札幌・北海道のレトロ建物大好きおぢさん日記

札幌(北海道)のレトロでモダンな建物を見たり撮影するのを趣味としています。

木造校舎・廃校 平取町の閉校 ②

2024-06-09 17:38:43 | 木造校舎・廃校

小学校の閉校  赤字は今回レポート

  • 平取町立新日東小学校(1952年10月31日上岩知志小へ統合)
  • 平取町立糠平小学校(1954年6月1日)
  • 平取町立上岩知志小学校(1969年岩知志小へ統合)
  • 平取町立仁世鵜小学校(1972年平取町立振内小学校へ統合)
  • 平取町立岩知志小学校(1990年振内小へ統合)
  • 平取町立川向小学校(1991年平取町立平取小学校へ統合)
  • 平取町立長知内小学校(1991年振内小へ統合)
  • 平取町立芽生小学校(1992年平取町立貫気別小学校へ統合)
  • 平取町立旭小学校(1995年貫気別小へ統合)
  • 平取町立豊糠小学校(2008年
  • 平取町立荷負小学校(2011年

中学校

 

「旧平取町立荷負小学校」現:平取町開拓財産展示施設

開校:明治33(1900)年
閉校:平成23(2011)年
校舎:()年竣工

平取町荷負77-3

 

貫気別から荷負へ通ずる道道71号線沿いに旧荷負小学校がある
道路から覗く校舎はきれいで新しい
しかし車道に面した校門は年季が入っていた。

校名プレートもしっかり嵌っているが校庭は草ぼうぼうだ
閉校が平成後半とはいえ、13年経つとこようになるのだ。

 

 

 

 

 

 


旧芽生小学校に続き、ここもジャングルジムは密林状態だった

 

 

 

 

校舎の左手前に百年記念碑がある
そこまで行こうと思えば行けたが、すべてズーム撮影にした。

 


体育館のデザインやアールを使ったお洒落な校舎


近くにあるのは教職員住宅か

現在の「平取町開拓財産展示施設」として
5~11月の月・水・金曜日(祝日休館)8:45~12:45に見学が出来るが今回は時間の都合上、パスした。


※2024年5月30日撮影

 

 

 

「旧平取町立長知内小中学校」現:長知内ふれあいセンター


※平取町史より

開校:明治35(1902)年
閉校:平成3(1991)年
校舎:()年竣工

平取町長知内38-5

 

現在、長知内ふれあいセンターが建つ場所に校舎があった

場所は国道237号線沿いで一段高くなった土地にある
校門は国道側に面しており、他の学校同様のプレートが残っていた。

閉校の記念碑も他の学校と同じ形状をしている
そばにある大きな木は、解体された校舎のシンボルツリーを移植したものかも知れない。

 

 

 

 

 

 

 

 


下が国道

 

 


校門を飾る藤の花は以前からずっと咲いているのだろう

 

 

 

 

キジが草ぼうぼうの校庭をのんびり歩いていた

※2024年5月30日撮影

 

 

「旧平取町立川向小中学校」現:沙流川アート館

開校:大正6(1917)年
閉校:平成3(1991)年
校舎:昭和29(1954)年竣工

平取町川向

 

旧川向小学校の校舎は、左右の現存する校門から正面に建っていた

木造モルタルかと思ったが、記録を見ると鉄筋ブロック造りだそうだ
この頃の平取町の校舎には木造ではなくブロックで造られたものが多くみられる。

校門のプレートには名前こそ割られているが「中学校」だけ残っていた。

 

 

 

 


現在は「沙流川アート館」として再活用中 ナビは「旧川向小学校」でも出ます。

 

 

 

 

 

 

 


ああ ここのジャングルジムは一番ひどい密林状態だ


校庭に立つ2本の古木は「カシワの木」

 

この木はずっと残って欲しいよね


川向地区は平取町での馬産地でもあった
道中にいくつもの牧場と馬を見た 好きな人には堪えられないだろう。


※2024年5月31日撮影

 

 


