Cafe & Magazine 「旅遊亭」 of エセ男爵

志すは21世紀的ドンキホーテ?
はたまた車寅次郎先生を師に地球を迷走?
気儘な旅人の「三文オペラ」創作ノート

交渉結果!US$20.- 「手元にある唯一のバリ島みやげ?」

2006-05-20 08:50:22 | インドネシアとバリ島の話
 
 バリ島長期滞在中の頃、約三年前、25cmX10cm?くらいの小さな「絵」を買いました。

たわいもない?

しかし、時間をかけ入念に描いているではありませんか!
Gペン風のペンでもって、バリ島民の日常的生活風景を描いている。技巧的には驚くべき細やかさ、繊細に描いたもの。いかにも(私から観れば)バリ風、且つ楽観的、コケティッシュな「落書き風」の逸品です。

これ、
「絵」というより「落書き」ですかね。でも、それでいいのだ。
あ~ こうして、あらためてみると、当時を思い出して、懐かしいな。

サヌールのガゼボホテルを海岸線に出たすぐ左側に画商(というほど大げさではない)があり、そこのお兄ちゃんが3日がかりで口説いてきたのです。

最初、60米ドルといっていましたが、最終的には20米ドル・・・
買ってしまいました。
(高いこと、解っていて、、)

ひとつ買うと、また翌日の朝食時、別の絵を買わないか?と、熱心に、人が食事をしているにもかかわらずネットリと口説いてくるのです。

さすが、もう買いませんでした。
連中、なんだかかわいいところがあって断れなくなる、、、。
でも、バリ島の絵は本当にかわいくておもしろい。

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PS:(これ、飴風呂掲載済み(2005/3/25)引越記事なり・・・)
当時、ブログなるもの始めてまだ1ヶ月少々。いかにも、素朴な記事投稿していること、いかにも初心者っぽいではありませんか。
所詮ブログとは、これでよいのかも?・・・
我ながら、素直な気持ちに立ち返ります・・・

     シンプル・イズ・ベスト(Simple is best)? なのだ!!!

 本日、記事の単純さをお許し頂きたく「単純さも時にはよい!」などと、賛同下さる方、是非、以下、"Ranking-Bar"のクリックご協力宜しくお願います)

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旅のみやげは、何がいい?

2006-05-07 10:20:25 | インドネシアとバリ島の話
<画像>:(バリ島スミニャック地域のおしゃれな長期滞在型ヴィラスタイルのホテル「HOTEL Bali Ayu」にて。木製のランプスタンドが小粋であるか)

ところで本日、ゴールデンウイークの最終日。

今年のゴールデンウイークも日本人は大挙して、海外旅行に出向いたとか・・・
「・・・?」
よいことですよいことです。
10数年前ならば5月連休は「かき入れ時」。仕事は「超ピーク」でした!
数10年もの間、お正月と5月の連休は、毎年毎年海外旅行の添乗員にて日本にいなかった時代。とことん仕事に徹底していた時代が懐かしい。
しかしキョウビの私的ゴールデンウイークは、いささか閑、というよりまともな状態か。
そんな中、この数日間、ブログを始めた1年前を回顧しつつ、記事移転に苦心惨憺。
そう、
約1年も前のリヴァイヴァル記事の掲載、お許しあれ、、、。
しかしながら管理者本人には、いと懐かしき記事なり。

(「懐かしき記事」!気楽にご覧頂きつつも連休現象的下降気味!ランキング向上に、是非ともご協力いただきたい・・・)

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(記事本文)

2005-03-02
タイトル:「旅行土産は何がいい?」
テーマ:ブログ

昨日か?

同じジャンル「旅・アウトドアー」に、ほどほどに面白いBlogを見つけました。

そして、トラックバックという、未だに訳の分からない『ゲーム』があり、またまたそのゲームに参加しました。

テーマは、「旅行土産」は何がいいか?
嗜好と志向を思考し、素人に教授してほしいと言う意図である。
との、ことである。

海外旅行で、ショッピングは欠かせない。
(我輩は、興味ないのであまりしないが・・・)
といっても添付写真の時計、、、。
これ、普通の防水時計。
スイス製 Wenger の製品なり。
不釣合いにも、これ、
バリ島に行くときGaruda航空の機内で一番高い買い物でした。
確か、US$200チョットだったか?
ガルーダ航空機内販売にしては超高級品だ!
自分では良いもの見つけたと思っている。思い込んでいる・・・
とにかくこの型式、後にも先にも日本では売っていないようです。
日本ではもう少し安物を取り扱って、倍くらいの値段で販売されている。
倍でもかまわないと思う。
わざわざ外国まで行かなくても世界の一流品が手に入る世になったのだから。
あの、あれよ、スイスアーミーナイフを作っている会社の時計です。
水深200mまでOK、水圧をものともしない、優秀で無骨な代物です。
ダイビングをやらない我輩には無用の長物ですが、せいぜいこの時計を着けたままプールに入り、さらにせっせとシャワーを浴びている。
この3年間、ショッピングしたものはこれだけです。
ご紹介しておきます。

私事、
「ごめんなさい!」


さて本論をまじめに話す、

旅行業者の収入はこまめであり多岐に渡る。
今はこの定義が難解複雑で入り乱れ、説明が難しい。
が、本来ならば、基本は航空運賃コミッションから始まり、バスコミッション、ホテルコミッションなどなど、いろいろアル。
旅行代理店とは、頭のテッペンから足の先まで「コミッション」で生計を立てている訳で、すべからく「正規な手数料収入」を取るから経営がなりたつ。
しかし、
どうもこの手数料コミッションという日本語は「ひびき=きこえ」が悪いのであるが、これなくして旅行業は成り立たない。

