悲観的になると日本人は愚鈍化する。
そして、その反対の「根拠のない楽観」にすがりついて、
あれこれと多幸症的な妄想を語ることは積極的に推奨されています。
原発の再稼働も、兵器輸出も、リニア新幹線も、
五輪や万博やカジノのような「パンとサーカス」的イベントも、
日銀の「異次元緩和」も官製相場も、
どれも失敗したら悲惨なことになりそうな無謀な作戦ですけれど、
どれについても関係者たちは一人として
「考え得る最悪の事態についてどう対処するか」については、
一秒も頭を使いません。
すべてがうまくゆけば日本経済は再び活性化し、
世界中から資本が集まり、株価は高騰し、人口もV字回復…というような話を
(たぶんそんなことは絶対に起きないと知っていながら)している。
思い通りにならなかった場合には、どのタイミングで、
どの指標に基づいてプランBやプランCに切り替えて、
被害を最小化するかという話は誰もしない。
それは「うまくゆかなかった場合に備える」という態度は敗北主義であり、
敗北主義こそが敗北を呼び込むという循環的なロジックに取り憑かれているからです。
そして、この論法にしがみついている限り、
将来的にどのようなリスクが予測されても
何もしないで居ることが許される。
その点では現代日本のエリートたちも先の戦争指導部と
マインドにおいてはほとんど変わりません。
いずれの場合も高い確率で破局的事態が到来することは予測されている。
けれども、破局が到来した場合には社会全体が大混乱に陥るので、
そんな時に「責任者は誰だ」というような他責的な言葉使いで糾明する人間はもういない。
そんなことしている暇もないし、耳を貸す人もいない。
だったら、いっそ破局まで行ったほうが、個人の責任が免ぜられる分だけ「得」だ。
それが「敗北主義こそが敗北を呼び込む」という裏側にある打算です。
(『人口減少社会の未来学』序論 by 内田樹)