「いっぽ」のつぶやき

健康に福祉にボランティアにと、自分らしい人生を過ごすために、一歩ずつ歩んでいる「いっぽ」のつぶやきです。

人生を決めた一言

2007-05-19 07:02:24 | 感動した話
先日、テレビ番組で普通の男の子が3年間の研修を終え、歌舞伎役者の卵として活躍する様子が放映されていました。
歌舞伎の世界は今も世襲制が続いていて、一般人がその世界に入るのはとても難しいと言われています。
それでも3年に一度だけ、歌舞伎役者養成所の一般募集があり、15歳から23歳までの男子が応募できるそうです。
3年間修行を積んだ後、それぞれ歌舞伎の一門に入って、役者として舞台に立つことになります。
歌舞伎の家に生まれた子どもは、小さいときから親の姿を見たり、指導を受けたりして、自然に身についていくのですが、まったくの素人が3年間でそれに追いつくのは並大抵のことではありません。

今年の春、養成所を卒業して歌舞伎役者の道に入った22歳の男性が紹介されていたんですが、彼が歌舞伎の世界に入ったきっかけがユニークです。
彼は高校で野球選手として活躍していたのですが、たまたま英語の女性教師が応援にきていて、彼が二塁ベースに滑り込んだ姿を見たとき、それが歌舞伎の姿に重なり、とてもきれいに見えたそうです。
それで彼に「歌舞伎を観に行ったら・・」とチケットを渡したところ、彼もまた、なんのことかわからないまま一人で観に行ったそうです。その数日後、先生から養成所の案内書を渡され、それがきっかけで養成所に入ったというのです。

そんな彼が3年間の修行を終えて、4月から中村京純として中村芝雀一門に入ったのですが、最初はなにをどうしていいかわからず、おろおろするばかりです。
そんな中、いきなり5月に大舞台に参加することになりました。若手が大勢で主役と立ち回りを演じるんですが、最後に一人だけ、崖から落ちるときにトンボを切って着地する、という重要な役です。でもこれで失敗したら、次の役はまわってこなくなるかもしれません。
なんども練習し、うまく出来ていたのですが、前日の通し稽古で、はじめて舞台の上でやってみるとうまくいきません。二度もすってんころりんと転んでしまい、三度目にやっと着地できましたが、本番でうまくいくかどうか不安になってしまいました。
師匠も周りも心配顔です。

翌日の舞台初日、先生を招待していたのですが、どんな役をするかは教えていませんでした。
当日、いよいよ幕があき、最後の場面で登場です。
小坊主が大勢でてきて、主役と立ち回りをします。そして、いよいよ最後のトンボを切るシーンです。こちらまで緊張が伝わってきます。
着地でバランスを崩し、尻餅をつきそうになりましたが、なんとか持ちこたえて、無事に終わりました。

芝居が終わって、先生もまさかそんな大役とは知らなかったの大感激でした。
実は、彼は舞台に立つことが決まったあと、先生を誘ってお好み焼きを食べに行っていました。
その席で、「先生は、僕を変な道に進めてしまったと気にしているかもしれませんが、僕はこの世界で生きていきますので、安心してください」と伝えていたのです。
先生の「歌舞伎を観たら?」という一言がなかったら、今の彼はいません。
人の一生とは、ほんとうにわからないものですね。

ちょうど主人が今月の観音寺寺報にも、そんなことを書いています。
人には運、不運というのがありますが、それって決まっているのでしょうか?
生まれたときから持っている運というのもありますが、この世に生を受けた後でも、私たちが一生懸命努力していれば、それを見守っている仏さまや守護霊さまが、周りの人を介して運を運んできてくれるというのです。
彼が歌舞伎の道に進むきっかけを作ってくれた先生は、まさにその運を運んできてくれた人だったんでしょうね。
運を逃さないように、人の言葉、忠告はきちんと聞くようにしないといけませんね。



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草枕温泉てんすい

2007-05-18 06:59:08 | 日記
主人がどうしても運勢の良い方角の水が欲しいというので、いつものところではないところに一時間もかけて、水汲みに行きました。
尾田の丸水源といって、くまもと名水100選に選ばれているところで、うちからだと金峰山の反対側になる天水町にあります。

