#photobybozzo

沖縄→東京→竹野と流転する、bozzoの日々。

【UNITE!NIPPON】小倉ヒラク

2012-04-07 | UNITE!NIPPON
久々の再会で、「++セッション」について話を聞いた。

『++セッション』とは、
●地域の文化と風土を豊かにする仕事
●400年後の未来をつくる仕事   
●マイナスの状況をプラスに変える仕事
を導く地域に密着した起業講座。

およそ3時間の討議から
思ってもみなかったアイディアがカタチになる
…そんな目からウロコのトークセッション。

ひとりひとりの潜在意識を引き出して
チームのチカラでアイディアの推進力を高めていく。

被災地宮城県や子どもたちとのセッションを重ねて
ヒラク自体もその討議進行にひとつの手応えを得た。

ニッポンには人と人とのコミュニケーションで
「会話する(共有)」「議論する(決定)」の場は在るけれども、
「対話する(理解)」の場は圧倒的に少ないのではないか。

お互いを理解すれば、建設的な話の展開も生まれるだろうに、
戦後のニッポンはワンウェイな教育方法(教師と生徒)を取ってきたために、
ひとりひとりが相手の意見を租借しながら己の意見をカタチづけることができない。

議論をすると「勝ち負け」にしか考えが及ばないから、けんか腰になり、
平行線を辿ったまま、いつまでも議論が進行しない…そんな話し合いばかり。

「++セッション」によってヒラクは「対話する」ことの方法論を得た。

どんなにお互いがかみ合わない相手でも、
「++」の枠組みに乗っかってしまえば、
「対話」が成立する。

そんな夢のような仕組みが確立されようとしている。

自己内省化に陥りがちな思考方法を取っ払い、
とことん己を空っぽにし、外に目を向けさせる方法で、
結果として相手の立場や思考を理解することになる。

目の付け所が、ホントに面白い。

震災以後、被災地の復興にも計画から入り込み、
想像以上の利権争いに巻き込まれ、頓挫を繰り返していく
ニッポンの思考の枠組みに「終わってる」と実感。

考え方をシフトするには、どうすればよいか…
…と日夜思いを巡らせて辿り着いたのが「対話」の方法論だとか。

この方法をとれば、雁字搦めに抱え込んだそれぞれの利権や既得権、
立場や人間関係を顧みることなく、己の持ったポテンシャルを最大限に引き出すことができる。

震災で露呈した問題が1年たった今でも指針を示せずにいるのは、
まさにこういった「しがらみ」があるから。

「対話」し、「理解」をすることで、より高次な目線で物事を語り合える。

今本当に必要としているのは、このような思考のシフトなのだ。
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【apr_06】friends after 3.11

2012-04-07 | BOOKS&MOVIES
岩井俊二監督「friends after 3.11」を観に行く。

出演者のコメントが濃い。

総勢18名のそれぞれの立場で、
震災後のニッポンの現状について語っているのだけど、
映画は当然時間が限られているから、
「かいつまんで」見せるしかない。

それでもひとりひとりの存在から立ち上がってくる
auraというものが映像にはちゃんと描かれていて、
言葉の重み以上に、そのひとが持つ「存在意義」に観る者は心打たれる。