木造校舎・廃校 平取町の閉校 ①

2024-06-08 11:27:33 | 木造校舎・廃校

小学校の閉校  赤字は今回レポート

  • 平取町立新日東小学校(1952年10月31日上岩知志小へ統合)
  • 平取町立糠平小学校(1954年6月1日)
  • 平取町立上岩知志小学校(1969年岩知志小へ統合)
  • 平取町立仁世鵜小学校(1972年平取町立振内小学校へ統合)
  • 平取町立岩知志小学校(1990年振内小へ統合)
  • 平取町立川向小学校(1991年平取町立平取小学校へ統合)
  • 平取町立長知内小学校(1991年振内小へ統合)
  • 平取町立芽生小学校(1992年平取町立貫気別小学校へ統合)
  • 平取町立旭小学校(1995年貫気別小へ統合)
  • 平取町立豊糠小学校(2008年
  • 平取町立荷負小学校(2011年

中学校

 

平取町は主に沙流川に沿った地域が中心となり日高山脈の山間部までと、南はわずかだが海には届いていない町

二風谷のアイヌ関連施設や、すずらん群生地、農産物ではトマトやびらとり牛がある

また日高地方ならではの馬産地でもあり牧場も多い。

今回は北から南へ下るルートで閉校を廻ってきた

 

「旧平取町立上岩知志小学校」現:上岩知志住民センター

開校:大正13(1924)年
閉校:昭和44(1969)年
校舎:昭和33(1958)年竣工

平取町岩知志95-1

 

国道237号線を南下し上岩知志の地に着く
ナビが目指すのは「上岩知志住民センター」だ。

ポツンと黄色いバス停留所があるのでそれが目印
右手の山側にぽっかりと開いた通路を進む。

その前に向かって左側にだけ門柱があったが
校名プレートは無い

多少の心細さはあるが車の通行が出来るのでまだいいほうだ

奥まで行くと旧校舎があった。

 

 

 

 

 

 

造りは時代的に木造モルタルかと思ったら鉄筋ブロック造りだそうだ

平屋の校舎は地方には多いが、年月が経つと塗料の剥げ具合や壁のシミなどがいい味を出す

60年以上経過しているが、ここはまだ大丈夫でしょう。

 

 

 

この空間の部分はかつて体育館があった場所
校舎は残されたが体育館は解体されている

どおりでそこだけ新しく不自然な壁だ


跡地の碑があった

 

 

校舎の真ん前にある植え込みは以前からのものだろうか
だとしたら校庭はどこにあるのだろう?


※2024年5月30日撮影

 

 

 

「旧平取町立岩知志小学校」現:岩知志ふれあい館


※平取町史より

開校:明治43(1910)年
閉校:平成2(1990)年
校舎:()年竣工

平取町岩知志55-9

 

数年前に何度か通った時は、大きな木に「目と口」が付いていて
「トトロの木」と呼ばれていた。

今は何も付いていないが、ここが学校跡地だったとは知らなかった。

確かにすぐ横にバックネットが健在であり
よく見ると奥に記念碑もある。

「岩知志ふれあい館」の立派な建物が出来ており
何かあれば地域の集合場所になったのだろう。

 


2019年の「トトロの木」


さらに昔のほうがトトロに似ていたかな

 


校舎があったと思われる場所

 

 

 

 

 

 

ふれあい館の奥にいくつかの建物が見えるが、その一つ


昔はここが「岩知志小学校」の校舎だったと専門的な閉校ブログに載っていた。その校門と体育館の名残のようだ。

門柱には「岩知志住民センター」のプレートになっている

 


この後に「旧岩知志中学校」が昭和42年に閉校になり、その校舎へ小学校が移転した。
その場所に上記の記念碑がある

平成2年の閉校後に移転先の校舎は解体されたが、それ以前の学校の一部が残ったことになる。

 


※2024年5月30日撮影

 

 

 

「旧平取町立岩知志中学校」

 

開校:昭和22(1947)年
閉校:昭和42(1967)年
校舎:()年竣工

平取町岩知志55-9

 

前記の「岩知志小学校」のところで記載したが中学校は昭和42年に閉校しており、その後小学校が校舎を使用した

平成2年に小学校も閉校になり、その後校舎は解体されている。

だが校庭の奥にある校門には今でも中学校のプレートが付いており
ここに中学校があったという証になっていた。

 

 


割らなくてもいいと思うんだけどな

 


※2024年5月30日撮影

 

 

 

