88グリーンビートル

活動内容や、案内

2回目 シンガポールの庭園

2023年08月21日 | 日記
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シンガポールンの庭園





(1) チャンギ国際空港庭園

シンガポール空港は、乗り継ぎ便の乗客が多く、空港ターミナルの出発ホールは、旅行客でいっぱいです。

搭乗ゲートは3つの路線を走るスカイトレインに乗って、ターミナル間を移動します。

そして、宇宙の街に来たかのようなホール空間は、きらびやかな店舗や、レストランが立ち並び、公園を思わす中小のガーデンがいたるところに点在しています。鉢植えを並べただけの、空港とは大違いです。






















空港の手荷物預かり所に、旅行ケースを預け、身軽ないでたちで、勝手知った地下鉄MRTに乗って、リトルインディアのホテルに向かいました。夕食がまだなので、ホテルの近くの小さな中華風のレストランに入りました。席に着こうとすると、なぜか店主がいる奥の小さな部屋に案内されました。

ビールと大盛のチャーハンを食べながら、店主と1時間ほど話し込んでしまいました。食べきれなかったチャーハンは、花かつおをたっぷりのせて、翌日の弁当にしてもらいました。

翌朝は、バスで植物園のブキティマ門前まで行きました。


(2)シンガポール植物園







植物園は広いので、門が4つもあります。

ブキティマ門からスタートし、最初はエボリューションガーデン(植物の進化)に来ました。

① エボリューション・ガーデン





まだ地上には植物は生えて居ません。




川から藻が進化したコケが地上に進出します。








シダに進化してきます。






ヘゴや、リュウビンタイなどの大型シダは、いまも生き延びています。




ソテツの全盛時代を迎えます。




ナンヨスギの仲間などの針葉樹から、やがて城亜紀に移っていきます。

植物の進化を道沿いに歩きながら、恐竜時代を体感できます。初めのうちは現存しない実物大の人工植物ですが、シダ、ソテツが登場してくると、トロピカルな雰囲気が出てきて、古代に迷い込んだようです。針葉樹の時代に移ってくると、赤道直下のシンガポールでは、日本のように、マツ、スギ、ヒノキが当たり前のように生えている気候と違い、苦労があったのではないかと思います。


② オーキッドガーデン

次に、洋ランで有名なオーキッドガーデンに着きました。以前来たときは、花壇に興味を持ち始めたころだったので、花の名前もよく分らなかったのですが、今回はなじみの花も多く、見るのにも力が入りました。
















③ シダ園

オーキッドガーデンを出て、しばらく歩くと、本命のシダ園に着きました。オオトカゲが、シダに覆われた細い通路をのしのし歩いておりました。


















ここで花かつおチャーハンの、昼食をとりました。

植物園はまだまだ多くのガーデンがありますが、午後の予定があるので、タングリン門を出て、そこから地下鉄で、ガーデンず・バイ・ザ・ベイに向かいました。

(2) ガーデン・バイ・ザ・ベイ

ここには、有名なスーパーツリーグローブなどがありますが、私の目当ては、二つの巨大温室です。特にクラウドフォレストは、天井までの高さが、35メーターもあり、エレベーターで上まで登って、歩いて見学しながら下りてきます。

① フラワー・ドーム





















② クラウド・フォリスト
















名古屋市くらいしかない小さい国なのに、ガーデンは言うに及ばず、巨大な施設や、建造物がいっぱいある、不思議な国でした。

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2回目 ロンドンの庭園(6)あとがき

2023年08月17日 | 日記
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ロンドンの庭 あとがき

ロンドンに行く前に、こんなことを考えていました。

日本でも行われているような、園芸の講習会に参加して、イギリスの園芸好きな人たちと、一緒に机を並べるというものです。

少し調べてみたのですが、私のロンドン滞在の日程とずれていたり、継続して受講するものだったりして、適当なのがなく、今回は諦めました。

「まえがき」にも書いたように、何しろ手術前の半病人ですから、あまり欲張らず、今回の旅はチェルシーとコッツオルズにいければ、後は寝ていてもいいと思っていたくらいです。

それでも、大英博物館と、キュー・ガーデン、帰りの便では、シンガポールに一泊して、シンガポール植物園と、ガーデン・バイ・ザ・ベイを見て歩きました。

この4カ所は2回目になりますが、いずれも前回訪れた時、もう一度行きたいと思っていた施設です。

雨の多いロンドンだけど、5月だけはいい天気が続くと聞いていました。本当にその通りで、好天に恵まれた10日間の旅でした。

ただ、円高で、ポンドは前回の倍の180円に上がっており、参加費や、入場料など高く感じました。

(1)大英博物館










これは、ソテツとぶどうではないかと思う


これは、ヤシと兵隊だと思われる




【参照:前回の記事 大英博物館

(2)ロンドン自然史博物館




恐竜の卵から孵化している模型。当日は、『特別恐竜展」が開かれていて多くの小、中学生の団体で、賑わっておりました。最近は、どこの恐竜展に行っても、ティラノザウルスが、吠えたり、首や手を動かしたりしていますが、そのうち、動物園でゾウを見るみたいに、歩き回る恐竜たちを手すり越しに見られる日が来るかもしれません。そうなると、「ジュラシックの庭」作りに関心がある私の出番が・・・・・


