を、請求書に計上している。通常、ホステスのいない店、男性だけでやっている店にはこのたぐいのテーブルチャージを請求しない店がほとんどだ。
本田が店を開店した当初は、テーブルチャージというコンセプトはなく、請求もしなかった。この高額な?テーブルチャージを請求し徴収を決定するに至ったマスター本田のポリシーには、単純な頑固さがある。
要するに売り上げ単価の問題である。
一年前の開店当初、ボトルキープの売り上げを外した平均顧客売り上げ単価は、約2千2~3百円であった。開店後3ヶ月、この平均単価では経営が成り立たないことが判明した。
日夜、対応策を考えた。
そして、
(1)まずは一人当たり2千円のテーブルチャージを頂き、その代わりにチーズクラッカーを客全員に対し、「おつまみ」というカテゴリーで提供した。銀紙に包んであるチーズは、食する客と食さない客があり、銀紙が開かれていない限り、いったん客のテーブルに具したチーズであっても、再び他の客に具する事は可能である。
(2)嫌っていた「カラオケ」を敷設する事にした。カラオケ機材は(当時の最新型)レンタル契約とした。ただし、カラオケ一曲の料金を200円とし、月当たりの売り上げは全て、店の売り上げになるような契約形態を選んだ。
結果、客単価は開店当初の売り上げから倍増し、おおよそ4千500円に跳ね上がった。この単価ならば、一日当り8人の顧客が入ればその時点で、当日の商売は出来上がる。
あわせて、客単価に見合うだけの「サービスの内容の充実」を図る。単価の上がった事が理由になり、客足が遠のいては何の意味もない。実質的な損益分岐点も、最初の3ヶ月で判明した。
最低月額総売上げが逆算できた。
その額、ちょうど100万円。
さらに逆算する。
100万円を30日で割る。
一日当りの平均売り上げは、約3万3千300円、ならばさらに客単価4500円で割算すると、「7コンマ4」という数字が出てくる。例えば1日あたり、7人から8人の客が来なければ、その日は赤字ということになる。まして30日を1ヶ月間の営業日数としているから、祝祭日は店をオープン、閉店休日はない。しかし盆正月は休みたい。しかしこの計算では1日たりとも休めない。
(どうしよう?休日は必要ではないのか?)
本田は自問自答した。
(もし自分自身が休んでも、店を閉めなくてもよい方法がある。信頼できる従業員を雇用し、若し自分自身がいなくても、店の運営が可能となるよう、人材を育てておけば、大丈夫だ!)
たびかさなる思案の結果、店を開いてすでに11ヶ月間経過した今日まで、休んだのはたった1日だけ、今年の元旦だけであるから、本田マスターは、大いに頑張っているが、今日までの累積収支の状況と、結果はどうか?
まだ赤字であった。
開店当初から3ヶ月間の累積赤字は約50万円。その後、客単価を増加した月から先月までの7ヶ月間は、かろうじてプラスマイナス・ゼロ。そんな経営状態であったが、固定客は着々と伸びていた。

固定客の増加・・・
この事実は、今の本田の唯一の「誇り」であり、近い将来の黒字を確実に見込める「実現可能な夢」でもあった。

< -続く- 第5回掲載(2月22日水曜日)>

小説「フォワイエ・ポウ」(3)

2006-02-15 10:44:43 | 連載長編小説『フォワイエ・ポウ』
Photo: at Zurich Switzerland,,,

掲載済みの小説「フォワイエ・ポウ」は、下記から入れます。

1)第1回掲載(2月9日)
2)第2回掲載(2月10日)

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エセ男爵ブログ・連載小説
『フォワイエ・ポウ』
著:ジョージ青木

1章

2.(クリームチーズ・クラッカー)