「旧平取町立豊糠小中学校」現:とよぬか山荘

開校:昭和22(1947)年
閉校:平成20(2008)年
校舎:昭和60(1985)年竣工

平取町豊糠24-3

 

「旧豊糠小中学校」はかつて別の場所にあった
それが平取ダムの建設により、移転せざるを得なくなり現在の場所に校舎を建造した


現在の校舎に来る前に、移転前の跡地を見に行った
何か学校があった痕跡は無いかと思って行ってみたが
道の途中で立ち入り禁止とロープがありストップ

徒歩で数分までの距離だったが同行者もあり止めておく。


さてこちらの校舎は校門が現存しており、しかも校名プレートも付いていた

 

 

 

記念碑もあり

 


校歌、沿革


同窓生名簿

 

 

 

 

 

 

 

 

現在は「とよぬか山荘」として
日本百名山で最難関と言われる「幌尻岳」へのシャトルバス発着場所と
宿泊施設として再活用された。


それだけ人里離れた場所にある学校だった。

 

 

 


※2024年5月30日撮影

 

 

「旧平取町立芽生小学校」現:芽生生活改善センター


※平取町史より

開校:昭和6(1931)年
閉校:平成4(1992)年
校舎:()年竣工

平取町芽生39-1


「旧芽生小中学校」の跡地は奥地の「すずらん群生地」から車で5~6分の場所にある

ナビでは芽生生活改善センターで、少し進んだ車道沿いに校門があった
残念ながら校名プレートは無い
正面に記念碑があるが、この形状は平取町の他の学校にも取り入れられている。

 

 

 

 

 


沿革には小学校と併置された中学校の沿革もあり

 

 

 

 

このポールの向こう、最奥正面に校舎があった

 


ジャングルジム内は密林になっている
遊具はまだ残っていた

 

 


向こうには「芽生神社」がある


※2024年5月30日撮影

 

 

「旧平取町立貫気別中学校」

開校:昭和33(1958)年
閉校:平成24(2012)年
校舎:昭和46(1971)年竣工

平取町貫気別92

 

「旧貫気別中学校」は貫気別小学校とグラウンドを挟んで対面にある

小学校は現役だが中学校は閉校した。

昭和45年には地区の3校を統合することに決まり、新築されたのがこの校舎であり
鉄筋2階建てである
次に体育館も新築された。

閉校後は何らかの活用があった情報を得ているので
敷地内には入らなかったが、現在入口はオープンで再活用の様子はない

入口にある校名プレートや沿革などを見ればよく分かる。

 

まずは現役の「貫気別小学校」側から遠望し、入り口へ行った

 

小学校との間の柵が気になるね

 

 

入口はオープンな状態だが活用しているようには見えなかった

 

 

 

 

 

 

 

 


「貫気別小学校」 旧中学校が新築された時代は小学校はまだ木造校舎だった


※2024年5月30日撮影

 

 

パート2へ続く

 


木造校舎・廃校 日高町の閉校

2024-06-02 17:13:42 | 木造校舎・廃校

小学校の閉校  赤字は今回レポート

 

日高町〈旧〉(2006年・日高町を新設) ※合併した旧門別町は含まず

  • 日高町立三島小学校(1949年千栄小三島分校から独立、1974年日高町立千栄小学校へ統合
  • 日高町立日高小学校〈旧〉(1977年新設の日高町立日高小学校へ統合)
  • 日高町立富岡小学校(同上)
  • 日高町立三岩小学校(同上)
  • 日高町立千栄小学校(1997年閉校)

 

中学校

  • 日高町立千栄中学校(1998年)

 

日高町は日高山脈の北西に位置し、日勝峠を超えて十勝側に入る交通の重要な拠点である
現在は道東道が開通し、かつての賑やかさが落ち着いたようだ。

また日高山脈へ日高側の登山口として登山者の訪問も多い町である

2006年に太平洋に面した門別町と飛び地合併し、町名は日高町のままで役場は門別町にある。

 

「旧日高町立富岡小学校」

開校:大正2(1913)年
閉校:昭和51(1976)年
校舎:昭和2(1927)年竣工

日高町富岡

 

※日高町史より


富岡小学校は現存する貴重な木造板張りの校舎である
だがその姿はよく見ると廃墟化していた。

 

