2020年の8月くらいからレトロ・モダンな建物を撮影して来ましたが
この数年の間でも解体された建物がいくつかあります。
古い建物を中心に撮ってきたので解体されることが多いのは必然で
仕方がないと思いながらも素敵な建物が無くなるのは残念だなと思う。
このカテゴリーでは札幌市、小樽市以外でこれまでに撮影し、解体された古い建物を順次記録していきます。
NEW「ニチロビルディング」 旧日魯ビル
建設年:昭和9(1934)年
撮影年:令和4(2022)年6月
解体年:令和5(2023)年12月
住 所:函館市大手町5-10
今のマルハニチロになる前、「日魯漁業」の社屋だった建物。
1号館の竣工から94年が経ったそうだ
所有していたマルハニチログループのマルハニチロアセット(東京)が、9月30日付で同ビルを売却し、老朽化により解体が始まった。
かつて中には劇場があり日魯の社員ばかりではなく市民にとっても馴染みのあるビルディングであった。
最近では1階に人気のカフェがあり、客として入店すると
天井が高く照明にはメダリオン、アーチ型の大きな窓など
レトロな世界を味わえた。
また階段も個性があり、トイレを利用がてら撮影をした。
函館は至る所に古い建物が多くあり
常に建物の解体はある
遅きに失した訪問ではあったが一瞬でも見学が出来てよかった。
「新二岐駅舎」
建設年:昭和29(1954)年
撮影年:令和2(2020)年11月
解体年:令和5(2023)年2月
住 所:栗山町日出122
昭和50(1975)年4月1日の鉄道廃止から50年近くずっとこの地に駅舎は残っていた。
再活用も過去にはあったが、訪問時ではすでに廃墟になりつつある建物であった
その個性的な外観は鉄道マニアはもとより一部の建築マニアからも
注目されていたと思う。
鉄道は裏手にあった
駅舎のわずかなホーム跡だけが鉄道があった証かも知れない。
その駅舎が解体されたとのこと
老朽化により倒壊の可能性があるなら解体したほうがよいだろうの判断かと思う。
長く地域を見守ってきた建物が無くなるのは寂しいが
ここは、今までありがとう ではないか。
左端の公衆トイレは健在である。
※2023年5月ストリートビューより
「旧古平町役場」
建設年:昭和2(1927)年
撮影年:令和3(2021)年8月
解体年:令和4(2022)年8月~9月
住 所:古平町浜町40-4
角地に合うように設計され2方向に入口がある
アーチ型の入り口と塔屋部分が印象的なこの役場は
北海道で最初の鉄筋コンクリート造による役場庁舎である。
古くからの漁場の町にこの役場が出現した時の住民の反応は
どうだったろうか
おそらく、おらが町にこんな立派で大きな建物が出来た
と町のシンボルを喜んだのではないか
しかし老朽化だろうが役場はきれいに解体された。
今は近代的なデザインの新役場に代わり
旧役場があった場所には「道の駅」を新設し、来春がオープン予定とのこと。
惜しい建物ではあるがこれも時の流れだろう。
※2023年ストリートビューより
「旧山口家記念資料館」
建設年:平成
撮影年:令和3(2021)年4月
解体年:令和3(2021)年5月以降
住 所:石狩市千代志別
ネットで偶然、この建物を見つけてすぐ行ってみた
千代志別の町はトンネルとトンネルの間にわずかだけ海に面しており
千代志別川に沿って集落があり最奥の旧小学校跡地で集落は終わる。
この建物は川の北側にあった唯一の建物で山のすぐ手前だった
なぜこんなところにお屋敷風の建物が?
先のネットでは千代志別出身の旧木の城たいせつの創業者
山口氏が新たに建てたようだと記載されている
なので建築年はおそらく平成 基礎のコンクリートが納得行く。
山口氏は自らの出身地に古き時代の記念館を作りそれをどうしようと思ったのか
ご自分が生まれ育った時代を記念館で再現したかったのかも知れない。
会社が倒産し、別の経営陣に代わった今では、ここは負の財産としてどうすることも出来ない
ただただ放置されている状態だった。
余談だが仕事の繋がりで何度か栗山本社や道場に伺ったことがある
山口氏とは奥様が亡くなられたときにお悔やみ申し上げたが
そのころには会社も厳しい状況だったのだろう。
その後、小学校の跡地を撮影に行った折、千代志別に点検に来ていた石狩市の職員さんから
「もう建物は壊して無くなりましたよ」と聞いて愕然とした。
「支笏湖ユースホステル」
建設年:昭和30(1955)年
撮影年:令和3(2021)年4月
解体年:令和3(2021)年10月~1月
住 所:千歳市支笏湖
北海道を代表する建築家、田上義也が設計した日本最古の建築で現存する最古のユースホステルであった。
長い間、支笏湖の歴史を見てきたが老朽化はいかんともしがたく
お疲れさまでしたというところだろう。
跡地には鶴雅グループの企画があるようだ。
機会があり閉鎖後、解体直前のホステル内を一人で自由に撮影出来たのは幸運以外何者でもない。
田上ファンの自分としては最も大事に取っておきたい記録だ。
*北海道新聞11月より