夕張市は全国でも有数の炭鉱町であった。
炭鉱が閉山すると他の産業が無い限り過疎化が始まるのは必然である。
夕張は山間の谷間が多く農地に向く土地が少ないという
なので簡単に農家になるとは言えない時代だったのだろうか
現在は「夕張メロン」が大きなブランドになっているが。
ヤマから人がいなくなると建物も無くなる
特に炭鉱町は関係施設、町内施設、駅、線路、学校、もしくは集落自体が消滅する
そうして壊れた建物が累々と並ぶ。
そのような廃墟化した建物が多く、見てつらいものがある
レトロ建物と廃墟は紙一重の声もあり、今回はすでに所有者不在のものも載せてみた
夕張や炭鉱町の現実がそこにあるのだから。
札幌方面から国道247を進み夕張市に入ると滝の上公園に最初のレトロ建物がある。
「旧北炭滝之上水力発電所」 現北海道企業局 滝の上発電所
所在地:夕張市滝の上5番地
建設年:大正14(1925)年
指定等:北海道遺産の一部(空知の炭鉱関連施設と生活文化)
当時の北海道炭礦汽船㈱の自家発電設備として建設された
北炭は上流にも清水沢火力発電所を持ち電力需要の増大に備えていた。
やがて北炭の石炭事業撤退後は所有者が変わり、現在は北海道企業局が運営・管理することとなる。
印象的なレンガ造りの建物は実に堂々と鎮座しており北炭の社章である星に円がそのまま残っている。
発電は年の雪解け期間だけ行っている
見学は年に一度、10月中旬の紅葉まつりの際、施設の一般公開が行われるが
通常は敷地外から外観のみ。
この近辺は「滝の上自然公園」になっており発電所、千鳥ヶ滝、竜泉峡など見どころが多い
特に秋は紅葉が見事で大勢の見物客が押し寄せ、出店なども出店する
秋だけではなく桜も見事な公園である。
正面に千鳥ヶ滝、左上部に発電所、左ハジは無名滝。
北上し、道の駅を過ぎて国道247号を右にわけて452号線へ(セコマのところを直進)
夕張川を渡り、沼ノ沢へ。
ここと右折すると真谷地方面だが今回は時間が無くパスする
再び夕張川を渡り清水沢へ。
清水沢では清陵地区も興味があったが…通り過ぎてここに来ました。
「市営 宮前浴場」
所在地:夕張市清水沢宮前町16
建設年:昭和45(1970)年
指定等:
北炭が炭鉱住宅を建て住人のために公衆浴場を作った
炭鉱が閉山し住宅も浴場も市の所有となったのが夕張にはいくつかありその一つ。
入口から男女に分かれているのは珍しくないかな?
あまり覚えていないけど実家の近くにあった銭湯は入口を入ってから左右に分かれて入り番台にお金を渡していたなぁ
綺麗に塗装されたのは若い人が中心になってやったんでしょう
すごく可愛い。
女湯のほうが大きいのは炭鉱の地区浴場の特徴だそう。
あまりに大きすぎるため、浴室の一部を塞いで狭くして、脱衣場や靴箱にその面影を見ることができるとのこと。
新しい市営住宅は浴室付きの住宅が増えたが、コミュニティの中心として、昔も今も大切な役割を果たしている
一般も入浴できるので銭湯が好きな人は月・水・金の15:30〜20:00に合わせて入ってみてはどうか
道路を挟んで向かいの地区は古くからの住宅が多いが取り壊していた。
一路、清水沢ダムに向けて走り途中で右折するが452線は変わらず。
その途中で気になる建物。
「旧清水沢カトリック教会」
所在地:夕張市清水沢清栄町
建設年:昭和24(1949)年
指定等:
教会があったのですね ネットで見ると保育所も併設していたようですが
現在はありません
上側の高台には旧清水沢小学校がありました。
現在は個人宅なのでこれぐらいで。
少し進むとまたも気になる建物。
「夕張市民 健康会館」
所在地:夕張市清水沢清栄町115番地
建設年:昭和45(1970)年
指定等:
現役の施設だけどガラスが割れていたりする
一目見た時には廃校になった体育館を有効活用したと思ったが違うらしい
炭鉱勤めの近辺住人のために企業が作り市へ譲渡された物件かも知れない。
452線と会館の間に三菱大夕張鉄道が走っていたんですね
駅痕を探るのもちょっと興味ありです。
「清水沢ダム」
所在地:夕張市清水沢清湖町1
建設年:昭和13(1938)年
指定等:
北海道炭礦汽船株式会社によって建造されたダム
発電用、農業用水用であるが、上流にシューパロダムが建造されたことにより発電用に改修中とのこと。
直下にある岩塊は、ダム建設によりできたものではなく、古くから一帯の風致を高めていた奇石で
頂点には石碑も建立されていますが、立ち入りや目視はできない カメラのズームでは捉えれる。
比較的行きやすいダムで天端を車で渡ることが出来る。
「旧北炭清水沢火力発電所」
所在地:夕張市清水沢清栄町
建設年:大正15(1926)年
指定等:
滝の上発電所と同じく北炭の自家発電所として建造 平成4(1992)年に閉鎖された