山の斜面は一面段々畑になっていて、みかん畑で有名です。平野部ではビニールハウスの中でイチゴが栽培されていて、イチゴ狩りに訪れている家族もありました。
畑の中に水源があり、きれいな水がこんこんと湧き出ています。その横の公園に水汲み場が作られていて、管理料として100円入れるようになっていました。
水はやわらかくて、とても飲みやすいものでした。
そのときは他にはいなかったのですが、汲みにくる人がとても多く、車が渋滞するので近所の方たちが迷惑をしているし、農作業にも支障が出るので、一人20ℓまでにしてくれと書かれた看板が立ててありました。

近くに「草枕温泉てんすい」があるというので、ついでに行ってきました。
天水町は夏目漱石の「草枕」の舞台になったところで、漱石が泊めてもらった家の娘さんが草枕のモデルになっているそうです。
それにちなんで名前がつけられた温泉ですが、山の中腹にあり、眺めが抜群です。
露天風呂からは、眼下に碁盤の目のように田んぼやビニールハウスが整然とならんでいるのが見え、すぐその先は有明海です。
この日はお天気はよかったのですが、霞がかかったようになっていて、雲仙普賢岳がかすんで見えていました。いつもだったら目の前にくっきりと見えるそうです。

ここのお薦めは、水平線に沈むお日様の夕焼けなのだそうで、正面に太陽は見えていたんですが、沈むまではもう少しかかりそうなので、待ちきれずに出てしまいました。
ちょうど帰るとき、夕日が真ん丸に見えて、オレンジ色に輝きながら、ゆっくり落ちていき、最後は赤く、大きくなって、地平線に沈んでいきました。
こんなに下の方にあるお日様を見ることはあまりないので、見とれてしまいました。

天水町は笠智衆さんのふるさとでもあり、名誉町民として、写真などたくさん飾られていました。
また相撲の普天王もこの町の出身で、あちこちにのぼり旗が立っていました。
今場所は調子がいいようです。最後までこの調子で頑張ってほしいですね。

金峰山の向こう側に行ったのは始めてだったので、めずらしい光景が見られてよかったです。
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本田啓吉先生

2007-05-17 07:36:28 | 日記
高校教師の傍ら「水俣病を告発する会」代表としても活躍された本田啓吉先生が昨年4月81歳で亡くなられ、先日「本田啓吉先生 遺稿・追悼文集」が発行されました。
本田先生は私の高校のときの先生で、国語の授業を受けていました。
授業はとてもわかりやすく、いつも情熱を持って教えておられて、生徒からも人気がありました。
普段は穏やかで物静かな方なのですが、とても正義心の強い方で、ちょうど水俣病が問題になり、企業も政府もそれをなかなか認めなかったころで、水俣病の患者さんの苦境を知り、「義によって助太刀致す」と言って「水俣病を告発する会」の代表となり、先頭をきって水俣病患者支援に奮闘されていた時期でもありました。
でも学校でその話をされることはほとんどなく、私たちはテレビや新聞でその活動を知るくらいでした。
ある時、夕方のテレビニュースで、東京の厚生省前だったと思うのですが、猛然と抗議されている様子がアップで映し出され、その迫力にびっくりしたことがありました。翌日の1時間目、先生の授業がある予定だったのですが、きっと自習になるだろうと思って学校へ行くと、先生は何事もなかったように教室に現れ、普通に授業をされました。
その頃はいつも目の下にクマができていて、かなりお疲れの様子でしたが、授業を手抜きすることは一度もなく、すごい先生だなぁと思っていました。

本田先生が亡くなられたのは、友達が先生の遺稿集を出すための文集刊行会のゴム印を頼みに来られて知りました。
お友達のご主人が高校生のとき、別の高校だったんですが、「水俣病を告発する会」に関わっていらっしゃって、その仲間で遺稿集を作ろうということになったのだそうです。
私も高校生のときお世話になったし、尊敬する先生でもありましたので、少しでもお役に立てればとゴム印を寄付することにしました。
私がしたのはそれだけだったのですが、昨日、その本が贈られてきて、しかも巻末に名前まで載っていて、びっくりです。