おつまみが出来上がったので奥のテーブルに出し、目の前にいる栗田係長には直接、本田が手渡した。
「マスター、 これがおつまみですね!」
「そうです。うちは、基本的にお客様全員に必ずお付けするおつまみはないのでして。そう、いわゆる御通しってやつは、ご用意していません。ま、相手を見て、おつまみらしきものをお出ししています」
「チーズクラッカーとは、さすが凝ってらっしゃる・・・」
「いえいえ、私がわがまま言って自分流にしてしまったのでして、自分としては別に凝っているわけでもないのでして、どちらかといえば、手抜きなのですよ」
「・・・」
栗田からの返事は返ってこない。栗田の手元は、にわかに忙しくなった。生ビールをあおりながら、チーズのアルミラップを懸命に開き、ナイフで切り取ってクラッカーに載せて、味をきいていた。本田はそんな栗田の様子を伺い、間合いを計りながら話を続けた。
「いや~、栗田さん、実はですね・・・」
ここでようやく栗田の口が開いた。
「あ、マスター、失礼、これ、おいしい、おいしいです。だから、食べるのが忙しくて口が忙しくて、失礼しました」
「いやいや大丈夫ですよ、実は私、酒を呑み始めたら飲み終わるまでほとんど食事しないのです。ほんのわずかなおつまみがあればいいのです、が、日本人は食べながら、飲む。飲みながら、食べる。だからどうしてもおつまみが欲しい! おつまみがなければ、酒が喉を通らない、という、日本人の常識?そんな平均的な感性、と、言いますか・・・」
「分かった!マスター、分かりますよその感覚、つまり、欧米では飲むときには食べないという人がほとんどなのですから」
「ウム・・・ そういえば、そうですね」
「このクリームチーズ、まだ日本に入っていないというか、少なくともスーパーやデパートの食品売り場では、まだ見かけませんから、お客さんにとって特にチーズの好きな人には、そうとう受けるんじゃないですか?」
「それならいいのですが、実は、チーズは苦手、嫌いな人もいましてね、そのような方には、例のかわきものをお出しするのですが、ここでは、ポッキーチョコか、チョコレートのついていないプレーンなポッキーをお出しします」
「ピーナツは?」
「ああ、殻付の美味しいヤツを、置いていました。美味しいやつですよ。でも、中にはマナーが悪い客が居ましてね。つまり剥いた殻を散らかすんですよ。必ずボックス周りを掃除しないと、あとから入ってくるお客様に申し訳ない、したがって掃除する。掃除してお役を迎え入れる。面倒で非効率でどうしょうもないからやめたのです」
栗田は、熱心にマスターの話に聞き入っている。
一通り話を聴いた栗田係長は納得し、さらにクリームチーズの入手先を聞いてきたので、説明する。東京にいる知人の輸入業者に依頼したところ、一回一回の仕入れ単位が多く、小規模のバーでは無理だと判明し、酒屋さんに相談した。結果、専属の酒屋さん経由で仕入れている、と説明する。
このバーの「つきだし」には少々特徴がある。
読者はすでに十分にご承知の通り二~三流BARのおつまみは、「かわきもの」と称する、オカキ・ピーナツなど、ある程度の期間の保存が可能なもの、すなわち乾いている「手の掛からない」食品であるから、飲み物と一緒に客に具するにスピードがあるから、したがって客を待たせなくてよい。
オードブルの定番として、チーズクラッカーを用意している。このバーに訪れた客の全員に最初に出される「おつまみ」なのだ。
つきだしの名は、『チーズクラッカー』である。
その内容は・・・
2~3種類のチーズが主役となるが、ソーダクラッカー数枚、さらにプチトマトとパセリが副えられる。
さて、主役のチーズは如何なるものか?
「チーズ」はクリームチーズなのである。業務用ないし欧米の家庭でもちいるチーズは、巨大であるから、まずチーズのブロックを裸にして切り分けなければならず、こんな飲み屋で取り扱えない。したがって取り扱っているチーズは、その直径約5~6センチ、厚み約5~6ミリ、ちょうど円形のビスケットの大きさそのもの、それが銀紙でパッケージされている。このように小分けしたチーズは、すでに市販の円形の紙箱に入った6Pチーズとほぼ同じか、やや少な目の分量であるから、一人一人おつまみに出しても無駄が生じない。かつ1ダース単位、つまり12枚単位で仕入れができる。しかもマスターの独断と偏見により、プレーンチーズを始め、ナッツ入り、パイン風味、オレンジ風味の四種類を仕入れている。銀紙でラップされたチーズはそれぞれ、そのパッケージの表に種別が判別できるよう、絵入りで中身が説明されている。パッケージが小さいので、比較的小さな冷蔵庫でも収納管理しやすく、ある程度チーズのバリエーション対応もなんなく維持できるのである。但しチーズの場合、客によっては好き嫌いがあり、チーズのにおいを嗅ぐことすら受けつけない客もいる。店を訪れた客全員にこれを提供するには、かなりの問題があるかもしれないが、しかし、この店を訪れた全員の客に必ずチーズクラッカーを「おつまみ」として具する。
さらにもう一点、何故、おつまみが「チーズクラッカー」になったか?単純な理由があった。

