久しぶりの「国鉄・宮之城線の今」の続編です。
宮之城駅から佐志駅に向かう大きなカーブは、豊臣秀吉と島津氏の攻防でも名高い弥三郎ヶ岡から見下ろせば、優美な直線と曲線を描いており、宮之城線でも屈指の名所の一つだと私は勝手に思っていました。
ここには、2010年まではまだ築堤がしっかりと残さていました。
これは2010年4月の様子です。
進入禁止柵の左側のこんもりとした草むらの中には設置目的がよく分からない遺構もありました。
それが、↓↓↓こうなりました。
直線からカーブに転じていく所に、右への分岐路がありました。ちょうど踏切もありました。
この辺りには小さい小さい鉄橋もあったのですが、その存在は全て消し去られていました。左側のガードレールのあった所から右の土手の間に踏切がありました。
すっきりしてしまえば、もう鉄道の存在のかけらもありません・・・・・
さらに、佐志駅ですが、下の写真の段階で既にもうかなりいじられていました。
この段階では、まだ駅とこの先の国道との間に小さな鉄橋跡も残されていました
それも、「国鉄・宮之城線の今」の連載の真っ最中に撤去されてしまいました。
そして、今では、↓↓↓こうなりました。
地域の方々の要望が強くて、プラットホームが残された佐志駅ですが、残し方がこれでよかったのかなと思う佐志駅でした。
私の感想については次回、述べたいと思います。
宮之城駅から佐志駅に向かう大きなカーブは、豊臣秀吉と島津氏の攻防でも名高い弥三郎ヶ岡から見下ろせば、優美な直線と曲線を描いており、宮之城線でも屈指の名所の一つだと私は勝手に思っていました。
ここには、2010年まではまだ築堤がしっかりと残さていました。
これは2010年4月の様子です。
進入禁止柵の左側のこんもりとした草むらの中には設置目的がよく分からない遺構もありました。
それが、↓↓↓こうなりました。
直線からカーブに転じていく所に、右への分岐路がありました。ちょうど踏切もありました。
この辺りには小さい小さい鉄橋もあったのですが、その存在は全て消し去られていました。左側のガードレールのあった所から右の土手の間に踏切がありました。
すっきりしてしまえば、もう鉄道の存在のかけらもありません・・・・・
さらに、佐志駅ですが、下の写真の段階で既にもうかなりいじられていました。
この段階では、まだ駅とこの先の国道との間に小さな鉄橋跡も残されていました
それも、「国鉄・宮之城線の今」の連載の真っ最中に撤去されてしまいました。
そして、今では、↓↓↓こうなりました。
地域の方々の要望が強くて、プラットホームが残された佐志駅ですが、残し方がこれでよかったのかなと思う佐志駅でした。
私の感想については次回、述べたいと思います。