for our parents...
映画「フィールド・オブ・ドリームス」をレンタルDVDで観た。おおよそ10年ぶり。
「アラバマ物語」「クレイマー・クレイマー」「秋刀魚の味」「砂の器」と同等、多分5回くらい観ている。
もちろん、その映画を高く評価しているからこそ鑑賞した回数が多いわけだが、私の場合、1回きりの鑑賞ではその映画の良さを理解できない場合がほとんど。製作者側が何を伝えたいのか、3回目くらいでようやく分かることが多い。
◇
先月、息子とキャッチボールをしてから、もう一度観たい、とずっと思っていた。
TVが単身アパートにあると生活にけじめがなくなるので、郡山の自宅にTVをしまいこんでいた。しかし、どうしても「フィールド…」を観たい。生活が再び乱れるリスクはあるのだが、再びアパートにテレビを持ち込んだ。
5度目ではあったが、親になってからは「1回目」と、観ている途中から気付いた。
いままで見えなかったものがみえてきた、と思う。その一つ、今回初めて気づいたのが、エンドクレジットの末尾に流れる「for our parent...」。
◇
主人公とすでに亡くなっている父親とがキャッチボールをする、あのラストシーン。すれ違ったまま死別した父を思慕する主人公の「フィールド・オブ・ドリームス」だと、これまで思っていた。が、実は2人共通の夢、いや、特に父の強い願望であり、息子である主人公がその心情を理解できる年齢になった、という理解に至った。
◇
for our parents...
今までの4回では気付きもしなかった。いや、心に刻まれなかっただけなのだろう。
◇
現在8歳の息子が「フィールド…」を観るのは何年後か。あのキャッチボールをより強く望んでいたのが実は父親だったと感じるのは、俺が死んでから何年くらい経ってからだろうか。
多くの場合、父親と息子は息子の成長とともに次第にすれ違い、反目し、取り戻せないほどの時間を経て、再び互いを慕う。
週に1回だけ会っていると、成長を実感する。週末に単身アパートから帰宅すると、玄関先でまずダイビングしてきてくれる。また、でかくなっている。
今夜も、読み聞かせをして、午後9時ごろに寝かしつけたばかり。成長はうれしい。しかし、この息子とすれ違うのは、恐怖だ。
ただ、すれ違いを恐れて本来的な教育・しつけから逃げることは、親として決してあってはならない。今はまだ私を慕ってくれている、幼い息子の寝顔を見ながら、あらためて思う。
「フィールド・オブドリームス」の親の立場になってからの“ロードショー”。また、学ばせてもらった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます