緑にくっきりと浮かぶ日の丸。
この求心的な光景を、どう捉える?
なぜか日の丸には、強烈な求心力を感じてしまう。
的に通じる意匠だからか?
それだけではあるまい。
日本帝国という亡霊が常に彷徨っているからではないか?
日本が敗戦を無きモノにしようとすればするほど、
犬死にした何百万もの兵卒たちが、忿怒の思いで立ち上がるからではないか?
彼らは俘虜は帰ったら殺すという陸海軍刑法の明文があると思っていた。
これは彼らが受けた玉粋主義の教育と、軍隊内の経験に基づいた空想であるが、
人はやはりこういう予想の下に生き得るものではない。
だから彼らは何らかの特別な赦免が行われるはずだと信じていた。
上海事変の俘虜が満州に集団労働に送られたという噂が一般に信ぜられ、
彼らもまた同じ運命を辿るものと考えていた。そしてそこで二三年の贖罪を済ませた後、
自分たちもまた社会に容れられるであろうと期待していた。
(中略)
すべてこうした日本人が戦争という現実に示した反応は、
今日単に「バカだった」と考えられている。
しかし自分の過去の真実を否定することほど、今日の自分を愚かにするものはない。
(「俘虜記」大岡昇平著 )
日本の戦後は、まだ終わっていない。
この求心的な光景を、どう捉える?
なぜか日の丸には、強烈な求心力を感じてしまう。
的に通じる意匠だからか?
それだけではあるまい。
日本帝国という亡霊が常に彷徨っているからではないか?
日本が敗戦を無きモノにしようとすればするほど、
犬死にした何百万もの兵卒たちが、忿怒の思いで立ち上がるからではないか?
彼らは俘虜は帰ったら殺すという陸海軍刑法の明文があると思っていた。
これは彼らが受けた玉粋主義の教育と、軍隊内の経験に基づいた空想であるが、
人はやはりこういう予想の下に生き得るものではない。
だから彼らは何らかの特別な赦免が行われるはずだと信じていた。
上海事変の俘虜が満州に集団労働に送られたという噂が一般に信ぜられ、
彼らもまた同じ運命を辿るものと考えていた。そしてそこで二三年の贖罪を済ませた後、
自分たちもまた社会に容れられるであろうと期待していた。
(中略)
すべてこうした日本人が戦争という現実に示した反応は、
今日単に「バカだった」と考えられている。
しかし自分の過去の真実を否定することほど、今日の自分を愚かにするものはない。
(「俘虜記」大岡昇平著 )
日本の戦後は、まだ終わっていない。
CINEMAdubMONKS
「音と布、光と料理の大サーカス展 三夜連続公演 at 青山CAY」
イベントがイベントなだけに、取り巻きも多く、実現までのプレッシャーは相当なものなのだろう…と推し量ることができるのだけど、
身内の立場から見たら、「ダイホ、これはM&Aなのか?」と問いかけたくなるほど、資本主義経済における企業の合併&買収を体現した催しに見えた。
この譬えはわかりづらいか。
では、震災の現場を体感していないがゆえのバブルの饗乱とでも言おうか。
何かを隠蔽しようと、合併と買収を繰り返す資本主義経済における企業は、
その根源…本質を見極める顧みることなく、ただひたすら前へ前へと邁進成長していくのみ…だ。
成長こそが価値。バブル経済とは、まさにそのような愚鈍の有り様だと、思う。
震災によって痛手を負った多くの人たちは、そのハリボテな社会構造に踊らされていた己を恥ずかしく思い、
人間の本質を見極めるべく、ソリッドな生き様を模索している。
そぎ落とし、シンプルに、ごまかすことなく、さらけ出す。
ボクがダンスに人間の本質を見出したのは、まさにそのような思考の道程からだ。
身体ひとつで、すべてと対峙する。その、さらけ出して尚も美しい人間を記録したいと思ったから。
「ダイホ、そろそろ身一つで音楽と向き合ってみるべきでは…ないか?」
楽器もひとつに絞って、ソロワークから始める。
振り返ってみたときに、自分の音楽が、そこに、…存る。
そういった本質を、求めていたのでは…?
