アコギおやじのあこぎな日々

初老の域に達したアコギおやじ。
日々のアコースティックな雑観

「独居老人」をうれしがらせた言葉

2008-05-06 | Weblog
 「独りのおばあちゃん!」。私の息子は、私の母親、つまりおばあちゃんをそう呼ぶ。母はいま76歳。すでに連れ合いはいない、子である私も別居しているから、いわゆる「独居老人」。

 4歳の息子にしてみれば、独居老人の現況を事実に忠実に、淡々と表現しているだけである。


 が、母にとって、実はその忠実な表現がうれしいらしい。

 飾りがない。「独りのおばあちゃん」。それ以下でもそれ以上でもない。

    ◇

 母の曽祖父は銀行家だった。曽祖父の一族は、戦争後に戦勝者側の一員としてこの地に入り、どさくさに紛れて財を成し、この地に根づいてしまったらしい。曽祖父の父は貴族院議員になった。叔母の葬式の際、伊藤博文と一緒の写真が出てきた。


 母は幼少期は裕福だったらしい。いわゆる搾取階級に在って、「家族全員、働かずに食っていた」という。

 「日本人の全部が変なプライドに執着して、気持ちの悪い時代だった」という。そのなかでも、特に母は「うちのなかは、おじいちゃんを中心に貧乏人への思いやりの足らない、嫌な人間ばかりだった」という。


    ◇

 母は、私を育てるようになった頃も、その時代を嫌悪していた。「自分の家がいやだった。銀行なんて、よそさまの生活を食い物にする高利貸しだ」「よそさまからもらった金で女学校に通わせてもらっていたことをあとから分かった。恥ずかしい」。高利貸しだった曽祖父のことは、特に忌み嫌っていた。

 「いいか、絶対に金勘定で生きるな」。


 一族は、銀行の経営を手離してから、相当に貧しい生活も経験しているらしい。しかし、母はその貧困生活の経験が「財産」であるといっていた。

    ◇

 貧しい時代から這い上がって、わずかばかりの資産を持つようになった。で、銀行屋も役人もいい顔をしてくれるようになった。が、それが、幼少期の「搾取階級」時代に戻ったようで不満だったらしい。

 「底が浅い」。よく嘆いていた

    ◇

 連れ合いのいない単なる「独居老人」を「独りのおばあちゃん」と呼んでくれる孫が、掛け替えのない存在であるらしい。「底が深い」。


    ◇

 昨年のお盆のこと。母と私、妻、息子の4人で母の姉を訪ねた。母の姉はもうすぐ80歳。息子が母の姉に尋ねた。「おじいちゃんはいないの? さびしい?」

 母の姉。「あたしは独り。さびしいよ。だから、また遊びに来てね」

 すると息子は「元気、出してね。元気出すと楽しいからね」。そして母を指差して、「このおばあちゃんもひとりだから安心してね」

 母は、自分をまったくちやほやしてくれない、その孫の態度がいたく気に入ってしまったらしい。


    ◇

 翻って、われわれ現役世代の仕事もまた同じだろう。

 金を「取ろう、取ろう」とする仕事は、人の心には響かない。

 結局のところ、励ませばいい、思いやればいいのである。
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1 コメント

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Unknown (中年1号)
2008-05-08 20:04:29
素晴らしいお話ですね。
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