小学校のグラウンド。地面にビニール紐でできた大きな四角形が並ぶ。それぞれ、四隅はテント用のペグで留めてある。
きちんと整地された広い平坦地に、巨大な幾何学模様。見ようによっては、芸術とも映る。
運動会の場所取りである。初めて見た。
前日の夜に、親が校庭に入り込んで陣取り合戦をしたのだ。
8日の土曜日、息子の小学校の運動会だった。当日の朝、妻に命じられて開会2時間前に場所取りに出かけたら、いい観戦場所はほとんど取られていた。
夫婦そろって、場所取り競争を甘く見ていた。
仕方がないので、校庭の隅の方にわずかに残った場所に、持ってきたレジャーシートの分だけ場所を確保。
敷いたシートにずっと居続けるという、真っ正直な、昔ながらのスタイルの場所取りとなった。
開会時刻が近付くにつれて、ビニール紐の張本人たちが余裕をもって姿を現し始める。
まず、確保した敷地内に断熱素材の緩衝シートを敷いて、その上にレジャーシートを広げる。さらに折りたたみ式のレジャー用テーブル(いす一体型)を組み立て、ディレクターチェアを何脚か設置。最後に、ビーチパラソルの花を咲かせる。
開会直前、校庭はさながらオートキャンプ場の様相である。
自分の小学生時代からは考えられない盛り上がりである。もっとも、私の場合、ビーチパラソルなんて持ってる家庭はそんなになかったし、親が小学校教諭だったので、運動会当日は親も勤務先の運動会。親が来たことは一度もなかった。
それでも、さびしかったという記憶はない。隣のおばさんと一緒の昼食は、楽しかった。
あと、自慢ではないが、ほとんどの種目で一等賞だったので、活躍ぶりをほめられて、昼食相手などだれでもよくて、運動会は幸福いっぱい、有頂天の日だった。親の不在などには関心が向かなかったと思う。
息子は、というと、かけっこをはじめ、だいたい5位くらいだった。
スタート時点から、競う気持ちが希薄すぎる。スタートのピストル音を緊張しながら待つ、という姿勢がまるでない。
周囲が走り始めてから、思い出したように走り出す。そのくせ、負けるときめっこして、誘導係の上級生を困らせている様子だ。
「オレが悪いのだ」
家では、ゲームでも相撲でも、お父さんがいつも負けてあげているので、闘争心が薄くなり、加えて、負け慣れていないので、自分の敗北を素直に受け入れられない気質になってしまったのだ。
運動会の翌日から、なるべく、負けてあげないことにした。
覚えたばかりで熱中している将棋も、容赦なくやっつけることにした。飛車角落ちでも差がありすぎる現状だが、勝たせてあげない。1年か2年後には、私の方が勝たせてもらえないようになればいいな、と思いつつ、小学1年生相手に本気の一手を打っている。
子ども相手にそこまでするか、という具合だ。
負けてあげないことで、悔しくて悔しくて、いつまでも「泣きのもう一回」を求めてやめないようになってしまった、という反作用が生じた。しかし、勝たせてあげるより、ずっと良い経験に違いない。
息子を負かすことは、父親の重要な役割に違いない。
運動会に行って、よかった。
子どもの成長具合をみることは重要だ。現在進行形の子育ての現況を把握し、かつ、問題点を知るよい機会だ。
ただ、場所取りは来年もしないと思う。そういえば、7日の夜は強い雨だった。場所取りのお父さんたちは、雨の中でビニール紐を張っていたのか! すごいなぁ。
きちんと整地された広い平坦地に、巨大な幾何学模様。見ようによっては、芸術とも映る。
運動会の場所取りである。初めて見た。
前日の夜に、親が校庭に入り込んで陣取り合戦をしたのだ。
8日の土曜日、息子の小学校の運動会だった。当日の朝、妻に命じられて開会2時間前に場所取りに出かけたら、いい観戦場所はほとんど取られていた。
夫婦そろって、場所取り競争を甘く見ていた。
仕方がないので、校庭の隅の方にわずかに残った場所に、持ってきたレジャーシートの分だけ場所を確保。
敷いたシートにずっと居続けるという、真っ正直な、昔ながらのスタイルの場所取りとなった。
開会時刻が近付くにつれて、ビニール紐の張本人たちが余裕をもって姿を現し始める。
まず、確保した敷地内に断熱素材の緩衝シートを敷いて、その上にレジャーシートを広げる。さらに折りたたみ式のレジャー用テーブル(いす一体型)を組み立て、ディレクターチェアを何脚か設置。最後に、ビーチパラソルの花を咲かせる。
開会直前、校庭はさながらオートキャンプ場の様相である。
自分の小学生時代からは考えられない盛り上がりである。もっとも、私の場合、ビーチパラソルなんて持ってる家庭はそんなになかったし、親が小学校教諭だったので、運動会当日は親も勤務先の運動会。親が来たことは一度もなかった。
それでも、さびしかったという記憶はない。隣のおばさんと一緒の昼食は、楽しかった。
あと、自慢ではないが、ほとんどの種目で一等賞だったので、活躍ぶりをほめられて、昼食相手などだれでもよくて、運動会は幸福いっぱい、有頂天の日だった。親の不在などには関心が向かなかったと思う。
息子は、というと、かけっこをはじめ、だいたい5位くらいだった。
スタート時点から、競う気持ちが希薄すぎる。スタートのピストル音を緊張しながら待つ、という姿勢がまるでない。
周囲が走り始めてから、思い出したように走り出す。そのくせ、負けるときめっこして、誘導係の上級生を困らせている様子だ。
「オレが悪いのだ」
家では、ゲームでも相撲でも、お父さんがいつも負けてあげているので、闘争心が薄くなり、加えて、負け慣れていないので、自分の敗北を素直に受け入れられない気質になってしまったのだ。
運動会の翌日から、なるべく、負けてあげないことにした。
覚えたばかりで熱中している将棋も、容赦なくやっつけることにした。飛車角落ちでも差がありすぎる現状だが、勝たせてあげない。1年か2年後には、私の方が勝たせてもらえないようになればいいな、と思いつつ、小学1年生相手に本気の一手を打っている。
子ども相手にそこまでするか、という具合だ。
負けてあげないことで、悔しくて悔しくて、いつまでも「泣きのもう一回」を求めてやめないようになってしまった、という反作用が生じた。しかし、勝たせてあげるより、ずっと良い経験に違いない。
息子を負かすことは、父親の重要な役割に違いない。
運動会に行って、よかった。
子どもの成長具合をみることは重要だ。現在進行形の子育ての現況を把握し、かつ、問題点を知るよい機会だ。
ただ、場所取りは来年もしないと思う。そういえば、7日の夜は強い雨だった。場所取りのお父さんたちは、雨の中でビニール紐を張っていたのか! すごいなぁ。
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