#photobybozzo

沖縄→東京→竹野と流転する、bozzoの日々。

【実話】愛のむきだし

2009-06-12 | BOOKS&MOVIES
「愛のむきだし」公式web

237分の壮絶な純愛映画だった。

【ゆらゆら帝国】空洞です

ゆらゆら帝国が主題歌になっている…ただそれだけで観に行った。

宗教と性欲。
理性と本能。
権力と自由。

常に二律背反に陥るこのお題。
「あちら」か「こちら」。
「あちら」じゃなきゃ、「こちら」。
「こちら」じゃなきゃ、「あちら」。

二項対立で決着をつけようとするから、
状況が立ちゆかなくなる。

そして、権威主義がさらにそれを加速させる。

宗教も見方を変えたら、権威主義。
「神」の名を借りて、権力を欲しいままにする。

その歪んだ構造に虐げられた3人が、
あらたな新興宗教であらたな権力を獲得し、そして瓦解する物語だ。

      ●

宗教の問題は、奥が深い。
父と子と聖霊。三位一体。

絶対的な教義が「父」。
それを伝える神父が「子」。
教義に従い増殖する宗徒が「聖霊」。

このヒエラルキーが
権力を生み出した。

「父」を伝承する「子」は
「父」そのものではない。
よって「父」の真意を知らない。

であるから「子」は解釈によって
「聖霊」へ伝承をおこなう。

そこには解釈のズレが生じる。
曖昧なるものを排していく結果、
二項構造へ行き着く。

「白」か「黒」か。
「善き」か「悪しき」か。

「白」と「黒」の間にある無数の「グレー」が収斂される。

これが社会全体を息苦しくしている要因だ。

構造主義が堅牢になればなるほど、
末端への伝承は「純化」され、
コントラストの強い二項対立となる。

「はじめにことばがあった。ことばは神と共にあり、ことばは神であった。」

ことばによる伝承が、ズレを生み、
ズレがさらなるズレを増殖させ、大きな歪みとなった。

      ●

しかし、「愛」に「ことば」はいらない。
「愛」は衝動であり、「愛」はダイレクトだ。

 ぼくの心をあなたは奪い去った
 オレは空洞 でかい空洞
 全て残らずあなたは奪い去った
 オレは空洞 面白い

「愛」は観念ではなく、心の顫えだ。
肉体に立ちのぼった「ことば」にならない衝動だ。

その身体性が真実であることを、
237分の長大な「愛のむきだし」は物語っている。

必見。













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