ナベサンこと渡辺英綱さんの『新宿ゴールデン街物語』読了。
ゴールデン街の歴史は元より、江戸から明治、戦中戦後の新宿の変遷までが網羅されていて、
この街が持つ底力を思い知ったのだけど、何より「ゴールデン街」が女の街であり、
寄る辺ない地方出身者が生きてきた街であること、故に社会との軋轢の中で積み重ねてきた
彼らの生き様が宿った場所なのだということが、ビンビン伝わってきて、堪えた。
なんと言っても【売春】の章が一番読み応えがあり、ハッとさせられること数度。
敗戦の屈辱とは、これほどまでにヒト以下の扱いを受けるのか…という感慨に、
今のオキナワの蹂躙な扱いが二重写しとなって見える。
結局のところ、この構図はアメリカ→日本→沖縄へとトリクルダウンしているに過ぎないのではないか?
この国は、どこまでもその構図をさまざまな関係に落とし込んでしまったのではないか?
…という思いに駆られるのだ。
その一節とは…こちら。
米軍兵士専用のセックス処理機関、特殊慰安施設教会(RAA=Recreation and Amusement Association)は、
日本の国家が「日本の娘を守る」ために、一億円の資金をもとに多くのプロ売春婦や、一般の日本の娘をかき集めて、
性の防波堤として設立させたものであった。
昭和20年8月17日に成立した東久邇宮内閣は、早くも翌日内務省警保局長名で進駐軍専用の慰安所設置を
全都道府県に指令、警視庁保安課は花柳界代表と具体的協議にはいった。
新日本女性に告ぐ!戦後処理の国家的緊急施設の一端として、駐屯軍慰安の大事業に参加する新日本女性の率先協力を求む!
ダンサー及び女事務員募集。年齢18歳以上25歳まで。宿舎・被服・食糧全部支給。
このように書かれた看板が、日本のいたるところにかかげられた。
半年近く女の体に触れていなかった米兵たちは、ただ、欲望に目を血走らせながら、8月28日の先遣隊の厚木到着を皮切りに、
ぞくぞくと日本に上陸してきた。かれらは段違いな軍事力と巨大な体格の印象を、精根尽き果てた日本人に見せつけた。
彼らは破壊された道路を、ジープやトラックの隊伍を組んで進んでいった。日本全土に。そんなアメリカの兵隊を、
日本の女たちは不安と恐怖と好奇心の入り混じった眼をして家の陰から覗いていた…。
そして、とうとうその日がやってきた。
8月31日、午後5時、アメリカ兵による最初の凌辱事件が勃発した。東京都新宿区目白学園女学校4年の当時17歳の生徒2名が、
新宿の人混みのなかで二台のジープに乗った6,7人の米兵に拉致され、多摩川べりまで運ばれてそこで輪姦されたのである。
米兵は自動小銃をつきつけて二人の抵抗を抑え、ついでに一人の女生徒の腕時計と現金を奪って去って行ったという。
日本での米兵の性犯罪は、もっとも獣的でハレンチで悪質な輪姦という方法によって、しかも、拉致と掠奪をともなって開始されたのであった。
糸井しげ子は「日本ムスメの防波堤」で、こういっている。
「どこの部屋からも叫び声と笑い声と、女たちの、嗚咽がきこえてきました。
それをきいていると、日本の女が、戦勝国の兵隊のジュウリンにまかせられているという気が
しみじみとしました」
「はじめにきた30人の女のひとは、その二三ヶ月の間に病気になったり、気が違ったりして、半分ほどになっていました。
しかし、その半分のひとも、現在では、きっと1人も、この世の中に残っていないと思います。それほど、酷かったのです。
まったく消耗品と言う言葉がぴったりとあてはまるひとたちでした。とても、人間だったら出来ないだろうと思われることを、
若い、何も知らない、娘さんたちがやったのです。そして、ボロ布のようになって死んで行ったのです。
あのひとたちは、ただ食べるために死んだのです」
敗戦のカオスの中で、生きる術を見失い、それでも生きていくためにカラダを擲って、「性の防波堤」に尽くした女たち。
そのような底辺の生き様が、新宿の基盤であり、ゴールデン街の発祥と深く関わっていること。
そして、そのような凌辱のシステムが、アメリカから日本へ、日本からオキナワへとトリクルダウンしていること。
敗戦後73年を超え、なお今も、そのパワーバランスは崩れることなしに堅牢な構図として、この日本社会に蔓延していること。
その現実が、「消費社会」の魔物に冒されて見えなくなってしまっているのが、今の日本人なのだと。
ゴールデン街の生き様を目に焼き付け、その事実と向き合うことからしか、日本を変えることは出来ないのだと、強く強く深く深く刻まれた本でした。
#photobybozzo
ゴールデン街の歴史は元より、江戸から明治、戦中戦後の新宿の変遷までが網羅されていて、
この街が持つ底力を思い知ったのだけど、何より「ゴールデン街」が女の街であり、
寄る辺ない地方出身者が生きてきた街であること、故に社会との軋轢の中で積み重ねてきた
彼らの生き様が宿った場所なのだということが、ビンビン伝わってきて、堪えた。
なんと言っても【売春】の章が一番読み応えがあり、ハッとさせられること数度。
敗戦の屈辱とは、これほどまでにヒト以下の扱いを受けるのか…という感慨に、
今のオキナワの蹂躙な扱いが二重写しとなって見える。
結局のところ、この構図はアメリカ→日本→沖縄へとトリクルダウンしているに過ぎないのではないか?