もともと?遺伝子的に、そんあに「かたくな」に?なんだか日本人社会はチップシステムを認めたがらないし、正規取引のコミッションを認めたがらないから、サービスとして客を直接扱う飲食業や旅行業などのサービス業が成熟しない。サービス業界にあまり良い人材が集まらない、定着しない理由がこのあたりにあるのではないだろうか?
ゴメンなさい、また話がそれた。

本論に戻す。
時代の変遷あって、かくして、お土産屋さんを案内したときのコミッションは、旅行業界収入の大切なジャンルとなる。
「土産を買ってきてほしい」と、旅行出発前に知人に依頼されることもあろう。
餞別とやらを頂き、義理で(餞別返し)で、どうしてもそれに見合うショッピングをしなければならん人も多い。それで、これらの問題を解消する手段として、お土産の事前注文システムが構築されたのである。
なんだか良くわからないが、要するに「需要」と「供給」のバランスをとるシステムであるならば、それはそれでよかろうと思う。

以下、その需給バランスシステムの一例を紹介する。
そして、「旅奉行さん」には、せいぜいがんばってもらいたいのである。

『旅奉行回覧板』http://tabibugyou.ameblo.jp/
http://www.tabibugyou.com/

で、Conclusion? もう一度いう。
商道徳上、コッミッション収受は善か悪か?不正か正当か?
我輩は、それは善であり正当と思う。
あわせてサービスを提供する側は、コミッションを受けて更に正当妥当とされるグレードの高いサービスを維持し提供する責任があり、サービスを受ける側はサービスの付加価値を認める義務もある。
必ずや、サービスには「付加価値」が発生する。
両者にとって、当たり前の理屈、お互いこれを認めよう。
とにかくサービス業の発展のため、よりグレードの高いサービスのやり取りを、互いに築き上げていきませんか

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東ジャワ紀行 (5/10)「東ジャワ州ルマジャンの漁民たち」

2006-04-27 08:27:45 | インドネシアとバリ島の話

 捕れたばかりの、
      いや、釣れたばかりの、カジキマグロをご覧頂きたい。

 これを肴に、今夜は「盛大な晩酌!」と、いきたいものです。

(晩酌に参加したい!と思う方も思わない方も、下記バーをクリック願いたい!)
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<飴風呂転載記事>

2005-02-27

「刺身だ! 晩酌だ!・・・」

<テーマ>:エセ男爵・東ジャワ紀行

   (本文)

           とれたての?

      いや、釣りたての?

 浜上げしたばかりの?

適切な漁師専門用語を知らないけれど、たった今、浜辺に着いたばかりの漁師さんに「カジキマグロ」?を見せてもらった・・・

場所は、東ジャワ州南海岸、ルマジャン県のとある海岸。

当地の漁師ご一同さんは、かくも原始的な漁法で、大魚を5~6匹?釣上げていた。
が、中でもこの「さかな」が一番大物であった。カメラを向けたら、こうして見せてくれたのです。
かれらの自慢げな「得意そうな顔」が、ご覧いただけますか?
(写真画質が悪いから、ちと無理か?)

何しろ竹竿一本を丸木の脇に伸ばす、それをアウトリガーに仕立てられたのみ。
まるっきし丸木舟に錆びついた50cc?エンジンを船外機に改造し(どれだけ踏波性能があるのか?わらないのであるが)目の前の外洋(インド洋)に乗出し、漁業を営んでいる。

「ちょっと乗ってみないか?」
カメラを持ってる我輩に誘いをかける。
「ちょいと乗って、外洋に行って海側から陸地の写真を撮ったらすばらしいですぜ」
と、誘われた我輩は恐れをなした。
丸木舟は、我輩の尻がはまるかはまらないか、そんな大きさ(直径)を切り出し削りだした太さのいかにも頼りない超小型船舶である。
いったん海に乗出せば、足の先から頭のテッペン迄、満遍なく塩をカブルは必定。
「勘弁してくれ」
「我輩はどうなってもいいけど、塩をかぶれば瞬時にして、手元のカメラが使い物にならなくなる」
とんでもない話である。
次に来る時に「防水カメラ」を持ってくるからそのときにお願いしますよ・・・
と、断りました。

いや、防水カメラでは準備不足である。
実は、常識的に救命胴衣が必要なのです。
と、思いました。

 <続く・・>

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東ジャワ紀行(4/10)「ルマジャン県にて・・」

2006-04-23 16:38:48 | インドネシアとバリ島の話
<添付画像>:東ジャワ州ルマジャン県南海岸の漁村にて。

 空路スラバヤから首都のジャカルタ迄、約1時間かかる。ならば、インドネシアのジャワ島は、日本列島の本州全土に当たるといっても差し支えない。
 ならば東ジャワ州の大きさ、といえば近畿地区と中国5県を一緒にしたくらいの大きさか?あるいは一回り小さいか?そんなものであろう。
 
 マランに滞在中に、隣のルマジャン県に数回足を運んだ事がある。地図上の距離は、マラン市からルマジャンまで、おおよそ170km。この距離、日本国内ならば2時間少々か。しかしこちら東ジャワ中で実際に車で走ると、道なき道の2つ山越えて6~7時間くらいかかる。山越えの途中、山賊モドキが出る。(本当ですよ)したがって約2時間かけて一度スラバヤに走り、さらにスラバヤから4時間かけて走る。走行距離は約4倍。しかし道路状況が断然よいのでこちらを選ぶ。道路状況がよいといっても日本との比較ではなく、山賊の出没する山道との比較也。
 この画像、ルマジャンの海岸の漁村を訪れた時のもの。丸木舟で外洋に出で釣上げた獲物を漁師が見せる。
 先日スラバヤ初訪問から一足飛びにマジャンへ。時系列が少し狂うが、話はそこから始める。
(飴風呂のブログ記事を転用)

