小学校の閉校 赤字は訪問済 緑字は今回訪問
- 早来町立守田小学校(1980年早来小へ統合)
- 早来町立瑞穂小学校(1990年安平小へ統合)
- 安平町立富岡小学校(2012年早来小へ統合)
- 安平町立早来小学校(2023年安平町立早来中学校などと統合し安平町立早来学園へ)
- 安平町立安平小学校(同上)
- 安平町立遠浅小学校(同上)
中学校
- 安平町立早来中学校(2023年安平町立早来小学校・安平町立安平小学校・安平町立遠浅小学校と統合し安平町立早来学園へ)
旧早来町は元々は旧追分町と一緒に安平という町だった
その後、商業の中心であった追分と農業が中心の早来と分裂しお互い町になる
さらに時は進み、再び合併となり住民投票により2006年安平町となる。
雪だるまや、かつての五輪選手 橋本聖子氏の出身地でも有名。
「旧早来町立富岡小学校」
開校:明治38(1905)年
閉校:平成24(2012)年
校舎:()年竣工
安平町早来富岡224
早来の中心部から道道10号線を西進し、「富岡神社」に向かう道に右折して入ると、旧富岡小学校の校門がある
閉校後は建物は民間企業が活用しているので校門から続く道には入りづらい。
地図で見ると「富岡神社」が隣接しているので、神社の駐車スペースまで行き駐車する
確かに旧校舎が見える
まずは神社に帰途の安全を祈願し参拝する
撮影はズーム中心となるが、猫をかたどった壁が可愛らしい
ここはこれで終了かと思ったが、よく見ると通学路方向に何かが見える
行ってみて人がいたら聞けばいいやと、草が生い茂る方向に進むと
記念碑があった
百年記念碑だ
二宮像も現存
さらに…
立派な閉校記念碑もちゃんとあったんだ
ほかにも
通学路の一角はこのようなスペースになっていた
一部は草ぼうぼうだったが仕方がない
再活用地でもこれらが残されていることは所有は町なのかと推察する
尚、校舎のある地域にはさすがに入らなかった
学校は平成24(2012)年に早来小学校に統合し閉校した。
※2024年5月31日撮影
「旧(元)早来町立早来小学校」現:安平町 早来研修センター(休止中)
開校:明治29(1896)年
閉校:令和5(2023)年
校舎:()年竣工
安平町早来大町41
旧早来町の中心部で「早来研修センター」と「社会福祉協議会」がある場所に、かつての「早来小学校があった」
現在の建物はその名残として現存している
旧校門も北西側に残されており以前はここから石段を登って登校していたようだ。
石段を登り終わると校庭と体育館~教室の並びに見える
当時の写真が無いのでわからないがおそらく移転前の施設であろう。
建物の前に跡地の記念石碑があった
また体育館と教室棟の間に立つ樹木は「早来のドングリ記念保護樹林」である。
その後、昭和50(1975)年、現在の「早来学園」の西側空き地に移転新築し、
令和5(2023)年に「安平小」「遠浅小」「早来中学」とともに統合し「早来学園」となって閉校している。
「旧早来町立早来中学校」
開校:昭和22(1947)年
閉校:令和5(2023)年
校舎:昭和47(1972)年竣工
安平町早来北進92-9
2018年の胆振東部地震により校舎も被害を受けて使えなくなる
校舎に亀裂が入ったり鉄筋が曲がったりして危険な状態になった
その後に旧早来小学校と道路を挟んだ向かいに急遽プレハブ校舎を建築し2023年3月まで使用した。
2018年の3学期から入ることが出来たプレハブ校舎には生徒111人で全4学級があったそうだ
ただ校庭や体育館は早来小学校のを使用しており
子供たちには不憫な思いをさせたと当時の校長先生がコメントしている。
※グーグルストリートビューより
プレハブ校舎が学び舎となり卒業までを過ごした生徒がたくさんいたことだろう
その校舎はすでに解体されて空き地になっていた。
その後、令和5(2023)年に
「安平小」「遠浅小」「早来小」とともに統合し1年から9年生がともに学ぶ義務教育学校として「早来学園」が創立し閉校した。
旧校舎は残っているが立入禁止である
※2024年5月31日撮影
ここから過去画像
「旧早来町立守田小学校」
開校:昭和22(1947)年
閉校:昭和55(1980)年
校舎:昭和22(1947)年竣工
安平町早来守田140
守田小学校はすでに先に校舎が解体され
しばらく現存していた体育館も解体された。
学校を表すものは何も無いと思っていたら
トーテムポール状の木片には「守田小学校」と読めた。
トーテムポールはよく見るが校名が入っているものは初めて見た
これが校門代わりだったのかは不明だが、なんともユニークである。
敷地には花が植えられ、隣は牧場である
早来町は道内でも有数の競走馬生産が盛んな土地だ。
2023年7月撮影
※早来町史より
「旧早来町立瑞穂小中学校」
