わたしは、、、、ラッキーなことに、入りたかった大学の短大コースに合格。。。
18歳で親元離れ、大学の女子寮に一年、お世話になる。
しかしその女子寮はすでに取り壊しが決まっており、わたしたちは女子寮で生活した最後の生徒。わたし達が過ごした一年後にはその女子寮は取り壊された。。。。
” もう、、、ここ、、、、取り壊されるんだよね、、、、、 ”
ということで、、、製図板、、、、布団袋に隠し入れお持ち帰り。。。。。。
いや、、、それ、、、盗人だろうが、、、、、、あ、、、、、
あはは、、、20年以上前のお話、、、、
現在、女子寮がそこにあったことなど、、、どれだけの人が知っているのであろうか、、、、
次は、、、女子寮で仲良くなった友人と一緒に(というより、、、一人で暮らす勇気がなく、、、無理矢理、友人に一緒に住もう!!!と迫ったのだと思われる、、、迷惑ばかりかけた生徒、仲間であった、、、、、 ) 大学近く最寄り駅前にアパートを借りた。
友人はテレビを買い。
わたしは電話を買った。
当時の電話は、電話の権利を最初に買って電話会社から電話機を買うというシステムで、どんな電話機でもオッケーというわけにはいかなかった。その電話はダイヤル方式。黒はつまらないということで、せめても、、、、と、クリーム色の電話を選んだような記憶が、、、、うーーーん、、、30年近く前の話、、、、、定かではない、、、、
当時、、、電話は外とつながる唯一の手段。電話がなるのが本当に楽しみであった。。。。そしてその楽しみなのには理由があり、、、、あの人からの電話を待って、待って、待っていた。電話の向こうの声が母親だと、、、、がっくりと、、、、なんか用?? みたいな、、、、、罰当たりの態度で、、、、当時の自分は迷惑ばかりかけた生徒の上、本当に感謝の気持ちを持たない親不孝者であったことをよく覚えている。。。。
電話が大好きであったあの頃、、、、、
電話を待つ、、、あのドキドキ感、、、、
それが、、、、今は、、、、、正反対、、、、、、、、、、
わたしは電話が大嫌いである、、、、なぜ、あんなに大好きだった電話が嫌いになったのか、、、、、、、
うーーーん、、、、、、
まずは、、、、メタボの妹からの恐怖電話に耐えられなく。
メタボの妹は精神病を煩い、今までの友人をほとんどなくした。友人がいなくなった彼女が頼るのは、外国に住むお兄さんしかいなかった。
そしてそのお兄さんに電話してくる目的というのが、、、
” お金、貸してくれない?? ”
というもので、、、、最初は妹を心配したメタボであったのだが、、、、そのしつこさに最後はメタボも切れて、、、、
” 自分はいないから。 ”
え? 居留守??
妹をかわいそうに思うわたしではあったのだが、、、、電話越しで、、、それも英語、、、、向こうは精神病を煩っている、、、、
勇気を振り絞り、彼女からの電話を取ってみる。。。
” あら、、、元気なの? ”
” どいつも、こいつも元気なのか?大丈夫なのか?それしか聞いてこない!!!! あたしのどこがおかしいっていうのよ! あたしは元気に決まっているじゃないかーーーーー !! ”
いきなり電話口で怒鳴り込まれ。。。。向こうからの電話だったのに、ものすごい勢いで受話器を置かれ、、、、、ツーツーツー、、、、、、
その受話器を握る手は、、、ぶるぶる、、、、、、震え。
あたしはこういうのは嫌いである。。。。わたしは基本的、温厚。。。。平和主義、、、、、、、
メタボの妹からの電話で電話を取るのが完全に怖くなり、、、、、、
電話が大嫌いになってしまった。。。。
そして現在、外国に住み。
家の中をWi-Fiフリー環境にするために電話会社と契約。電話機はちょこんと座ってはいるのだが、、、、活躍することは少なく。。。。。。
しかし、、、ここに来て、、、、どうしても人と話さなければならなくなり、、、、
それは、携帯電話会社のエンジニアの人、、、
あーーーん、、、、、それはたいがい、、、、、聞き取りやすい英語を話す人ではなく、、、、あーーーん、どこか遠くに住んでいる人だったり、、、、外人だったり、、、今回は多分、、、インドとかパキスタンとか、、、そういうアクセントの男性からの電話を受けなければならなくなってしまった、、、、、、
ひーーーーん、、、テレビのニュースと同じ英語を話しているとは思われない。。。。
受話器を抱えながら、目をつぶり、、、、彼の言っていることを真剣、集中して聞いてみる、、、、一瞬でも気がそれるとわからなくなり、、、あーーーらら、、、
” すみません、もう一度、、、、話してください。。。????? ”
あーーーん、、、、この彼は明日も電話を入れてくれる事になっている、、、、
ハートマークでどきどきしていた電話待ちが、、、、、、こんなに形が変わってしまうとは、、、、、、
