世界最高齢になった福岡県の114歳の皆川ヨ子(よね)さんの記事がありました。
1893年(明治26年)1月4日生まれだそうです。
私の祖母も明治生まれで93歳まで生きていましたが、その祖母よりさらに年上です。
家族の話では、とにかくじっとしていない人で、きれい好きでしょっちゅう家の掃除や畑の草むしりをしていて、かなり高齢になるまで急な斜面の果樹園の手伝いをしていたそうです。
昔の人は、なにをするにも自分の体を使ってしなくてはいけなかったので、鍛え方が違いますよね。
車もなく、水道もなく、ガスもなく、洗濯機もなく、すべて手作業で行なっていたわけですから、今の生活からは信じられません。
私の祖母も働き者で、小さいときに泊まりにいって、一緒の布団に寝るんですが、祖母が寝ている姿を見たことがありません。
農業のかたわら、雑貨屋もしていて、朝早くから畑に行き、川で洗濯をし、薪でご飯を炊いたり、井戸で水を汲んでお風呂を沸かしたりと、本当によく働いていました。だから、亡くなる直前まで、寝込むということはありませんでした。
祖父は、お店番の傍ら、ちびちびお酒を飲んでいて、あまり動かなかった所為でしょうか、60代で亡くなってしまいましたけどね。
皆川さんは、特別養護老人ホームで過ごしているそうですが、自分で車椅子を動かすし、食事も人から食べさせられることを嫌がるほど自立心旺盛で、みんなからおめでとう!と言われると、「ありがと、サンキュー」と返すユーモアも持ち合わせているそうです。もっともっと長生きされることでしょうね。
1893年(明治26年)1月4日生まれだそうです。
私の祖母も明治生まれで93歳まで生きていましたが、その祖母よりさらに年上です。
家族の話では、とにかくじっとしていない人で、きれい好きでしょっちゅう家の掃除や畑の草むしりをしていて、かなり高齢になるまで急な斜面の果樹園の手伝いをしていたそうです。
昔の人は、なにをするにも自分の体を使ってしなくてはいけなかったので、鍛え方が違いますよね。
車もなく、水道もなく、ガスもなく、洗濯機もなく、すべて手作業で行なっていたわけですから、今の生活からは信じられません。
私の祖母も働き者で、小さいときに泊まりにいって、一緒の布団に寝るんですが、祖母が寝ている姿を見たことがありません。
農業のかたわら、雑貨屋もしていて、朝早くから畑に行き、川で洗濯をし、薪でご飯を炊いたり、井戸で水を汲んでお風呂を沸かしたりと、本当によく働いていました。だから、亡くなる直前まで、寝込むということはありませんでした。
祖父は、お店番の傍ら、ちびちびお酒を飲んでいて、あまり動かなかった所為でしょうか、60代で亡くなってしまいましたけどね。
皆川さんは、特別養護老人ホームで過ごしているそうですが、自分で車椅子を動かすし、食事も人から食べさせられることを嫌がるほど自立心旺盛で、みんなからおめでとう!と言われると、「ありがと、サンキュー」と返すユーモアも持ち合わせているそうです。もっともっと長生きされることでしょうね。