札幌・北海道のレトロ建物大好きおぢさん日記

札幌(北海道)のレトロでモダンな建物を見たり撮影するのを趣味としています。

岩内町の建築探訪

2024-11-09 09:51:30 | 共和町 岩内町 蘭越町 寿都町 島牧村 黒松内町

紹介の順番は北海道新聞社発行の「道南・道央の建築探訪」(2004年発行)のNO順で行きます。
もはや20年近い前の本なので現存していない建物もあり

岩内町で確認したところ6軒の掲載があった
うち4軒が神社仏閣で今回はパスした。

ほかに、探索中に見つけた気になる建物を追っていきます。

 

 

「簗瀬家住宅」 *道南・道央の建築探訪NO79

 

所在地 岩内町清住103-10
建築年 明治39(1906)年
指定等 なし

ナビ「住所」

 

「簗瀬家住宅」は住宅街にあり、一般住宅なので近寄って敷地内の撮影は辞めた。

簗瀬氏はもと会津藩家臣で、維新後に北海道開拓使に出仕、岩内町行政の基礎を作り上げた町の偉人であり、その後の生涯を岩内町で遂げた。

昭和29年の岩内大火は町の8割を焼失したといわれ、多くの古建築物が焼け落ちた
その中で焼け残った貴重な住宅であり岩内町最古の住宅である。

内部は非公開となっており外観しか見れないが、玄関を中央に両側が同じようにせり出している
屋根は桟瓦でこれは岩内町の別所でも見た

 

 

 

 

 

 

尚、お向かいも同じような感じの和風邸宅があり、最初は間違って撮影までしてしまった。

2024年11月3日撮影



「知恵光院本堂」 *道南・道央の建築探訪NO80

所在地 岩内町清住229
建築年 明治27(1894)年
指定等 なし

ナビ「」


未訪問

 

 

「全修寺本堂」 *道南・道央の建築探訪NO81

所在地 岩内町高台
建築年 明治27(1894)年
指定等 なし

ナビ「」


未訪問

 

 

「帰厚院本堂」 *道南・道央の建築探訪NO82

所在地 岩内町高台143
建築年 明治37(1904)年
指定等 なし

ナビ「」


未訪問

「同、庫裏

建築年 明治37(1904)年

未訪問

「同、鐘楼

建築年 明治37(1904)年

未訪問

 

「光照寺本堂」 *道南・道央の建築探訪NO83

所在地 岩内町高台131
建築年 明治31(1898)年
指定等 なし

ナビ「」


未訪問

 

 

「岩内町役場ポーチ」 *道南・道央の建築探訪NO83

 
所在地 岩内町高台町
建築年 明治36(1903)年
指定等 なし

ナビ「㈲太田製麺」

 

太田製麺さんの真向かいにあるのでナビで使用させてもらった

「岩内町役場ポーチ」とは旧岩内町役場の玄関ポーチ屋根のことで
有名な昭和29年の岩内大火で焼け残ったもの。

これだけを見ると確かにアンバランスなドーム型だが
旧役場ではお洒落で近代的なものだったようだ
まだ当時の写真を見ていないので探してみたい。

 

 

 

 

 

 

現在は万代三角広場(旧岩内場所本陣跡地)に移築保存されている

身近な歴史的建造物の一部として町民には親しまれているものだろう。

2024年11月3日撮影

 

 

 

「浮世湯

 

所在地 岩内町山和6
建築年 (不明)年
指定等 なし

ナビ「」

 

「浮世湯」は詳しくは調べていないが「うきよ公園」「うきよ通り」などの名前があるが現在の地名では無かった?
以前の地名から銭湯名を付けたのだろうと推察。

ネットで検索しているとあるブログに他の銭湯さんの情報があった

「岩内町内で最後の銭湯だった小松湯が、平成24年3月31日をもって営業を終了しました 新聞によると、小松湯ができたのは、1939年(昭和14年)。50年~60年台は、岩内町には10軒以上の銭湯が存在していたようです」

とあるので小松湯の前、平成24年3月までには閉業していたと思う。

 

 

 

 


とりわけ古い建物ではないが、ファサードがやはり歴史を感じたので撮影した
詳細は不明です

銭湯は今はどこも無くなり、閉業した建物を見て往時をしのぶことしか出来なくなったか。

 

2024年11月3日撮影

 

 

 

「敷島内の煉瓦倉庫

 

所在地 岩内町字敷島内
建築年 明治40年台頃?
指定等 なし

ナビ「なし」

 

