スラバヤ入り (2)
<飴風呂より、転載する>
テーマ:エセ男爵・東ジャワ紀行
写真-「東ジャワ州関係者訪日記録」
(1999年晩秋、
東ジャワ州マラン市長以下5名の来日、10日間の滞在。福岡から東京へ向けて同行案内する。途中2日間広島に遊ぶ。世界遺産の宮島を見学中のワンショット。この時デジカメを買ったばかり、いかにもカメラ操作に不慣れ、今にして想えば全く出来損ないの一枚である。御免!・・)
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『東ジャワ紀行(3)』(スラバヤ市街に入る)
スラバヤ空港に到着したが、出迎えに来てくれるはずの新聞社の人間の姿が見当たらない。
「さて、どうしたことか」
税関を通り、ごった返す到着ロビーに出るが、すでにそこは建物の外、野外なのである。
目の前の道路はタクシーと出迎えの一般車がごったに入り乱れ、さらに見渡すと駐車場があるが、どこも満杯の様子。
駐車場に入ろうとしている数十台の車が列をなし、ひしめき合っている。
税関区域から野外ロビーのドアを出るなり、人・人・人の群れ・・・
これでは通路も何もあったものではない。
「皆さん、出迎えなのか?」
「ひまだから、暇つぶしに空港に遊びに来ているのか?」
どう見ても、国際線の飛行機とは関係のない連中が、ここに群がっているのは確かである。
なぜだか、我輩には分からない。
「暑い、暑いぞ」
周囲には、湿気と熱気がむんむんしている。
突然、たどたどしい日本語が聞こえた!
「バロンさん~、ヨウコソ~スラバヤへ!」
「オマチシテイマシ~タ!」
5~6メーター前方に、見たことのないちょっと太目の30台の若者が声をかけてくるではないか。
「ヌヌ~、見たことない、いかがわしいド~、この人物は・・」
と思いながらさらに周囲を見たら、何と知っている人物が約1名、出迎えに来てくれているではないか。
「おう、ミスター・アッバス!お久しぶりです」
「ウエルカム・トウ・スラバヤ」と来た。
我輩は、ほっとした。
ハゲ頭に褐色の顔、ちょび髭を生やした、いかにもアラブ系の脂ぎった面持ちのインドネシア紳士ミスター・アッバスは、当地中小企業組合の理事長さんなのである。
瞬間、思った。
「なぜだ? 理事長が迎えに来てくれるの?」
「ジャワポス(Jawapos: スラバヤに本社を持つ、全インドネシアNo.-2。メージャーなる新聞社)の若いのが来ないの?」
どうもおかしい。
「でも理事長が迎えに来てくれたのだから、いいではないか」
と、納得して、彼の車に乗る。
運転手は理事長の甥。
助手席には、先ほど我輩に声をかけてくれたB君。
日系企業に勤務、組み立て現場の係長をやっていると言う。
後部座席に理事長のアッバス氏と我輩が乗り込む。
中小企業日本視察団に加わり、彼は1ヶ月前に初めて日本を訪れている。
その時、日本での知人が誰もいないのであった。
誰も彼に話しかけない。
気を使い、かわいそうと思い、我輩が英語で話したら、通じた。彼はほっとして、それから顔を和ませ始め、雰囲気が良くなった。
アッバス理事長と我輩の信頼関係は、そのときに始まった。
車はするすると空港を離れ、スラバヤ市内のホテルに向かうはずであるが、
「昼食をとらないか」
と、
我輩に向けてアッバス理事長が提案する。
時計を見れば何と、すでに午後2時半ではないか。
シンガポールからスラバヤまで、滞空時間2時間の間、当然スナックが出る。我輩は珍しくそれを(少し)頂いているから、このまま夕方まで空腹状態の方が体調管理に良い。しかし、どうも理事長は昼食をとっていないらしく、ここは「お付き合い」というものであるから、シブシブであるが、昼食同行をOKする。
ジャカルタと比較すればスラバヤは「イナカ」である。
田舎が良い。
まず、道路が、違う。
空港からスラバヤ市内までは一本道、片側一車線である。
ほっと一息ついたのは、つかのまであった。
混む、混む、上りも下りも車が混みあっている。込み合っている車の間をバイクが潜り抜ける。すり抜けたらさらに2~3台がその後をついて、さらにすり抜ける。ここではバイクの二人乗りも常識のようだ。とにかく危ない、危険だ。あちらこちらからクラクションが鳴る、鳴る、鳴る・・・・。皆が乗っている車には排気ガスで充満している。
なんと、行き交う乗合バスには乗客がスズナリ状態だ。
当然ながらバスの窓ガラスは全て全開状態、すずなりの乗客は排ガスと外気の熱風にさらされているではないか。
乗降者口から3~4人の乗客が取ッ手を持ってぶら下がり、どことなく粋がっている。
「よくやるよな・・・」
我輩は思わずつぶやく。
スラバヤの初日、いよいよ市街に入った。
新しい街並みと古い街並が入り混在するスラバヤ旧市街は、メンスストリート沿いに大きな街路樹が植えられ、南蛮情緒のわずかに残る活気あふれる街の様子を呈していた。
しかし、マナーの悪いバイクと車の排気ガスと騒音にはうんざりしている。
「つきました。昼食のレストランに着きました」
車を降りる。
「なな、何だ。これは日本レストランではないか」
アッバス氏が気を利かせて、日本レストランに案内してくれたようだ。
入ってみた。
なな、なんと、これは焼肉レストランである。しかも食べたい放題ビュッフェスタイルのレストランだ。
肉の大好きな男爵は、食べた、食べた。
気がついたら彼らは全員、昼食を済ませており、男爵だけが黙々と「韓国風焼肉」を食している。
海外での日本食はあまり好まない男爵は、某日本レストランに着いたときは、うんざりしていた。
が、食べ始めると「日本レストラン」すなわち日本料理の銘を打った「韓国風焼肉」が気に入ってしまった。
聞けば、経営者はインドネシア人ではなく、なんとアラブ人なのだ。インドネシアを基点に、幾度となく日本に足を運んだ時に得たヒント。焼肉ならばインドネシア人の口に合う。
「なるほど・・・」
躊躇なく、わけもなく、納得する。
「また来よう、インドネシア料理に辟易したら、韓国焼肉だ!」
と、独り言をつぶやき、支払いは理事長が済ませ、皆でレストランを出た。
アッバス理事長は、喜んだ。
我輩が喜んでいるのを確認し、喜んだ。
こうして、初回のスラバヤ珍道中が始まったのである。
<・続く・・>
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