ぶうちん村、風わたる。

風の吹くまま、気の向くままなんて、なかなかできませんが、楽しみを見つけながら過ごしたいものです。

国鉄・宮之城線の今  薩摩湯田駅の変化

2012年02月13日 20時42分26秒 | Weblog
 2/11に用事で出かけた際、時間が半端に余ることになったので、佐志駅を様子を見に行ったのですが、ついでに船木~薩摩求名間の様子も見ることにしました。

 佐志駅とその近辺の変化ぶりには驚いたのですが、もう一つ驚いたのが薩摩湯田駅でした。
 
 

 佐志駅方面から向かいます。右カーブから直線に出たら、道路左側の建物(公民館)の隣りが薩摩湯田駅跡です。
 が、なんだか妙なことに気づきました。何かが欠けているのです。

 
 
 反対側からも見てみましたが、あれっ?


 そうです。
 薩摩湯田駅には大きな銀杏の木がありました。

 

 この写真は2009年11月に撮ったものです。
 11月というのに青々とした葉のままなのがどうかとも思うのですが(笑)、この木がなくなっていました。

 撮りためた写真フォルダをチェックしてみると、ちょうど1年前に撮った銀杏の木の写真がありました。

 

 枝が落とされています。この時は単純にも枝を落として樹勢を押さえたぐらいにしか思っていなかったのです。
 が、よくよく考えて見ると、これはどこかに移植されたのかもしれません。

 郡山のJAの敷地にあった巨大な銀杏の木も何年か前、八重山公園へ移植された時、こんな状態だったなと思い出しました。



 これは公民館と駅跡の間にあった道路の拡幅工事によるものかと思います。

 

 道路が広くなっていました。
 ついでに動輪と一緒に記念碑も数メートル移動していました。



 薩摩湯田駅もまた姿を変えつつあります。
 それ自体は否定できないことですが、面影がなくなっていくのはやはり寂しいものです。

 

 ↑↑↑ これは現役時代の薩摩湯田駅の姿です。

 小さな駅舎のすぐ近くに立つ銀杏の木。ここで何百何千という乗降客の姿を見送った銀杏の木、雨が降れば雨宿りされたり、待ち合わせの目印にされたりしたことでしょう。

 この銀杏の木、どこに行ったのでしょう。
 どなたかご存知なら教えてくださいませ。
コメント (2)
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