 今以上に迷走試行錯誤?アットランダム(at randum)な飴風呂時代の記事を整理いたしたく、「東ジャワ紀行」の連載を以って時系列とスト-リーなきストーリーの大枠を整理しながら進めていく。
 まあ~
何と申しましょうか、当時の記事はまるで系統たてた紀行文にしたためようという意思等まるでなく、毎日の記事投稿をするのが精一杯であったようだ。もうこういう記事の書き方から脱却しなければならない、と、あらためて反省している。と、云いながらの、あえて当時一年前の記事原文をとどめて置きたい。

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<飴風呂時代記事本文>
2005-03-03
どう、料理すれば良いか?
テーマ:ブログ

おはようございます。
今日も早朝から、
また、
ルマジャンの漁師さんの話し。

どうやら、この魚も自慢の釣果?のようです。
写真左奥に、ペンキが剥げ上がりさび付いた年代ものの「船外機」があります。
今度来るときには船外機エンジン(中古で十分だ)を寄付したい気分です。
グラスファイヴァーボートは、その次にしようか・・・

さて、情けないかな、
この魚の名前が解りません。
   
   どなたか、お教え願いたい。


ところで、
今夜の酒の肴に「どう調理するか?」悩んでいます。
刺身?まあいけるでしょうが、かなり大味でしょう。
大味(おおあじ)、間違いなし。
どのみち、熱帯魚の一種でしょうから、大味でしょう。

白身の魚か、青身なのか?
切り裂いてみないと、これまた解らない。


*白身であれば、

まあまあ、郷に入れば郷に従いまして、ひとつここは「インドネシア流」に低温の油でじっくりから揚げし、それから「甘口・超ピリ辛」のあんかけで食べようと思います。結構いけるんです。川魚だってこの方法で臭みがなくなります。ついでに、本来の味も吹っ飛んでしまいますが、マ、しょうがないでしょう。

*青味だったら、どうするか?

砂糖と魚醤にラオチューか紹興酒を絡め、生姜をスライスして、鷹の爪をばら撒いて、これをタレにして、サーと煮付けにするか?

でもって、酒は?
どうする!
ない、
ジャワ島には酒飲みがいないから、「銘酒の現地調達」は?たいへん難しい。
となると、
ビールか?
最初のいっぱいはビールでなくちゃなりませんぞ。
しかし、
今日は、白ワインがいいな~。
オーストラリア産で十分、
白ワインをしっかり冷やし、
揚げたての、魚で、冷たいワインをぐいぐいやる。

お、
そうだ、
調理方針、決定!
やっぱりここは切り分けて、
パン粉つけて、
魚のフライにしよう。

以上、
朝っぱらから今夜の晩酌の話し、どうかご勘弁ください。

なにせ、エセ男爵の「狂人的痛飲酒狂紀行」ですから、お許しを・・・

(そして、原始農業を営むインドネシアの漁師さんたちにエールを贈っていただける方、是非下記バーをクリック願いたい!)
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インドネシア東ジャワ紀行 (3/10) 「スラバヤ市内へ・・」

2006-04-20 12:12:00 | インドネシアとバリ島の話
 スラバヤ入り (2)

<飴風呂より、転載する>

テーマ:エセ男爵・東ジャワ紀行

写真-「東ジャワ州関係者訪日記録」
(1999年晩秋、東ジャワ州マラン市長以下5名の来日、10日間の滞在。福岡から東京へ向けて同行案内する。途中2日間広島に遊ぶ。世界遺産の宮島を見学中のワンショット。この時デジカメを買ったばかり、いかにもカメラ操作に不慣れ、今にして想えば全く出来損ないの一枚である。御免!・・)


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『東ジャワ紀行(3)』(スラバヤ市街に入る)

スラバヤ空港に到着したが、出迎えに来てくれるはずの新聞社の人間の姿が見当たらない。
「さて、どうしたことか」
税関を通り、ごった返す到着ロビーに出るが、すでにそこは建物の外、野外なのである。
目の前の道路はタクシーと出迎えの一般車がごったに入り乱れ、さらに見渡すと駐車場があるが、どこも満杯の様子。
駐車場に入ろうとしている数十台の車が列をなし、ひしめき合っている。
税関区域から野外ロビーのドアを出るなり、人・人・人の群れ・・・
これでは通路も何もあったものではない。
「皆さん、出迎えなのか?」
「ひまだから、暇つぶしに空港に遊びに来ているのか?」
どう見ても、国際線の飛行機とは関係のない連中が、ここに群がっているのは確かである。
なぜだか、我輩には分からない。
「暑い、暑いぞ」
周囲には、湿気と熱気がむんむんしている。
突然、たどたどしい日本語が聞こえた!
「バロンさん~、ヨウコソ~スラバヤへ!」
「オマチシテイマシ~タ!」
5~6メーター前方に、見たことのないちょっと太目の30台の若者が声をかけてくるではないか。
「ヌヌ~、見たことない、いかがわしいド~、この人物は・・」
と思いながらさらに周囲を見たら、何と知っている人物が約1名、出迎えに来てくれているではないか。
「おう、ミスター・アッバス!お久しぶりです」
「ウエルカム・トウ・スラバヤ」と来た。
我輩は、ほっとした。
ハゲ頭に褐色の顔、ちょび髭を生やした、いかにもアラブ系の脂ぎった面持ちのインドネシア紳士ミスター・アッバスは、当地中小企業組合の理事長さんなのである。
瞬間、思った。
「なぜだ? 理事長が迎えに来てくれるの?」
「ジャワポス(Jawapos: スラバヤに本社を持つ、全インドネシアNo.-2。メージャーなる新聞社)の若いのが来ないの?」
どうもおかしい。
「でも理事長が迎えに来てくれたのだから、いいではないか」
と、納得して、彼の車に乗る。
運転手は理事長の甥。
助手席には、先ほど我輩に声をかけてくれたB君。
日系企業に勤務、組み立て現場の係長をやっていると言う。
後部座席に理事長のアッバス氏と我輩が乗り込む。
中小企業日本視察団に加わり、彼は1ヶ月前に初めて日本を訪れている。
その時、日本での知人が誰もいないのであった。
誰も彼に話しかけない。
気を使い、かわいそうと思い、我輩が英語で話したら、通じた。彼はほっとして、それから顔を和ませ始め、雰囲気が良くなった。

