旧厚田村の閉校(小学校) 赤字はレポート済 緑字は今回レポート
- 厚田村立安瀬小学校(1967年厚田小へ統合)
- 厚田村立桂の沢小学校(1969年望来小へ統合)
- 厚田村立正利冠小学校(同上)
- 厚田村立古潭小学校(1990年望来小へ統合)
- 厚田村立発足小学校(2003年厚田小へ統合)
- 石狩市立望来小学校(2019年厚田小へ統合)
- 石狩市立厚田小学校(2020年聚富小、厚田中、聚富中と統合し石狩市立厚田学園へ)
- 石狩市立聚富小学校(2020年厚田小、厚田中、聚富中と統合し厚田学園へ)
※wikipediaより
※石狩市に統合後に閉校になった学校も含む
「旧厚田村立発足小学校」
開校:1903(明治36)年
閉校:2003(平成15)年
校舎:1979(昭和54)年竣工
石狩市厚田区厚田
旧当別町立青山中央小学校を左に見て、すぐ左折すると旧厚田村へ抜ける月形厚田線がある。
山の中の片側1車線だが交通量が少なくのどかな山道だ
その半分を過ぎたころに発足地区に入り、右手に旧校舎を見る。
校舎は道路沿いにあり、校庭、グラウンドは裏手にある
最奥にはバックネットが残っていた。
どことなくいい雰囲気を出している校舎で
やはり普通の箱型よりずっとよい。
厚田小学校と統合し閉校 100年の歴史を閉じた
閉校時の児童数は8名であった
「発足」の地名はアイヌ語の「ハッタラ」川の曲がりくねったよどみの多いところ に由来している。
2023年5月撮影
「旧厚田村立聚富小中学校」
開校:1899(明治32)年
閉校:2020(令和2)年
校舎:1989(平成元)年竣工
石狩市厚田区聚富256-8
日本海沿いを走る「日本海オロロンライン」は行楽などでよく通る道
その山側のほうに続く道があるのは知っていたが、
まさかこのような学校があるとは思わなかった。
畑作と酪農が混在した地区である。
近辺は丘陵地帯で谷間の起伏は激しい
その低くなった所へ進んでいくと校舎があった。
学校は聚富の小中併置校であり、校門の左右に小中学校のプレートが現存している
校舎の向かって右側の広い方が小学校で左側が中学校ではなかったかと推察する。
それにしても現在のこの場所では異様に大きく感じてしまう。
また立派な閉校記念碑もあった。
聚富小中学校は厚田小学校、厚田中学校とともに「厚田学園」に統合され閉校した。
小中学校で令和2年の閉校時の生徒数は、小学生11名、中学生13名であった。
2023年5月撮影
「旧厚田村立望来小学校」
開校:1897(明治30)年
閉校:2019(令和元)年
校舎:1986(昭和61)年竣工
石狩市厚田区望来105
望来小学校のある場所は、比較的平地があり農村地帯である
近年は墓所やゴルフ場などに開発され、国道に面している学校でもあり
車の往来でにぎやかだ。
厚田小学校校舎もそうだが、白くデザイン性のある校舎が素敵だ
残念ながら立派な校門プレートは落下していた。
旧望来小学校は近辺の「桂の沢」と「正利冠」に教場を設置した(両校とも閉校・調査中)
令和元年に厚田小学校と統合し閉校した 閉校時児童数は5名であった。
余談だが、望来は過去の大戦時に空襲され11人が亡くなっている(うち7人が子供)
2023年5月撮影
「旧厚田村立厚田小学校」
開校:1877(明治10)年
閉校:2020(令和2)年
校舎:1985(昭和60)年竣工
石狩市厚田区厚田109-2
村の冠が付く学校で市街地の北端にあり、すぐ北に「厚田学園」そして「道の駅あいろーど」が続いている。
明治10年開校の歴史ある学校で「安瀬」や「発足」に分教場を設置した。
現存している校舎は昭和60年竣工のもので、体育館は図書館として再利用されている。
白い校舎はお洒落で竣工当時はどんな評判だったのだろうか。
校門は2か所あり、奥にあるのが旧門だ
新旧両方の校門が現存している閉校はそんなにあるわけではないので貴重。
令和2年に厚田中学校、聚富小中学校とともに厚田学園へ移行し閉校した
閉校時の児童数は35名であった。
2023年5月撮影
「旧厚田村立古潭小中学校」
開校:1876(明治9)年
閉校:1990(平成2)年
校舎:1971(昭和46)年竣工
石狩市厚田区古潭31
国道231号、日本海オロロンラインから山側に見える鮮やかな校舎
しかし近くに寄ると痛みが目立つ
このカラフルな学校は閉校後にフリースクールに転用されていたが、今はその名前もなく
静かに朽ちるのを待つだけに見える
向かいに教員住宅らしき住宅もあるが今は空家のようだ。
柵と校舎の間は校庭かな 校舎には近づかないが、遠目でカラフルさが目立つほうが良いかも知れない。
昭和20年7月、米軍の空襲により旧校舎は全焼となった。
2021年4月撮影