2003年のバルセロナのClubにおいて、100人を超えるスペイン人相手に
たった独り、音楽と、己と、対話していたダイホ。あそこには、キミの音楽があった。
そぎ落とした、その音楽を、ボクは今一度聴きたい…と思う。
「音と布、光と料理の大サーカス展 三夜連続公演 at 青山CAY」
イベントがイベントなだけに、取り巻きも多く、実現までのプレッシャーは相当なものなのだろう…と推し量ることができるのだけど、
身内の立場から見たら、「ダイホ、これはM&Aなのか?」と問いかけたくなるほど、資本主義経済における企業の合併&買収を体現した催しに見えた。
この譬えはわかりづらいか。
では、震災の現場を体感していないがゆえのバブルの饗乱とでも言おうか。
何かを隠蔽しようと、合併と買収を繰り返す資本主義経済における企業は、
その根源…本質を見極める顧みることなく、ただひたすら前へ前へと邁進成長していくのみ…だ。
成長こそが価値。バブル経済とは、まさにそのような愚鈍の有り様だと、思う。
震災によって痛手を負った多くの人たちは、そのハリボテな社会構造に踊らされていた己を恥ずかしく思い、
人間の本質を見極めるべく、ソリッドな生き様を模索している。
そぎ落とし、シンプルに、ごまかすことなく、さらけ出す。
ボクがダンスに人間の本質を見出したのは、まさにそのような思考の道程からだ。
身体ひとつで、すべてと対峙する。その、さらけ出して尚も美しい人間を記録したいと思ったから。
「ダイホ、そろそろ身一つで音楽と向き合ってみるべきでは…ないか?」
楽器もひとつに絞って、ソロワークから始める。
振り返ってみたときに、自分の音楽が、そこに、…存る。
そういった本質を、求めていたのでは…?
2003年のバルセロナのClubにおいて、100人を超えるスペイン人相手に
たった独り、音楽と、己と、対話していたダイホ。あそこには、キミの音楽があった。
そぎ落とした、その音楽を、ボクは今一度聴きたい…と思う。
迎賓館赤坂離宮の入り口に輝く「五七桐」。
結局、この国の権力は、豊臣秀吉、徳川家康の時代から、
明治政府を経て、大東亜戦争を間にはさみ、敗戦の恥辱を味わうも、
その後68年経った今も、400年以上変わらぬまま続いてきたのだ…と、愕然となった。
権力サイドの人間は、この400年、一度も苦汁をなめずに連綿と生きてきた…のが、この国の実体なのだ。
つまり、一度も「革命」は起きなかった。
被権力サイドの人間は、もはや抑圧されることになんの疑問も持たなくなってしまった。
前者について屡々提出される疑問とは、8月15日の終戦が立憲君主の制約を超えたいわゆる聖断によって決定されたとすれば、
遡ってなぜ12月8日にも天皇は戦争回避の決定をなさなかったのかというものである。
これは素朴ながらも打ち消しがたい疑問であり、したがって天皇に責任なしとする論者がいかに雄弁に論証を重ねようとも、
結局ぬぐい去ることのできない黒点として残っている。
さらに、この疑問の底には、いかに天皇が立憲君主制の枠内に留まり、機関説的であったにせよ、
道義的責任はないのか…という疑念を潜在させている。この点で、前者、天皇の戦争責任否定論はあまりにも政治的であり、
人々の抱く道義的感情を満足させることはできない。なぜならあらゆる論証以前に、多くの人をとらえる一つの実感があった。
それは、日本人はただ天皇の名の下においてのみ闘い、かつ死んでいったからである。前者の論理一切はここにおいて崩れ去る。
(「日本人」の戦争 河原宏著)
“日本人はただ天皇の名の下においてのみ闘い、かつ死んでいった”
このような恥辱陵辱を受けながらも、現在の安倍政権は4月28日を「主権回復の日」として、「天皇陛下萬歳!」と諸手を挙げて三唱した。
400年前から今まで、一度たりとも権力被権力の構図構造が変わらなかったことをこの事実は露呈している。
この国は、権力に溺れ驕り高ぶったヤカラの末裔が、いまも厚顔無恥にふんぞり返っている国なのだ。
『すべての真の歴史は現代史である』 by イタリアの歴史哲学者 ベネデット・クローチェ
人間は現代を生きるために過去を観る。すべて歴史は現代人が現代の眼で過去をみて書いた現代の反映物だから、
すべての歴史は現代史の一部といえる。歴史はその時代の精神を表現したもの、生きる人間のものではないか。
(11/09朝日新聞 磯田道史の備える歴史学より)
ボクが震災以降執拗に日本の歴史を繙いているのは、結局のところ、この言葉に集約される。
『すべての真の歴史は現代史である』
…天皇の歴史も、敗戦後のねじれた日本の歴史も、すべては現代の権力者たちにとって都合よく描かれた
現代史でしかないのだ。我々が学んできた日本の歴史とは、この400年間、一面的に描かれてきた贋物なのだ。
そのことをしかと肝に銘じていただきたい。
紀州徳川家から譲り受けた土地に、鹿鳴館などを設計したお雇い外国人建築家ジョサイア・コンドルが建てた、究極の模倣建築“迎賓館赤坂離宮”。
こんなものを有り難く参拝している多くの日本人の気が知れない。
我々に「革命」は無縁なのか?