アッバス理事長と我輩の信頼関係は、そのときに始まった。

車はするすると空港を離れ、スラバヤ市内のホテルに向かうはずであるが、
「昼食をとらないか」
と、
我輩に向けてアッバス理事長が提案する。
時計を見れば何と、すでに午後2時半ではないか。
シンガポールからスラバヤまで、滞空時間2時間の間、当然スナックが出る。我輩は珍しくそれを(少し)頂いているから、このまま夕方まで空腹状態の方が体調管理に良い。しかし、どうも理事長は昼食をとっていないらしく、ここは「お付き合い」というものであるから、シブシブであるが、昼食同行をOKする。
ジャカルタと比較すればスラバヤは「イナカ」である。
田舎が良い。
まず、道路が、違う。
空港からスラバヤ市内までは一本道、片側一車線である。

ほっと一息ついたのは、つかのまであった。

混む、混む、上りも下りも車が混みあっている。込み合っている車の間をバイクが潜り抜ける。すり抜けたらさらに2~3台がその後をついて、さらにすり抜ける。ここではバイクの二人乗りも常識のようだ。とにかく危ない、危険だ。あちらこちらからクラクションが鳴る、鳴る、鳴る・・・・。皆が乗っている車には排気ガスで充満している。
なんと、行き交う乗合バスには乗客がスズナリ状態だ。
当然ながらバスの窓ガラスは全て全開状態、すずなりの乗客は排ガスと外気の熱風にさらされているではないか。
乗降者口から3~4人の乗客が取ッ手を持ってぶら下がり、どことなく粋がっている。
「よくやるよな・・・」
我輩は思わずつぶやく。

スラバヤの初日、いよいよ市街に入った。
新しい街並みと古い街並が入り混在するスラバヤ旧市街は、メンスストリート沿いに大きな街路樹が植えられ、南蛮情緒のわずかに残る活気あふれる街の様子を呈していた。

しかし、マナーの悪いバイクと車の排気ガスと騒音にはうんざりしている。

「つきました。昼食のレストランに着きました」
車を降りる。
「なな、何だ。これは日本レストランではないか」
アッバス氏が気を利かせて、日本レストランに案内してくれたようだ。
入ってみた。
なな、なんと、これは焼肉レストランである。しかも食べたい放題ビュッフェスタイルのレストランだ。
肉の大好きな男爵は、食べた、食べた。
気がついたら彼らは全員、昼食を済ませており、男爵だけが黙々と「韓国風焼肉」を食している。
海外での日本食はあまり好まない男爵は、某日本レストランに着いたときは、うんざりしていた。
が、食べ始めると「日本レストラン」すなわち日本料理の銘を打った「韓国風焼肉」が気に入ってしまった。
聞けば、経営者はインドネシア人ではなく、なんとアラブ人なのだ。インドネシアを基点に、幾度となく日本に足を運んだ時に得たヒント。焼肉ならばインドネシア人の口に合う。

「なるほど・・・」
躊躇なく、わけもなく、納得する。

「また来よう、インドネシア料理に辟易したら、韓国焼肉だ!」
と、独り言をつぶやき、支払いは理事長が済ませ、皆でレストランを出た。

アッバス理事長は、喜んだ。
我輩が喜んでいるのを確認し、喜んだ。

こうして、初回のスラバヤ珍道中が始まったのである。

<・続く・・>

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インドネシア東ジャワ紀行(2/10) 「スラバヤ上空・・・」

2006-04-18 16:23:00 | インドネシアとバリ島の話
 壊れている街?地球上にあるか?

現代世界には有り得る。
何を以って『壊れている街』と云うか。
人の手で、無作為に開発された街のことを云う。
それは一体どこにあるのか?

ある!

それはインドネシアのジャカルタである。
(以上、私論・・)ジャカルタの壊れた街については、あらためて書こうと思う。

ジャカルタはインドネシア共和国の首都。そのジャカルタから東に向かって空路1時間、バリ島からは西に向かうこと空路45分の距離、東ジャワ州の州都スラバヤに降り立ったときの印象を記している。

東ジャワ州の州都スラバヤ(東ジャワシュの案内は、こちらから入れます)に、初めて降り立ったときの印象を書いている。

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2005-2-28(飴風呂掲載記事)
「大丈夫か?スラバヤの街。 壊れていないか?」 (1)
テーマ:エセ男爵・東ジャワ紀行


(-本文-)

シンガポールから空路約一時間半、、、

(キーーーーン・キーーーーン・キーーーン)・・・

水平飛行・巡航速度を保っていたジェットエンジンのかん高いトーンから、

(ホオオン~ホン ホオオン~ホン ホオオン~ホン ホオン~ホン)・・・

低いノイズに変りはじめた。


「飛行機の運転手は、踏み込んでいたアクセルを少し離したか? 」

「心もち、速度を落としたか・・・」

「ハンドルはうまく捌いているか、切っているか」

「間違ってもバリ島まで暴走したらイカンよ・・・」

「水平飛行は10分そこそこで、バリ島まで行ってしまうから注意して、スラバヤ上空でハンドル切ってよ・・・」

「いよいよスラバヤ到着だな」

着陸前のエンジン音の変化、つまり高音から低音へのエンジン音の変化、それはエンジンの回転が徐々に遅くなりパワーが落ち始めた事を意味する。
いや、パワーを落とし着陸体制に入った証拠である。

