今日の淡路島は雨です。雨女の私には旅行の時は晴天は珍しくたいてい雨になります。
昨日の続きになります。幼い時に あるがままの自分を認められない体験を多くしてしまうと、子供の心はとても傷ついてしまいます。その傷が深くなると、生きていく事がきつくなるので、あるがままの自分の上に 何らかのかぶりものを着てしまいます。前にも書いたとおり、これがサブパーソナリティと呼ばれている人格ですがそれはたいていの場合 あるがままの自分とは正反対の人格の場合がほとんどです。そのサブパーソナリティが人生のハンドルを取るようになってしまうのです。
成長してしまうと あるがままの自分の本質が何かをすっかり忘れてしまいます。厄介なのは、このサブパーソナリティがあるがままの自分を何かの拍子に思い出したとしても、批判をしたり、追い詰めたりして、本質の自分の声を否定してしまうことです。
生きにくさを人生の局面で多く感じている人は、この二つの自分の間で戦いを起こしているようです。もっと自分に素直になりたいとあるがままの私が叫んでも、サブパーソナリティはそれを真っ向から否定します。その戦いに疲れた時に 心が壊れてしまうのかもしれません。続く
昨日の続きになります。幼い時に あるがままの自分を認められない体験を多くしてしまうと、子供の心はとても傷ついてしまいます。その傷が深くなると、生きていく事がきつくなるので、あるがままの自分の上に 何らかのかぶりものを着てしまいます。前にも書いたとおり、これがサブパーソナリティと呼ばれている人格ですがそれはたいていの場合 あるがままの自分とは正反対の人格の場合がほとんどです。そのサブパーソナリティが人生のハンドルを取るようになってしまうのです。
成長してしまうと あるがままの自分の本質が何かをすっかり忘れてしまいます。厄介なのは、このサブパーソナリティがあるがままの自分を何かの拍子に思い出したとしても、批判をしたり、追い詰めたりして、本質の自分の声を否定してしまうことです。
生きにくさを人生の局面で多く感じている人は、この二つの自分の間で戦いを起こしているようです。もっと自分に素直になりたいとあるがままの私が叫んでも、サブパーソナリティはそれを真っ向から否定します。その戦いに疲れた時に 心が壊れてしまうのかもしれません。続く