この国は、どこまでもその構図をさまざまな関係に落とし込んでしまったのではないか?
…という思いに駆られるのだ。
その一節とは…こちら。
米軍兵士専用のセックス処理機関、特殊慰安施設教会(RAA=Recreation and Amusement Association)は、
日本の国家が「日本の娘を守る」ために、一億円の資金をもとに多くのプロ売春婦や、一般の日本の娘をかき集めて、
性の防波堤として設立させたものであった。
昭和20年8月17日に成立した東久邇宮内閣は、早くも翌日内務省警保局長名で進駐軍専用の慰安所設置を
全都道府県に指令、警視庁保安課は花柳界代表と具体的協議にはいった。
新日本女性に告ぐ!戦後処理の国家的緊急施設の一端として、駐屯軍慰安の大事業に参加する新日本女性の率先協力を求む!
ダンサー及び女事務員募集。年齢18歳以上25歳まで。宿舎・被服・食糧全部支給。
このように書かれた看板が、日本のいたるところにかかげられた。
半年近く女の体に触れていなかった米兵たちは、ただ、欲望に目を血走らせながら、8月28日の先遣隊の厚木到着を皮切りに、
ぞくぞくと日本に上陸してきた。かれらは段違いな軍事力と巨大な体格の印象を、精根尽き果てた日本人に見せつけた。
彼らは破壊された道路を、ジープやトラックの隊伍を組んで進んでいった。日本全土に。そんなアメリカの兵隊を、
日本の女たちは不安と恐怖と好奇心の入り混じった眼をして家の陰から覗いていた…。
そして、とうとうその日がやってきた。
8月31日、午後5時、アメリカ兵による最初の凌辱事件が勃発した。東京都新宿区目白学園女学校4年の当時17歳の生徒2名が、
新宿の人混みのなかで二台のジープに乗った6,7人の米兵に拉致され、多摩川べりまで運ばれてそこで輪姦されたのである。
米兵は自動小銃をつきつけて二人の抵抗を抑え、ついでに一人の女生徒の腕時計と現金を奪って去って行ったという。
日本での米兵の性犯罪は、もっとも獣的でハレンチで悪質な輪姦という方法によって、しかも、拉致と掠奪をともなって開始されたのであった。
糸井しげ子は「日本ムスメの防波堤」で、こういっている。
「どこの部屋からも叫び声と笑い声と、女たちの、嗚咽がきこえてきました。
それをきいていると、日本の女が、戦勝国の兵隊のジュウリンにまかせられているという気が
しみじみとしました」
「はじめにきた30人の女のひとは、その二三ヶ月の間に病気になったり、気が違ったりして、半分ほどになっていました。
しかし、その半分のひとも、現在では、きっと1人も、この世の中に残っていないと思います。それほど、酷かったのです。
まったく消耗品と言う言葉がぴったりとあてはまるひとたちでした。とても、人間だったら出来ないだろうと思われることを、
若い、何も知らない、娘さんたちがやったのです。そして、ボロ布のようになって死んで行ったのです。
あのひとたちは、ただ食べるために死んだのです」
敗戦のカオスの中で、生きる術を見失い、それでも生きていくためにカラダを擲って、「性の防波堤」に尽くした女たち。
そのような底辺の生き様が、新宿の基盤であり、ゴールデン街の発祥と深く関わっていること。
そして、そのような凌辱のシステムが、アメリカから日本へ、日本からオキナワへとトリクルダウンしていること。
敗戦後73年を超え、なお今も、そのパワーバランスは崩れることなしに堅牢な構図として、この日本社会に蔓延していること。
その現実が、「消費社会」の魔物に冒されて見えなくなってしまっているのが、今の日本人なのだと。
ゴールデン街の生き様を目に焼き付け、その事実と向き合うことからしか、日本を変えることは出来ないのだと、強く強く深く深く刻まれた本でした。
#photobybozzo