「分かりきったことである・・・」

「機内のナビゲーター画面を見れば、それが分かる・・・」

8千メーターを指していた高度が徐々に低下し、今は3~4千メーターまで下がっている。

今度は座席の窓から主翼をみる。
いつの間にかフラップが出ており、これによりジェット機の速度を落としても十分な浮力を確保すべく準備ができている。

「そろそろスラバヤに到着だな・・・」

入道雲ひとつ見えない1999年秋の午後、こうして好天に恵まれたスラバヤへの最初の旅が始まろうとしていた。

いよいよ進行方向の右手下方、ジャワ島が見え始める。

機体の窓から眺める水平線と地上の角度が徐々に変わっている。つまり、ジェット機の高度が下がり、ますます地上が近づいてきた、と判る。

さらに遠望すると、陸と空の合間に山脈が見える。
相当高い山並みと見受けられる。
東ジャワ州には2千メーター級の活火山や休火山がひしめき合っていると聞く。上空から見ると、絶景壮観です。
秒単位で高度が下がれば地上の景色が鮮やかに映り、東ジャワ特有の赤土の地表の一面にちりばめられた民家の屋根が黄土色に統一されているのがくっきりと見え始める。

スラバヤの街の全景が現れる。

「お~、コローニアル風?南欧風の街並みだ!情緒あるね~これ。ウム!」

「そうだ!どこかで見た記憶があるぞ。そう、これ、まるで30年前のジャカルタではないか・・・」

発音すれば「スラバヤ」の音、響き、どことなくエキゾチックである。

穢れなき海、

波打ち際に押し寄せる穏やかな波、

豊かな椰子の葉陰に覆われ、

赤道直下の日差しを和らげる。

昼なお涼しい南国の港町、穏やかな佇まい、、、。

そんなメランコリーな情緒に想いを馳せつつ、ジェット機はますます高度を下げる。

「何だ!これは?」

海岸線に張出したスラバヤ国際空港の滑走路を目の前に、何と波打ち際と陸地の間に敷きつめられた見事な「水田」が視界一面に広がって見えてきた。

「オヌシ、まじめにやってるな・・・」

「豊かな農業、主食のお米を真面目に作っているではないか? インドネシア人はすばらしい!」

我輩の心は初の「スラバヤ訪問」に浮き立っていた。

(実は、我輩の見た「水田」は、そうではなく、エビタだった。つまり海老を養殖する田んぼであった。そしてスラバヤ空港の先ットにあるエビ田は使用済み、放棄されている様子、、、)

「やや?どうなってるんだ?」
「のんきに海老を食し、居酒屋でいっぱい飲んでる間に、無意識状態で?自然破壊しているとは・・・」

えびを食す(我輩も食す!)日本人がインドネシアの海と自然を破壊し、促進しているのだ・・・)自然破壊の問題、あらためて語ろう。

気分を元に戻そう・・・

なつかしの名曲、不朽の名作、『ブンガワンソロ』のメロディーが脳裏に浮かぶ。
これ、口ずさもうとしていたら突然、

ドォ~ン・・・ (ジェット機のタイヤが滑走路に着地した音です)

シンガポールを飛び立ち約2時間、

当たり前であるが、

いや?

ぼんやりしていたら、突然に、
ジェット機はスラバヤ国際空港に滑り込み、無事着陸していた。


<続く>
 
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<画像:インドネシア伝統芸能の「影絵」ワヤンの一こま

ワヤン Wayang

語源は 影 の意

ワヤンクリ Wayang Kulit ・・・・・ 牛皮に透かし細工と彩色をした平面の人形
ワヤンゴレ Wayang Golek ・・・・ 木製の立体人形
ワヤンオラン Wayang Orang ・・・・ 生身の人間が演じる
ワヤントペン Wayang Topeng ・・・ 人間が仮面をつけて演じる

上演の伴奏として ガムランが付属し編成は奏者2~3名から20名を越えることもあり演目によって歌い手が加わる奏者のリ-ダーは ダランと称し物語りの声音を兼務する。特に ワヤンクリ の場合は人形操作の役割が最も重要となる。
物語りの内容は、インドの古代叙事詩ラーマヤナとマハーバラタが中心。ダランの技量により現代風の改変や風刺を加えこの伝統芸能を今日に伝えている。本来の上演目的は 結婚式やイスラム教徒の割礼式など 通過儀礼の余興として行われ主に個人の主催者が依頼し、夜8時すぎから翌朝5時ごろまで続く。。。
(・・上記、引用文・・)

ビバ!インドネシア東ジャワ州 (1/10)「初のスラバヤ入り」

2006-04-15 12:17:00 | インドネシアとバリ島の話
 昨年2月、ブログを始めて未だ2週間足らず、真面目に「インドネシア滞在記」を書こうとしていた時期があった。写真をふんだんに取り入れ、紀行文を書き連ねようとしていた時期があった。
しかし、挫折した。
気負いすぎでもなんでもなかったが、続かなかった。続かななかった?すなわち挫折。その理由はいくつかある。

しかし、今になって想えば

1)Blogにて「長文」を書き連ねる事に迷いが生じたこと。

2)自分の手元にある写真画像に限りがあったこと。

3)あまり当時の自分の仕事に触れたくない「気分」があったこと。

などなど挙げられる。

しかし、最大の理由は当時の「雨風呂のキャパシティー」であったと思う。なぜなら、たったの2ヶ月で写真のキャパをオーバーしてしまった。これには閉口した。そう、
最大の理由は写真の取り込みが出来なくなった事。
そのため、敢えて現在のGOOに引越する羽目になった。gooに引越して1年以上になる。
はたして、居心地が良いか?悪いか?
良くも悪くもない。
でも、何か物足りない。
そんな!こんな!を、回想しながらこの記事を引っ越した。
想えばもっと早く引越させておけばよかった。
ま、
今でも遅くはない。と、思いつつ、書きかけの「紀行文」を完成させるためにも本日「東ジャワ紀行」の引越を開始する。

