きのうから読み始めた『いのちを纏う』を読み終える。
いろいろな感情が渦巻いていて、まだぜんぜん消化できていない。
ものすごく納得できるところも、疑問に思うところも、たくさんある。
修士論文で書いたかくれキリシタンのひとたちのこととも、これから書こうとしている博士論文とも、深くかかわってくると思うので、これからまたじっくりていねいに読みかえして消化していきたいと思う。
印象に残ったのは、植物染料で化学繊維を染めることはできない、化学染料は純粋だけれども、植物染料はそもそも不純物である、という話と、こんなに地上には緑があふれているのに、植物から緑を直接染めることはできないという話。闇の藍と、光の黄色があわさって、初めていのちの緑が染まるのだという。
苦痛でしかなかった装うことが好きになったのは、何年か前にシサム工房さんと出逢ってからだと思う。
お店のひとたちとあれこれ相談しながら、自分に似合うものを探し、その衣がつくられた背景に想いをめぐらせ、その服をつくったひとたちと、いまのじぶんとの関係を繋いでいくこと。
それが、装うという行為が本来包含していることなのかもしれないと思う。
何年か前にアトピー性皮膚炎が悪化して、化学繊維を着ることができなくなってしまい、ほんとうに肌にあうものだけを着るようになってから、衣からエネルギーをもらえるようになった気がする。
きのうは母に電話をして、母のきものを送ってもらえるようお願いをした。
母のきものは、母のきものであると同時に、母にきものを持たせた、いまは亡き祖母の想いのこもったきものでもある。そのきものを纏うとは、祖母の想いも、母の想いも、そしてまたいまのわたし自身の想いも纏うことであるだろう。
きょうは、ひとめぼれして買った苔色の地に蘇芳色で刺繍された衣を着て、シサム工房さんにたちより、いつものようにお店の方とおしゃべりをして帰りました。
いろいろな感情が渦巻いていて、まだぜんぜん消化できていない。
ものすごく納得できるところも、疑問に思うところも、たくさんある。
修士論文で書いたかくれキリシタンのひとたちのこととも、これから書こうとしている博士論文とも、深くかかわってくると思うので、これからまたじっくりていねいに読みかえして消化していきたいと思う。
印象に残ったのは、植物染料で化学繊維を染めることはできない、化学染料は純粋だけれども、植物染料はそもそも不純物である、という話と、こんなに地上には緑があふれているのに、植物から緑を直接染めることはできないという話。闇の藍と、光の黄色があわさって、初めていのちの緑が染まるのだという。
苦痛でしかなかった装うことが好きになったのは、何年か前にシサム工房さんと出逢ってからだと思う。
お店のひとたちとあれこれ相談しながら、自分に似合うものを探し、その衣がつくられた背景に想いをめぐらせ、その服をつくったひとたちと、いまのじぶんとの関係を繋いでいくこと。
それが、装うという行為が本来包含していることなのかもしれないと思う。
何年か前にアトピー性皮膚炎が悪化して、化学繊維を着ることができなくなってしまい、ほんとうに肌にあうものだけを着るようになってから、衣からエネルギーをもらえるようになった気がする。
きのうは母に電話をして、母のきものを送ってもらえるようお願いをした。
母のきものは、母のきものであると同時に、母にきものを持たせた、いまは亡き祖母の想いのこもったきものでもある。そのきものを纏うとは、祖母の想いも、母の想いも、そしてまたいまのわたし自身の想いも纏うことであるだろう。
きょうは、ひとめぼれして買った苔色の地に蘇芳色で刺繍された衣を着て、シサム工房さんにたちより、いつものようにお店の方とおしゃべりをして帰りました。