小学校の閉校 赤字は今回レポート
厚真町
- 厚真町立上幌内小学校(1972年閉校)
- 厚真町立高丘小学校(1972年厚真町立楢山小学校へ統合)
- 厚真町立浜厚真小学校(1981年厚真町立上厚真小学校へ統合)
- 厚真町立幌里小学校(1990年厚真町立厚真中央小学校へ統合)[
- 厚真町立幌内小学校(1991年厚真中央小へ統合)
- 厚真町立楢山小学校(同上)
- 厚真町立鹿沼小学校(2004年上厚真小へ統合)
- 厚真町立富野小学校(2011年厚真中央小へ統合)
- 厚真町立軽舞小学校(2011年上厚真小へ統合)
厚真町は、むかわ町、安平町とともに平成30(2018)年の胆振東部地震で大きな被害を受けた
中には地震の被害で閉校になった学校もある
厚真町ではたくさんの住民が亡くなった
現在も復興へ向けての工事が見受けられる。
「旧厚真町立鹿沼小学校」
開校:明治34(1901)年
閉校:平成16(2004)年
校舎:()年竣工
厚真町鹿沼217-4
数年前まで旧鹿沼小学校校舎は再活用されていて
旧校舎ならではの佇まいを見せていたが
厚真町鹿沼は胆振東部地震で最も震度が大きい「7」であった
閉校後に再活用されていた旧校舎も甚大な被害を受けて
解体せざるを得なかったようだ。
「鹿沼(しかぬま)収蔵庫(町内の鹿沼地区にある出土遺物の収蔵庫、今回は実見せず)
・やはり小学校の廃校舎(木造モルタル校舎)を利用した収蔵庫
・115万点の出土遺物(コンテナ2,000~3,000箱分)を収蔵
・建物にクラックが入り、天井も落ち気味であり、体育館は床が抜けた
・内部に入るのも困難な状況
・建物を解体しながら救い出せる物を出していくしかない、という感じ」
※厚真町軽舞遺跡調査整理事務所の被災状況(速報) より
場所の目印は手前に建っている「鹿沼マナビイハウス」
すぐ先に校名プレート付の校門が残っていた
本来ならこの正面に横一列で旧校舎があったのだ
校門を抜けると右側に碑が並んでいた。
鉄棒が残っていた
学校までの間に沼があったが、沼名があったと思われる鉄枠には
何も嵌ってはいなかった 果たしてこれが鹿沼なのだろうか
※2024年5月31日撮影
※厚真町史より
「旧厚真町立軽舞小学校」現:厚真町軽舞遺跡調査整理事務所
開校:明治34(1901)年
閉校:平成23(2011)年
校舎:()年竣工
厚真町軽舞205-2
厚真町の内陸部を走る道道10号線が、道道924号線に交わる手前に旧軽舞小学校がある
現在は再活用されており「厚真町軽舞遺跡調査整理事務所」だ
校名プレート付の校門が残っており、そこからなだらかなスロープを上がっていくと校庭と奥に旧校舎、その隣に記念碑がある。
碑は5つ並んでいる
こちらは中学校(校舎は小学校と同じ併置校であったようだ)
こちらは周年記念碑
小さな球形のモニュメントもあり
立派な石碑もあり
これが小学校の閉校記念碑
少し離れた場所に開校100周年記念碑もある
校舎
むかわ町で見たようなデザイン性のある校舎
これは素敵だ
ここはいわゆる「博物館」や「郷土資料館」で無料で見学が出来る
時間(利用時間)9:00~17:00
料金無料
定休日土曜・日曜・祝日、12月31日~1月5日
中に入ると係の方がいるので、入り口で記帳をし簡単な説明を受ける
案内はすぐ終わるので、あとは自由に見て廻れる
質問があれば事務所に行くこと。
校章入りの演台で記帳する
最大の特徴はなんと資料に直に手を触れていいのです!
土器も
石器も
持っていいんです
こんなの持つの初めてだから落とさないように慎重にした…
石器の矢じりは見た目よりも重く、何より先が鋭いことにも驚く
教室も再活用
メインの展示は体育館
レコードもかけていいのです
古民家も移築
展示物はこんなものじゃなく棚にぎっしりいろんなものがある
触れるものは触っていいのがすごいね
ギャラリースペースは卒業記念作品や使用していたものなど
学校関係の資料や、校名プレート
それと同じく収蔵庫として使われていた「旧鹿沼小学校」のものも
こちらに移設されている
閉校を訪ねてより、触れる博物館として非常に楽しい
思わぬ素晴らしい場所に来れて嬉しくなったよ
このステンドグラスは誇れるものだね
校庭にはバックネット、遊具もたくさん残してある
まだ使えるじゃないか
※2024年5月31日撮影