我々は今後も未来永劫、この欺瞞に溢れた恥辱陵辱権力体系を下支えしていくのだろうか?
(天皇は)既に最悪の時の御決心がある様拝察し奉る。
それで、申すのも畏れ多いが、その際は単に御退位ばかりでなく、
仁和寺或いは大覚寺に御入り被遊ばれ、戦没将兵の英霊を供養被遊ばれるのも一法だと思ってゐる。
僕も勿論其の時は御供する。
1945年1月6日、敗戦を予期し、細川護貞に近衛文麿が語った内容。(「日本人」の戦争…より)
これはつまり、敗戦後の天皇の責任の取り方を道義的に文麿が検討した話である。
敗戦後、裕仁が頭を丸めて仏門に入っていれば、今のような欺瞞国家にはなり得なかったのではないか。
『すべての真の歴史は現代史である』
この国が根本的に間違っているのは、連綿と権力サイドが引き継がれている…この一点にある。
結局、この国の権力は、豊臣秀吉、徳川家康の時代から、
明治政府を経て、大東亜戦争を間にはさみ、敗戦の恥辱を味わうも、
その後68年経った今も、400年以上変わらぬまま続いてきたのだ…と、愕然となった。
権力サイドの人間は、この400年、一度も苦汁をなめずに連綿と生きてきた…のが、この国の実体なのだ。
つまり、一度も「革命」は起きなかった。
被権力サイドの人間は、もはや抑圧されることになんの疑問も持たなくなってしまった。
前者について屡々提出される疑問とは、8月15日の終戦が立憲君主の制約を超えたいわゆる聖断によって決定されたとすれば、
遡ってなぜ12月8日にも天皇は戦争回避の決定をなさなかったのかというものである。
これは素朴ながらも打ち消しがたい疑問であり、したがって天皇に責任なしとする論者がいかに雄弁に論証を重ねようとも、
結局ぬぐい去ることのできない黒点として残っている。
さらに、この疑問の底には、いかに天皇が立憲君主制の枠内に留まり、機関説的であったにせよ、
道義的責任はないのか…という疑念を潜在させている。この点で、前者、天皇の戦争責任否定論はあまりにも政治的であり、
人々の抱く道義的感情を満足させることはできない。なぜならあらゆる論証以前に、多くの人をとらえる一つの実感があった。
それは、日本人はただ天皇の名の下においてのみ闘い、かつ死んでいったからである。前者の論理一切はここにおいて崩れ去る。
(「日本人」の戦争 河原宏著)
“日本人はただ天皇の名の下においてのみ闘い、かつ死んでいった”
このような恥辱陵辱を受けながらも、現在の安倍政権は4月28日を「主権回復の日」として、「天皇陛下萬歳!」と諸手を挙げて三唱した。
400年前から今まで、一度たりとも権力被権力の構図構造が変わらなかったことをこの事実は露呈している。
この国は、権力に溺れ驕り高ぶったヤカラの末裔が、いまも厚顔無恥にふんぞり返っている国なのだ。
『すべての真の歴史は現代史である』 by イタリアの歴史哲学者 ベネデット・クローチェ
人間は現代を生きるために過去を観る。すべて歴史は現代人が現代の眼で過去をみて書いた現代の反映物だから、
すべての歴史は現代史の一部といえる。歴史はその時代の精神を表現したもの、生きる人間のものではないか。
(11/09朝日新聞 磯田道史の備える歴史学より)
ボクが震災以降執拗に日本の歴史を繙いているのは、結局のところ、この言葉に集約される。
『すべての真の歴史は現代史である』
…天皇の歴史も、敗戦後のねじれた日本の歴史も、すべては現代の権力者たちにとって都合よく描かれた
現代史でしかないのだ。我々が学んできた日本の歴史とは、この400年間、一面的に描かれてきた贋物なのだ。
そのことをしかと肝に銘じていただきたい。
紀州徳川家から譲り受けた土地に、鹿鳴館などを設計したお雇い外国人建築家ジョサイア・コンドルが建てた、究極の模倣建築“迎賓館赤坂離宮”。
こんなものを有り難く参拝している多くの日本人の気が知れない。
我々に「革命」は無縁なのか?
