石狩市は1996年(平成8年)に市政施行 石狩市となる
この時点での各町村を石狩市として記載します。
また2005年(平成17年)の市町村合併により、厚田村、浜益村が統合されたが
両村は別枠で記載します。
石狩市の閉校(小学校)
- 石狩市立若葉小学校(2010年紅葉山小と統合し石狩市立双葉小学校へ)
- 石狩市立紅葉山小学校(2010年若葉小と統合し双葉小へ)
- 石狩市立石狩小学校(2020年八幡小と統合し石狩市石狩八幡小学校へ)
- 石狩市立八幡小学校(2020年石狩小と統合し石狩八幡小へ)
- 石狩町立樽川小学校(1949年石狩市立花川小学校〈当時:石狩町立〉へ統合)
- 石狩町立若生小学校(1951年発泉小と統合し石狩東小へ)
- 石狩町立発泉小学校(1951年若生小と統合し石狩東小へ)
- 石狩町立参泉小学校(1953年石狩市立生振小学校〈当時:石狩町立〉へ統合)
- 石狩町立八の沢小学校(1962年五の沢小へ統合)
- 石狩町立志美小学校(1978年花川小へ統合)
- 石狩町立五の沢小学校(1982年)
- 石狩町立石狩東小学校(1989年統合により八幡小へ)
- 石狩町立高岡小学校(同上)
- 石狩町立美登位小学校(同上)
中学校
- 石狩町立樽川中学校〈旧〉(1973年)
- 石狩町立石狩中学校〈旧〉(1980年統合により石狩市立石狩中学校〈当時:石狩町立〉へ)
- 石狩町立高岡中学校(同上)
- 石狩町立生振中学校(同上)
「旧石狩市立石狩小学校」
開校:1873(明治6)年
閉校:2020(令和2)年
校舎:1956(昭和31)年竣工
石狩市横町39
令和2年、昨年の3月で閉校した学校で、北海道初の円形校舎は1956年に建てられた。
さすがにまだまだ現役の趣がある
校庭からは「番屋の湯」がすぐそこにあり石狩浜も目の前だ
ただやはり少子化の波には勝てなかったようです。
円の中心に螺旋階段があるとのことで機会があればぜひ撮影したい。
2021年5月撮影
「旧石狩市立美登位小学校」
開校:1900(明治33)年
閉校:1989(平成元)年
校舎:()年竣工
石狩市美登位694
石狩美登位地区の少し高台になっている場所にある
平屋の小さな校舎は転用されて頑張っている
私の通った小中高の学校はすべて坂を上るので親しみが沸いた
雪が積もっていたので碑や全景などが撮影出来なかったので再来したい
現在は「美登位創作の家」として活用されているのは喜ばしい。
2021年2月撮影
「旧石狩町立美登位小学校」
開校:1900(明治33)年
閉校:1989(平成元)年
校舎:()年竣工
石狩市美登位694
この学校は2度目の訪問で
前回は雪がまだ多い今年の2月だった
校舎の下にまずは碑がある
これは人物名がたくさん彫られており、関係者にはいい記念だ
スロープを登って、レンガ造りで印象深い校門にはしっかりと表札プレートがある
それからグラウンド側に廻ると校舎の全景が見えた
こちらにはロープの進入禁止が無いので少しだけ入らせていただいた
小さな体育館が可愛らしい
玄関には再活用先の名前もある この日は誰もいなかったようだが
管理はきちんとされているように見受けられた。
子どもが遊んだであろうコンクリのオブジェ?も数体グラウンド側にあった。
廻りは畑ばかりだ
ここに学校があったとは 昔は集落があったのだろうか
2021年10月撮影
「旧石狩町立石狩中学校」
開校:1947(昭和22)年
閉校:1980(昭和55)年
校舎:(?)年竣工
石狩市弁天町51-2
昨年に閉校した円形校舎の旧石狩小学校の隣
現在、番屋の湯があるところに かつての石狩中学校があった。
番屋の湯の南側の塀の外に小さく開校33周年の碑がある
学校自体が33年で幕を閉じたので実質は閉校の碑であろう
