昨日のアンビリーバボーで父と息子の話が紹介されていました。
息子は生まれるときにへその緒を首に巻きつけていたため、脳に障害を起こし、体も全身硬直した状態でした。
医師からは、一生治る見込みはないし、脳の機能も期待できないので目も見えず耳も聞こえないかもしれない、と告げられました。
それでも両親は子どもの可能性を信じて、わずかな動きも見逃さず、コミュニケーションをとろうと努力しました。
そして高校へ入る年令に達したとき、ほんの少しだけ動く頭を使って、パソコンで会話できるようになり、猛勉強をして高校への進学も果たしました。
さらに努力を重ね、大学にまで進学しましたが、相変わらず体は動かないままで、自分に何ができるのだろうと悩む日々でした。
そんなとき、チャリティーマラソンのことを知り、自分も誰かの役に立ちたいので、マラソンに参加したい、と息子は父親に告げました。
それを聞いた父親はすぐにトレーニングを始めて、息子の車椅子を押して走り、8kmをやっとの思いでゴールすることができました。
すると、息子はすごく喜んで、次はフルマラソンに参加したいと言い出し、父親はその夢を叶えるために努力し、完走したのです。
それから父と息子は、つぎつぎにマラソンに参加するようになり、その記録を伸ばしていき、ついには普通に走っても出せないような2時間43分という驚異的な記録を作りだしました。
それが評価され、父親にトライアスロンへの参加が認められたのですが、息子は泳げないし、親子でなければ参加する意味がない、と父親は断りました。
すると、息子が「僕もトライアスロンに出てみたい」と言ったのです。
そのとき父親はまったく泳げなかったんですが、それから猛特訓をして、5年後、息子を乗せたボートを引いて4kmを泳ぎ、前に息子を乗せられるように改良した自転車で走り、最後にフルマラソンを車椅子を押しながら、ついに完走したのです。
父親は、最初は普通のお父さんでしたが、息子と走るために体を鍛え、筋肉隆々の体になり、本来なら早死にしたであろう体が健康になることができたのです。
息子の夢をかなえたいという一途な思いが、父親をここまでさせるなんて・・・
息子が何かに挑戦するとき、いつもパソコンに書き込む《CAN》という言葉、それを現実にする人間の可能性って、ほんとにすごいですね。
息子は生まれるときにへその緒を首に巻きつけていたため、脳に障害を起こし、体も全身硬直した状態でした。
医師からは、一生治る見込みはないし、脳の機能も期待できないので目も見えず耳も聞こえないかもしれない、と告げられました。
それでも両親は子どもの可能性を信じて、わずかな動きも見逃さず、コミュニケーションをとろうと努力しました。
そして高校へ入る年令に達したとき、ほんの少しだけ動く頭を使って、パソコンで会話できるようになり、猛勉強をして高校への進学も果たしました。
さらに努力を重ね、大学にまで進学しましたが、相変わらず体は動かないままで、自分に何ができるのだろうと悩む日々でした。
そんなとき、チャリティーマラソンのことを知り、自分も誰かの役に立ちたいので、マラソンに参加したい、と息子は父親に告げました。
それを聞いた父親はすぐにトレーニングを始めて、息子の車椅子を押して走り、8kmをやっとの思いでゴールすることができました。
すると、息子はすごく喜んで、次はフルマラソンに参加したいと言い出し、父親はその夢を叶えるために努力し、完走したのです。
それから父と息子は、つぎつぎにマラソンに参加するようになり、その記録を伸ばしていき、ついには普通に走っても出せないような2時間43分という驚異的な記録を作りだしました。
それが評価され、父親にトライアスロンへの参加が認められたのですが、息子は泳げないし、親子でなければ参加する意味がない、と父親は断りました。
すると、息子が「僕もトライアスロンに出てみたい」と言ったのです。
そのとき父親はまったく泳げなかったんですが、それから猛特訓をして、5年後、息子を乗せたボートを引いて4kmを泳ぎ、前に息子を乗せられるように改良した自転車で走り、最後にフルマラソンを車椅子を押しながら、ついに完走したのです。
父親は、最初は普通のお父さんでしたが、息子と走るために体を鍛え、筋肉隆々の体になり、本来なら早死にしたであろう体が健康になることができたのです。
息子の夢をかなえたいという一途な思いが、父親をここまでさせるなんて・・・
息子が何かに挑戦するとき、いつもパソコンに書き込む《CAN》という言葉、それを現実にする人間の可能性って、ほんとにすごいですね。