岩内町の海沿いを寿都町に向けて車を走らす
そろそろ民家も少なくなったころ、潰れかけた住宅と倉庫を見る

岩内町はここから先が断崖絶壁が続く難所である。

この倉庫の特徴は煉瓦造りの出隅に軟石を使用していることだ
また住宅の山側も煉瓦造りで屋根に桟瓦が使用されている。

残念ながら空き家で管理をする人もいないらしく、住宅の一部は崩壊している

 

 

 

 

 

 

 

 

2024年11月3日撮影

 

 


木造校舎・廃校 八雲町の閉校②

2024-11-06 09:22:00 | 木造校舎・廃校

※wikipediaより 赤字は今回レポート 青字は過去レポート

  • 八雲町立上鉛川小学校(1965年八雲町立八雲小学校へ統合)
  • 八雲町立久留米小学校(同上)
  • 八雲町立鉛川小学校(1967年八雲小へ統合)
  • 八雲町立上の湯小学校二股分校(1967年)
  • 八雲町立八雲鉱山小学校(1969年7月31日)
  • 八雲町立富咲小学校(大関小富咲分校から改称、1972年廃校)
  • 八雲町立熊嶺小学校(1972年
  • 八雲町立八線小学校(1973年
  • 八雲町立大関小学校夏路分校(1976年)
  • 八雲町立熱田小学校(1976年八雲小へ統合)
  • 八雲町立大新小学校(1987年)
  • 八雲町立赤笹小学校(1990年)
  • 八雲町立蕨野小学校(1991年八雲町立東野小学校へ統合)
  • 八雲町立上の湯小学校(1993年休校、八雲町立落部小学校へ編入)
  • 八雲町立桜野小学校(1973年閉校、1982年再開、1992年休校、1995年廃校)
  • 八雲町立栄浜小学校(2007年落部小へ統合)
  • 八雲町立春日小学校(2009年八雲小へ統合)
  • 八雲町立大関小学校(2011年八雲小へ統合)
  • 八雲町立黒岩小学校(2014年八雲小へ統合)
  • 八雲町立山崎小学校(2021年
  • 八雲町立黒岩中学校(2004年
  • 八雲町立山越小学校(1993年)

 

 

 

「旧八雲町立久留米小学校」

※八雲町史より

開校:明治32(1899)年
閉校:昭和40(1965)年
校舎:(確認中)年

八雲町花浦221-1

ナビ「花浦山会館」

 

八雲町花浦は長万部町から南下し八雲町の中心部に入る手前にある。
国道5号線からナビに従い山側に入り、数分で突き当りのTの字になるが、そこに「旧久留米小学校」があった。


学校の名前には町や地区の名前が付けられることが多いが
元は「久留米農場」の跡地に学校を建てたからその名前が付いたようだ。

 

敷地には会館と地区の石碑などがあるが学校があったことを示すものは見当たら無かった。

 

 

会館前のスペースやこのあたりが校庭だった

 

 

会館の裏に古い物置のようなものがあったが
学校に関係あるかは不明

 

会館の右隣に空き地があるので旧久留米農場の一部かも知れない

「久留米小公園」の標識があり、農場と学校の名残りのようだ。

 

 

2024年10月17日撮影

 

 

「旧八雲町立春日小学校」

 

開校:明治32(1899)年
閉校:平成21(2009)年
校舎:(確認中)年

八雲町春日269

ナビ「春日神社」


「旧春日小学校」は今回の八雲町の閉校巡りではメインの学校。
ここには現在、外壁はサイディングのようだが木造校舎が現存している。

ナビの春日神社とは隣接しており、敷地内で行き来が出来る


校門から校舎に校章、体育館、校庭 遊具やポール、二宮像など
残していて欲しいものはすべて残っていて嬉しい限りだ。

2000年を過ぎての閉校ということもあるだろうが
都市部ではスクラップ&ビルトが多い

維持管理にお金をかけるより新築したほうが良いということだ。

この貴重な校舎はもう少し残してほしいな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

学校としては小型で可愛らしい印象
昔は子供たちや地域の場として運動会やお祭りなんかで賑やかだったろうな

校舎が現存していると色んなことを想像出来て楽しい。

 

 

 

 

 

 

 

このブランコはまだ乗れそうだ

2024年10月17日撮影

 

 

「旧八雲町立八雲鉱山小中学校」


※八雲町史より

 

開校:昭和9(1934)年
閉校:昭和44(1969)年
校舎:(確認中)年

八雲町鉛川

ナビ「八雲鉱山小中学校跡地」

 