18歳で親元離れ、大学の女子寮に一年、お世話になる。
しかしその女子寮はすでに取り壊しが決まっており、わたしたちは女子寮で生活した最後の生徒。わたし達が過ごした一年後にはその女子寮は取り壊された。。。。
” もう、、、ここ、、、、取り壊されるんだよね、、、、、 ”
ということで、、、製図板、、、、布団袋に隠し入れお持ち帰り。。。。。。
いや、、、それ、、、盗人だろうが、、、、、、あ、、、、、
あはは、、、20年以上前のお話、、、、
現在、女子寮がそこにあったことなど、、、どれだけの人が知っているのであろうか、、、、
次は、、、女子寮で仲良くなった友人と一緒に(というより、、、一人で暮らす勇気がなく、、、無理矢理、友人に一緒に住もう!!!と迫ったのだと思われる、、、迷惑ばかりかけた生徒、仲間であった、、、、、 ) 大学近く最寄り駅前にアパートを借りた。
友人はテレビを買い。
わたしは電話を買った。
当時の電話は、電話の権利を最初に買って電話会社から電話機を買うというシステムで、どんな電話機でもオッケーというわけにはいかなかった。その電話はダイヤル方式。黒はつまらないということで、せめても、、、、と、クリーム色の電話を選んだような記憶が、、、、うーーーん、、、30年近く前の話、、、、、定かではない、、、、
当時、、、電話は外とつながる唯一の手段。電話がなるのが本当に楽しみであった。。。。そしてその楽しみなのには理由があり、、、、あの人からの電話を待って、待って、待っていた。電話の向こうの声が母親だと、、、、がっくりと、、、、なんか用?? みたいな、、、、、罰当たりの態度で、、、、当時の自分は迷惑ばかりかけた生徒の上、本当に感謝の気持ちを持たない親不孝者であったことをよく覚えている。。。。
電話が大好きであったあの頃、、、、、
電話を待つ、、、あのドキドキ感、、、、
それが、、、、今は、、、、、正反対、、、、、、、、、、
わたしは電話が大嫌いである、、、、なぜ、あんなに大好きだった電話が嫌いになったのか、、、、、、、
うーーーん、、、、、、
まずは、、、、メタボの妹からの恐怖電話に耐えられなく。
メタボの妹は精神病を煩い、今までの友人をほとんどなくした。友人がいなくなった彼女が頼るのは、外国に住むお兄さんしかいなかった。
そしてそのお兄さんに電話してくる目的というのが、、、
” お金、貸してくれない?? ”
というもので、、、、最初は妹を心配したメタボであったのだが、、、、そのしつこさに最後はメタボも切れて、、、、
” 自分はいないから。 ”
え? 居留守??
妹をかわいそうに思うわたしではあったのだが、、、、電話越しで、、、それも英語、、、、向こうは精神病を煩っている、、、、
勇気を振り絞り、彼女からの電話を取ってみる。。。
” あら、、、元気なの? ”
” どいつも、こいつも元気なのか?大丈夫なのか?それしか聞いてこない!!!! あたしのどこがおかしいっていうのよ! あたしは元気に決まっているじゃないかーーーーー !! ”
いきなり電話口で怒鳴り込まれ。。。。向こうからの電話だったのに、ものすごい勢いで受話器を置かれ、、、、、ツーツーツー、、、、、、
その受話器を握る手は、、、ぶるぶる、、、、、、震え。
あたしはこういうのは嫌いである。。。。わたしは基本的、温厚。。。。平和主義、、、、、、、
メタボの妹からの電話で電話を取るのが完全に怖くなり、、、、、、
電話が大嫌いになってしまった。。。。
そして現在、外国に住み。
家の中をWi-Fiフリー環境にするために電話会社と契約。電話機はちょこんと座ってはいるのだが、、、、活躍することは少なく。。。。。。
しかし、、、ここに来て、、、、どうしても人と話さなければならなくなり、、、、
それは、携帯電話会社のエンジニアの人、、、
あーーーん、、、、、それはたいがい、、、、、聞き取りやすい英語を話す人ではなく、、、、あーーーん、どこか遠くに住んでいる人だったり、、、、外人だったり、、、今回は多分、、、インドとかパキスタンとか、、、そういうアクセントの男性からの電話を受けなければならなくなってしまった、、、、、、
ひーーーーん、、、テレビのニュースと同じ英語を話しているとは思われない。。。。
受話器を抱えながら、目をつぶり、、、、彼の言っていることを真剣、集中して聞いてみる、、、、一瞬でも気がそれるとわからなくなり、、、あーーーらら、、、
” すみません、もう一度、、、、話してください。。。????? ”
あーーーん、、、、この彼は明日も電話を入れてくれる事になっている、、、、
ハートマークでどきどきしていた電話待ちが、、、、、、こんなに形が変わってしまうとは、、、、、、