4月26日、福島市は夕方に花散らしの強い雨に見舞われた。満開だった桜は、ほとんどが落ちた。葬祭会館を訪れた人たちは、篠突く雨に出迎えられた。
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友人の母親の通夜。
遺影の顔が懐かしい。というか、私はその顔しか知らない。この地に生まれ、育ち、産み、育てた。病に伏したことさえ、子どもの自立を促すために与えた試練、ともいえる。そうした子育てをしてきた世代だ。連綿とした、現代よりも密接な関係が維持されてきたコミュニティの流れの中で「自分」を生き抜いてきたのではないだろうか。
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子育ての第一の目的は、親なしで生きていく力を身に付けさせることだと思う。
50才を超え、体力の衰えを自覚することが増えてきて、子どものためにしておくべきことについて、少し切迫して考えるようになった。
で、親としての最期の仕事とは何なのか、と思う。
その一つは、自分の死によって、子どもたちをひとところに集めることかもしれない。
手をつないで育ってきた子供たちや近親の人たち、かつては密接に関係し合っていたのにそれぞれが独立していった家族たちに「家族」であることを再認識させる。
家族が「家族」であることを思い出す日。同時に、生を与えていただいたことに、あらためて感謝する日。それが、親の告別式。
命をかけて産み、命を尽くして育ててきた子どもたちへの、最期のしつけであり、最期のプレゼント。
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