鉱山小学校跡地は、国道277号線から横道に入り温泉旅館の「おぼこ荘」を目指す
温泉にはすぐに到着し、その奥にある「雄鉾岳登山口」の標識に従い直進する。

道はダートになり益々山の中へ進むので心細いし熊も怖い
山登りをしていたころは何とも思わなかったのにな・・・

やっとナビの場所に着いたが「おぼこ荘」から車でわずか2~3分の場所だ。

 

 

 

山の中にぽっかりと開けた場所があった
いかにも学校があったらしい場所 旧校舎は奥の山をバックに建っていた

ちなみにさらに先に登山口があり木造の旧郵便局が山小屋として健在だが
とてもそこまで行く気にはならなかった。


尚、校舎は解体したが、体育館は町内に移築したとの情報を見た
この後に行ってみたが、綺麗な体育館なので移築後に補修や塗装をしている。

2024年10月17日撮影

 

 

「旧八雲町立上鉛川小学校」


※八雲町史より

 

開校:大正3(1914)年
閉校:昭和40(1965)年
校舎:(確認中)年

八雲町鉛川456-2

ナビ「八雲町バイオサイクル協同組合」

 

国道277号線は二海郡である八雲町と熊石町を繋ぐ道路
その国道沿いに旧上鉛川小学校はあった。

写真では小さな学校だが窓枠が素敵な校舎だった
昭和40年の閉校では校舎はすでに解体されていた。

現在は八雲町バイオサイクル協同組合の敷地内に小さな記念碑を見る。

 

 

 

 

おそらく、ここにこれがある と知っていなければ
そのまま素通りするだろう

閉校記念碑は市町村により統一されたり別々であったりするが
もう少しわかりやすい標示の方がよくないか?

 

 

 

熊石側を見ると「雄鉾岳」の切り立った山容がかっこよかった

 

2024年10月18日撮影

 


木造校舎・廃校 八雲町の閉校① ※5校を追加しました

2024-11-04 10:42:49 | 木造校舎・廃校

 

※wikipediaより 赤字は今回レポート 青字は過去レポート

  • 八雲町立上鉛川小学校(1965年八雲町立八雲小学校へ統合)
  • 八雲町立久留米小学校(同上)
  • 八雲町立鉛川小学校(1967年八雲小へ統合)
  • 八雲町立上の湯小学校二股分校(1967年)
  • 八雲町立八雲鉱山小学校(1969年7月31日)
  • 八雲町立富咲小学校(大関小富咲分校から改称、1972年廃校)
  • 八雲町立熊嶺小学校(1972年
  • 八雲町立八線小学校(1973年
  • 八雲町立大関小学校夏路分校(1976年)
  • 八雲町立熱田小学校(1976年八雲小へ統合)
  • 八雲町立大新小学校(1987年)
  • 八雲町立赤笹小学校(1990年)
  • 八雲町立蕨野小学校(1991年八雲町立東野小学校へ統合)
  • 八雲町立上の湯小学校(1993年休校、八雲町立落部小学校へ編入)
  • 八雲町立桜野小学校(1973年閉校、1982年再開、1992年休校、1995年廃校)
  • 八雲町立栄浜小学校(2007年落部小へ統合)
  • 八雲町立春日小学校(2009年八雲小へ統合)
  • 八雲町立大関小学校(2011年八雲小へ統合)
  • 八雲町立黒岩小学校(2014年八雲小へ統合)
  • 八雲町立山崎小学校(2021年
  • 八雲町立黒岩中学校(2004年
  • 八雲町立山越小学校(1993年)

 

八雲町は熊石町と合併し、国内唯一の太平洋と日本海に面した町となる
旧熊石町の閉校は分けることにした。

 

 

「旧八雲町立大関小学校」NEW

 

開校:()年
閉校:平成23(2011)年
校舎:(確認中)年

八雲町上八雲296-1

ナビ「ペコレラ学舎」

 

国道277号線から道道42号線に入る せたな町まで通じる道だ
八雲町ではこの沿線に2校の閉校を見る。

1校は「旧大関小学校」で八雲市内から遠いほうにあり
現在は体験型宿泊施設として再活用されている。

 

以前は旧小学校名のプレートがあったように思える

 

「ペコレラ学舎」とは

>元小学校の教室をリノベーションし、宿泊施設をオープンしました。
大人の方にとってはどこか懐かしく、お子さんにとっては普段学んでいる場所に泊まれる非日常が味わえます。
※HPより

 

 

 

立派なバックネットも健在

バーベキューが出来るようだ

 