夕張の炭鉱遺産の一つである。
建物は大きく見えるがすでに3/4が取り壊されている
一部の機械は残っており、現在は民間企業の作業用地として使用されており一部を一般公開している。
内部見学は予約制で行っているようなのでサイトで確認してください
私も、もう少し落ち着いたらぜひ見学がしたい。
建物外部は清水沢ダムから見ることになり双眼鏡やズームの効くカメラがあればいいね。
ダムから出てさらに奥に進みます
すぐに左手に現れるのが旧北炭の事務所。
「旧北炭清水沢紘事務所」
所在地:夕張市清水沢清栄町
建設年:昭和26(1951)年
指定等:
北炭清水沢炭鉱は1947年開鉱山、1980年に終掘のため閉山した。
事務所は452線沿いにあり容易に見ることが出来る
シンメトリーが印象的で痛みはあるが見た目のよい建物だ
現在は民間企業が活用しているが見学が可能
清水沢火力発電所と同じく「清水沢プロジェクト」が実施しているので確認を。
さらに452線を進み、遠幌町、南部地区へ
「南部市民体育館」
所在地:夕張市南部新光町
建設年:
指定等:
元々は旧三菱南大夕張体育館だったが閉山で市に譲渡された
体育館のすぐ横には南大夕張炭鉱の殉職者慰霊碑が建っている
体育館はガラスが割れ文字も抜け落ちているが慰霊碑は綺麗に手入れがさえていた。
体育館は現役ではなさそうだ
両サイドの壁画が今はモダンに感じる
誰がデザインしたのだろう。
この先はシューパロトンネルを超えて駐車場から夕張岳を眺めてUターンした
さらに進むとシューパロダムの建設で水没した大夕張鹿島地区があるがダムともに次回に譲る。
清水沢まで戻ると今度は廃校を見に
「旧清水沢小学校」
所在地:夕張市清水沢3丁目
建設年:明治35(1902)年 :閉校 昭和64(1989)年
指定等:
ネットで解体されたとなっているがグーグルの衛星では確かに木造校舎が映っているので
確認の意味で行って見た。
果たして学校までの路は綺麗に舗装され見上げると新築の建物が見えた
一部でも残っていないかと期待をこめたが校舎の類はすべて解体され新築の素敵な「こども園」があった。
記念碑はこども園と谷側に挟まれた場所にある
また反対方向から橋を渡って来れたので2方向から登下校していたのだろう。
炭鉱の学校は一時はマンモス校になり閉山で一気に減少する
学校も悲哀の現場となるがたくさんいるであろう卒業生には思い出の場所だ。
38号線夕張岩見沢線を北上します
栗山町へ左折する分岐点で左側に気になる木造家屋がいくつか見えたがこれも次回に。
鹿の谷に入って来ました
まずは左側に大きな看板標示があり分かりやすい
「旧北海道炭礦汽船 鹿ノ谷倶楽部」 現夕張鹿鳴館(閉鎖中)
所在地:夕張市鹿の谷2
建設年:大正2(1913)年
指定等:
北炭は炭鉱事業を集約するために大正2年、北海道支店を岩見沢から夕張の鹿の谷に移設し
幹部社員の社宅、合宿所、学校、診療所、派出所、テニスコートやゴルフ場などを配した。
鹿ノ谷倶楽部は来客接待のために建てられたもので
庭園と組み合せた中央の本館、上方の第一別館、下段の第二別館からなり渡り廊下で接続されている
和風建築であるが内部には洋風の調度品などもあり一見の価値がある
閉山後は市の所有となり、宿泊、レストランなどを利用すれば内部の見学が出来た
現在は買収先の中国系企業が閉鎖したままで、古い建物ゆえメンテナンスがされておらず
関係者の心配がつのる。
今回は駐車場から遠望しズーム撮影とした
再開の良いニュースを聞きたいものです。
鹿の谷をさらに巡ります
「旧北炭北海道支店石炭分析所」
所在地:夕張市鹿の谷山手町52
建設年:大正8(1919)年
指定等:
石炭を商品化する前の分析や検査、品質管理をする施設であった
周辺には北炭の施設があったとのことだが現在は夕張鹿鳴館くらいしか認められない
ただ、分析所の向かいには空き地があり、ここに関係施設があったように思える。
遺跡的な古いレンガ造りの建物は現在は個人所有となっているので
敷地内には立ち入り禁止である。
分析室の斜め向かいに素敵な教会があります
「夕張伝道所」
所在地:夕張市鹿の谷1丁目61
建設年:大正15(1926)年
指定等:
見学にはおそらく夕張鹿鳴館、石炭分析所とセットで見ることになる
現役の教会で外観の塗装がとても綺麗に手入れされている
黒地に白枠、赤い屋根の目立つ建物で
以前は廻りは北炭関係の施設が建っていたと思われる
周辺の景観に合うように小型の教会です。
中には入ることは出来なかったが通常はどうだろう
やはり日曜日に行ってみるのが良いかも知れない。
教会の向かいにある個人住宅も気になった
意匠が他の住宅とちょっと違う。
②へ続く
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