(引き続き、ランキング応援!宜しくお願いします)

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2005-02-27
スラバヤ滞在から、始めよう
テーマ:エセ男爵・東ジャワ紀行

写真はSurabaya Hilton Hotel の中庭、ガーデンレストラン付近からのプールサイドのショットである。

スラバヤヒルトンホテルは、我輩のスラバヤの定宿である。
なぜ、スラバヤヒルトンなのか?
まず「好き」であり、もちろんそれなりの理由があるから定宿にしたのだが、仔細、その話は次回に譲ろう。

1999年秋口から2001年の春先まで、断続的に東ジャワ州に滞在し出入りした。スラバヤを始め、東ジャワ州のあれこれを、どうしても書き残しておきたいので、キーボードに向かったのであるが、さて、あれこれ書き連ねようと思うと迷いが出た。

「何をどう、書くのだ?」
「いまさら、、、。書きたい事が沢山ありすぎて書けないのか」
「頭がまとまらなくて書けないのか?」
いったい何がなんだかわからなくなってしまってキーボードに向かっている。

思いついたことを書く、思い出した事を書き連ね繰り返すのか。それとも、あっさりと時系列的に書き進めれば、書き始めていくのはたやすい。
「日記風になるか」
しかし日記であれば記録であり、何のために書くか、記録以外のものを求めれば、
「何を求めて書けばいいか」
そうなると逆に書く意義なり目標なり、それなりのゴールが見つからない。

書く前に、整理しておかねばならぬ事がある。
その時期、何のために何を目標にしてスラバヤに出向いたか、滞在したか、である?
物見遊山の観光旅行では決してなく中高年のリッチな海外長期滞在を目指したものでもない。実はそれなりの目標も目的もあって東ジャワに入ったのである。ビジネス目的である。

最初に立ち返ろう。
さて、どう書くか、について、滞在した目的を伏せて書き連ねるのは、はなはだ書きづらい。しかし、ある程度は伏せてかかなければなるまい。
なぜなら当Blog の持つ性質上、あまり自己のプライベートをさらけ出すのも読者に対して失礼であり、場合によりBlog 運営上の問題にも触れかねないからだ。


あれこれ考えながら、執筆方針を決めた。

(1) 観光旅行中に見聞きしたことを書き連ねる方式、つまり、ありきたりの日記風紀行文にしたくない。できない。

(2) 自分の滞在目的にあまり触れたくない。深くは、触れられない。しかし、ある程度は目的を紹介する部分があってもよかろう。

(3) ごく自然に、飾り気なく、自分の体験を書き進めて生きたい。つまり、世の中に一人しかいない自分の体験を人様にお聞かせする、それで良いのではないか。

(4) そうする事により、自分では普通に自然に行動した内容体験は読者にとって、奇妙に滑稽に新鮮に感じられる場面があると信じ、書き進めていくとしよう。

- 続 く -

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パパイヤジュースに寄せて(回想記事)・・

2006-04-13 13:25:15 | インドネシアとバリ島の話
<(添付画像):2003年4月バリ島にて撮影・・>

 昨年の2月中旬の事、ある朝起床したら無性にフレッシュフルーツがほしくなった。続いて思い出したのがインドネシア。そして、バリ島のパパイヤジュースの画像を引っ張り出した。
そうしてこの雨風呂記事になった。
当時、いかにも素朴である。
何も多くを考えていない。
そういう単純さと野暮ったさ、時には良いのかも・・・

(単純素朴に野暮ったさも、時にはよい!と、ご賛同いただける方もそうでない方も、下記バーのクリックお願いです・・・)

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2005-02-23
パパイヤの話・・・
テーマ:エセ男爵・東ジャワ紀行

パパイヤのフレッシュジュースはいかが・・・

スミニャックのとあるホテルのレストランで仕事の打合せ中、パパイヤのフレッシュジュースをいただきました。

実はこの時、撮りたかったものが別にあります。
それは、向かって右側の円筒形にみえるもの、ホテルのマッチボックスなのです。
ちょうどそれは、茶筒のミニチュアのようなもので、直径は2センチ強、高さはマッチの軸が入る高さプラス数ミリなのです。銀行で硬貨を両替したときの硬貨の束?を、イメージしていただきたい。茶筒、いやマッチ箱の周囲にはホテルのロゴを配したかんじのいいラベルが巻き付けられているのです。円筒形のかわいいマッチ箱です。当ホテルに泊った多くの旅行客は、この茶筒型マッチ箱を「宿泊みやげ」に持って帰りたがるそうです。

さて、話戻って「パパイヤジュース」・・・
日本のスーパーなどでみかける握りこぶし大程度の輸入パパイヤは、未熟で酸っぱいものです。
インドネシアのパパイヤは大きくて、めちゃくちゃ甘いのです。

