昨年の9/19に企画を打ち出し、 9/27に連載を始めた「国鉄・宮之城線の今」。
全線66.1㎞の行程をなんと10か月近くもかかって踏破することになりました。
特別編だのなんだのと通常版以外のものも合わせると、約950本の記事を作ってしまいました。
正直、とても驚いています。
よくもこれだけと自分で自分に感心してしまいます。
そもそもは廃線探訪に来るかもしれない友人のために、再度調べ始めました。
廃線自体には興味は持っていたものの、鉄道に関する知識があったわけではないので、橋台と橋脚を間違ったり、境界標や距離標の意味も調べたりしながら知っていくことになりました。
全く計画的ではなく、行き当たりばったりでした。
しかし、調べていくうちに、次第にのめり込んでいく私がいましたし、宮之城線以外の廃線跡や現役の鉄道の姿を見る目も変わってきました。
単なる鉄道論だけでなく、文化論までも主張させていただきました。
さて、宮之城線はここが終点ですが、薩摩大口駅は山野線の駅でもあり、線路はこの先の水俣や栗野へも続いていました。
「この先」にはどんな町があり、どんな景色があり、どんな人がいて、どんな出会いがあるのだろうという期待を抱かずにはいられません。
途中から、そんな思いも持ち始め、車窓から見えたであろう景色なども盛り込むようにしました。
また、訪問していただいたみなさん、ありがとうございました。
ただ、弁慶ではありませんが、ここまできたら合計1000本目指してもと思いましたが、ひとまずは感謝のうちに、連載をとじたいと思います。
連載の最後を締めるにあたり、どの写真を出せばよいのか迷いましたが、777(7/7掲載)で紹介した諏訪神社からの写真をズームアップにしたものにしました。
大口ふれあいセンターをはさんで、道路が一直線に伸びています。
これは水俣へ向かう山野線です。
「この先」を感じられたので紹介することにしました。
「田舎に泊まろう」というTV番組がありますが、このエンディングテーマになっていた美里の「青い鳥」という歌に、私の思いをこめたいと思います(美里の歌には、鉄道がたくさん出てくるから、これまでにもっと使っておけばよかったなぁ~)。
泣きたいくらい一人でも
きみはひとりぼっちじゃないよ
深い緑の 風の中
久しぶりに 深呼吸
ココロの重荷を
そっとほどいて きみを思う時
ねえ 幼い頃に
ああ 描いてた未来
世界も 海も 人も 夢さえ
変わってゆくけど
泣きたいくらい一人でも
きみはひとりぼっちじゃないよ
青い鳥を見つけたよ
遠く 近く この胸に
白い湯気の 向こう側に
変わらない やさしさがある
すてきな景色を見るたびに
きみに見せたいと思う
そう 笑顔も 涙も
ああ 器用じゃないけど
言葉の裏に 宿るぬくもり
ぼくは 知ってる
青い鳥を みつけたよ
つばさ広げ 空に舞うよ
泣きたいくらい一人でも
きみはひとりぼっちじゃないよ
ありがとうを言えるうれしさ
何べんだって伝えたくて
青い鳥をみつけたよ
遠く 近く この胸に
全線66.1㎞の行程をなんと10か月近くもかかって踏破することになりました。
特別編だのなんだのと通常版以外のものも合わせると、約950本の記事を作ってしまいました。
正直、とても驚いています。
よくもこれだけと自分で自分に感心してしまいます。
そもそもは廃線探訪に来るかもしれない友人のために、再度調べ始めました。
廃線自体には興味は持っていたものの、鉄道に関する知識があったわけではないので、橋台と橋脚を間違ったり、境界標や距離標の意味も調べたりしながら知っていくことになりました。
全く計画的ではなく、行き当たりばったりでした。
しかし、調べていくうちに、次第にのめり込んでいく私がいましたし、宮之城線以外の廃線跡や現役の鉄道の姿を見る目も変わってきました。
単なる鉄道論だけでなく、文化論までも主張させていただきました。
さて、宮之城線はここが終点ですが、薩摩大口駅は山野線の駅でもあり、線路はこの先の水俣や栗野へも続いていました。
「この先」にはどんな町があり、どんな景色があり、どんな人がいて、どんな出会いがあるのだろうという期待を抱かずにはいられません。
途中から、そんな思いも持ち始め、車窓から見えたであろう景色なども盛り込むようにしました。
また、訪問していただいたみなさん、ありがとうございました。
ただ、弁慶ではありませんが、ここまできたら合計1000本目指してもと思いましたが、ひとまずは感謝のうちに、連載をとじたいと思います。
連載の最後を締めるにあたり、どの写真を出せばよいのか迷いましたが、777(7/7掲載)で紹介した諏訪神社からの写真をズームアップにしたものにしました。
大口ふれあいセンターをはさんで、道路が一直線に伸びています。
これは水俣へ向かう山野線です。
「この先」を感じられたので紹介することにしました。
「田舎に泊まろう」というTV番組がありますが、このエンディングテーマになっていた美里の「青い鳥」という歌に、私の思いをこめたいと思います(美里の歌には、鉄道がたくさん出てくるから、これまでにもっと使っておけばよかったなぁ~)。
泣きたいくらい一人でも
きみはひとりぼっちじゃないよ
深い緑の 風の中
久しぶりに 深呼吸
ココロの重荷を
そっとほどいて きみを思う時
ねえ 幼い頃に
ああ 描いてた未来
世界も 海も 人も 夢さえ
変わってゆくけど
泣きたいくらい一人でも
きみはひとりぼっちじゃないよ
青い鳥を見つけたよ
遠く 近く この胸に
白い湯気の 向こう側に
変わらない やさしさがある
すてきな景色を見るたびに
きみに見せたいと思う
そう 笑顔も 涙も
ああ 器用じゃないけど
言葉の裏に 宿るぬくもり
ぼくは 知ってる
青い鳥を みつけたよ
つばさ広げ 空に舞うよ
泣きたいくらい一人でも
きみはひとりぼっちじゃないよ
ありがとうを言えるうれしさ
何べんだって伝えたくて
青い鳥をみつけたよ
遠く 近く この胸に
私も廃線跡探訪を趣味の一つとしていて,旧宮之城線跡も数年前から見に出かけています.先週から連載を見始めて先程薩摩大口駅に達しました.番外を含め約950回もの連載は旧宮之城線を辿るものとして量・質とも最高級のものと思います.とくに感心させられたのが,薩摩永野駅がスイッチバックとなった考察で,金山との関係は興味深く説得力十分なものでした.
