いつもクーラーの効いた部屋にいるので汗を掻くことがありません。
夏は汗を掻かないといけないと思うのと、普段はまったく歩かないので、
運動がてら電車に乗って都心へ散歩に行って来ました。
凍らせた水を飲みながら、町歩きを楽しんできました。
やはり夏は汗を掻いたあとは心地よいです。
しばしば我が家の敷地を通り道にしている野良ちゃん(今朝、撮影)
ミルコが死んで早いもので1週間経ちました。
1年前に入れた新しい畳はミルコの爪研ぎでボロボロです。
しかし、ミルコの足跡みたいで愛おしいです。
グァテマラ在住の織物作家・鈴木さんからお土産を頂きました。
コーヒーと絵はがきとグァテマラの案内書です。
鈴木さんは帰国中ですが、まもなくグァテラマに戻るそうです。
ミルコのことを考えないようにしていても、
スマホを開くと待ち受け画面のミルコに、
ついつい涙ぐんでしまいます。
フェースブック、インスタグラム、ミクシィなどの
SNSのアカウントを持っていますが、
まったくの放置状態で利用していません。
まもなく72になる年寄りには新しいものについて行くのが骨です。
あと10も若ければスマホを使ってまめに更新しているかも知れませんが、
今はこのブログを毎日、更新するだけで精一杯です。
今日のおまけは私のそばから離れず、
家の中をキョロキョロ見回して、
ミルコを探すようなそぶりをしています。
おまけはミルコが居ないのが不思議なのでしょうか、
終日、寂しい風情をしています。
衝撃の事実が判明しました!!
12年間、男の子だと思っていたおまけは実は女の子でした。
2007年1月25日のブログを読み返していたら、
おまけは「メス」と書いてあります。
おまけはあの恐い顔で泣き声も悪声なので、
ずっと男の子と勘違いしていました。
https://blog.goo.ne.jp/celluya/e/6025d50de89e9ed138c9b38ad3186cda
気晴らしをかねて午前十時の映画祭(MOVIX三郷)で、
ケビン・コスナーの「ボディー・ガード」(1992年)を観てきました。
コスナーのクールなボディ・ガードぶりが格好良かったです。
ミルコの死にたくさん方からお悔やみを頂いて、ありがたく感謝しています。
ミルコが居なくなった喪失感からまだ立ち直れませんが、
12年間のこのブログを繰ることで、
元気だった頃のミルコに逢えるのが慰めになります。
警戒心の強いミルコは家の外で私と顔を合わせると、
短い足でピョコ、ピョコと逃げる姿が可愛らしかったです。
そのくせ家の中では私の膝の上で身体を撫でられたり、
ブラッシングされるのを好む甘えん坊でした。
私がパソコンに向かっているとミルコは背伸びをして、
私の顔を手で突き、かまってくれと催促しました。
そのツンデレぶりの落差がおかしかったです。
おまけはミルコの異変がわかったのか、
木、金、土曜の3日間は一日中外にいて家の中に入って来ませんでした。
家の中に連れ戻すとすぐに外へ逃げて行きました。
しかし、昨日の日曜日は自分から家の中に入って来て、
私のそばにいるようになりました。
おまけはミルコが亡くなったことを理解したのかも知れません。
私もミルコがいない生活に少しずつ慣れて行こうと思います。
ミルコのアルバム 2017年~2018年
(2006年12月のブログから転載)
6月の終わりに母猫が子猫を5匹連れて庭先に現れました。
可愛いのでついつい餌を上げていると、毎日、親子連れで来るようになりました。
1匹か2匹なら飼ってみようかと思って、逃げ回る子猫を捕まえようとすると、
母猫が恐い顔をしてシャーと威嚇します。
車の下にいるのは母猫
7月、8月と餌やりをしていると、毎朝夕、母子で顔を出すようになりました。
でも野良猫の習性でなつかず、近づこうとするとすぐに逃げてゆきます。
9月になると子猫たちは家の中をのぞきに来るようになりましたが、
警戒心が強くて敷居をまたいで中に入ることはありませんでした。
この頃、子猫たちに名前を付けました。
(左から、クニちゃん、ヨモ、クロ、ミルコ、キミちゃん-生後3ヶ月くらい?9月撮影)
車庫の隅にネコハウスを置いて世話をしていました。
母猫は子猫たちが餌を食べ終わるまで、
少し離れたところでじっと見守っていて、
子猫が満腹すると残り少なくなった餌を食べていました。
ネコハウスから顔を覗かせているのがミルコ
10月になると母猫は姿を見せなくなり、
5匹の子猫だけが来るようになりました。
そして11月、私は腎不全のために入院しました。
私が入院すると、猫を飼うことに反対していた妹は、
ネコハウスをかたづけると共に子猫を追い払ってしまいました。
病院でそれを聞いて子猫がとても不憫(ふびん)でしたが、
入院生活ではどうすることも出来ず、
ベッドの上で思うのは家を追われた子猫たちのことでした。
1ヶ月も家を空けたので、餌を食べられない子猫たちは
どこか別の場所に行ったかもしれないと半ば諦めていました。
退院の日、朝食を済ますとすぐに帰ろうとする私を、
「何を急いで帰るのですか?まだ会計が出来ていませんよ」
と、看護師さんが引き止めます。
「あさって、透析に来たときに会計をするので帰ります」
子猫が気掛りな私は看護師さんの声を振り切るようにして家へ帰りました。
家に帰ってネコハウスがあった車庫を覗くと、
なんと5匹の子猫が揃って、
「お帰りなさい」というように私を出迎えてくれました。
それまでは警戒して家の敷居を跨がなかった子猫たちは、
この日から家の中へ平気で入ってくるようになりました。
子猫たちは長い間、さびしい思いをしていて、
私が帰ってきたのがよほどうれしかったのでしょう。
5匹の野良猫を飼うのはたいへんですが、
不妊手術をして家猫として置いてあげようと思っています。
(その後、5匹の子猫は一匹、一匹といなくなり、ミルコだけが残りました)
仮のネコハウスに入っているミルコ
8月4日午前1時45分にミルコは亡くなりました。
12歳でした。
今夜はミルコに添い寝をしてあげましたが、
午前1時30分頃に私が目を覚ましたら、
ミルコが口を大きく開けて苦しみ出しました。
身体を撫で擦って、ミルコと名前を呼ぶことしか出来ませんでしたが、
最後を看取って上げることが出来ただけでも良かったです。
夕方、根岸さんの奥さんが来ていたときに、
ミルコは茶色い液体を嘔吐しました。
ただ事ではないと、かかりつけの病院に電話したけれど、
閉院していて電話がつながりませんでした。
根岸さんが自分のペットが世話になった綾瀬の動物病院を紹介してくれて、
一緒に行ってくれました。
綾瀬のたかのペットクリニックは閉院時間間近でしたが、
おおぜいの動物患者が来ていて混み合っていました。
獣医さんにミルコの症状を話したら、レントゲンを撮ってみようということになりました。
レントゲン写真が出来るまで少し待っていて、
診察室に呼ばれて、診断結果を聞いて驚きました。
身体に血栓が出来たために、下半身に血行が行かなくなり、
それで足が麻痺しているとのことでした。
脳梗塞のようなもので、これは突然、起こる病気だそうです。
それに体内にガンのようなものが出来ていて、
ここまで悪いと手の施しようがなく治療は出来ないと断言されました。
ミルコはあと何日生きられるかという生命だそうです。