さて、
東ジャワのマラン市にいる頃のことです。
街の市場に出かけていって買いました。イメージ的にはラグビーのボールを小ぶりにした感じ、直径は20センチ以上、長さが30センチ以上はありました。値段は忘れたが安かった。多分日本円で50円もしなかったと記憶しています。紐をつけてぶら下げて持てるようにして貰った。
持てば重量がある。
重い、4~5キロほど、あるか・・・
さっそく下宿に持って帰り、果物ナイフで切ろうと思ったら、これが切れない。思いがけず皮が硬く、果肉もぎっしりと詰まっているのです。いざ、キッチンから文化包丁を持ってきて気合を入れて切り裂く。何と切り開いた切り口から果肉を見ればよく熟れた「柿の実」そっくりの芳醇な橙色ではありませんか!
食べました食べました・・・
あまい、美味しい、あまい、うまい、おいしい、、、
柿のみのようだが、でも少し違う。
冷蔵庫で冷やさなくてもいい、なんとなく果肉の温度は食べている人間の体温を奪うようで、食べるほどに冷たくなる。
食べ始めて十数分、おなか一杯になりました。
パパイヤの実を買って帰ってからの三日三晩、それ以上?朝も昼も、時にはよる就寝前にも、食べ続けました。でも皮付きのまま半分以上残っている。食べても食べてもなくならない。そのうち本格的に熟れてきたので、もう数日しか持たない。
「一人ではとうてい食べきれないぞ」
「そろそろ熟れすぎてしまって、どうにもならなくなるだろう」
「さあ、どうしよう?」
やはり、お手伝いさんに手伝ってもらうことにした。
下宿の若い連中に食べてもらうことにしました。切り分けたパパイヤをお皿に盛付け中庭の集会場のテーブルに置いてもらったら、一晩でなくなった。
みんな美味しいパパイヤは大好きなのだ。

バリ島だと、この手の果物は、高い、高すぎます。
でも、デンパサールの市場に行けば易く手に入るときいていますが、それでも東ジャワよりは高いでしょう。もしかすると、ホテルで提供している高級な果物の多くを東ジャワから輸入?しているのではないでしょうか?

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続・東ジャワ州 Kota Malang (2/2) 「マラン滞在記」

2006-04-09 12:21:38 | インドネシアとバリ島の話
 
 東ジャワ州マラン市の思い出・・・

(オリジナル投稿アメブロより)

2005-02-21
Kota Malang (2)
テーマ:エセ男爵・東ジャワ紀行
「マラン滞在」-(2)

 半年後に移動したゲストハウスは大学の敷地内です。
 ゲストハウスは、大学の正門入り口から一番遠い場所にあります。建物は管理人の居住区と、ゲストの居住区に分かれております。ゲストルームは中庭をはさんで5室、約3~50畳くらいの広いロビースペースなどあり、ホテル並みの設備が整っておりました。朝夕の食事は、これ、たいへん困りました。食事は管理人が用意してくれるようですが、断りました。朝は抜いてもかまわないし、昼時間は外出しているし、さらに夕食のローテーションが予測できなかったのです。祝祭日はいささか困ります。祝祭日はコンチネンタルスタイルの朝食を必ずとり、昼食はなし、しかし夕食は不定期。しかしゲストハウス内のロビーの一角にはゲスト専用の冷蔵庫がありましたので、問題は解決。つまり、時々スーパーで食材を買出しする。それを冷蔵庫に詰め込む!ほぼ私一人のための専用冷蔵庫のような状態で、助かりました。インスタントコーヒーに始まり、新鮮な果物、適当な量のパンとハム、チーズにミルクなど、これで毎日の朝食はOK! でした。
さて、こうなると足が問題です。大学のクルマと運転手が、ある程度自由に使えるので昼間は問題ありませんが、これまた夜になるとタクシーで正門に入り広大なキャンパス内を約2~3分走り、ようやくゲストハウスに到着といった始末です。ほとんどのタクシー運転手が「大学名はわかるがゲストハウスの場所がわからない」と言いました。通常このような場合、すでにアルコールが入り、時には居眠りしながらタクシーに乗りますからいささか問題あり。一度はタクシードライバーが間違って、隣の市立大学のキャンバスに入ってしまい、後はドライバーの方が訳がわからなくなり、こちらはあきれ果ててしまいました。そこで降ろされ、いや近くにいることはわかっていましたからこちらからタクシーを降り、後は徒歩で4~50分くらいかけて帰ったことがあります。人気のない広葉樹林の大木が生い茂った大学のキャンパス内を歩く、途中いささか不安な気持ちになりましたが結果良し、でした。
 当時、マラン市内の治安はさほど問題なく、タンポマス通りの南入り口を出た通りに、大きな昔ながらの地元マーケットがあり、昼となく夜となく、よくショッピングに出かけていました。焼き鳥屋の母と娘、角の露天バイク修理屋のおじさん、固定屋台で雑貨屋をやっているダンディーなおじさんとも顔見知りになり、加えていつの間にか、こちらが認識できないおばちゃんやおじさん、兄ちゃん達まで、朝となく昼となく晩までも挨拶を交わしあえる人情豊かな人たちでした。大学の裏門(通常は門は閉鎖されていますが、通用門は利用でき、そこから出れば川沿いの道路に学生向けの中小レストランがあるので、気楽に食事できますが、一度も入りませんでした。まず、言葉に問題があり、その次に食事内容つまり衛生面に問題がありました。
 しかし、あくまでも危機管理は必要です。平素、日本円で500円以上の現金類は一切身に付けておらず、必要に応じてクレジットカードを使用、あるいは近くの銀行のATMで現金を小出しにしていました。
 インドネシアのみならず、外国で治安の良し悪しを問題にするとキリがありません。
 現金目的で強盗を働く輩に対して、危機を未然に防ぐには如何すればよいか?その方法は、只ひとつ。それは平素の活動暮らし方行動パターンから、可能な限り現金を所持しない行動をする。ふたつ目に、危険と思われる地域には立ち寄らない、という以外に言葉がありません。
 さて、
 東ジャワ州の治安はどうか?比較するとバリ島が良いか?と言われれば、そうです、と答えます。しかし同じ地域によっても住む場所により微細に、東ジャワもバリ島も、それぞれの安全確保の限度があります。一概に東ジャワか?バリ島か?括って論じ、血液型判定のような画一的な結論は出てくるわけがありません。
 バリ島と東ジャワと、どちらが住みいいか?
 等と、訪ねられたらば、どちらとも云えない。
 私の場合、自分の「その時の目的」により、たえず「住む場所」を替え移動し動きまわる人種ですから、、、 。