実は私も旧宮之城線についてネットにupしています.よろしければご覧下さい.
①http://www15.ocn.ne.jp/~tanatoo/miyanozyousen.html
②http://tanatoo.blog.ocn.ne.jp/meetingroom/2008/02/post_a41a.html
③http://tanatoo.blog.ocn.ne.jp/meetingroom/2010/07/post_806a.html
追伸 旧宮之城線敷地に見られる境界標ですが,あれは現役時代からあったものなのでしょうか? 6年前に訪ねた時からの疑問ですが,もしかしたら廃線になって地元市町へ引き渡された際に,境界を明示するものとして発生品の枕木を活用して設置されたものではないかと思っています.
来訪ありがとうございます。
③の踏切の写真はよく知っていますよ。もしかすると、以前はご近所だったかもですね。私はmy houseを持った2003年12月までは可愛校区に9年間住んでいましたから。
連載をほめていただいたのは、うれしいのですが、とても照れくさいです。なにせ鉄道の素人の発想ですから。
追伸の件は初耳です。
知っていることがあればぜひ教えてください。
私、職場が薩摩川内なので、どこかでご縁があれば、よろしくお願いいたしますね。
とうとう宮之城線走破ですね。なんかラストで感動を覚えました。偶然でしたが、この連載と出会えて最高でした。
私が知る限り宮之城線を扱ったテーマとしては最高傑作品と言っても過言ではないかと思います。
ぶうちんさんの連載を読む中で、地元人の私ですら知らないこの地方の歴史、背景など色々なものを知ることができました。
モータリゼーションが進む中で、当然のように忘れ去られて行く鉄道の歴史。世の常とは言え、大変寂しいものがあります。
確かにかつてそこに鉄道が走っていたのですよね。なんか今となっては「信じられない」という感覚すら覚えます。
私も今後の仕事の中で、この廃線後を道路にすることに関して色々と考える必要性を強く感じました。
そういう意味で、あと3年ぐらい早くぶうちんさんがこの連載を始め、こういう意見交換ができていればなぁ~と若干悔やまれる思いがします。
そしたら佐志駅手前の橋も何とかできたかな~とか、山崎駅周辺のワケのわからない改良計画も阻止できたのかな~と思わずにいられません。
今年の冬は私も薩摩永野~針持間を探索してみたいと思います。その時はお付き合い頂けますでしょうか?
そして私もほとんど沿線のことを知らない山野線。是非期待していますよ!
マラソンと同じで、余裕があるうちはあれこれと考えられますが、後半に入り、次第にゴールラインを意識するにつれて、内容が純化する一方で、多様性が欠落していったような気がします。
特に、針持以降はその傾向が顕著だったように思います。
連載の始めでも触れたように、自分自身の思い出と関わるのは宮之城までで、それ以降は正直なところ未知な領域でした。
もっと言えば、旧薩摩郡内までは仕事のエリアとして理解できる部分が大きかったのですが、針持以降は「基本」の部分がないのでどうにも論を組み立てづらかったのが本音です。
TanaTooさんいい、kuo-taさんといい、過分なおほめの言葉に、とてもとても恥ずかしい限りです。
ですから、山野線は一度跡地を探ったことはありますが、自分自身との関わりというエネルギー源がないので難しいなと思っています(期待に添えませんが)。
ただ、kuo-taさんの言葉に「あと3年ぐらい早くぶうちんさんがこの連載を始め、こういう意見交換ができていればなぁ~」とありましたが、その時には、お互いに出会うための「準備」はできていなかったと思います。
大事なことは「今」出会ったということだと思います。
この「今」が、kuo-taさんと私にとって何か意味があるのかもしれませんね。ぼくはそう思います。
kuo-taさん、薩摩永野~針持に限らず、他の区間でもおつきあいいたしますよ。
ただし、お互いヘビが苦手なので、探索は年明けということにいたしましょう。
その前に、お互いに語り合いませんか、いろいろと。この夏に。
宮之城線、少女バレー・・・etc