<・・続く・・・(2月17日金曜日・掲載予定)>

本当か?「単騎、千里を走る」・・・

2006-02-13 04:45:32 | 研究:「ダンディズム」
<添付画像:yahoo ムービーより引用>

 久しぶりに映画館に出かけた。
しかも、邦画をみたのである。
なにを隠そう、高倉健さんを見に行ったのである!

「単騎、千里を行く」・・・
もとい、
『単騎、千里を走る』・・・
邦画をめったに見ない我輩、まして映画館に行ってみるなど、その昔の健さん映画「八甲田山」以来の出来事である。

だから、しつこく解説してみるから、またまた長文にお付き合い頂きたい!

中国との合作映画との事、最初から多くを期待しなかった。たぶん、中国の壮大なる風景と、70歳も半ばになる元気でカッコいい「初老の高倉健さん」を見るために、映画館に入った。

結論として、期待しなくてよかった。

「羊頭を掲げて狗肉を売る」とは、まさにこの映画のために用意された言葉であった。
映画のタイトル「単騎、千里を走る」?
とんでもない。
この駄作映画にもったいない、過分なタイトルではないか!
三国志の英雄、「関羽」が啼くぞ!いや、笑うぞ!
そして健さんが、あまりにも可哀そうだ・・・

確かに、中国・雲南省のロケで見る風景は、すなわち哀調・愁眉・淡麗・遠大・・・ 嗚呼、我輩これを表現仕切れる語彙が無さ過ぎる・・・
そこに高倉健を立たせたら「様になる」こと、請け合い、、、。

そこで!高倉健さんフアンの方は是非、人気blogランキング、お開き頂きたい!

しかし、たったそれだけのことであり、あとは何もない。
何もないだけなら、我慢もしよう。
しかし、大きな問題が残る。
判りきっているものの、我が敬愛する永遠の二枚目俳優高倉健殿は、大根役者にて長い台詞を喋らせてはいけないし、演技をさせてはいけない。映画画像の中に健さんを引き立たせる「名脇役」が存在しなくてはならない。
しかし、今回の中国映画は、ものの見事にそれを裏切ってくれた。
健さんに、喋らせた。慣れない演技を、させてしまった。
中国側の役者には、ホンモノの役者は配備されておらず、健さんの相方に(正確には相方ではないが、彼女しか出演していない!)、これまた色気のない大根女優の「寺島しのぶ」をあてがっておるではないか。中井貴一は一度も姿をみせず、単なる「声優」の出演だから、健さんの引き立て役にもならないし、、、。すでに触れたとおり、唯一(二人か?)、中国人の「ちび餓鬼」と「現地ガイド役」が出演するけれど、この相方を活かせほど健さんは役者ではない。

