アコギおやじのあこぎな日々

初老の域に達したアコギおやじ。
日々のアコースティックな雑観

「救済」? いや、「賠償」でしかない

2008-01-12 | Weblog
 薬害C型肝炎の被害者一律救済法案が成立の運びとなった。すべての薬害被害者の、いや公害なども含むすべての健康被害者の権利救済に向けた大きな1歩であり、国や大企業による国民への加害行為に歯止めをかけるための、これまでにない大きな前進であると評価している。


     ◇

 が、こんなに画期的な出来事であると思っているのに、「疑念」がぬぐいきれない。

 放置し続けてきた薬害被害者たちを、なぜこんなに急に救済する気になったのだ。法案の可否に、低迷する内閣や与党への支持率への思惑が絡みすぎてはいないか。

 私の目には、福田さんが頭を下げたくなさそうにふてくされているように映った。いつもそうだが、「誠意」や「誠実」といった本来とても大切な言葉もこの人の前に置くと、とたんに虚ろなものになってしまう。


    ◇

 そもそも、法廷で争われてきた経緯を論じる前に、いきなりの議員立法とは立法府による司法府に対する重大な侵害行為であるとも言える。真剣な法律論争を繰り広げてきた法曹界には無念の人もいるはずである。

 法律論の決着を待てば長い時間がかかり、多くの原告が決着を待たずに亡くなるだろう。結果として、そのようにならずに心情的には安堵している。が、現在あり得る筋道としては明らかに逸脱しているように思う。法律論争を軽視したいきなりの立法は、結局、法治国家であっても当局側の事情が最優先される体制なのだと失望させられる。


    ◇

 もうひとつ。一番声を大きくしたいこと。

 自分の都合が何よりも優先される政治屋のみなさんや、力を持たない民には殊更に無関心な役人のみなさんに、絶対に間違ってほしくないのは、「救済」という言葉の取り扱いである。

 「損害賠償」とは、違法行為によって発生した損害を、真に救済することは不可能だから、仕方なくお金に換算して穴埋めさせてもらう手段でしかない。「救済」ではない。

 違法行為によって奪われた「命」や「時間」や「健康」は、返すことは不可能である。「仕方なくお金で解決してもらっているのだ」ということを、それも、違法行為の実行者の自腹ではなく、結局は国民の金で勘弁してもらっているのである、ということを忘れないでほしい。


 そのあたりのことは、みんなで、真摯な態度で、慎重に、深く考えていくべきだと思う。

 情緒的で短絡的な伝え方をしている報道機関のみなさんも。

       ◇

 あっ、あと、今日は「テロとクソ法」なんてのもあった。こちらのほうは、まさに「語るに落ちた」って感じ。現場のみなさん、ご苦労様です。
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