出版は同志や友人ら十数人で発足し企画されたのですが、、関係者にカンパを募り、遺稿編集や追悼文の募集をしたところ、最終的には280人に上るカンパと高校の教え子や県教祖時代の同僚、水俣病患者運動の同志など87人から原稿が寄せられ、全464ページの立派な本が完成したのです。
最初にこの企画を奥様にお話したところ、先生の遺志を思い、刊行を固辞されたそうですが、周囲の熱意に動かされ、資金まで出していただいたということです。
私は授業中の先生しか知りませんし、特別にお話したこともないのですが、みなさんが書いていらっしゃるエピソードから、私が思っていた以上にすばらしい先生だったことがわかりました。
この本を刊行するに当たって、「いつも謙虚で、明快な口調と振る舞いをされた人。その魅力を一冊の本にしたかった」と代表の方も述べられているように、今の教育関係者にも、生涯一教師を貫きとおされた先生の生き方をぜひ学んでもらいたいものです。
でも、こんな文集を作られて、本田先生は天国で苦笑いされているかもしれませんけどね。
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勉強会

2007-05-16 07:27:23 | 美容と健康
フットケアで使っているローションは、アロエベラの液汁が83%も入っているもので、普通は化粧水として使われるものです。
これを販売している会社はアメリカに本社があり、アロエベラの製品では世界一のシェアを持ち、世界120ヶ国の人たちが愛用しています。
日本でもアロエベラジュースが1983年から販売されていて、24年目になります。
いっさい宣伝をしていないので、知る人ぞ知る、といったものなので、私もフットケアを始めてから知ったのですが、意外にたくさんの人が愛用していることがわかり、中には有名人もたくさんいて驚きました

アロエの良さは、昔から言われていますよね。
昔、私の父も、「やけどをしたとき、普通にやけどの薬をつけたけど、なかなか治らなかくて、3日ほど経ってからだけど、家のアロエをつけたら、きれいに治ったぞ」とわざわざ傷口をみせて、「子どもがやけどしたときに使いなさい」とアロエを分けてくれたことがありました。
アロエのことを「医者要らず」とか「医者ごろし」という地域もあるようです。
4000年以上も前から使われていたという記録が残っていて、あのクレオパトラも愛用していたそうです。
日本では一般にキダチアロエといって、小さいものですが、アロエベラは一枚の葉っぱが7,80cm、1,5kgほどにもなる大きなものです。最近では物産館などで販売されていたりしますね。
製品にするときは、アロエベラの緑の部分の苦くて薬効成分があるところを取り除き、食品として使われる中のジェルの部分の絞り液がつかわれています。
特にアロエベラジュースは、その液汁をそのままボトルに詰めたものです。
健康食品として毎日飲むことで、身体が健康になり、驚くような体験をしている方たちが大勢います。

アロエベラの効能やいろんな人の体験を知ることで、私たちの生活にも役立つことがいっぱいあるので、これからそれを勉強していきたいと思っています。
昨日は二人の方といっしょにいろいろ勉強することができました。
終わった後、一人の方が自分の家の会社名を変えたいんだけど、何にするか迷っているといわれたので、主人が姓名判断をしてあげました。
今度のときには、占いの仕方も教えてあげてもいいよ、と言うので、二人とも、ここに来るといろいろ教えてもらえてラッキー!と喜んでいました。
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フットケア体験

2007-05-14 06:48:39 | 熊本フットケアアカデミー
昨日は、フットケアの体験者が1時からと2時からと、お二人が見えられました。
まずは左足を実際のやり方でフットケアをして差し上げます。
お二人とも、フットケアに興味はあるけど、一度もしてもらったことはないそうで、初体験でした。
テレビなどで痛がっている様子をみていたので、もっと痛いものかと思ったとか、足裏だけだと思ったら膝までするんですね、と意外なところもあったようですが、終わった後、とても気持ちがよかったと言われていました。
実際にやっていない右足と比べてもらうと、見た目にも明らかに違っていて、びっくりされていました。
足が細くなったり、パンパンしていたふくらはぎがやわらかくなったり、それに足がとても軽くなっているのを実感してもらえたようです。
一人の方は、お腹がグルグル言い出したので、驚いたといわれていましたが、これも足裏の反射体を刺激するためで、よくあることです。
お二人ともとても気に入っていただけて、ぜひやりたいと言われていました。
一人はさっそく来週からの講座に参加されることになりましたが、もう一人の方は小さいお子さんがいらっしゃるので、ご主人が面倒をみてくださるかどうかが問題だそうで、帰ってから頼んでみるそうです。