結果、恐れ多くも、健さんに「一人芝居」をさせてしまった。

もっと工夫して、年老いた健さんの魅力を引き出し、なんとか『大切』に使ってほしい。中国映画界に任せてはならず、日本人の感性の世界で工夫しなければならない。
加えて、
いささか気合の抜けた最近の中国映画界の「傲慢さ」を感じ、「怠惰さ」すら透けて見える。
かれこれ10~20数年前か?、ようやく国際化された当時の中国映画には、もっと優秀な作品があったはず、、、。
ロケ現場はすばらしく、これだけの「背景」が整っておれば、いくらでも壮大且つより完璧に納得できる映画的展開は可能。にもかかわらず、我輩の物差しを充ててみると、どうも手抜きをしたとしか考えられない。きょうび、1時間48分の上映時間はあっけなく、ハリウッド作品などの事例を比較するに、もう少し長くてもよい。上映時間3時間も珍しくなく、とことん納得いくまで撮りまくり、メリハリ付けて、とうとうと流れる大河映画にしてほしい。もっと詳細に現地住民との係わり合いを描くか、映画の中の「仮面演劇(すべて京劇の土台となった田舎芝居であるが)」の歴史背景や経緯等を煮詰めてほしいし、日本に於ける父と息子の確執なりを、もっと哲学的に、劇的に、遠大に、微細に、描いてほしかった。
手を抜くな!支那大陸の流行映画監督は、今や天狗になってしまい、映画制作の手を抜いているのか?もっとしっかりした土台の脚本を創らんかい!
行き当たりばったりの「演出・脚本」は、勘弁してほしい。この脚本は(雲南省の壮大な風景を省けば)まるで安物の香港映画に等しいではないか。

困ったものだ。
何故に訳の判らない「中国映画」に健さんを起用するか!こんな映画に健さんを出してはならない。
すでに70才も半ばになる高倉健さん。いまだに素晴らしく様になり絵になる男である。もっと大事に彼を使ってほしい。制作費が足りないのか?映画芸術の知恵が足りないのか?もっと壮大に雄大に、日本の誇る二枚目映画俳優・高倉健を使いこなせる映画監督はたまた演出家はいないのか?事ここに至って、あらためて日本映画界の冴えなさを痛感する「一作=駄作」が、この映画であった。邦画界は、ここまで地に落ちたか。いや、いまだにこの程度か?等と、嘆き悲しませる荒唐無稽の駄作であった。
失礼!
この作品、90%(以上?)中国映画であること、たった今、思い出した。
敢えて言う!
健さんの強さと弱さが描ききれていない、、、。それを成し得ないのは、中国映画だからであろうか?

気分を取り直して、
ロケ中の感想文?はたまた紀行文であろうが、健さんが本を書いている。
撮影した中国雲南省の風景は美しく、役者としてその場に立った高倉健さんの感性のページを紐解きたく、下記の「本」を読んでみたくなった。
旅の途中で

新潮社

このアイテムの詳細を見る

尚、今さら参加する気はないが、阪急旅行社が「ロケ地を訪ねる旅」のスケジュールを立てているので参照してみた。なかなか素晴らしいツアーのようだ。
* 阪急交通社の企画(「単騎千里を行く」ロケ地ツアーはこちらから)

  ------------(本文・了)----------------

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 PS:ところで、洋画封切映画の場合、数千円出して「映画のパンフレット」を販売しているのでコレクション的にいつも購入している。日本映画の場合、なぜか「カタログ」がないようだ。したがってパンフレット代わりに他のウエヴサイトから「添付引用」 し、「単騎、千里を走る」の映画ヴローシャーを作成した。時間と閑のお取いただける読者は、是非ご参照いただきたい。我輩の酷評に代わり映画会社の売り込みの意気込み等、伺えるかも知れない。ま、どんな前評判の映画でも、自から観ていなければ何も出てこない。
先ずは鑑賞すべし!
と、納得している。


 <以下、添付資料>
(封切映画のカタログだと思って、暇あらば、読んでみてください・・・)

『ご存知、高倉健さんの資料(復習)』
芸名 高倉健 (ウイキペディア紹介)

フリガナ タカクラケン
生年月日 1931年2月16日
星座 みずがめ座
出身地 福岡
血液型 A
身長 180cm
体重 71kg
ジャンル 俳優
デビューのきっかけ 1955年 東映ニューフェイス 第2期生に合格しデビュー



