7時50分を過ぎると、交差点を渡る子どもはほとんどいなくなった。58分ごろ、1年生の女の子がランドセルを揺らして走っていった。
「福島の子どもたちが元気に育ちますように」
最後の一人を見送り、黄色い旗を降ろした。
と、3月8日に「最後の旗当番」の題名でカッコつけて書いてから2カ月ちょっと。息子の小学校卒業に合わせて、私の旗当番も卒業の予定だった。でも、5月20日、旗当番、復活。ついでにブログも復活。
3月に書いたように、小学生たちの通学の安全確保のための「役目」なのだが、他方、朝から子どもたちはもちろん出勤途中の社会人や散歩中の地域の人たちや、いろいろな出会いがある「役得」もある。小学生の親としての「役目」はなくなってしまったが、地域の一員としての「役得」を手放せず、子ども会に頼み込んで旗当番を続けさせてもらうことにした。
もっとも、多くの人たちにとっては「役目」の意味が強いため、4月以降も続けさせてほしいと申し出たときは、随分と感心され、感謝もされてしまった。
実は「子どものため」じゃなくて「自分のため」なんですけど…。
子どもの顔ぶれが変わった。旗当番を継続したことによって分かったこと。卒業式と入学式を経たこの時期、おれが知っている子どもたちの顔ぶれは、それまでの3分の2になってしまった。
つまり、6学年のうちで、顔見知りだった6年生がいなくなり、顔も知らない1年生が入ってきた。特に、自分の子どもと同級生だった、一番なじみのある6年生の顔ぶれがごっそりなくなったことに、やや戸惑いを感じた。
あちらにとっても同じ。「あれっ、この人、だれのお父さんだっけ?」と、そんな顔がたくさん見られた。
それでも、大きな声で「おはよう」「いってらっしゃい」と声をかけると、元気な返事を返してくれた。
そして、痛感したことがもうひとつ。息子はもう中学生なんだということ。
3月までの旗当番ではいつも見送っていたわが子が、当たり前のことだが、いつまでたっても来ない。息子はもうこの通学路は使わなくなったということを実感して、息子がもう小学生ではないということを脳が初めて理解した。
ちょっと前までは片腕で抱き上げられた子どもが、もう両手でも持ち上げることができない。子どもにはいつまでも子どもでいてほしいとついつい願ってしまいがち。ただ、変化することを受け入れなくてはいけない。子どもの成長を。
延長旗当番、1回目。ちょっと甘酸っぱい気持ちに浸る中年おやじであった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます