「炎神戦隊ゴーオンジャー」が、いまの息子の一番の関心事である。5人戦隊ものの最新版だ。
「炎神」は「エンジン」、「ゴーオン」は「轟音」もしくは「GO&ON」にひっかけている、多分。
レースカー、バギーカー、バスなどのキャラが登場して、走り回っては「エンジン」「ゴーオン」の名の由来を誇張して活躍し、人間のサイズのヒーローとして闘ったり、「トランスフォーマー」のように巨大ロボットになったりして闘っているのだ、だいたいのところは。
◇
合体もの、戦隊ものを考えた人は、物語の創作者としては一流だと思う。加えて、商売では天才である。
関連する人形やおもちゃは、合体するロボットの数、戦隊ものはキャラクターの数の分をすべて集めないと満足できない仕組みになっている。武器や小物類も、実にたくさん買わないと満足できない仕組みになっている。
◇
私は、テレビを見ない家庭に育ったことを幸福に思っている。
巨人やキャンディーズのファンにならずにすんだ。これは、人生の中で非常に大きな財産である。
テレビ番組を提供する側と見る側との関係を考えると、今も昔も構造はあまり変化していないように思える。
例えば、巨人の試合はヒーロー番組のようなものではなかっただろうか。巨人という「正義の味方」が阪神や阪急といった「悪役」をやっつけるのである。実は戦隊ものでもあり、ナインの中で王や長嶋は「レッド」だった。ちなみに、森は「ブルー」、柳田が「イエロー」。
あれ、おれって結構、詳しい。
キャンディーズの歌番組は、音楽番組ではなく美少女アニメ。ちょっとずつオイロケを醸しては、少年の劣情をにわかに煽っていたのである。
実は、社会的にはこっちの方が怖い。煽ったほうは軽い気持ちでも、煽られたほうは本気だ。
◇
ともかく、テレビの影響を強く受けて育つと、一方向への感受性に凝り固まってしまうと思う。「阪神」などの「ほかの魅力」に気付きづらくなってしまうのだ。
◇
「ゴーオンジャー」は、私は反対である。が、妻が息子以上に大好き。息子のシャツやパジャマには「ゴーオンジャー」がプリントされている。
おもちゃをそろえるのに金がかかりすぎる。息子も、女房も、テレビ番組とおもちゃ会社の企画に嵌り過ぎている。
それに、仕事から疲れて帰ってきて、息子に「たたかい、しよう!」とまとわり疲れるのも、相当に大変だ。
◇
しかし、そんなことを言いつつも、きっと今が幸福な時代なんだろうなぁ。「ゴーオンジャー」熱だって、きっと長くは続かないんだろう。顧みたとき、きっと幸福な時代だったと懐かしむんだろう。
◇
なるべくテレビに接触させずに育てる、という計画は早くも壊れた。が、得た情報を選択し、糧としていくのは結局は息子本人である。テレビを避けて生きていくことが難しい現状で、私は情報の選び方を教えていかなくてはいけないのかもしれない。
ゴーオンジャーは、息子の「夢」。
見えている。が、つかめない。空の虹のようなもの。それを知ることこそ大切だと思う。
虹は、つかめない。それを知っておかなくてはいけない。遅すぎてしまわないうちに。
「炎神」は「エンジン」、「ゴーオン」は「轟音」もしくは「GO&ON」にひっかけている、多分。
レースカー、バギーカー、バスなどのキャラが登場して、走り回っては「エンジン」「ゴーオン」の名の由来を誇張して活躍し、人間のサイズのヒーローとして闘ったり、「トランスフォーマー」のように巨大ロボットになったりして闘っているのだ、だいたいのところは。
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合体もの、戦隊ものを考えた人は、物語の創作者としては一流だと思う。加えて、商売では天才である。
関連する人形やおもちゃは、合体するロボットの数、戦隊ものはキャラクターの数の分をすべて集めないと満足できない仕組みになっている。武器や小物類も、実にたくさん買わないと満足できない仕組みになっている。
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私は、テレビを見ない家庭に育ったことを幸福に思っている。
巨人やキャンディーズのファンにならずにすんだ。これは、人生の中で非常に大きな財産である。
テレビ番組を提供する側と見る側との関係を考えると、今も昔も構造はあまり変化していないように思える。
例えば、巨人の試合はヒーロー番組のようなものではなかっただろうか。巨人という「正義の味方」が阪神や阪急といった「悪役」をやっつけるのである。実は戦隊ものでもあり、ナインの中で王や長嶋は「レッド」だった。ちなみに、森は「ブルー」、柳田が「イエロー」。
あれ、おれって結構、詳しい。
キャンディーズの歌番組は、音楽番組ではなく美少女アニメ。ちょっとずつオイロケを醸しては、少年の劣情をにわかに煽っていたのである。
実は、社会的にはこっちの方が怖い。煽ったほうは軽い気持ちでも、煽られたほうは本気だ。
◇
ともかく、テレビの影響を強く受けて育つと、一方向への感受性に凝り固まってしまうと思う。「阪神」などの「ほかの魅力」に気付きづらくなってしまうのだ。
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「ゴーオンジャー」は、私は反対である。が、妻が息子以上に大好き。息子のシャツやパジャマには「ゴーオンジャー」がプリントされている。
おもちゃをそろえるのに金がかかりすぎる。息子も、女房も、テレビ番組とおもちゃ会社の企画に嵌り過ぎている。
それに、仕事から疲れて帰ってきて、息子に「たたかい、しよう!」とまとわり疲れるのも、相当に大変だ。
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しかし、そんなことを言いつつも、きっと今が幸福な時代なんだろうなぁ。「ゴーオンジャー」熱だって、きっと長くは続かないんだろう。顧みたとき、きっと幸福な時代だったと懐かしむんだろう。
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なるべくテレビに接触させずに育てる、という計画は早くも壊れた。が、得た情報を選択し、糧としていくのは結局は息子本人である。テレビを避けて生きていくことが難しい現状で、私は情報の選び方を教えていかなくてはいけないのかもしれない。
ゴーオンジャーは、息子の「夢」。
見えている。が、つかめない。空の虹のようなもの。それを知ることこそ大切だと思う。
虹は、つかめない。それを知っておかなくてはいけない。遅すぎてしまわないうちに。
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