我々は今後も未来永劫、この欺瞞に溢れた恥辱陵辱権力体系を下支えしていくのだろうか?
(天皇は)既に最悪の時の御決心がある様拝察し奉る。
それで、申すのも畏れ多いが、その際は単に御退位ばかりでなく、
仁和寺或いは大覚寺に御入り被遊ばれ、戦没将兵の英霊を供養被遊ばれるのも一法だと思ってゐる。
僕も勿論其の時は御供する。
1945年1月6日、敗戦を予期し、細川護貞に近衛文麿が語った内容。(「日本人」の戦争…より)
これはつまり、敗戦後の天皇の責任の取り方を道義的に文麿が検討した話である。
敗戦後、裕仁が頭を丸めて仏門に入っていれば、今のような欺瞞国家にはなり得なかったのではないか。
『すべての真の歴史は現代史である』
この国が根本的に間違っているのは、連綿と権力サイドが引き継がれている…この一点にある。
紀尾井ホールの撮影で四谷へ。
会場の向かいが「ホテルニューオータニ」。
こんなことでもないと足を踏み入れないだろう…と、
ホテル内を見学。
それで、知った。
ホテルニューオータニは、
東京五輪決定後の1962年、外国の要人を招き入れるホテルが必要との政府の要請を受けて
大谷重工業の大谷米太郎が、海外の著名ホテルに倣い、技術の粋を結集して建てたホテルだと。
なるほど、見れば見るほど、模倣建築。
古き佳きニッポンの伝統など、どこにも見当たらない。
それはそうだろう。
このホテルは、外国の要人に対して
ニッポンの国力を誇示するのを目的としたホテルなのだから。
敗戦後のニッポンにおいて、
20年という歳月を経て、ここまでのし上がってきたぞ…と
世界に知らしめることが、東京五輪の目的であったのだから。
万国旗が白々しい。
会場の向かいが「ホテルニューオータニ」。
こんなことでもないと足を踏み入れないだろう…と、
ホテル内を見学。
それで、知った。
ホテルニューオータニは、
東京五輪決定後の1962年、外国の要人を招き入れるホテルが必要との政府の要請を受けて
大谷重工業の大谷米太郎が、海外の著名ホテルに倣い、技術の粋を結集して建てたホテルだと。
なるほど、見れば見るほど、模倣建築。
古き佳きニッポンの伝統など、どこにも見当たらない。
それはそうだろう。
このホテルは、外国の要人に対して
ニッポンの国力を誇示するのを目的としたホテルなのだから。
敗戦後のニッポンにおいて、
20年という歳月を経て、ここまでのし上がってきたぞ…と
世界に知らしめることが、東京五輪の目的であったのだから。
万国旗が白々しい。
青年団公演
「もう風も吹かない」
作・演出:平田オリザ
1ドル420円という日本政府の財政破綻によって、JICA海外青年協力隊の活動停止が決定…という状況の中、
最後の派遣隊員となる青年たちの訓練所におけるその侘しく切なく不安満載の生活を描くことで、
人間が人間を助けることの可能性と本質を探る青春群像劇。
2003年の初演では演じるほうも観るほうも、202X年という設定を楽しむ余裕もあったと思うけど、
8年ぶりの現代におけるその舞台はリアルに地続きで、
その諦観・絶望感は終演後の舞台と客席とで暫くの間、救われない空気として停滞するものがあった。
初演時のオリザの言葉が、ずっしりとのしかかる。
私は、ここ10年ほど、日本は滅びるという妄想に取り憑かれ、そのような作品ばかりを多く書いている。
海外での仕事が増えるにつれ、この妄想は、ほとんど確信へとかわり、
今年は、「南島俘虜記」「もう風も吹かない」と、共に、行き場の無い日本を描く作品を書くに至った。
学生には授業でも言い続けてきたことだが、この滅びの時にあたって、私たちが考えなければならないことが二つある。
一つは、先回の大日本帝国の滅亡の時のように他国に迷惑をかけることなく、
どうにか潔く滅びることはできないものかということ。このことは、珍しく、今回の戯曲の中にもセリフとして書いた。
もう一つは、たとえ日本国が滅びても、私たち一人ひとりも、その一人ひとりが形成する地域の文化も、
国家の巻き添えになって滅びる必要は露ほどもない…ということだ。
経済と物質を唯一至上の価値とするようなこの国は滅びてしまってかまわない。
