ハヤサキスタジオ時代の大先輩、澤田さんのスタジオにお邪魔。
東京に来た当初、あいさつに伺って以来なので、2年ぶり。
芝公園のスタジオは高速道路の脇だから、視界を遮る建物がなく、東京タワーが足下から見える。
今日みたいな晴天にはもってこいのロケーション。
そびえ立つ333mをしばし眺める。
近況の報告ついでにUNITE!NIPPONもやってもらおうと
意気込んで来たのだけど、あっさり断られて、
「オレが撮ってやるよ」と被写体になってしまった。
「それでも働きかける」
パラダイムシフトへ向けた信念を地道に貫くって意味と、
被災地へそれでも働きかけるって意味と。
澤田さんには残念ながら賛同を得られなかったけれど、
ひとりひとりがニッポンの未来を意識すれば、
おのずと道はオルタナティブな方向へ向かうはず…なのだ。
デジタル一辺倒で、世の中どんどん薄っぺらくなってきた…と
お互いの話は写真から音楽、芸能といろいろ広がったのだけど、
便利さを追い求めて、人間の手間を省くほうへ進んでしまった結果、
素人でも写真が撮れるようになり、表現の幅も薄っぺらくなってしまった。
プロフェッショナルが育たない環境が、今の世の中だ。
でもその反動も多分にあって、確実に潮流は二派に分かれる。
スピードを追い求めるデジタル至上主義と、
手間暇かけてスローに仕上げるアナログ至上主義と。
振り返ってみれば、ボクの被写体はすべてアナログ至上主義だ。
ダンスも音楽も、演劇も、人間の五感に訴えかける表現だ。
五感が鋭敏でなければ、表現者の意図もくみ取れない。
だからじっくり被写体に対峙し、五感を研ぎ澄ます。
人間と人間の直截的な接触。パソコンを介さないナマの接触。
ボクは無骨に「それでも働きかける」だろう。
眠ってしまったデジタル人間の感性に。
「生きている」ナマの接触こそ、真実だと。
東京に来た当初、あいさつに伺って以来なので、2年ぶり。
芝公園のスタジオは高速道路の脇だから、視界を遮る建物がなく、東京タワーが足下から見える。
今日みたいな晴天にはもってこいのロケーション。
そびえ立つ333mをしばし眺める。
近況の報告ついでにUNITE!NIPPONもやってもらおうと
意気込んで来たのだけど、あっさり断られて、
「オレが撮ってやるよ」と被写体になってしまった。
「それでも働きかける」
パラダイムシフトへ向けた信念を地道に貫くって意味と、
被災地へそれでも働きかけるって意味と。
澤田さんには残念ながら賛同を得られなかったけれど、
ひとりひとりがニッポンの未来を意識すれば、
おのずと道はオルタナティブな方向へ向かうはず…なのだ。
デジタル一辺倒で、世の中どんどん薄っぺらくなってきた…と
お互いの話は写真から音楽、芸能といろいろ広がったのだけど、
便利さを追い求めて、人間の手間を省くほうへ進んでしまった結果、
素人でも写真が撮れるようになり、表現の幅も薄っぺらくなってしまった。
プロフェッショナルが育たない環境が、今の世の中だ。
でもその反動も多分にあって、確実に潮流は二派に分かれる。
スピードを追い求めるデジタル至上主義と、
手間暇かけてスローに仕上げるアナログ至上主義と。
振り返ってみれば、ボクの被写体はすべてアナログ至上主義だ。
ダンスも音楽も、演劇も、人間の五感に訴えかける表現だ。
五感が鋭敏でなければ、表現者の意図もくみ取れない。
だからじっくり被写体に対峙し、五感を研ぎ澄ます。
人間と人間の直截的な接触。パソコンを介さないナマの接触。
ボクは無骨に「それでも働きかける」だろう。
眠ってしまったデジタル人間の感性に。
「生きている」ナマの接触こそ、真実だと。