港町のカフェテリア 『Sentimiento-Cinema』


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旅の友・ポップス編 (229) 『殺し屋のテーマ』

2017-09-25 14:10:19 | 旅の友・ポップス編

『殺し屋のテーマ』 ペリー・ボトキンのギター
”The Executioner Theme” Perry Botkin  【YOUTUBEより】

 
1958年制作、アーヴィング・ラーナー監督によるアメリカ映画『契約殺人』の主題歌です。
全編に流れる『殺し屋のテーマ』はペリー・ボトキン・Jrの作曲で、ペリー・ボトキンの演奏によるものですが
アメリカでは全くヒットしておらず日本だけでヒットした模様です。
このペリー・ボトキンは1907年生まれのギター・,バンジョー・ウクレレなどの弦楽器奏者で、その息子で
1933年生まれのペリー・ボトキン・Jrは14歳から作曲・編曲家として活動、カスケーズの『悲しき雨音』の
編曲で一躍有名になりました。
映画としてはB級のフィルム・ノワール作品で主演のヴィンセント・エドワーズもほとんど無名に近かったため
興業的には成立しないとの判断で制作直後には輸入されませんでした。しかし、その後の1962年から放映が
スタートしたテレビドラマ『ベン・ケーシー』によってヴィンセント・エドワーズの人気が急騰したことで
あわてて輸入・公開の運びとなりましたが映画としての興業は失敗に終わったようです。

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この曲の原題にある”Executioner”は死刑執行人・処刑人という意味ですが日本では殺し屋と訳されました。
殺し屋という言葉、いつ誰が作り上げたものかわかりませんが、1950年代末に辰巳ヨシヒロ、さいとうたかを、
佐藤まさあきなどの劇画工房による劇画ブームが起こり、その作品群で活躍したのが探偵と殺し屋でした。
また同じころ、日活の渡り鳥シリーズでの宍戸錠が演じたエースのジョーが殺し屋として描かれていました。
私の記憶によると殺し屋という言葉はこの頃に世間に広まっていったように思いますが…

旅の友・ポップス編 (228) 『さすらいの口笛』

2017-09-24 13:36:10 | 旅の友・ポップス編

『さすらいの口笛』 エンニオ・モリコーネ楽団
”Titoli” Ennio Morricone  【YOUTUBEより】

 
1964年制作、ボブ・ロバートソン (セルジオ・レオーネ)監督によるイタリア映画『荒野の用心棒』の主題歌です。
黒沢明監督の『用心棒』を西部劇風にアレンジしたものでマカロニウェスタンブームの火付け役となりました。
主題歌の『さすらいの口笛』はエンニオ・モリコーネの作曲によるもので、彼はこの曲で一躍映画音楽家として
脚光を浴びました。

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この当時ハリウッドでは主役・準主役級が一流、傍役が二流、テレビ俳優は三流という格付けでした。
クリント・イーストウッドはテレビドラマ『ローハイド』の準主役で人気はあったようですが俳優としての
扱いとしては二流半から三流どころでした。

セルジオ・レオーネが『荒野の用心棒』を撮るにあたり、その主演者にかなり難航していたようです。
何人もの俳優にオファーしたものの ことごとく断られ、ようやく見つけたのがクリント・イーストウッドでした。
イーストウッド自身も最初はイタリア製の安上がりの西部劇に難色を示していたようですが、題材が
黒沢明で、かつ、本人にとっても映画初主演ということで何とか契約に至ることになりました。
そして『荒野の用心棒』は予想をはるかに超える大ヒット、イーストウッドも高い評価を得てあっという間に
一流俳優に駆け上がりました。
イーストウッドのその後の活躍はご承知の通りですが、もし、彼がこの映画に主演していなければ
今日のイーストウッドはなかったでしょう。まさに幸運な男でした。