ひとりひとりは貴い存在。
だから、自分の出来ること、
信じるコトを推進している。

18人はそれぞれ、
この大震災で、
雷に打たれて開眼した人たちだ。

だから、観る側は勇気づけられる。

「おかしい」と思うことを「おかしい」と言ってくれる存在。

その当たり前なコトが、
くだらない「しがらみ」で言えない現実。

その通底を脅かすものは「カネ」だと、実感した。

「カネ」によって社会全体が動かされているから、
「カネ」の損得が真っ先にアタマに浮かぶ世の中だから、
「カネ」を得るための振る舞いを覚える。

脱原発の宣言をした城南信用金庫の吉原頭取は語る。

「損得なしに企業は成り立つんですか?という質問をマスコミから良くされるのだけど、
 会社は損得より先に「こころざし」ありきじゃないんですか?と言いたいのです」

「会社は社会に対しての「こころざし」があって設立されるもの。
 カネ勘定を第一に考え、損得で動くこと自体、もうすでに「カネ」に毒されているのです」

あああ、嘆かわしき現代社会。

いまやキッザニアで子供時分から「カネ」の扱いばかりに目が行っている世の中だ。
なによりも先に「カネ」の皮算用でそろばんをはじく思考回路になっている。

「カネ」よりも「こころざし」だと、頭取が語るこの理屈こそが「本当」なのに。

ボタンのかけ違えどころか、
敗戦国家ニッポンは、
カネに目がくらんでしまうほど
心に余裕がない貧小な国家だったのだ。

今からでも遅くはない。
悔い改めて、その煩悩を捨て、
「こころざし」を育てよ。






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【apr_06】渋谷ハチ公前

2012-04-07 | TOKYO
ハチ公前もサクラが見頃。
気持ちよい青空、でも風は冷たし。
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【UNITE!NIPPON】森英嗣

2012-04-05 | UNITE!NIPPON
ハヤサキスタジオ時代の大先輩、澤田さんのスタジオにお邪魔。

東京に来た当初、あいさつに伺って以来なので、2年ぶり。
芝公園のスタジオは高速道路の脇だから、視界を遮る建物がなく、東京タワーが足下から見える。

今日みたいな晴天にはもってこいのロケーション。
そびえ立つ333mをしばし眺める。

近況の報告ついでにUNITE!NIPPONもやってもらおうと
意気込んで来たのだけど、あっさり断られて、
「オレが撮ってやるよ」と被写体になってしまった。

     「それでも働きかける」

パラダイムシフトへ向けた信念を地道に貫くって意味と、
被災地へそれでも働きかけるって意味と。

澤田さんには残念ながら賛同を得られなかったけれど、
ひとりひとりがニッポンの未来を意識すれば、
おのずと道はオルタナティブな方向へ向かうはず…なのだ。

デジタル一辺倒で、世の中どんどん薄っぺらくなってきた…と
お互いの話は写真から音楽、芸能といろいろ広がったのだけど、

便利さを追い求めて、人間の手間を省くほうへ進んでしまった結果、
素人でも写真が撮れるようになり、表現の幅も薄っぺらくなってしまった。
プロフェッショナルが育たない環境が、今の世の中だ。

でもその反動も多分にあって、確実に潮流は二派に分かれる。
スピードを追い求めるデジタル至上主義と、
手間暇かけてスローに仕上げるアナログ至上主義と。

振り返ってみれば、ボクの被写体はすべてアナログ至上主義だ。
ダンスも音楽も、演劇も、人間の五感に訴えかける表現だ。

五感が鋭敏でなければ、表現者の意図もくみ取れない。

だからじっくり被写体に対峙し、五感を研ぎ澄ます。
人間と人間の直截的な接触。パソコンを介さないナマの接触。

ボクは無骨に「それでも働きかける」だろう。
眠ってしまったデジタル人間の感性に。
「生きている」ナマの接触こそ、真実だと。







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【apr_03】琉球銀行

2012-04-03 | OKINAWA
オキナワネタ3連チャン。

帰りに琉球銀行東京支店に立ち寄り、
口座解約の手続き。

神田の空に浮かぶ「琉球銀行」の文字に、
なんとも言えない郷愁の気持ちが覗く。

6月に来沖計画中。
本島北部の琉球蛍を観に。
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【UNITE!NIPPON】中川大祐

2012-04-03 | UNITE!NIPPON
今日04/03から新宿NikonSalonにて開かれている
中川大祐写真展「Hotel Rycom」(9日まで)

初日の様子を伺いにオープン間もないギャラリーに直撃した。


           Hotel Rycom

  ひなびたホテルの一室で向かい合った、女たちのカラダには
  その生き様や歴史が、痕跡となって刻まれていた。

  傷、妊娠線、皺や刺青がそれぞれの葛藤や時間、覚悟などの
  思いを物語る。

  対話の中で清く楽しくという部分とは対極にある、傷つき苦しむ
  といった身悶えする感情に苛まれることも、それもまた一つの
  人間らしい姿であると再認識させられるようになりました。

  そして何よりそれぞれの歴史を伴い、痕跡が刻まれていった
  肉体やその雰囲気の中に、圧倒的な人間美や存在美を見出して
  いくようになったのです。

                          中川大祐

   Rycom=Ryukyu Command(在琉球米軍司令部)
   沖縄県北中城村に米国による統治時代、かつての在琉球米軍
   司令部があったとされ、現在も地名としてその名残を残し
   「ライカム」と呼ばれる場所がある。


