最近、また中東情勢が悪化しています。
こういうニュースが出ると必ず出てくるのが
「なんであんなに戦争ばかりするの?」という疑問です。
それに対して、「そんなの昔から戦争しているから恨みが残っているんだ」という人もいますが、そんなこと言われて納得出来る人っていないと思います。
昔々(ローマ時代など)のユダヤ人とアラブ人ってのはとても仲良しでした。
もちろん、双方共に商人ですから対立することもあったでしょう。
しかし、ユダヤ人とギリシャ人の対立から見たら随分と穏やかな物でした。
(アレクサンドリアのギリシャ人によるユダヤ人虐殺などを見たら明らか)
じゃー、何故、「当然のように」彼らは戦うのでしょうか。
そもそもの発端は・・・・・第一次世界大戦だと思います。
あまり詳しくは書きませんが(文字数が足りない)、大英帝国はオスマントルコとも対立しておりました。
ドイツは大英帝国の最重要拠点だったインドとの海上交通を遮断するためにトルコと結びました。そしてスエズ運河を脅かしインド方面の艦隊をヨーロッパに近づけないようにしたのです。スエズ運河は大英帝国の大動脈ですので当然トルコと大英帝国は戦争状態になります。チャーチルがガリポリを攻撃したのがこの辺り。
しかしながら大英帝国はドイツとの全面戦争をしていたので1915年、とある外交政策をとりました。
まず、オスマントルコ領内のメッカの太守であるフサインと大英帝国のエジプトの高等弁務官ヘンリー・マクマホンの間で
「トルコ戦にアラブ人が協力をすれば独立させてやる」
という取り決めを行いました。当時アラブ人はオスマントルコに支配されていましたから願ってもないチャンスです。内部分裂を画策したのです。
これが世界史の教科書に出てくる「フサイン=マクマホン協定」というものです。
これにより大英帝国はアラブ人の協力を取り付けました。
次に1916年。第一次世界大戦後のオスマントルコ領の分割をどうするかイギリス、フランス、ロシアの三国で話し合いました。言ってみれば「戦利品の分配」ですね。
こういう事は終了してからでは遅いので早めに決めたのです。
もちろん、トルコの領土にはパレスチナ地区も含まれております。
これが「サイクス・ピコ協定」という奴です。
さらに1917年、大英帝国は・・・・財政難に陥り、ユダヤ人に支援を求めました。
ユダヤ資本のトップであるライオネル・ウォルター・ロスチャイルド卿に
「大英帝国は、パレスチナにおけるユダヤ人国家の建設とその支援を約束する」
と言ってしまったのです・・・・・・・。これが「バルフォア宣言」というものです。
もうおわかりだとは思いますが、同じ土地をユダヤにもアラブにも約束したのです。サイクス・ピコ協定で明らかなように全然あげる気も無かったのに、です。
つまりあの土地には、どちらの民族も正統な権利があるのです。
エルサレムは「ユダヤ教」「キリスト教」「イスラム教」の共通な聖地であるにもかかわらず、です。
聖地を奪還するのは当然の事だと思うのでジハード(聖戦)という言い方も当然だと思います。
事の発端はこんなくだらない事だったのです。
以下、続く・・・・・・かな?
こういうニュースが出ると必ず出てくるのが
「なんであんなに戦争ばかりするの?」という疑問です。
それに対して、「そんなの昔から戦争しているから恨みが残っているんだ」という人もいますが、そんなこと言われて納得出来る人っていないと思います。
昔々(ローマ時代など)のユダヤ人とアラブ人ってのはとても仲良しでした。
もちろん、双方共に商人ですから対立することもあったでしょう。
しかし、ユダヤ人とギリシャ人の対立から見たら随分と穏やかな物でした。
(アレクサンドリアのギリシャ人によるユダヤ人虐殺などを見たら明らか)
じゃー、何故、「当然のように」彼らは戦うのでしょうか。
そもそもの発端は・・・・・第一次世界大戦だと思います。
あまり詳しくは書きませんが(文字数が足りない)、大英帝国はオスマントルコとも対立しておりました。
ドイツは大英帝国の最重要拠点だったインドとの海上交通を遮断するためにトルコと結びました。そしてスエズ運河を脅かしインド方面の艦隊をヨーロッパに近づけないようにしたのです。スエズ運河は大英帝国の大動脈ですので当然トルコと大英帝国は戦争状態になります。チャーチルがガリポリを攻撃したのがこの辺り。
しかしながら大英帝国はドイツとの全面戦争をしていたので1915年、とある外交政策をとりました。
まず、オスマントルコ領内のメッカの太守であるフサインと大英帝国のエジプトの高等弁務官ヘンリー・マクマホンの間で
「トルコ戦にアラブ人が協力をすれば独立させてやる」
という取り決めを行いました。当時アラブ人はオスマントルコに支配されていましたから願ってもないチャンスです。内部分裂を画策したのです。
これが世界史の教科書に出てくる「フサイン=マクマホン協定」というものです。
これにより大英帝国はアラブ人の協力を取り付けました。
次に1916年。第一次世界大戦後のオスマントルコ領の分割をどうするかイギリス、フランス、ロシアの三国で話し合いました。言ってみれば「戦利品の分配」ですね。
こういう事は終了してからでは遅いので早めに決めたのです。
もちろん、トルコの領土にはパレスチナ地区も含まれております。
これが「サイクス・ピコ協定」という奴です。
さらに1917年、大英帝国は・・・・財政難に陥り、ユダヤ人に支援を求めました。
ユダヤ資本のトップであるライオネル・ウォルター・ロスチャイルド卿に
「大英帝国は、パレスチナにおけるユダヤ人国家の建設とその支援を約束する」
と言ってしまったのです・・・・・・・。これが「バルフォア宣言」というものです。
もうおわかりだとは思いますが、同じ土地をユダヤにもアラブにも約束したのです。サイクス・ピコ協定で明らかなように全然あげる気も無かったのに、です。
つまりあの土地には、どちらの民族も正統な権利があるのです。
エルサレムは「ユダヤ教」「キリスト教」「イスラム教」の共通な聖地であるにもかかわらず、です。
聖地を奪還するのは当然の事だと思うのでジハード(聖戦)という言い方も当然だと思います。
事の発端はこんなくだらない事だったのです。
以下、続く・・・・・・かな?