人の心を一つの型に押し込み、そこから外れたものを汚物のように忌み嫌うような社会は、滅びてしまってかまわない。
演劇を作るという行為を通じて、個々人が自分の頭と心と身体で、何かを感じ取り、考え続けること。
そして、そこから得た結果を自分の判断として、責任を持って他者に向かって表現していくこと。
その表現の孤独に耐えること。私が大学で教えられることがあるとすれば、たぶん、そんなことくらいだろう。
【キミの将来のことは、ボクには関係ない】…と教え子の藤田貴大氏は学生時代オリザさんに言われたらしいが、
この「もう風も吹かない」に描かれている海外青年協力隊訓練生たちも、国から見放される…という絶望感の中でも、
海外に赴きコトを成し遂げようとする前向きさでもって、前途を果敢に切り開こうとしている。
2013年という絶望的な時代の中にあっても、個々人が自分の頭と心と身体で、何かを感じ取り、考え続けること。
一人ひとりが己の孤独に対峙すること。足元をしっかりと固める行為が連なって初めて、
「滅びゆく国家」を転覆させ再生させる底力へとつながるのではないか…と、思いを新たにした公演だった。
追加公演あり。席まだまだ余裕あるようです。ぜひ!
「もう風も吹かない」
作・演出:平田オリザ
1ドル420円という日本政府の財政破綻によって、JICA海外青年協力隊の活動停止が決定…という状況の中、
最後の派遣隊員となる青年たちの訓練所におけるその侘しく切なく不安満載の生活を描くことで、
人間が人間を助けることの可能性と本質を探る青春群像劇。
2003年の初演では演じるほうも観るほうも、202X年という設定を楽しむ余裕もあったと思うけど、
8年ぶりの現代におけるその舞台はリアルに地続きで、
その諦観・絶望感は終演後の舞台と客席とで暫くの間、救われない空気として停滞するものがあった。
初演時のオリザの言葉が、ずっしりとのしかかる。
私は、ここ10年ほど、日本は滅びるという妄想に取り憑かれ、そのような作品ばかりを多く書いている。
海外での仕事が増えるにつれ、この妄想は、ほとんど確信へとかわり、
今年は、「南島俘虜記」「もう風も吹かない」と、共に、行き場の無い日本を描く作品を書くに至った。
学生には授業でも言い続けてきたことだが、この滅びの時にあたって、私たちが考えなければならないことが二つある。
一つは、先回の大日本帝国の滅亡の時のように他国に迷惑をかけることなく、
どうにか潔く滅びることはできないものかということ。このことは、珍しく、今回の戯曲の中にもセリフとして書いた。
もう一つは、たとえ日本国が滅びても、私たち一人ひとりも、その一人ひとりが形成する地域の文化も、
国家の巻き添えになって滅びる必要は露ほどもない…ということだ。
経済と物質を唯一至上の価値とするようなこの国は滅びてしまってかまわない。
人の心を一つの型に押し込み、そこから外れたものを汚物のように忌み嫌うような社会は、滅びてしまってかまわない。
演劇を作るという行為を通じて、個々人が自分の頭と心と身体で、何かを感じ取り、考え続けること。
そして、そこから得た結果を自分の判断として、責任を持って他者に向かって表現していくこと。
その表現の孤独に耐えること。私が大学で教えられることがあるとすれば、たぶん、そんなことくらいだろう。
【キミの将来のことは、ボクには関係ない】…と教え子の藤田貴大氏は学生時代オリザさんに言われたらしいが、
この「もう風も吹かない」に描かれている海外青年協力隊訓練生たちも、国から見放される…という絶望感の中でも、
海外に赴きコトを成し遂げようとする前向きさでもって、前途を果敢に切り開こうとしている。
2013年という絶望的な時代の中にあっても、個々人が自分の頭と心と身体で、何かを感じ取り、考え続けること。
一人ひとりが己の孤独に対峙すること。足元をしっかりと固める行為が連なって初めて、
「滅びゆく国家」を転覆させ再生させる底力へとつながるのではないか…と、思いを新たにした公演だった。
追加公演あり。席まだまだ余裕あるようです。ぜひ!