旅の友・ポップス編 (227) 『城ケ島の雨』

2017-09-23 13:23:00 | 旅の友・ポップス編



『城ケ島の雨』 東京キューバン・ボーイズ 【YOUTUBEより】

註・このブログから直接再生されませんので、▶を押して画面右下の【YOUTUBE】をクリック願います


原曲は北原白秋作詞、梁田貞作曲により1913年(大正2年)に作られた唱歌です。
演奏しているのは1949年に見砂直照によって結成された東京キューバン・ボーイズで、リーダーの直照氏が
亡くなられた後、ご子息の和照氏によって再結成されて現在も活躍中です。
作詞・作曲・演奏と全くもっての純和製音楽なのですが、なぜかラジオ関西の洋楽専門番組のはずの
【モナ電話リクエスト】の定盤曲でした。
そういえば、他にも純和製の園田憲一とデキシーキングス『月の砂漠』などもよく聞いたものでした。
【モナ電話リクエスト】及び【気ままなカフェテリア】の残党としては忘れられない一曲です。

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旅の友・ポップス編 (226) 『ペピト』

2017-09-22 13:07:51 | 旅の友・ポップス編

『ペピト』 ロス・マチュンカンボス
”Pepito” Los Machucambos  【YOUTUBEより】

 
軽快な「チャチャ」のリズムによってメキシコなどの中南米で流行した甘いラヴ・ソングです。
1960年に『メロンの気持ち』などをヒットさせたヴェラスケス・シスターズで世に出て、翌年にパリで活躍していた
ロス・マチュカンボスがこれをカヴァーしヨーロッパでもヒットしました。
大好きなペピト(ホセの愛称)に私を愛して、そして私のために唄ってとねだっている熱い女心がイイですね。
日本ではラジオ大阪の【今週のヒットレコード】において1961年の12月にランクインして小さなヒットになりました。

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ラジオ大阪の洋楽番組【今週のヒットレコード】はクセの強いベストテン番組でしたが、逆に他の番組では
聞くことのないような珍しい曲が時折ランクインしていました。
旅の友ポップス編ですでに取り上げた『愛するために愛されたい』『明日なき十代』『土曜の夜と日曜の朝』
『ナポリに帰りて』などはこの番組でランクインしていなければ私自身も知ることもなかったと思っています。
そういう意味でラジオ大阪に感謝をこめて当時の局のテーマソングを貼っておきます。

ラジオ大阪の歌 【YOUTUBEより】


*****

余談ですが、ラジオ大阪といえば…
深夜族だったころ、まだ全く売れていなかった「覆面の噺家・笑福亭仁鶴」による
『オーサカ・オールナイト 夜明けまでご一緒に・火曜日』を毎週欠かさずに聞いていました。
仁鶴さんも番組の中で時々『ラジオ大阪の歌』を唄っていました。

旅の友・ポップス編 (225) 『だまって愛して』

2017-09-21 14:38:36 | 旅の友・ポップス編

『だまって愛して』 カルロ・ルスティケッリ楽団
”Canto D'amore” Carlo Rustichelli  【YOUTUBEより】


1962年制作、ピエトロ・ジェルミ監督によるイタリア映画『イタリア式離婚狂想曲』の主題歌です。
監督のピエトロ・ジェルミは『越境者』『街は自衛する』などの作品でイタリアン・リアリズム作家として世に
出ましたが、その後もリアリズム手法で小市民の生活をきめ細かく描いた『鉄道員』『わらの男』『刑事』など
どこか人懐こい作風で独自の世界を作り上げましたが、『イタリア式離婚狂想曲』では一転してコメディに
挑戦しています。
厳格なカトリックのお膝元のイタリアでは法律で離婚は許されぬところ、刑法を悪用して妻を殺し、新しい妻を
迎えるという痛烈な風刺のきいた作品でイタリアでは大喝采を浴びました。
(ラスト・シーンはちょっとやりすぎですね)
主題歌の『だまって愛して』は盟友でもあるカルロ・ルスティケッリの作曲によるもので、劇中で繰り返し使われた
『イタリア式離婚行進曲』も同様です。

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2014-08-13 映画音楽史(205)『イタリア式離婚狂想曲』1963年公開

この映画がきっかけになったかどうかはわかりませんが、数年後の1970年には離婚が認められるように
法律が改正されています。