開校:明治31(1898)年
閉校:平成2(1990)年
校舎:昭和35(1960)年 体育館竣工
安平町早来瑞穂1211-1
2006年発行の「北海道わが心の木造校舎」に於いて、白く枠取りされた窓が多くある
素敵な校舎の姿がある。
小中学校が並置の瑞穂小中学校は、体育館を中央に向かって左に中学校
右手に小学校が連なっていた。
残念ながら両翼の校舎はすでに解体されているが、体育館が現存しているの情報を以て訪問した。
現在は「みずほ館」としてNPO法人が運営している貸施設である
入り口には学校の校門、プレートが残っており気分を上げてくれる。
車で進入すると新しい施設がある ここは旧中学校があった左翼になる
車が1台停まっていたのでチャンスと思い玄関から入る
声をかけて出てきた方に事情を話し、敷地内撮影の許可をいただいた。
まずは旧体育館を目指し裏側へ
しかし現れたのはすっかり様変わりしていた旧体育館だった。
これは残念だが想定内だ
小学校があった右翼側は雑草が多い その中で碑があるので行ってみた。
倒れていた石碑には「昭和十四年八月十六日 鳥取小学校同窓会建立」
「同窓会〇之碑」とあった。
大元は「鳥取小学校」だったのである
早来町付近は鳥取県人が多く入植した とある。
明治31年に「苫小牧尋常高等小学校鳥取分校」として創立
明治33年 「鳥取尋常小学校」に改名
昭和32年 「瑞穂小学校」に改名
平成 2年 「安平小学校」と統合し閉校。
中学校は
昭和46年 「早来中学校」と統合し閉校。
他に「開校八十周年」の記念碑もあった
他の空き地はパークゴルフ場に転用されたようだ。
撮影後にお礼に行き、少し話をさせてもらうと「体育館は外は直したが内部は昔のまま」
と聞いたのでダメ元で内部撮影をお願いしたら許可していただいた。
やはり地元の方から話を聞くのが一番説得力がある
この方には感謝感謝だ。
果たして体育館の天井は綺麗なトラス構造だった
また壁には歴代の校長先生の写真、また一部だが想い出の写真も貼ってあった。
学校としての想い出と私個人としても想い出深くなる訪問だった。
2023年7月撮影
※早来町史より
「旧早来町立早来小学校」
開校:明治29(1896)年
閉校:令和5(2023)年
校舎:昭和50(1975)年竣工
安平町早来大町159
早来小学校は明治29年に私立早来小学校として開校
昭和13年に現在の「安平町 早来研修センター」のあるところに校舎を新築した。
そこには今も校門、石段が残る。
その後、現在の「早来学園」の西側空き地に移転新築し
「安平小」「遠浅小」「早来中学」とともに統合し「早来学園」となって閉校した。
過去のストリートビューではかつての校舎を見ることが出来る
現地では校門、サッカーゴール、バックネット、石像と「いこいの庭」の一角が
旧校舎を連想させる。
””令和5年に完成した「早来学園」は胆振東部地震で校舎が被災した早来中の再建と震災からの”復興の象徴(シンボル)”として誕生した新しい学校。
校舎は旧早来小の隣接地に整備され、2階までの吹き抜け、広々とした造り、被災木を使った柱など、こだわりを詰め込んで昨年秋に完成した。””
※北海道ニュースリンク苫小牧民報より
2023年7月撮影
「旧安平町立安平小学校」
開校:明治39(1906)年
閉校:令和5(2023)年
校舎:()年竣工
安平町安平165
安平小学校の建設年は調査中だが、2階建て広めの玄関でどっしりした印象を与える
加えて2方向に門柱があり、敷地内にはすでに閉校記念碑がしつらえてある
隣は開校百年碑だ。
校門から中を見るとモニュメントに他ではあまり見ない百葉箱まであった
現役としても閉校としても十分な設備である
特に閉校記念碑は十分に準備をした結果だろう。
新学園の校庭・グラウンドを作るために即解体された早来小学校は気の毒だったかもしれない。
安平町は新たに「早来学園」を令和5年に開校し、4つの小中学校を閉校した
町の名前を持つ安平小学校も、在校生は16人となっていた。
2023年7月撮影
「旧早来町立遠浅小学校」
開校:明治32(1899)年
閉校:令和5(2023)年
校舎:()年竣工
安平町遠浅580
遠浅小学校も新設する「早来学園」に統合され令和5年に閉校したばかり
当然だが校舎も校門も校名プレートも現役のようだ。
それでも校庭には雑草が伸びてきた 秋には、また来年にはと年々自然に戻るだろう
地域の何かに使用されれば寿命は延びる
歴史のある学校だけに卒業生は多いだろうが、近辺には子供が減っており
残っている遊具で遊ぶ姿が見れるだろうか。
赤い屋根が印象的な地域の学校である
「遠浅」とは「とあさ」と読み、海岸の遠浅のことではなくアイヌ語に由来している(諸説あり)
酪農地帯が広がるのどかな地区だそうだ。
2023年7月撮影