近代的な校舎を新築して、後に閉校した
まだまだ使える立派な施設である

屋根が学校としては珍しい入母屋風のデザインに思える
和風をイメージした校舎は機能第一の箱型RC造りよりずっと素敵だ。

学校時代では出来なかった宿泊やバーベキューなど楽しみが広がった

廻りに飲食店も出来たり地域に一役かっている。

 

 

 

2024年10月18日

 

 

「旧八雲町立鉛川小学校」NEW


※八雲町史より

 

開校:明治40(1907)年
閉校:昭和42(1967)年
校舎:(確認中)年

八雲町鉛川25-2

ナビ「鉛川会館」

 

道道44号線には2校の閉校を八雲町で見る
その一つで八雲市内に近いほうが「旧鉛川小学校」。

跡地にある現在の鉛川会館は近くで施工されている土木工事の工事事務所として使われていた
なので道道42号線からの進入に一瞬ためらったが、逆に人がいれば許可をもらえばいいさと車で進入。

はたして一人の工事関係者がこちらに来たので、写真を撮らせて欲しいと頼むと
どうぞどうぞとのことで一安心。


※道道から進入後、振り返る

 

会館自体は旧学校を解体したあとに建てられたようなので関係はない

 

目的のものは会館の裏側の雑木林の中にあった。

 

 

 

 

これは閉校記念碑であろうが、笹藪で近くに寄りたくない

表側には学校名があるはずだが・・・ちょうど真裏に倒木があり見るポジションが無いように思えたのだ

ちなみに道道側からも木々と雑草で見えなかった。

 

そしてすぐ横に崩れそうな校門らしき門柱もあった。

※これも倒木が邪魔

 

改めて記念碑の手入れをするのは大変だろう
何しろ昭和43年の閉校だ

ここはこのままで良いのかも知れない

奥には何かわからぬ木造建築物と、きれいな草地が広がっており、校庭を想像させる。

 

2024年10月18日撮影

 

 

 

「旧八雲町立熱田小学校」NEW


※八雲町史より

 

開校:明治35(1902)年
閉校:昭和51(1976)年
校舎:(確認中)年

八雲町熱田254-2

ナビ「八雲町熱田神社」

 

「旧大新小学校」よりも海に近い丘の上に熱田地区はある

その一角に熱田神社と熱田会館があり、旧校舎は会館あたりに建っていてすでに解体されている。

現在は駐車場と広場になっている場所が校庭である
大小はもちろんあるが、小さな校庭から推察するに校舎もそう大きくはなかったろう。

 

 

 

 

 

 

 

会館の前に石碑があり、これが旧熱田小学校のあった証となる。

海が見えるロケーションだ

2024年10月18日撮影

 

 

「旧八雲町立大新小学校」NEW


※八雲町史より

 

開校:大正5(1916)年
閉校:昭和62(1987)年
校舎:(確認中)年

八雲町大新316−3

ナビ「住所」

 

大新地区は八雲町の小高い丘にある 

登って来た方向を顧みると太平洋まで見渡せる

「旧大新小学校」があった跡地に着いたが、そこは背の高さはあろうかの雑草地帯だった。

ストリートビューでは石碑があり、学校跡地と石碑に彫られている
しかし今回は旅行が主目的で、服や靴を汚すわけにはいかない

いろんな方向から分け入れないかと探したが、諦めた。


※この施設の左隣

 

 

 

おそらくここから入って右側に石碑あり
そこが校庭であろう

旧校舎は正面奥にあり、体育館と少し離れているように見えた

 


いつかこの地に来ることがあれば、次回は何とか撮影しようと記憶しておく。

2024年10月18日撮影

 

 

「旧八雲町立山越中学校」NEW


※八雲町史より

 

開校:昭和22(1947)年
閉校:平成5(1993)年
校舎:(確認中)年

八雲町山越

ナビ「JR山越駅」

ここは旧中学校を示すものは何一つなかった
なので行っても仕方が無いのだが、もし行くとするなら

国道5号線沿い、JR山越駅を少し八雲市内側に行くと「ヤクルト」がある
その駐車場には現役の「山越小学校」の標識もあった

 

 

 

そこからJR線路を渡って、すぐ左の枝道に入る
少し行くと線路側に降りるような枝道が左に出てくるので
左折して進むとそこが中学校跡地だった。

 

 

 

 

空地なのだが小屋があり、そこは「八雲町立郷土資料館収蔵庫」らしい

 