これまで講座に参加された方たちの話では、このフットケアを覚えて一番喜んでくれるのはご家族、とくにご主人みたいです。
家でフットケアをしてもらえるんだから、最高ですよね。
その分、奥様たちからは、私はするばっかりで、こっちがしてもらいたいのに・・・という不満の声も。
でもちょっとやり方を工夫すれば、自分の足にもちゃんと出来るので、ご心配なく。私はいつも自分でやってます。
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母の日

2007-05-13 10:19:42 | 日記
今日は母の日です。
先日の新聞に、絵本とおはなしの店「ぺぺぺぺらん」の高野さんが母の日の由来を書いておられました。
高野さんは、子どもたちに素敵な絵本をたくさん読んでもらいたいと「ぺぺぺぺらん」という絵本のお店をしながら、子育て支援にも力を入れて、NPO法人として活動されています。お会いしたのは、地雷の撤去作業中に自ら地雷の被害をうけたイギリス人のクリスムーン氏が熊本を訪れた際に一緒に活動していたときで、彼の著書を販売されていました。 
ときどき、新聞で絵本の紹介などをされています。

母の日のはじまりは、100年ほど前のことです。
アメリカのフィラデルフィアにアンナ・ジャービスという女性がいて、アンナのお母さんは教会学校の教師でした。
お母さんは社会奉仕を積極的に行い、南北戦争のときも、敵味方関係なく負傷兵を看護し、互いに敵対しないよう活動を続けました。
「互いに愛し合いなさい」というキリストの教えに従う母親の行動は、世界平和を願う一人の人間の姿として、アンナさんの心に深く刻まれていきました。
1905年5月9日、お母さんが亡くなり、教会の追悼会で母親への感謝をカーネーションに託して、参列者に手渡したそうです。
その後、アンナさんの思いは、「母の日」をつくる運動へ発展し、1914年、議会で可決されました。
一人の女性の強い思いが「母の日」を誕生させたのです。

偶然にも、5月9日は私の誕生日です。
誕生日と母の日が近いし、たまには同じときもありますので、子どもたちもプレゼントを選ぶのに困ってしまうみたいです。
今思えば、子どもが小さいときは忙しくて何にもしてあげられなかったし、いらいらして怒ってばかりいたような気がして、申し訳なかったなぁと思いますが、そんな子どもたちもりっぱに成長し、今では、心配してくれたり、労わってくれて、母の日にはこちらが感謝したいくらいです。

私の方も、実母も義母も健在なので、毎年、プレゼントを何にしようと悩みますが、元気でいてくれて、プレゼントが出来るということはありがたいことですね。
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光化学スモッグ

2007-05-12 06:53:58 | 環境問題
先日、熊本でも相次いで光化学スモッグ注意報が出て、びっくりしました。
しかも、その場所が天草や菊池市といった、自然豊かなところだったのです。
菊池市といえば、うちから車で30分ほどのところにあり、このあたりよりも車も少ないし、緑がいっぱいです。
そんなところで発生するのですから、ここで発生してもおかしくありません。

確か1970年代に光化学スモッグというのが始めて発生し、学校などで校庭で遊んでいたり、体育の授業をしていて、具合が悪くなったというニュースがよく聞かれました。
最初は原因がわからず、不気味な感じでしたが、それが車の排気ガスや工場の煙に含まれる窒素酸化物などが、紫外線を受けて光化学反応を起こし、光化学オキシダントが発生するものということがわかりました。
しかし、それは都会や工場地帯での出来事で、このあたりでは無縁のものでした。
原因がわかった後は、排気ガス規制が厳しくなり、いつの間にか光化学スモッグという言葉も聞かれなくなり、もう過去のことと忘れ去られていたものです。
それが最近になり、なぜまた各地で注意報がだされるようになったんでしょう。