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東ジャワ州 Kota Malang (1/2) 「東ジャワ州マラン市滞在記」

2006-04-08 10:22:28 | インドネシアとバリ島の話
 前日に引き続き、本日、東ジャワ州の事を記事に致します。

2005-02-20
Kota Manan (1)
テーマ:エセ男爵・東ジャワ紀行
(あめぶろより、転載)

「東ジャワ州・マラン市滞在小記」-(1)
1999年のクリスマス前から2001年の初夏までの足掛け3年、東ジャワ州での活動中、スラバヤに3ヶ月、その後はマラン市を活動拠点に定めていました。
 マラン市内では、ホテル住まいを半年間、一般民家と大学のゲストハウスに住んでいました。ゲストハウス滞在以前の民家での生活に、今でも懐かしさが鮮明に浮かびます。マラン市内はジャラン・タンポマス (Jl. Tampomas) の民家に滞在していました。よくご存知かと思いますが、「グラハ・チャクラ・ホテル」まで徒歩で約5分。いつも徒歩で公園を抜け、このホテルにはたびたび食事に行きました。毎朝決まったように、5時から6時の明け方は、温度計が20度以下をしめす涼しいマラン。早朝、といっても7時過ぎですが、熱帯地域とは思えない適度に乾燥した新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込みながら、野鳥のさえずりに耳をすませ公園を横切って向かうグラハ・チャクラ・ホテルまでのウオーキングは快適でした。さらには市役所の隣、かの有名な「ツグ・パーク・ホテル (Tugu-Park Hotel)」まで、タクシーで10分掛かるかどうか、のロケーションですから、とても便利の良いところです。
 長さにして約100メーター程度の南北に通じた一本道がタンポマス通りで、通りの両側におおよそ100~150坪程度の敷地、緑に囲まれた庭の手入れが十分に行届いた家々があり、その数合計で約30~35軒の民家がありました。我が下宿先は、すでに築50年以上にもなるオランダ人が建てた独特の雰囲気のある住みよい家屋でした。南北のタンポマス通りの入り口には、まるで電車の踏み切りの遮断機と同じものが付されており、午後9時過ぎると翌朝まで遮断機は閉鎖されます。私が夜遅くタクシーで帰ったりすると、顔見知りのガードマンがタクシーの中を覗き込み、私の顔を確認し、黒褐色の顔にあくまでも白い歯を出し、いつもにっこり笑って遮断機を開いてくれていたこと、思い出します。こうしてタンポマスの一角は四六時中、つまり24時間態勢でガードマンが配備されており、常識的且つ最低限度?の安全は確保されていました。
 この家は、有名な私立大学の経済学部長の母上の持ち物(父上はすでに他界されていた)で、敷地の空間つまり中庭を取り巻くように、「ク(く)の字型」の長屋?が敷設してありました。それぞれ4報半くらいの部屋には、当時、6~7人の下宿生活者がいました。下宿人は全員が男、学生や独身のサラリーマン達です。
 平屋の建物である母屋の間取りを紹介します。まず玄関入り口を入ると、吹き抜けと思わんばかりの天井の高い広々とした30畳ばかりのリビングルームがあります。その奥に入ると約10畳ばかりのダイニング、さらにその奥がキッチンとなっています。リビングルームの左右に2部屋と3部屋の合計5室のベッドルームがあります。私は向かって左側の日当たりの良い部屋と裏庭に通じている部屋と合わせ、合計2部屋を借りて住んでいました。正面の庭からタンポマス通りに面した部屋は日当たりが良く、事務用書斎として快適でした。また裏庭に通じるつなぎの部屋は、一日中裏庭から微風(そよかぜ)が入る風通しの良いいささか薄暗い部屋でして、主として寝室に使用。とくに昼寝には最高の部屋でした。
どちらかといえば私は夜が遅く、他の若い下宿人は朝が早い。若者は日の出前に起床し、皆にぎやかに、中には鼻歌交じりで景気よくそれぞれが朝の準備を始める。なんだか皆さん8時出勤が多く、ほとんどの人物が6時前に起床し、7時にはけたたましいバイクのエンジン音を撒き散らしながら出勤していきます。裏庭につながる通路のすぐそばが私の寝室でして、防音消音の施されていない部屋の壁とガラスの付いていない、西部劇に出てくるサロンの入り口のドアの木製板よろい戸程度の窓からは、容赦なく連中の叫ぶ声やバイクの排気音が聞こえてくるのです。しかも、5時ごろからですから、おのずと目が覚めます。参りました。加えて早朝の4時半前後には、どこからともなくあらゆる方向4~5箇所のモスクから、朝一番のお祈りのコーランが拡声器で流され、このコーランの放送でもって眠りから覚めてしまいます。コーランが終わるのが5時前、今からもう一個眠ろうと思ったころに、下宿人が騒ぎ出す。こちら朝から騒がしいのは大の苦手でして、これが唯一、当下宿の難点でした。朝は必ず20度以下、感覚的に冷え込むくらい温度が下がり、昼間は30度をわずかに超えますが、夕方4時になると30分間隔で見る見るうちに温度が下がる。午後9時近くになると、もう25度以下になり、地元の人間はセーターやコートを着ている者まで現れる。我々はせいぜい長袖のスポーツシャツで十分に凌げるのですが、、、。とにかく蒸暑さを感じない(標高約500~800メーター)マランの高地(高原盆地というのが適切か)では、すこぶる環境良く快適な下宿生活を体験できました。

(続く No.-2)

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