訪問時は碑の前に強烈なハマナスの群生があり
トゲのおかげで近寄れず、枝をはらうことも出来ず、満足に見れていない
また裏側も堀に近接しており何が彫ってあるのか、ないのかもわからなかった。
ここに碑があることはまったくわからない様子だ
冬くらいにならないと全貌を見ることは出来ないかも知れない
何故、この花を植えたのかなぁ
この学校と生振中、高岡中の3校が統合し閉校した新しい石狩中学校は
石狩市志美にあり開校してすでに40年を超えている。
2021年10月撮影
「旧石狩町立南線小学校」
開校:1900(明治33)年
閉校:現在に至る
校舎:1956(昭和31)年竣工
紅葉山了恵寺 石狩市花川南2条5丁目16-5
南線小学校は現存する現役小学校で
ここでは了恵寺に移設された泰安殿と門柱を載せます。
泰安殿とは戦前に天皇・皇后の写真と教育勅語を祀り全国の学校に置かれた建物です
戦後にGHQにより取り壊されたが、北海道でもいくつか現存している。
ここの泰安殿は昭和20年に当時校舎のあった花川南3条西2丁目から移設したもので
この泰安殿は他と比べると質素であると言えよう。
門柱は昭和31年に花川南3条1丁目の現校舎が新築され
その後の改装を経て平成15年プール建設にあたり了恵寺に移設した
何故、了恵寺かというと「移設先に困っていたから」の住職の証言があったようです
元々、泰安殿がすでにあったので、では門柱も となったのかも知れない。
紅葉山了恵寺には広い庭とたくさんの碑がある
南線小学校の泰安殿と碑は、本堂の向かって右手に住職の住宅があるので
その裏手にあり。
お寺の敷地内なのでくれぐれも失礼のないように手を合わせて廻りたい。
2021年10月撮影
「旧石狩町立参泉小学校、生振中学校」
<参泉小学校>
開校:1902(明治35)年
閉校:1953(昭和28)年 生振小学校に統合
校舎:(?)年竣工
石狩市 ?
<生振中学校>
開校:1947(昭和22)年
閉校:1980(昭和55)年 石狩中学校に統合
校舎:1947(昭和22)年竣工
石狩市 ?
両学校とも以前の校舎跡地は現在わからない
ただ門柱、表札は現在の生振小学校に残されている
参泉小学校は生振小学校に統合され閉校に
生振中学校は生振小学校に併置して開校したのちに石狩中学校に統合されて閉校した
現在の生振小学校校舎は、昭和56年(生振中学校が統合の翌年)に火災で全焼し
現在の場所に同年新築されたものである
その際に古い門柱や表札を一同にまとめたのではないかと思う
体育館の横に整然と並んで立っていた
現在の生振小学校は体育館の窓、校舎右端の半円箇所など意匠的に見どころありであった。
2021年10月撮影
「旧石狩町立志美小学校」
開校:1899(明治32)年
閉校:1978(平成53)年
校舎:(?)年竣工
石狩市志美65-48
志美小学校の碑は、以前は現在地から国道225線に出たところにある
海鮮品 丹野商店の敷地の端に置かれていた。
その後に現在の「防災ひろば」の一角に移設されたが校舎がどちらにあったのか
何故、移設されたのかは現在調査中で詳しいことはわからない
ストリートビューでは2011年まではそこにあったが2018年時ではなくなっていた。
2021年10月撮影
「旧石狩町立若生小学校」
開校:1886(明治19)年
閉校:1951(昭和26)年
校舎:(?)年竣工
石狩市八幡1丁目1-24
若生小学校は跡地でグーグルマップに記載されているが
マークの位置は民家になっている
閉校は昭和26年に新設された石狩東小学校に統合されたため。
目印としては下の写真の建物で、右の道を直進し道なりに右に曲がるとマークの家にあたる
左の住宅がマークの位置にあたる 車は河川敷をここまで入れる
右側に真新しい立札があった 草ぼうぼうの中を歩いて近寄る。