光化学スモッグは、4~10月の間、陽射しが強く気温が高く 風が弱いなどの気象条件が重なり、この光化学オキシダントが大気中で濃度が高くなると発生するそうです。
空気中の光化学オキシダントの濃度が0.12ppmになると、注意報が発令され、ちなみに、濃度0.1ppmを超えると、粘膜に強い刺激を与えるため、目や鼻、喉が痛くなるといった症状を引き起こすことがあるので、外に出ないようにしないといけません
再発の原因としては、紫外線の増加、ヒートアイランド現象の影響、地球温暖化問題でも注目されるオゾン問題が関連しているという仮説があるそうですが、まだ詳しくはわかっていません。
しかし、もっとも有力な説は、経済成長に伴い大気汚染が深刻化している中国方面から汚染物質が流入しているという説でしょう。
現に、先日発生した光化学スモッグの発生場所を地図に示してありましたが、長崎から熊本・福岡・大分・山口・広島と、九州北部から中国地方にかけて帯状に発生しているのがわかります。
北九州市でそのときの空気がどこから流れてきたか調べたところ、三日ほど前には中国大陸を通っていたことがわかったそうです。
ということは、今後はますます増えるということが予想されるので、条件のそろうお天気のときは注意が必要ですね。

【発生しやすい条件】
・ 日中の最高気温が25度以上
・ 午前9時以降の日照時間が2時間半以上
・ 無風、または弱い風
・ 地表と上空1,000mの気温差が7度以上
・ 夏型の気圧配置で等圧線の間隔が広い

こんなときは、外出を控えたり、うがいや洗眼をしたりするようにした方がよいそうです。
とくに小さいお子さんがいるところは、気をつけてあげないといけませんね。
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ハンドケア

2007-05-11 06:58:47 | 熊本フットケアアカデミー
昨日は第一回目のハンドリンパドレッサー養成講座でした。
これまではフットケアが終わった後の時間を使って、簡単なハンドケアのやり方を教えていたんですが、今回から正式な養成講座として、りっぱなテキストも出来て、修了証の発行もできるようになりました。
こちらも初めてなので、どれくらいの時間配分にするのか、実際にやってみないとわかりません。
やはり一つ一つ確認しながらだと、思ったより時間がかかり、ちょっと時間オーバーしていまいましたが、その分、きちんと教えることができて、最初にしてはまずまずだったと思います。
クレンジングフォームの泡を作るとき、フォームを入れすぎた方もいましたが、濃い目に作ったほうがキメ細やかで、泡が最後まで消えずにクリーミーであることがわかりました。
実際に施術をしていくと、手の平から指一本一本、いろいろな方法で何度も何度もケアをしていくので、その順番を覚えるが大変です。される方が、テキストを見ながら、順番を確認していくので、順番が抜けたり、やり方をアドバイスしたりしているのですが、いざ自分がする番になると出来なくて、「間違えた~」と言っては、笑いが起こっていました。
片手が終わったとき、もう一方の手とあきらかに白さが違い、まるで別人の手のようになっていました。
それに、腕までしかケアしていないのにリンパの流れがよくなったせいでしょうか、肩が楽になったと言われていました。
午後にもう一度両手を復習をしたので、合計4回、相手にしてもらったときも加えれば8回練習したことになり、最後にはずいぶんスムーズにできるようになっていました。
2週間、練習期間がありますので、みなさん、ばっちり出来るようになることでしょう。
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誕生日

2007-05-10 06:58:19 | 日記
昨日は朝から電話がなるので、何だろうと思って出てみると、熊本市内の宝石屋さんから「お誕生日おめでとうございます。プレゼントを用意しておりますので、今月中にご来店ください」ということでした。
ときどき催しの案内のハガキが届いてはいたんですが、宝石など買ったことがないし、いつ会員になったのか記憶にないんですよね。
行く予定はないんですが、でもまぁ、お祝いを言ってくれるのはうれしいものです。
主人は忘れているのか、後で驚かせようとしているのか、何にも言ってきません。