『以下、当該映画の紹介』

東宝邦画作品ラインナップ
中国映画のチャイナべシネマ
◆製作情報・クレジット
主 演 : 高倉健
出 演 : 中井貴一、寺島しのぶ
: チュー・リン、ジャン・ウン、リー・ジャーミン
監 督 : チャン・イーモウ
脚 本 : ツォウ・ジンチ
原 案 : チャン・イーモウ、ツォウ・ジンチ、ワン・ピン
文学企画 : ワン・ピン
プロデューサー : ビル・コン、チャン・ウェイピン、シュウ・ジェン
撮 影 : チョウ・シァオディン
美 術 : ソン・リー
録 音 : トウ・ジン
作 曲 : グォ・ウェンジン
編 集 : チェン・ロン
ラインプロデューサー : チャン・ジェンイェン
【日本編スタッフ】 :
プロデューサー : 森重晃、山田健一
監督顧問 : 降旗康男
撮 影 : 木村大作      
美 術 : 若松孝市      
録 音 : 斉藤禎一      
照 明 : 斉藤薫      
編 集 : 川島章正     
製作 : Elite Group (2004) Enterprises Inc.
製作協力 : 東宝映画
配 給 : 東 宝

公式サイト http://www.tanki-senri.com/

製作情報
クレジット 上映時間:1時間48分
ビスタビジョン/ドルビーデジタル

製作:Elite Group(2004) Enterpries Inc.
製作協力:東宝映画
配給:東宝

2004年11月19日 中国クランクイン
2005年1月10日 中国アップ
2005年2月15日 日本イン(秋田・男鹿半島ロケ)
2005年2月24日 日本クランクアップ
2005年4月20日 初号完成
2005年10月22日 東京国際映画祭オープニング上映
(ワールドプレミア)
2005年12月 中国公開
2006年1月28日 日本公開
(C)2005 Elite Group(2004) Enterpries Inc.

◆イントロダクション
張芸謀(チャン・イーモウ)×高倉健
2人の夢が、世界に羽ばたく。

それは、映画「君よ憤怒の河を渉れ」からはじまった。

 ある1本の日本映画が、文化大革命後の1978年に、中国で歴史的役割を果たすことになった。長らく、外国映画が上映されることのなかった中国において、外国映画の開放政策がはじまり、その記念すべき第1作となったのが、1976年に日本で封切られた高倉健主演映画「君よ憤怒の河を渉れ」(監督・佐藤純弥)だった。この作品は、当時ほぼ中国全土で公開され、高倉健の名は一躍知れ渡り、今日に至るまで中国では最も親しまれている日本人の一人である。そして、この映画を西安で熱い思いを胸に観ていた青年がいた。彼の名は、張芸謀(チャン・イーモウ)。そして今から15年前、北京で出会うことになるのだが、以来今日に至るまで、2人の友情は静かに、熱く育まれることになった。「いつか、高倉さんの映画を撮りたい」という張芸謀の願いを、高倉が受け止め、その願いは、いつしか2人の夢となったのである。

2000年夏、始動。

 張芸謀は、1987年「紅いコーリャン」で監督デビューし、同作品はベルリン映画祭で金熊賞を受賞。以来ベネチア映画祭で金獅子賞【「秋菊の物語」(92)、「あの子を探して」(99)で2度】カンヌ映画祭でパルム・ドール【「活きる」(94)】など、3大映画祭で数々の名だたる賞を受賞。また、エンターテインメント超大作「HERO」(03),「LOVERS」(04)で世界的な大ヒットを飛ばし、まさに世界が注目する映画監督としての地位を不動のものとした。その一方、永年の夢を実現すべく、遂に2000年夏に、高倉健と共に企画を水面下でスタートさせた。そして5年に渡るシナリオ作りを経て、遂に夢が現実となった。それが本作、「千里走単騎」(中国語原題―日本語読み:単騎、千里を走る)である。高倉健にとって「ホタル」(01年、降旗康男監督)以来、通算204本目となる。(外国映画への出演は、「ミスター・ベースボール」以来、5作目となる。)

