『情婦マノン』 Manon (仏)
1948年制作、1950年公開 配給:東宝 モノクロ (1962年リヴァイヴァル時は松竹が配給)
監督 アンリ・ジョルジュ・クルーゾー
脚本 アンリ・ジョルジュ・クルーゾー、ミシェル・フェリ
撮影 アルマン・ティラール
原作 アベ・プレヴォー 「マノン・レスコー」
音楽 ポール・ミスラキ
主演 ロベール・デグリュー … ミシェル・オークレール
マノン・レスコー … セシル・オーブリー
レオン・レスコー … セルジュ・レジアニ
ムッシュ・ポール … レイモン・スープレックス
ジュリエット … ドラ・ドール
マダム・アニュエス … ガブリエル・ドルジア
ユダヤ人の一団を乗せイスラエルに向う貨物船から若い二人の男女の密航者が発見された。二人はロべ-ルとマノンで
取り調べをする船長に過去を告白した。
1944年、フランスのレジスタンス活動に加わっていたロべ-ルはドイツ兵相手に売春をしたために村人のリンチに会おうと
しているマノンを救ったがマノンの魅カの虜になってしまった。ロべ-ルはレジスタンスから脱落し、彼女をつれてナチからの
解放で喜ぶパリに向った。パリではマノンの兄で闇商売でボロ儲けをしているレオンの厄介になる。マノンは贅沢なレオンの
生活にあこがれ、真面目な結婚生活を説くロベールの言棄には耳をかさず、贅沢のためには娼婦稼業に身を落すことさえ
いとわなかった。ロベールは彼女の欲望を満たすために悪事にも手をだすようになったが、レオンがマノンをアメリカ人の
金満家と結婚させようとしているのを知り、ロべ-ルはレオンを殺して逃亡する。ロべ-ルを愛していたマノンも彼を追って
二人はリヨンからパレスチナヘ密航することになった。
ロベールたちの身の上を聞いた船長は二人に同情し、二人が水死したことにしてユダヤ人たちといっしょにパレスチナの
海岸に上陸させた。二人はユダヤ人たちと共に新天地を求めて砂漠を旅したが、アラビア人のラクダ隊に見つかり、マノンは
狙撃を受けて致命傷を負う。ユダヤ人の一行もラクダ隊の銃撃で全滅してしまった。ロベールは死んでしまったマノンを逆さに
担いで砂漠を抜けようとしたが、すでにマノンは腐食し始めていたので砂中に埋め、ロべ-ルもマノンに覆いかぶさるように
倒れ込んだまま息を引き取る。
原作の「マノン・レスコー」は、18世紀にアベ・プレヴォーが書き下ろした自伝的な小説で、清純な容姿に不道徳を隠し持つ
マノン・レスコーと彼女へ狂恋してしまって悪事まで働いてしまった騎士の悲恋物語なのですが、クルーゾーは時代背景を
終戦前後の混乱時に設定して大胆にアレンジし、若い二人の破滅的な愛の軌跡を描いています。
映画の構成としては、クルーゾーは「映画というものは最後のシークェンスが一番印象に残る」ということを熟知したうえで、
衝撃のラストシーンを設定し、その目標に向かって骨組みと肉付けを施し、ペシミズムを極力抑えながら甘さのない強烈な
リアリズムによってこの作品を仕上げています。
また、下世話な悲恋物語にとどまることなく、ドイツ撤退後のフランスの田舎町において日常のようにナチス協力者に公然と
私刑が行われていた事実を描きながら、正義のためには不条理も許されるという世情を問題提起しており、さらには
ヨーロッパ全土の問題でもあるユダヤ人のパレスチナ入植の動向についても、ユダヤ人の希望と絶望を執拗に描き、
マノンとロべ-ルを映画の主たる縦軸とし、パレスチナ問題を横軸としてクロスさせています。
エクソダス号のユダヤ人によるパレスチナ上陸が1947年でイスラエル建国が1948年、そしてこの『情婦マノン』が制作
されたのがほぼ同じ時期の1948年。クルーゾーはこのまま憎み合っていてはこの問題は解決しない強くとばかりに強く訴え、
今現在でも憎悪し合うユダヤとアラブの姿を予言していたかのようにさえ感じられます。
何よりもこの映画の衝撃はクルーゾー自慢のラストシーンでしょう。
死んでしまったマノンを砂漠を逆さに担いで砂漠をさまよう異様な光景、そしてマノンが死んだことで初めてマノンの全てが
自分のものになったと満足感を覚える虚しさ。ファム・ファタール(男たちを破滅させる女)にすべてを捧げた男の究極の愛は
あまりにも無残で悲しい結末となりました。
私が高二の1962年、リヴァイヴァル・ブームに乗って『望郷』『肉体の悪魔』『禁じられた遊び』に次いで秋口に再公開されました。
衝撃のラストシーンに全身の鳥肌が治まらなかったのを鮮明に記憶しています。