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沖縄→東京→竹野と流転する、bozzoの日々。

【May_11】スペースノットブランク『Native』

2018-05-12 | ACT!
スペースノットブランク『Native』初日観劇〜!

中澤陽&小野彩加のユニット、spacenotblank初でした〜!
そのユニット名どおり、非常に意図を感じる刺激的舞台。
演出を手掛けたおふたりの時代を掴む感性とセンスに脱帽でした。

9名の役者&ダンサーに創作を委ね、
バラバラに散らばったその創作物(エチュードのようなもの)を、
演出家の意図で内側及び外側から方向付けをし、
90分に仕立てる…という演出。

役者陣から生まれ得るモノが、時代を則したモノであるだけに、
その萌芽を巧く導けば、それは時代的な行為として象徴される。

今朝の朝日新聞で佐伯啓思氏が、
60年代安保闘争&三島由紀夫は「革命ごっこ」によって欺瞞を暴こうとした…
と説いた記事と見事にリンクしていて、自分的には色々な思考のピースがつながった感じ。

過剰な演出によって欺瞞を転覆させようとする指向は、
紅テントや蜷川幸雄の演劇スタイルであるし、
時代の本流はしばらく過剰さへと流れていたように思う。(舞踏はそのアンチテーゼだった)

その欺瞞への抵抗が、時代の流れと共に「狂騒」に転化されたのがバブルであり、
泡沫後の行き場を喪った20年でひたすら構築されたのが、
コンプライアンスと呼ばれるような枠組みへの希求であったと、ボクは思っている。

革命ごっこ時代の「物語」への信頼は、バブル崩壊と共にガタガタ瓦解し、
モリカケ問題にあるように、筋の通らない言説がまかり通る世の中へと変わってしまった。

今の時代、過剰に「物語」を押しつけるのはナンセンス。もはや、そこに救いはない。
秩序秩序でガチガチとなったこの人間社会において、突破口となるのは、やはり身体であり、
その発動を促す「気づき」を呈示するのが、新たな芸術の役割。

スペースノットブランクのおふたりは、その「気づき」を表出するセンスに溢れていて、驚嘆してしまった。
『Native』残2ステ、日曜日まで。「気づき」によるパラダイムシフトを求めてるなら、是非。

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