「お父さん、スイケンシンジャクしよう」
休日出勤の代休の月曜日(24日)、午後2時に息子を学校まで迎えにいった。
ふだん、小学1年生の息子は通常授業のあとは夕方6時まで「学童保育」に預けられている。
学童保育とは、働く親のために、放課後も子どもを学校で預かってくれるシステム。息子が通う学校の場合は、1年生から3年生までの合計9人が、3人の女性ボランティアのお世話になって過ごす。
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このところ、息子は将棋やトランプのさまざまな遊び方を覚えてきて、家で親に相手をさせている。これらは、学童保育で2年生や3年生の「先輩たち」に教えてもらっているらしい。
回り将棋、本将棋、ばば抜き、七並べ…。
「スイケンシンジャク」とは「神経衰弱」の息子の言い間違え。「神経を衰弱させる」という過酷なネーミングだが、実は私、得意だった。
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小学校の3、4年生くらいから中学1年までの4~5年間くらいの期間だったのだが、見た場面を映像で記憶することができた。例えば、車で家族旅行に行ったときのこと。大きな木の横を通り過ぎ、あとで枝は何本あったかと聞かれたりすると、頭の中でその木の映像を引っ張り出し、あとはその映像を見ながら数えれば何本か分かった。
最近の脳科学で言う「ワーキング・メモリ」のひとつではなかったかと、今になって思う。
だから、「神経衰弱」は負け知らずだった。
どうしてその能力を失ったのか、おぼろげに覚えている。
その「残像記憶術」についてだれかに説明した際、「そんなことはできるはずがない」という意味のことを言われた。それ以降、できなくなってしまった。
「そうか、できるはずがないのか」という「常識」に気づいてしまった。
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ともかく、「スイケンシンジャク」スタート。
結果は惨敗だった。
本気でやったのだが…。
息子の記憶力が特に優れていたわけではない。自分の記憶力が著しく落ちていた。
ワーキングメモリの能力低下に、ショックだった。
「できない」「むずかしい」と、一度でも認識してしまうと、「できる」「かんたん」に戻すのは困難だ。
ただ、少しだけ希望もある。
これから息子が学校で仕込んできた将棋やトランプの相手をしていれば、しばらく使っていない脳を再び動かし始め、錆びついたワーキングメモリの反復運動になるだろう、と思っている。
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