その後、庭木の剪定をしました。
垣根に山茶花とキンモクセイを植えているのですが、新芽が伸びて、うっとうしくなってしまっていました。本当はゴールデンウィークにするつもりでいたんですが、4日からずっと雨で出来ませんでした。
主人が電動の剪定機を買ってきているんですが、上のほうをするときは持ち上げていなくてはいけないので、重くて疲れてしまいます。それに思ったように切れなくて、結局、後で仕上げをしなくてはいけないので、最初から手動の大きな剪定ばさみでチョキチョキと切りました。
日よけのついた作業ボウシで完全装備をして剪定していると、一台の真っ赤な車が止まりました。
誰だろうと思っていたら、生命保険の若いお嬢さんです。
娘の保険のことで何回も来ていて、この前はっきり断ったのに、今日は何しにきたんだろうと思っていると、「お誕生日おめでとうございます。」と私の運勢やらなにやら書いたものをいっぱいくれました。ついでに保険の資料もついていましたが・・・
わざわざ届けにくれるなんて、仕事とはいえ、大変ですね。
剪定し終わったのはお昼すぎになってしまい、おまけに片付けるのに1時間もかかってしまって、お昼ご飯を食べる頃はもう2時になっていました。
疲れはしましたが、すっきりなった生垣を見ると、気分もすっきりです。

夕食はおいしいものでも食べに連れて行ってくれるのかなぁと期待していましたが、6時になり、ホルモンでも買って来ようか、というので、今から買いに行くと遅くなるから、と家にある材料で肉じゃがにしました。
この前、確かに誕生祝いはしましたが、あれは子どもたちからのものでした。
せめてショートケーキくらいは・・・と思っていましたが、何にもないところを見るとすっかり忘れているようです。
娘からはメールでお祝いのメッセージが届いたんですけどね。

夜、お風呂から出たら、「すっかり忘れとった、誕生日おめでとう!」と言ってくれました。でもちょうど12時を回ったところで、日付が変わっていました。
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地図作成

2007-05-08 07:07:36 | 日記
主人の母に頼まれて、お寺の地図を作ることになりました。
うちの地図は、自分では出来ず、長男に道路のところだけを作ってもらって、文字を上から貼り付けてコピーしました。
今回は簡単な地図なので、ワードで挑戦してみることにしました

とりあえず、ワードのテキストをみたら、地図という項目があったので、まず図形の調整のバーを出すことから、テキストとにらめっこしながら始めました。
直線で道路を描き、だいたい形ができてきたなぁと思っていたら、一本、間違えたので、それだけを消そうとしたら、全部消えちゃいました。
また最初からやりなおしたんですが、また途中で消してしまいました。
三度目に、やっと失敗の原因がわかり、それからは慎重に、まちがったところだけを消すことができました。
建物を置くところまではスムーズにいったのですが、それに名前を書き込むのが大変です。
どういうわけか、打ち込んでいるときはいいのですが、途中で文字の間隔が空いてしまい、枠の中に納まらなくなります。
枠を広めにするとちゃんとくっついてくれるのに、枠を文字ぎりぎりにするといきなり間隔が広がり、枠の中に表示されなくなってしまいます。
しかたなく、広めにすると、建物や道路の表示が隠れてしまうのです。
何度もやっているうちに、「塗りつぶしなし」にしたら隠れないことがわかりました。
一通り書いてみたら、位置がおかしいことに気づき、そのままずらそうとしたんですが、今度は道路の線が微妙にずれて、道路と道路の間に空間が出来てしまいます。
何度か修正して、やっと出来上がり、印刷してみたところ、思ったより文字が小さくて、これではお年寄りにはわかりづらそうです。

もう一度、全部の文字を大きくして、見やすいように作り変えることにしました。
ところが文字を大きくしたら、文字の上の部分が切れてしまい、表示されません。
文字を下げたいんですが、どうやったらいいかわかりません。
文字を大きくすると2行になるものもあり、行間を詰める必要があります。この作業をしているうち、1行のものも行間を広げてみたら、上部が切れずにうまく納まりました。
作り始めて4時間。やっと納得のいくものが出来上がったんですが、疲れました。
でもこれなら義母も満足してくれることでしょう。
すでに6時を過ぎていたので、あわてて夕食の準備にとりかかりました。


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