明日から仕事で出張、そのままフィリピンへ旅立つ、帰って来てまた出張、月末まで忙しい。次回からは東急のネットマガジンで連載していた赤瀬川ゲンペーさんのエッセイを備忘録として暫く転載しようと考えている。世界不況以前の世相を振り返ってみる。今回は終了したNTTの先見日記から「中古」についての考察。中古カメラを老いる身体に見立てた奥の深いエッセイだ。旅立ってから帰って来るまでゲンペーさんの思想を学習する。
新入荷の中古品 2005 sep.21
自宅にて
国会がはじまり、国会議員の新入生がぞくぞくと登院していた。刺客とか、造反とか、それまでメディアを賑わせていた顔に、テレビカメラも集る。あ、不倫の人か、と思ったりする。週刊誌のレッテル張りというのは恐ろしいものだ。
でもみんな、それなりの新入生の感じはあった。とはいえ歳はかなりいっている。ういういしいのとはちょっと違う。何といえばいいのだろうか。やはりああいうところにまで行く人は、海千山千という感じにあふれている。いまつい書いてしまって、語源は何かと辞書を引いたら、海に千年山に千年ということらしい。経験を積んでいるという意味のようで、末尾に「わるがしこい人」とも書いてあり、これはちょっと失礼した。
でもわるがしこくもなるでしょう。いまは世の中の全体が、隅々まで、わるがしこい競争をしているようなものだから、一般人も鍛えられる。
こちらはこの夏の入り方を失敗して、夏風邪気味のものをこじらせてしまい、それでずうっと秋まできてしまった。ジャイアンツと同じような経緯をたどっている。
気がつけばかなり歳だから、人体の中古度はそうとう進んでいるのが、こういう体調を崩したりした時によくわかる。以前は「中古良品だ」とかいって笑っていたが、いまは良品といえるかどうか怪しい。
中古カメラの最高位は「未使用」というもの。次が「新同」つまり新品同様。以下美品、中古良品、中古、キズアル、レンズくもりあり、と下がって最後は「研究用」つまり撮影は無理だけど、分解とか実験用にというわけで、プロが部品取りに引取っていく。
人体もまったく同じで、最後は部品取りとなるか、あるいは研究用として大学に運ばれる。ぼくはまだその手前だが、歳をとって体調が崩れてくると「いずれ研究用か……」という思いがわいてくる。
(以上、先見日記より無断転載)