らしい というのも現地へ行ったら白い防護服?で作業をされている人たちがいて近寄れなかった。

おそらく向こうも何しにこんなところへ来た?みたいな感じだったろう

旧校舎は小屋のあたりに線路とTの字になるように建っていた
反対側の奥に「山越諏訪神社」が見えている 校庭はそこまであった。

 

 

 

ちなみに現役の「山越小学校」の以前の旧校舎は
線路を渡って向かい側あたりにあったようだ
そこにも以前は学校があったような印は無かった。

 

2024年10月18日撮影

 

 

ここから過去レポート

 

 

八雲町の閉校は国道5号線になるべく近い学校ばかりを訪問した
黒岩小、中学のように隣接して建っていると効率は良いのだが

「旧八雲町立黒岩中学校」

 

開校:昭和22(1947)年
閉校:平成16(2004)年
校舎:昭和39(1964)年

八雲町黒岩212

 

旧黒岩中学と旧黒岩小学校は校庭を間にして建っている
国道5号線とJR線に挟まれた場所だ。

札幌方面から来ると5号線の右側に、昔の通学路があるので少し進入して停車
ここから歩いて行ってみる。

雑草が生い茂っているので長靴に履き替えて進む
やがて両側に校門を発見 校名プレートも残っていた。

正面には教員住宅らしき建物を見る
左手が校庭で奥に近代的な旧黒岩小学校があるので両校で使用した校庭であろうか。

校舎は右手に現存していた
しかも木造校舎だ 資料によると昭和39年の建築で平成16年まで使用したとある
40年使用で閉校から15年以上経った建物。

樹木や背の高い雑草に囲まれた廃墟美がある
校舎入り口前のスペースに閉校記念碑が おそらく現役時はこの周りに草はなく
校舎ときれいに見えていただろう。

体育館は5号線から背の高いイタドリ越しに見えるが
その天井は崩落が心配される。

物音がしたので驚いて振り返ったら
キタキツネだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2022年6月撮影

 

 

 

「旧八雲町立黒岩小学校」

 

開校:明治16(1883)年
閉校:平成26(2014)年
校舎:平成6(1994)年

八雲町黒岩212

 

旧黒岩中学校と校庭・グラウンドを挟んで建っているが
中学は草ぼうぼうなのに対し、小学校は校門前まできちんと舗装道路がある
校門プレートは外されているが平成時代に建てられた校舎はきれいだ。

そのファサードはまるで宿泊施設を見るようだ
校門にチェーンなどは無いので少し入って撮影した。

遊具はほぼ現役で、近くの子供に開放しているのかも知れない
また校舎も何かの再活用をしているようだ?

体育館は正面から見えないが中学校側からこれもきれいな体育館に見えた。

 

 

 

 

 

 


2022年6月撮影

 

 

 

「旧八雲町立山崎小学校」

 

開校:明治39(1906)年
閉校:令和3(2021)年
校舎:平成4(1992)年

八雲町山崎375

 

旧山崎小学校も旧黒岩小学校と同様に、平成に建てられた校舎をもって閉校した。

5号線から少し右に入った場所にある
パッと見てログハウスのような、これも黒岩小学校と同じく学校には見えずらい

校舎前に創立者の像、人工池、広いグラウンド
何よりオシャレな施設に目が行く。

特に体育館の正面に幾何学模様風の窓はステンドグラスだ
ゆえに最初はキリスト教の私学?と思ったほど。

素敵な校舎になる前は、普通の木造平屋建てだっただけに
新旧両方の校舎に通った生徒は変化に喜んだことだろう。

山崎、黒岩の両小学校の設計は何かしらの関連があるような気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2022年6月撮影

 

 

 

「旧八雲町立栄浜小学校」

 

開校:明治42(1909)年
閉校:平成19(2007)年
校舎:昭和39(1964)年

八雲町栄浜96

 

この学校は函館からの帰途に訪問した 天気が良かったのは帰途日だけであった。

栄浜小学校だけ5号線の海側にある やはり「浜」の名が付く学校だからだろうか
5号線沿いに校門とプレートがあるが、実際は民家の間を少し行ったところに校舎があった。

これはおそらく木造モルタルで、ここにも古い校舎が残っていた
正面側は木々が生い茂り、校舎全体が入る写真は撮れなかった。

校庭側に遊具やオブジェがあるが、ここも当時は草はなかっただろう
時期的にカラスの子育て中で、侵入者に対し威嚇がひどく、這う這うの体で
離脱したのが思い出となった。

 

 

 

 

 

 

 

 


2022年6月撮影