「千里走単騎」―息子への想いを胸に、独り、千里を行く。

 「千里走単騎」は、日本でも馴染み深い「三国志」に由来する、中国の京劇の演目である。後の蜀帝・劉備の義弟・関羽が、劉備の妻子と共に宿敵・曹操の手に落ちるが、劉備への義理と誠を貫き通し、最後はただ独りで劉備の妻子を伴い曹操の下を脱出し、劉備のもとへ帰還するという三国志の中でも最も感動的なエピソードの一つである。今もなお関羽は、中国民衆の中でも人気の高い人物で、商いの神様としてあがめられている地方もある。映画は、この舞踊「千里走単騎」を巡って展開していく。
物語は、現代の中国と日本が舞台となる。主人公・高田(高倉健)は、余命いくばくもない民俗学者の息子の代わりに、京劇「千里走単騎」を撮影しに、中国の奥地・麗江市を訪れる。この旅は、高田にとって、永年の確執によって生じた親子の、埋めることの出来ない心の溝を埋めるための旅でもあった。しかし、高田は、経済発展とは無縁の、雅やかな美しい麗江の街並みや大自然、素朴で誠実な住人たちとの出会いや人々の心情に触れることによって、自分の行き場のない想いが少しづつ癒されていくのに気づきはじめるのであった……。

人は、心と心の交流を求めている。

 「HERO」「LOVERS」とエンターテインメント路線で、全世界で新しいファンを獲得した張芸謀の新作は、高倉健とのコラボレーションの結果、「あの子を探して」「初恋の来た道」等を彷彿させる、心の触れ合いを描くヒューマンな物語となった「この映画は、一組の親子関係を描くだけではなく、人と人との結びつき、すなわち人類にとって普遍的なテーマを描こうとしている」と張芸謀は言う。なぜ、人間同士は穏やかな関係を結べないのか、お互い傷つけあうのか。人間は実は人との結びつきを求めているはずなのに。「情感、人生に対する想い、思いやり、反省、愛・・・人間関係にまつわる様々な魂の触れ合いを描きたい」。それは、現代中国の現状とも関係していると張監督は静かに語る。「中国において、いま経済発展が著しいが、特に都会において、お金やビジネスへの価値観が偏重される一方、人間と人間の結びつきや親子の絆がどんどん薄まりつつある。とても哀しいことだ」。この問題は、日本でもここ十数年顕著になってきている。映画「千里走単騎」は中国映画ではあるが、一方日本の観客にとって無縁ではない、リアリティーを持つ映画に映ることになるであろう。もしかしたらこの映画が、日本と中国の庶民がお互いをより理解し合えるきっかけとなるかもしれないのである。

日中最高スタッフ、結集、2人の夢を強力にサポート。

 プロデューサーは、ビル・コン。香港最大の映画会社「Edko Films」代表。「HERO」(03),「LOVERS」(04)で張芸謀監督とコンビを組み、アカデミー賞外国語映画賞をはじめ数々の映画賞を獲得、今最も世界が注目するプロデューサーである。本作が張芸謀監督と3本目のコラボレーションとなる。メインスタッフには、同じく両作品の撮影監督を担当したチョウ・シァオディン。録音は、張芸謀と同期生でこれが3本目の作品となるトウ・ジン。ほか張芸謀監督を支えてきた中国映画界の精鋭スタッフが集結した。

 本篇の約2割相当が日本での撮影となった。
 日本撮影パートは、張芸謀監督の強い要望もあり、高倉健主演映画を数多く撮影したスタッフが担当した。「鉄道員」(99)「ホタル」(01)でもコンビを組んだ、日本映画界を代表する監督・降旗康男。撮影は、「八甲田山」をはじめ多くの主演映画を撮り続けてきた、木村大作。ほかそれぞれ所縁のある日本映画を支えてきたベテランスタッフが結集、まさに日中映画界の最高峰の顔合わせである。

 日本パートには、中井貴一と寺島しのぶが参加。中井が扮するのは、高倉健演じる高田の息子・健一役。この親子は、長らく断絶状態にあり、健一が病に倒れたことが物語の発端になる。実は中井は声だけの出演で難しい親子の絆を演じることになる。そして、健一の妻・理恵役に寺島しのぶ。夫の心情を高田に何とか理解してもらおうとする健気さと、義父の苦悩を思いやる優しさ、繊細さを卓抜した演技力で表現している。

 製作は、Elite Group (2004) Enterprises Inc. 本作は、中国映画である。製作協力は、東宝映画。配給は、東宝。05年末、中国公開。そして、06年、日本公開が決定。