リサイクルショップからプレーヤーとアンプを買ってきて、レコードを聴ける環境が調った。
いや、これまでも「ラジオ付きカセットテープ&CDプレーヤー付きレコードプレーヤー」(新聞の通販広告等で出てくるアレ)があったので、レコードを聴くことはできた。しかし、なにしろ音が薄っぺらい。すぐに聴く気がしなくなった。2年前に「これは便利なものが出てきたものだ」と感心して購入したが、「安物買いの銭失い」をまさに地でいってしまった代物だ。
手元に400枚ほどのLPレコードがある。父親が残したクラシック、ロシア民謡、ラテン音楽が20枚ほど。それ以外はほとんどロック。中学生から大学生までの10年ほどで買い集めたものだ。
中学1年の時に行ったクイーン初来日の日本武道館ライブのパンフレットもある。この時のことは、クイーンのことよりも電車の乗り継ぎに失敗して行方不明になって親に心配をかけたことのほうが強烈に頭に残っている。しょうがない小僧だった。
もうすぐ55歳。ここに至って、このレコードたちの行き場所を考えなくてはいけないことに気付く。近い将来に処分しなくてはいけないだろうという実感が湧いてきた。で、小僧のおれを楽しませてくれたレコードをもう一度聴きたくなった。ちょっと奮発して上質のアンプとプレーヤーを購入したという次第だ。
やっぱり、レコードはいい。CDもいいが、レコードを久しぶりに聴くと、やっぱりデジタル音は深みがないと感じられた。デジタル処理してさらに圧縮したような音では、やはり人間の耳は満足できないのではないだろうか。
ジャケットも実は芸術性が高いものが多いと気付く。
レコードの魅力に久しぶりに接して、CDでは得られなかった幸福に浸っていると、ハタと思ってしまった。
息子にも聴かせたい。
処分することのほかに、鑑賞できる場所の確保についても考えてみようっと。息子が生まれた時には、すでにおれの父親はいなかった。小僧だったおれが愛したレコードも聴いてはもらいたいが、それ以上に会ったことのない祖父が愛した音楽にも接してもらいたいと思う。
芸術に対する感性ってのは、周囲の人の、特に家族の影響を受けやすいと思う。息子にとっては生まれたときから「お墓の中のおじいちゃん」。自室の壁に掛けたルノアールの絵を見ながらおじいちゃんが楽しんでいたレコードたち。息子にも聴いてもらいたいな。
今回のプレーヤーとアンプ。おれにしては、当たりな買い物だったかも。
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