この図により小学校は、ほぼこの立札の場所にあったと判明。
当時は河川と船が重要な交通機関だったので川べりに役場も構えたのだろうか
今は自然いっぱいの遊歩道のようだ。
2021年10月撮影
「旧石狩町立石狩東小学校」
開校:1951(昭和26)年
閉校:1989(平成元)年
校舎:1951(昭和26)年竣工
石狩市八幡1丁目459-58
若生小学校と発泉小学校を統合し、新設された石狩東小学校は38年という比較的早い年で
八幡小学校に統合されて閉校となった。
すでに校舎もなく宅地に変わったとの情報があり
若生小学校跡地へ向かう目印の建物 これの逆側へ行く
逆側はこんな道 ここを直進
途中から左折して住宅街に入り、目指すは「八幡めぐみ公園」
なんということはない小さな公園だがその奥に
跡地となっているのでこの公園を含む一帯に校舎があったのだろう
廻りは新しい住宅が多いので宅地になった。
2021年10月撮影
「旧石狩市立高岡小学校」
開校:1899(明治32)年
閉校:1989(平成元)年
校舎:()年竣工
石狩市八幡町高岡28-5
高岡地区は石狩から当別にかけての高台地区で当別町にも高岡小学校があり廃校になっている
高岡中学も隣接していたらしく廃校の碑がある
パッとみて体育館を再生活用したのかと思ったら取り壊し新築したそうだ
ただ基礎に残る金属蓋はかなり古そうなので基礎だけ再利用したかな?
校舎があったと思われる場所には「ふれあい研修センター」が出来ており地域の集会場となっている。
2021年4月撮影
「旧石狩町立八の沢小学校」
開校:1927(昭和2)年
閉校:1962(昭和37)年
校舎:()年竣工
石狩市八幡町
一つ前の五の沢小学校と同じく、かつては油田があった。
その採油のため職員用の住宅が建てられ、集落が出来あがる
そして職員の子供たちのために学校が建てられた
グーグマップで「石狩市八の沢小学校跡」で場所を知らせてくれる
実際はポイントよりさらに進んだ場所にあった。
五の沢小学校跡地から先に進むとすぐに「五の沢線」の標示とのぼりがあったので目印に右折し山中を走る
1車線の道でときおり退避場はあるが対向車が来たら面倒である
それにしても建物一つない山中の林道を学校を探しに行くのは
よくまぁこんなところにと不安にもなる。
建物か何かあったような平地もあるが、およそ人工的なものは見当たらず
綺麗に撤去したと思われる
結局学校は少し下り坂の右の山側がぽっかりと開けており
碑と地図板、校門門柱があった。
車はその前だけきちんと駐車スペースが整備されてあった
校舎があったと思われる場所は鬱蒼とした笹薮と樹木が生い茂り
その跡を見つけるのは困難だった。
熊の心配をしながら撮影だけ急ぎ、そのまま直進して里に下りた
2021年10月撮影
「旧石狩町立五の沢小学校」
開校:1910(明治43)年
閉校:1982(昭和57)年
校舎:()年竣工
石狩市八幡町高岡
五の沢小学校は近くの八の沢小学校と同様に、石油採油のために出来た職員の集落に住む
子供たちのために建てられた学校です。
ゆえに石油の採掘が終われば離職、閉校は避けられない運命にある
校舎の解体は2009年(平成21)と比較的最近なので旧校舎の写真は多く存在するが
木造校舎に緑のトタン屋根が美しく映えていた
現存していたらどれだけ素敵だったろうか
碑はあくまでも開校65周年の碑で、校舎が現存中に建立されたものだ
この碑の裏手に体育館が縦にあり、L字型で校舎が正面を向く
敷地内は残念ながら遊具やバックネット等が見当たらず
完全に撤去されたようだ
この地に石油が出ていたということは史実としてずっと残るだろう
2021年10月撮影
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