寒空の下、竹橋の国立近代美術館へ。
作家の生誕100年を記念した大回顧展。
20歳の時に制作した頭部の塑像から
1950年、絶頂のドリッピング/ポーリング作品、
そして、事故で亡くなるまでの昏迷期の作品まで。
人生をかけて、これほどまでにわかりやすく
表現することの意義を突き付ける作家もいないのではないだろうか?
初期の混沌としながらもプリミティブに指向するポロックの作品群は、
幾分稚拙さ(未消化)はありながらも、己の反問を直截的に露わそうとしている。
何度も何度も塗りを重ね、最後に全面を強い色で塗りつぶしながら、
ネガポジ反転の発想でフォルムを塗り残してみたり、
オートマティックな描写(自動記述)でA4サイズのノートに
細かな線を執拗に繊細に、重ねてみたり…と、
イメージするポロックの力強さ(大胆さ)からは
およそかけ離れたナイーブな面がみえてくる。
(その力強さって実は「強いアメリカ」の転写に依るモノが大きいのだろうけど)
1950年の作家絶頂までの道程が、
混沌と昏迷を繰り返し悶絶しながらも
「絵画」としての表現に超克していくのだ…といった
ぶれない意志が伝わってきて、胸をうった。
そして、大輪の花を咲かせたような
ポロック充溢の1950年。
ポーリング/ドリッピングの見事なこと!
執拗な…ホントに執拗に細かくスナップされた白・黒・黄色のペンキが、
何層も何層も何層も塗り重ねられ、しかしそれが破綻せずに
ある一定の迸り(ピュシス)をキープしたまま、冷凍保存したかのように面前する。
なんという、感情の横溢!
顔射!顔射!顔射!顔射!
これほどまでに作家の躍動が
画面全体に定着した作品を知らない。
それも決して全肯定な生の謳歌を装った
100%ポジティブな様相ではないのだ!
暗澹とした心持ちのままのたうちまわり悶絶し、
憑き動かされるように射精を繰り返すかごとく、
木棒にペンキを滴らせ、ひたすらスナップする。
自己の存在が掌握しきれないのだ!…と絶叫する有り体。
その様子は、1912年に生を授けて、38年間いのちを消耗してきた
ジャクソンそのものの嗚咽が、キャンバスに憤怒したかのようだった。
そう、血潮なのだ!
侍が刀を振り下ろし、
肉体の切断面からスプラットされる
その血潮そのものなのだ!
しかも、である。
ポロックは1950年に己を絶頂まで導いた
ポーリング/ドリッピングな絵画のスタイルを
翌年封印する。
ジャクソンポロックそのものと言わしめる
そのオリジナル性に富んだひとつの技法を
翌年にはすべてかなぐり捨て、新たな表現を模索するのだ。
あれだけの大輪の花を咲かせた1950年からリセットし、
再度創造の泉にアタマを突っ込むポロック。
なんという強靱な指向性。
ブラックポーリングと呼ばれるそれらの作品は
頂までの超克を終えぬまま、1956年_44歳で幕を下ろす。
劇的な、あまりに劇的な生涯。
展示の最後に飾られたポートレイトは
寂しげにレンズをのぞき込む、禿げかかった男だ。
不器用にしか己の命と向き合えなかったジャクソンポロック。
そのいたたまれなさが、1950年の1年に作品として凝縮された生涯。
どこまでも自己と対話することでしか
表出には至れない…と、体現してくれたポロック。
クリエイターは必見。
作家の生誕100年を記念した大回顧展。
20歳の時に制作した頭部の塑像から
1950年、絶頂のドリッピング/ポーリング作品、
そして、事故で亡くなるまでの昏迷期の作品まで。
人生をかけて、これほどまでにわかりやすく
表現することの意義を突き付ける作家もいないのではないだろうか?
初期の混沌としながらもプリミティブに指向するポロックの作品群は、
幾分稚拙さ(未消化)はありながらも、己の反問を直截的に露わそうとしている。
何度も何度も塗りを重ね、最後に全面を強い色で塗りつぶしながら、
ネガポジ反転の発想でフォルムを塗り残してみたり、
オートマティックな描写(自動記述)でA4サイズのノートに
細かな線を執拗に繊細に、重ねてみたり…と、
イメージするポロックの力強さ(大胆さ)からは
およそかけ離れたナイーブな面がみえてくる。
(その力強さって実は「強いアメリカ」の転写に依るモノが大きいのだろうけど)
1950年の作家絶頂までの道程が、
混沌と昏迷を繰り返し悶絶しながらも
「絵画」としての表現に超克していくのだ…といった
ぶれない意志が伝わってきて、胸をうった。
そして、大輪の花を咲かせたような
ポロック充溢の1950年。
ポーリング/ドリッピングの見事なこと!
執拗な…ホントに執拗に細かくスナップされた白・黒・黄色のペンキが、
何層も何層も何層も塗り重ねられ、しかしそれが破綻せずに
ある一定の迸り(ピュシス)をキープしたまま、冷凍保存したかのように面前する。
なんという、感情の横溢!
顔射!顔射!顔射!顔射!
これほどまでに作家の躍動が
画面全体に定着した作品を知らない。
それも決して全肯定な生の謳歌を装った
100%ポジティブな様相ではないのだ!
暗澹とした心持ちのままのたうちまわり悶絶し、
憑き動かされるように射精を繰り返すかごとく、
木棒にペンキを滴らせ、ひたすらスナップする。
自己の存在が掌握しきれないのだ!…と絶叫する有り体。
その様子は、1912年に生を授けて、38年間いのちを消耗してきた
ジャクソンそのものの嗚咽が、キャンバスに憤怒したかのようだった。
そう、血潮なのだ!
侍が刀を振り下ろし、
肉体の切断面からスプラットされる
その血潮そのものなのだ!
しかも、である。
ポロックは1950年に己を絶頂まで導いた
ポーリング/ドリッピングな絵画のスタイルを
翌年封印する。
ジャクソンポロックそのものと言わしめる
そのオリジナル性に富んだひとつの技法を
翌年にはすべてかなぐり捨て、新たな表現を模索するのだ。
あれだけの大輪の花を咲かせた1950年からリセットし、
再度創造の泉にアタマを突っ込むポロック。
なんという強靱な指向性。
ブラックポーリングと呼ばれるそれらの作品は
頂までの超克を終えぬまま、1956年_44歳で幕を下ろす。
劇的な、あまりに劇的な生涯。
展示の最後に飾られたポートレイトは
寂しげにレンズをのぞき込む、禿げかかった男だ。
不器用にしか己の命と向き合えなかったジャクソンポロック。
そのいたたまれなさが、1950年の1年に作品として凝縮された生涯。
どこまでも自己と対話することでしか
表出には至れない…と、体現してくれたポロック。
クリエイターは必見。