アコギおやじのあこぎな日々

初老の域に達したアコギおやじ。
日々のアコースティックな雑観

落語が必要なのだ、おれには

2007-09-01 | Weblog
 殺伐とした職場の中で、「家族への愛情」だけを支えに生きている。使い回しの手垢まみれの「企業理念」をモチベーションに代替して、いちおう頑張っている気になっている。が、結局はごまかし。「ツマラン」のだ。


 弱者を見つけては俊敏に近寄ってネチネチと攻撃を仕掛ける者、それに擦り寄る若者、弱者への攻撃が不必要だと認識しつつ見て見ぬふりを決め込んで作り笑いを浮かべている者。

 みんな大嫌いだ。見ていると、心が腐ってしまいそうだ。全員まとめて殴りたくなる。

 中学1年のとき、いじめをしているヤツを見つけては逆にそいつらをいじめて校内を歩いていた。「世直し組」と称して、けんか自慢の三人でやっていた。奴らを平気で殴っていたころ。自分も、そして時代も「健全」であったような気がする。



 で、唐突に思い立った。こんな馬鹿な時代、いま必要なのは「落語」だ。


 落語が聴きたい。しかし、東北地方の片田舎に居ては寄席に行くことはできない。しょうがないから、レンタルショップのCDコーナーに行ってみた。

 少な!

 しかも、品揃えが…。桂文珍? 落語英語版?
 正直言って、がっかりだった。三木助の「芝浜」や円生の「掛取り漫才」などを聞きて元気を取り戻したかったのだが。

 多分、需要が無さすぎるのだ。そして、名人不在のいま、落語家といえばテレビで変なことをやっている漫才師崩れだと思われているのだ。


 もっとも、今の噺家も、これからの噺家も、三木助や円生のレベルの「情」を伴う噺は困難だ。修行不足なのではない。「情」を持ち込む環境で育っていないし、生きていない。「うけるか、うけないか」ばかりを気にして芸をしているのだから、落語が上手になれないのは仕方が無いのかもしれない。


 「しょうがないから、自分で落語をしよう」。

 息子相手に「初天神」「寿限無」「目黒のさんま」「饅頭こわい」をやってみた。絵本の読み聞かせだが、なるべく落語調でやってみた。

 息子は、けっこう聴いてくれた。いまでは、会話の中で「さんまはメグロにかぎる」「やあぶらこうじのやぶこうじ」なんて言ってくれる。



 一番好きなのは「芝浜」「崇徳院」「宿屋の富」「へっつい幽霊」のあたり。話し始めればできるかもしれない。だって、もう15年も車の中で聴いているのだ。




   ◇

 そういえば、相撲協会も随分と変だ。最近の朝青龍問題についてである。


 落語の世界も、実は変になって久しい。談志が追放で、こぶ平が真打ち。しかも名跡。随分前のことだけど五代目三木助は自殺。「変」すぎる。


 相撲協会と落語協会。うわ、同じだ。
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