先日の月の宴で共演してくださった、栗田洋輔さんが、あたたかい言葉をよせてくださいました
→ゆっくりたさんの五線譜
以前にもこのブログで書いたことがありますが、栗田さんは、太陽と月の両方の光を兼ね備えた稀有なアーティストです。
栗田さんと一緒に演奏させていただくことで、自分自身の新しい課題が見えました。
太陽と月、はわたしのなかでは、言葉と、言葉にならないもののイメージでもあります。
感覚を大切にするあまり、言語化(時には、音に、あるいは楽譜に)する努力、音楽に言葉で向きあう努力が、まだまだ足りていないなあと実感しました。
そのことと深くかかわっているのだと思いますが、まだまだ中途半端な自意識、甘えを捨てられていないなあとも感じました。
言葉にならないものに甘えない、とはすなわち言葉に甘えない、ということであり、言葉に甘えなくなれば、言葉にならないものが、もっと深く感じられるようになるのではないかと思っています。
もっともっと素直に、自意識の鎧を溶かして、流れる水のようなうたをうたえるようになっていきたいです。
→ゆっくりたさんの五線譜
以前にもこのブログで書いたことがありますが、栗田さんは、太陽と月の両方の光を兼ね備えた稀有なアーティストです。
栗田さんと一緒に演奏させていただくことで、自分自身の新しい課題が見えました。
太陽と月、はわたしのなかでは、言葉と、言葉にならないもののイメージでもあります。
感覚を大切にするあまり、言語化(時には、音に、あるいは楽譜に)する努力、音楽に言葉で向きあう努力が、まだまだ足りていないなあと実感しました。
そのことと深くかかわっているのだと思いますが、まだまだ中途半端な自意識、甘えを捨てられていないなあとも感じました。
言葉にならないものに甘えない、とはすなわち言葉に甘えない、ということであり、言葉に甘えなくなれば、言葉にならないものが、もっと深く感じられるようになるのではないかと思っています。
もっともっと素直に、自意識の鎧を溶かして、流れる水のようなうたをうたえるようになっていきたいです。