(3) フルハム・パレス・ガーデン
ロンドンでは、2番目に古いガーデンです。高いレンガ塀に囲まれた中にあり、スケッチをしている人たちを何人かみかけました。












(4) ロチェスター城(ケント州)と近くの公園







聞いたところによれば,木を何本か束ねて植えたところ、長い年月でくっついて、一本の木のようになったとのこと。




(5) カンタベリー大聖堂 


【参照:ブログカンタベリー大聖堂

(6)キューガーデン(英国王立植物園)
















(7) 住宅地



















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2回目 ロンドンの庭園(5) チェルシー・フラワーショウ/屋内部門

2023年08月15日 | 日記
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ロンドンの庭園(5) チェルシー・フラワーショウ/屋内部門

会場はいろいろな国から訪れた、園芸家や花好きの人で、賑わっていました。















キク





カラー





アイリス



ルピナス







クレマチス


















キッチンガーデン
 




ギボシ











ヘゴ、シダ

















多肉植物













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庭師のブログ 松本城と石川数正(その2)

2023年08月09日 | 日記
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第47話 松本城と石川数正(その2)



前回、松本城を訪れてから、2年たちました。

折から、NHKの大河ドラマ「どうする家康」で、地元岡崎だけは盛り上がっているようですが、いくら話を面白くするといっても、大事な場面は、もう少し史実に基づいた展開にしてもらいたいと、私のみならず、多くの歴史好きの人は、苦々しい目で見ているのではないかと思います。

もうすぐ、石川数正の出奔事件が放映されるのだと思いますが、どう描かれているのか、注視したいと思います。


松本城は、全国で5つある国宝の城のうち、一番古い天守がある城だそうです。

問題は、その天守の土台になる石垣が、どう見ても新しく築られた石垣に見えて、とても400年も経っているとは思えませんでした。

しかし、天守は400年の間そのままで、石垣だけが復元されたということはありえないので、松本城の管理事務所に行き、その辺のところを聞こうと思いました。

専門の方から説明いただけるということで、事務所で待っていると、資料を片手に、学芸員と思われる方が現れました。

説明を聞くうちに私の知らなかったことが判明しました。

松本城は、その石垣も含めて、石川数正が築城したのではなく、息子の二代目城主石川康長の代で完成したとのことです。

確かに、秀吉の命で、要衝の地松本に城をつくって、東の徳川を牽制するためでしたが、松本に着いて間もなく、すぐ数正は大阪に呼び戻され、秀吉のお伽衆に加わったそうです。

お伽衆というのは、政治、戦略の見識や経験が豊かな人をそばに置いて、書物をあまり読まない秀吉が、話を聞くという、参謀グループみたいな存在でした。織田有楽斎もその一人です。

秀吉は、石川数正がそばにいることで、内心は徳川家康が攻めてこないことを知っており、城つくりは、急ぐこともなかったのですが、なにしろ数正は表向き調略されたことになっているので、それらしいポーズが必要です。そこで息子の康長に後の築城は任せ、数正は秀吉の側に戻り、徳川との争いを避ける相談相手になりました。

数正出奔の説はいろいろあり、秀吉得意の待遇や金品で調略したのが通説になっていますが、他の人間ならいざしらず、生粋の三河武士で、徳川家臣団で一番重要な人物が、そんなことで心を動かすわけはなく、先の読める数正は、徳川と豊臣がぶつからない唯一の方法は、自分が犠牲になって動くしかないと悟ったのでした。

以上は、私の素人説で、通説がほんとうなのかもしれません。でも、秀吉が亡くなった後に起こる、関ケ原の戦いのときは、ちゃんと石川康長は東軍についています。

以前読んだ記事によりますと、数正の縁者の言葉として、数正は、秀吉のことを悪く言うことは、時たまあるが、家康や、岡崎衆のことを悪く言ったことは、一度もなかったということです。

一方、松本城は息子の石川康長が手掛けた、鉄砲戦を想定した頑丈な城で、城の壁は厚さ30センチ、堀も鉄砲の玉が狙いやすい60メートルの幅にしてありました。

これで誰が見ても、東の敵に備えた城になりました。今回私が見てきた城は、天守も、石垣も、堀も当時のままということになります。【参照:第42話/松本城と石川数正













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