ライカムという地名がRyukyu Commandから来ているということを
今知ったことの衝撃。12年も沖縄に居て、こんな大事なことを今知った。

そして、その苛まれた歴史を持つ沖縄という土地を
そのまま己の肉体で体現した女性たちのヌード写真に、

40年という月日に絡まる「敗戦国」ニッポンと「戦勝国」アメリカの構図、
さらには「隷属県」オキナワと「統治国家」ニッポンとの構図が、
ドボッドボッと噴き出してきて、あらためてオキナワという類い希な地におののく。

中川大祐は「対話」によって、その痕跡を引き出し、一枚一枚写真に収めていった。

その根気と真摯な眼差しが、結果としてオキナワの女たちらしい
奔放なヌード写真につながっている。

結実した「Hotel Rycom」は復帰40年のドキュメントとしても
オキナワを語る財産として永代受け継がれるべきモノとなるだろう。

素晴らしい仕事だよ、中川くん。







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【apr_01】運命の人

2012-04-02 | OKINAWA
2週遅れで昨日、「運命の人」最終話を観る。

「沖縄の現状がニッポンの縮図だ」劇中、弓成亮太が語る言葉だ。

沖縄返還に伴うアメリカとの密約問題を突き詰めた新聞記者が、
政府のパワハラにより、見事なほどの転覆に貶められる。

正直見終わって、ニッポンは戦後をいまだに引き摺っていると感じた。
アメリカ受容の歴史を戦後67年たった今も、断ち切れないでいる…と。

「アメリカンドリーム」という名の、富と名声への希求をモデルケースとして植え付けられ、
資本を増やすことこそが貴い行為であるがごとくの拝金主義をひた走ってきたニッポン。

その背後には軍事産業を「エンジン」に、戦争を「燃料」に
ピューリタニズムを掲げたアメリカ式正義_アメリカ式経済至上主義_の横行があった。

実に全世界の軍事費総額の半分もの費用を、アメリカは毎年国家武装に当て、
しかもその資金繰りの大半を国債に頼り、主に中国とニッポンが肩代わりしている。
67兆円もの米国債をニッポンは背負い込んでいるのだ。その額は優に、国家予算を超えている。

アメリカが沖縄から基地を撤退出来ない理由といえば、
基地の維持費をニッポンが「思いやり予算」で工面しているからとも言えるのだ。

どこまでも歪んだ日米協力体制。
すでに世界の均衡が大きく傾いている。
(そんな状況下での消費税増税問題。またも本質を見失った「やり過ごし」である)

それでもニッポンは「敗戦国」として、
ここまで「戦勝国」の顔色をうかがい、
生きてゆかなければならないのか。

…いや、ボクはそうは思わない。

戦後からずっっっっと、ニッポンは核心を避けて、うやむやでやり過ごす政策に終始してきた。

「運命の人」の密約問題が2012年現在もハッキリと明言されることなく、
うやむやとやり過ごされていることからも、それは明らかな話だ。

日本軍が沖縄県民に対して行った集団自決強要の是非を問う教科書問題にしても、
その核心には触れずに、結局やり過ごされてしまった。

巷で騒がれている原発問題もしかり。ニッポン政府はいまだに結論を回避し、
時間稼ぎをして、フクシマの今後を先送りしようとしている。

いったいニッポンはどうなってしまったのだろう。
(これは国民ひとりひとりが選んだ政府なのだ)

敗戦でここまで卑屈な国民性になったしまったのか?
破綻を来した「アメリカンドリーム」に、富と名声にそれでもこだわり、
パラダイムシフト出来ずに、沈没していく国ニッポン。

アメリカ式正義の経済至上主義に洗脳され、
お金を稼ぐことが目的化してしまったニッポン。

お金は稼ぐモノではなく、利用するモノ。
何処まで行っても手段でしかない。
そこにひとりひとりが早く気づくべきなのだ。

「運命の人」の投げかけた諸問題は、決して他人事ではない。
国民ひとりひとりが、しっかりと向き合って行かなければならない。

311以後の迷走するニッポンに、ニッポン人に、
TBSは大きな問題提起を投げかけたと思う。


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