札幌・北海道のレトロ建物大好きおぢさん日記

札幌(北海道)のレトロでモダンな建物を見たり撮影するのを趣味としています。

木造校舎・廃校 石狩市の閉校② ※2校を追加しました

2023-06-14 12:19:45 | 木造校舎・廃校

石狩市は1996年(平成8年)に市政施行 石狩市となる
この時点での各町村を石狩市として記載します。

また2005年(平成17年)の市町村合併により、厚田村、浜益村が統合されたが
両村は別枠で記載します。

石狩市の閉校(小学校) 赤字はレポート済 緑字は今回レポート

  • 石狩市立若葉小学校(2010年紅葉山小と統合し石狩市立双葉小学校へ)※新学校校舎活用
  • 石狩市立紅葉山小学校(2010年若葉小と統合し双葉小へ)※石狩市公民館『学び交流センター』
  • 石狩市立石狩小学校(2020年八幡小と統合し石狩市石狩八幡小学校へ)
  • 石狩市立八幡小学校(2020年石狩小と統合し石狩八幡小へ)
  • 石狩町立樽川小学校(1949年石狩市立花川小学校〈当時:石狩町立〉へ統合)
  • 石狩町立若生小学校(1951年発泉小と統合し石狩東小へ)
  • 石狩町立発泉小学校(1951年若生小と統合し石狩東小へ)
  • 石狩町立参泉小学校(1953年石狩市立生振小学校〈当時:石狩町立〉へ統合)
  • 石狩町立八の沢小学校(1962年五の沢小へ統合)
  • 石狩町立志美小学校(1978年花川小へ統合)
  • 石狩町立五の沢小学校(1982年)
  • 石狩町立石狩東小学校(1989年統合により八幡小へ)
  • 石狩町立高岡小学校(同上)
  • 石狩町立美登位小学校(同上)

中学校

  • 石狩町立樽川中学校〈旧〉(1973年)
  • 石狩町立石狩中学校〈旧〉(1980年統合により石狩市立石狩中学校〈当時:石狩町立〉へ)
  • 石狩町立高岡中学校(同上)
  • 石狩町立生振中学校(同上)

 

 

「旧石狩市立八幡小学校」

 

開校:平成元(1989)年
閉校:令和2(2020)年 
校舎:平成元(1989)年

石狩市八幡4丁目167

 

 

旧八幡小学校は旧石狩東、旧高岡、旧美登位の3小学校を閉校統合し
出来た小学校であった。
また平成7年には増築工事も竣工している。

平成の幕開けに開校した統合校舎は中央部分が特異であり個性がある
正面からもグラウンド側からも望むことが出来る。

正面玄関の先頭の柱はモアイ像を似せて作っておりユニークだ
校庭にはキティちゃんの石像もある。

 

こうした個性ある学校が今度は「旧石狩小学校」と令和2年に統合することになった。

校舎は当然のように八幡小学校を活用するが旧石狩小学校の円形校舎も捨てがたい。

ただやはり児童数の減少と校舎の老朽化により閉校となり
新たに「石狩八幡小学校」として両校の名前をとり再出発をした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2023年5月撮影

 

 

 

「旧石狩町立参泉小学校」

 

開校:1902(明治35)年
閉校:昭和28(1953)年 
校舎:1902(明治35)年

石狩市生振061

 


※旧石狩町史より

 

石狩市の閉校①では旧参泉小学校を軽く触れたが、その後の調査でもう少し判ってきた。

昭和28年に生振小学校と統合し、こちらの校舎は取り壊された
だが門柱とプレートだけは生振小学校に移築されている。

では校舎はどこにあったかというと、現在は同窓生一同により「参泉小学校跡 愛郷」の石碑が建てられた
グーグルマップでは近くに「赤だもの一本木記念保護樹木」のマークがあり
当時から住民や学校のシンボルツリーであったようだ。

石狩市農業協同組合農業倉庫の横に石碑がポツンと立っている
そのおかげで昔は本当にここに学校があったんだなぁと余計に思えるものだ。

 

 

 

 

 

 


2023年5月撮影

 

 

 

「旧石狩町立樽川小中学校」

 

開校:明治30(1897)年 中学:昭和23(1948)年
閉校:昭和48(1973)年 
校舎:昭和17(1942)年増改築

小樽市銭函5丁目

 

樽川というのは地名でアイヌ語の「オタオルナイ」に由来している
明治40年に石狩町(当時)と合併し石狩町樽川村となった
農業を中心として畜産業もあったという。


場所は現在の新川通を真っすぐ北上し、右に石狩新港、左に小樽へと分岐する225号線 そこを海へと向かう未舗装の直進道路があるのでまっすぐ進み、海まで出るとそこから海沿いに新港方向へ開拓されたのが樽川地区だ。

現地には「オタナイ発祥之地碑」がある。


村には、まず小学校が開設された
その後、昭和の戦後に石狩町で中学校が新設されることとなったが
樽川地区の子供は花川中学へ通学させることになった。

花川までは遠く、冬季の通学が困難であった
怒った村民は当時花川より近い手稲村に村を編入しようと一時は手稲中学に生徒を通学させた。

困った石狩町側が折れて樽川小学校内に中学校を併置した。

 

その後、昭和47年に樽川村の一帯に「石狩湾新港建設」が決定し土地を売買したり家屋の移転をよぎなくされた。
学校も同様で村と同じく歴史の幕を閉じることとなった
村が消滅したのだ。

学校があった場所は小樽市に割譲され現在は銭函5丁目である。

 

 

現在、石狩市には「(新)樽川中学校」が現存している
これは平成7年に花川南中からの分離校に「樽川」の名称を残したいとした
OBや旧住民の思いがあったからである。

※参考 「石狩市立樽川中学校HP」「たるかわの歩み」「樽川百年史」

 


ここに小中学校があったと思われる

現在は建物は無くトラックの駐車場になっていた。

学校があったことを示すものは何も見当たらなかったが…

 


※昭和39年当時の樽川村


赤囲いが樽川小中学校
緑囲いが樽川神社

オタネ浜、石狩湾新港との位置関係がわかる。
地図にある住宅ほかは、ほぼすべて解体され現在は企業の所有地か原野である。

 

このすぐそばにあった「樽川神社」は新港建設の際、東南の位置に移転された
そこには樽川小中学校の校庭にあった二宮像も一緒に移転していた。

 

 

 

移転をしている時に下半身を失ったとある
可哀そうに。

 


2022年10月撮影

※参考 「石狩市立樽川中学校HP」「たるかわの歩み」「樽川百年史」より