学校へは日高町の道の駅から直進し道道847号線(三岩日高線)に入る
道なりに南下しながら進み、十字路になっている一角に学校がある。

敷地内には平屋の木造校舎と後年に建てられたと思われる体育館
奥に教職員住宅と思われる建物と体育館裏に閉校の記念碑があった。

記念碑には閉校時の在校生と思われる子供たちの名前が彫られており
その下には学校の歴代記録書が納められていた
石板には「開校百年目西暦二〇一二年に開きましょう」と記されているので中身はすでに無いであろう。

校舎も体育館も割れた窓ガラスや、特に校舎端の崩壊が激しく
この姿を見るのもあと数年ではないかと危惧するが
何ともしようが無いのが実情かと思う。

今回撮影が出来たのは「間に合った」ということになるのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※2024年5月30日撮影

 

 

 

 

「旧日高町立三岩小学校」


※日高町史より

開校:大正5(1916)年
閉校:昭和52(1977)年
校舎:()年竣工

日高町三岩137-1

 

先の旧富岡小学校からさらに南下し、やがて国道237号線に合流すべき左折しへ南下を続けて沙流川に架かる「日高大橋」を渡る
次に2本目の「三岩橋」も超えていくと左側に石碑が見えるので行きすぎないことだ。

学校校舎はこの奥の正面に建っていた
現在は校舎関係はすべて解体され、会館らしき建物が1棟だけ後から建てられてようだ
しかし利用の様子はうかがえない。

日高町史によるかつての三岩小学校の写真を見たが
実に素敵な姿ですっきりした校舎に見える。

閉校記念碑である大きな石碑には簡素に事実だけが記されているだけだった
向こうに大きな石碑と銘板があるが、これは学校とは無関係。

 

 

 


正面奥に校舎があった

 

※2024年5月30日撮影

 

 


木造校舎・廃校 占冠村の閉校 ※再訪問しました

2024-06-01 08:01:20 | 木造校舎・廃校

小学校の閉校  赤字は今回レポート

 

  • 占冠村立湯ノ沢小学校(1963年占冠小へ統合)
  • 占冠村立下苫鵡小学校ホロカ分校(1970年)
  • 占冠村立新入小学校(1975年)
  • 占冠村立下苫鵡小学校(1977年)
  • 占冠村立双珠別小学校(1997年)
  • 占冠村立占冠小学校(2005年
  • 占冠村立トマム小学校(2017年占冠村立トマム中学校と統合し占冠村立トマム学校へ)

 

 

今年2024年3月に「旧占冠村立双珠別小学校」

を訪問したが、まだ残雪が多く記念碑などを撮影出来なかったのと
平取町へ1泊旅行に行ったので道東道から北廻りで行き通り道でもあった。

 

改めて見るととてもきれいなので再活用ということがいかに重要か判る
今回は記念碑も見ることが出来た

誰も居なかったが敷地内はロープが張ってあるので入らなかった
奥にある校門にもチェーンがある。

いずれにしろ貴重な木造モルタル校舎が見れてよかった。

 

 

 

 

 

 

 

校庭は「キャンプ場」「ドッグラン」に利用されているようだ

 

 

 

 

 

 

2024年5月30日撮影

 

 

「旧占冠村立双珠別小学校」

 

開校:明治41(1908)年
閉校:平成9(1997)年
校舎:()年竣工

占冠村双珠別



今回の旅行行程で占冠村の学校は予定が無かった。

たまたま帰札の日に清水町で雨と霧が強くなり、予定をしていた日勝峠をあきらめて道東道に乗った。
すぐ占冠インター降りて国道274号線に合流する途中にこの学校があった。

 

校舎はみたところ新しいので補修をしたのだろう
敷地内は残雪で入るのをあきらめた。

現存しているのは校舎と校名プレート付の校門、バックネット
それと記念碑があったが残雪でほとんど見えなかった。

校舎はおそらく木造モルタルだろう
板張りの場合は古さも味があるがモルタルはきれいな方が好きだ
なのでこの校舎は私にとっては素敵な校舎となった。

 

だが正直、あまり通る道ではないので再訪は難しいだろう が、
見るべきものを見ていないということは覚えておかないとね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※2024年3月撮影