今日から八月、盛夏。
前回、「梅雨明けはいつ?」なんて余裕こいたこと言っていたら、その翌日、さっさと梅雨は明け、猛暑・酷暑の時季がスタート。
ただでさえ、日々、色んなものと戦わなければならないのに、これから更に“暑”を相手に戦わなければならないわけ。
で、不快指数は急上昇。
ちょっと動いただけで、身体は汗まみれ脂まみれ。
お陰で、些細なことでイライラしてしまう。
この暑さは、結構、厄介。
やはり、気温が高いと肉は腐りやすく、現場が凄惨なものになりやすい。
肉体は腐敗ガスを含んでスポンジのようになり、それがどんどん膨張していく。
想像しにくいと思うけど、生前の2倍・3倍に膨れ上がる。
そして、体表(側面が多い)の各所には水疱が現れ、その中には腐敗ガスとともに黄・赤・茶、時には緑色の腐敗体液がたまる。
そのうち、肉は固体の維持力を失い、著しい悪臭を放ちながら溶解を始める・・・髪、爪、骨などの固形物を残し、液状化していくのである。
そうなるのは、長期放置の遺体ばかりではない。
敗血症の遺体の場合、極めて短時間でこの症状が現れる。
前夜には眠っているようにしか見えなかった故人が、翌朝になると、まるで別人のようになっていたということは珍しくなく、家族でさえ遺体に恐怖心を抱く人もいる。
私も、これまで、何度となく腐敗の進んだ遺体を柩に納めてきた。
その作業は、かなりキツいものがある。
特殊清掃の相手は、髪、爪、歯、皮膚、骨、血、脂、体液、溶肉、あっても小骨や耳くらい。
そういった“部品”が相手。
しかし、遺体処置業務の場合は、遺体本体が相手。
変容著しいとはいえ人間のかたちをしており、特殊清掃とは次元を異にした過酷さがある。
呼ばれた現場は、街中に建つ古いマンション。
依頼者は、故人の息子(以後、遺族男性)。
約束の日時、1Fエントランスで待ち合わせた我々は、周囲に目立たないよう小声で短く挨拶。
それから、私は遺族男性に、遺体発見の経緯や部屋の状況を訊ねた。
亡くなったのは老年の男性(遺族男性の父親)。
死後数日が経過して後の発見。
ただ、季節は真冬。
暖房がついていると夏場に近い感じの変容が起こる可能性が高かったが、不幸中の幸いで、部屋の暖房を切られた状態。
低温乾燥の影響だろう、死後数日が経過していても特段の腐敗は進行せず。
変容と言えば、肌の色がわずかに黒ずんでいたことくらいだった。
したがって、検分に入った部屋にも違和感はなし。
一般的な生活臭や、どこの家にもある固有臭は感じられたけど、いわゆる腐乱死体臭も感じず。
亡くなっていたのは寝室のベッドだったが、そこに汚染痕もなし。
ウジ・ハエの発生もなく、事前情報以外に人の死を知らせるものは何もなかった。
ところが、遺族男性は、
「隣の人から苦情がきてまして・・・」
という。
そして、
「苦情???」
と、首を傾げる私に、
「後で、そちらに、室内の状況と作業の説明をしに行ってもらえますか?」
「第三者の客観的な意見だったら、聞いてもらえるかもしれないので・・・」
と、何やら事情ありげなことを言ってきた。
怪訝に思いながら、我々は、高齢の男性が一人で暮している隣の部屋を訪問。
遺族がインターフォンを鳴らすと、中から住人の男性(以後、隣室男性)がでてきた。
隣室男性は憮然とした表情で、
「換気扇・換気口・排水口は全部ふさげ!」
「窓・ドアは眼張りしろ!」
「玄関を開けるときは、事前にその日時を知らせて許可をとれ!」
「作業内容を事前に説明し、許可をとれ!」
「エレベーターは使うな!階段を使え!」
「室内で着ていた作業服で外へ出るな!」
等と、こちらの説明には聞く耳も持たず、一方的に注文をつけてきた。
故人の部屋からは異臭がでているわけでもなければ、害虫がでているわけでもなし。
したがって、周囲に目に見える実害はなし。
ただ、「亡くなって数日の間、その身体が部屋にあった」というだけのこと。
にも関わらず、隣室男性は大騒ぎ。
その態度に、「何様のつもりだ?」と、私の不快指数は急上昇。
故人にどれほどの落ち度があって、また、隣室男性にどれほどの権利があってそんな命令をするのか、到底、納得できるものではなかった。
それでも、遺族男性は、隣室男性に対して平身低頭。
「隣の部屋で死んでたわけですから・・・」
「イヤな思いをさせてしまったのは事実ですから・・・」
と、謙虚に隣室男性の文句を聞き、ひたすら頭を下げていた。
また、その様は、発見まで時間がかかったことに対し、故人に頭を下げている姿にも見え、遺族男性のただならぬ心痛が察せられた。
それからも、隣室男性からのクレームや注文は頻発した。
私は、元来、気の弱い臆病者ではあるけど、そんな私でもそれに対して内々でキレまくっていた。
しかし、矢面に立たされてもジッと辛抱している遺族男性を前に表立ってキレるわけにはいかない。
結果、遺族男性に迷惑がかからぬよう、私も辛抱に辛抱を重ねながら仕事を進めていった。
それから後のある日、必要ではなかった消臭消毒作業をあえて行い、家財の荷造梱包を終わらせた段階で、家財の搬出作業についての許可を得るべく、管理会社と管理組合に申請した。
ただ、双方とも作業は了承してくれたものの“隣室男性とは関わりたくない”といった物腰で
「隣と揉めないように気をつけて下さい」
「あの人、こっちにも苦情を入れてくるので・・・」
と、揉め事に巻き込まれるのを嫌って、我々と距離を空けてきた。
ただ、私と遺族男性は、それはそれで仕方がないものと割り切り、次に、家財搬出の件を伝えるため、足取り重く隣室男性宅を訪れた。
出てきた隣室男性は、相変わらず憮然とし、横柄な態度。
家財搬出の日時と、その際は玄関ドアを開けたまま作業させてほしい旨を伝えると、
「ダメ!ダメ!」
と、あっさり却下。
更に、
「少しは、人の迷惑も考えなよ!」
と、人を見下すように鼻で笑った。
人間の堪忍袋の尾の耐久力は、人それぞれ。
遺族男性の尾は、かなり強い方だった。
しかし、隣室男性の度を超した言い草に、とうとう、その尾はプチッと切れた。
「迷惑」という言葉と鼻で笑った隣室男性の態度が、遺族男性の逆鱗に触れたようだった。
「迷惑!? 迷惑って何ですか!!」
「その言葉、そっくりそのままお返ししますよ!!」
と、それまでの温和な顔を鬼の形相に豹変させ、遺族男性は、いきなり怒鳴り始めた。
そして、
「父はそんなに悪いことをしたんですか!?」
「自分の家で亡くなるのが、そんなに悪いことですか!?」
「アナタの身内は誰も亡くなっていないんですか!?」
「アナタは死なないんですか!?」
と大爆発!
相当に鬱憤がたまっていたようで、敬語が敬語に聞えないくらいの勢いで、隣室男性に言弾を撃ちまくった。
その場にいた私は、胸のすくような思いがしたものの、それに対して罪悪感・羞恥心みたいなものを感じなくもなかった。
ただ、とりあえず、何かのときには男性の援護射撃をするつもりで言弾は用意した。
が、結局、その出番はなし。
怒ることには慣れていても、怒られることには慣れていないのか、隣室男性は驚きの表情を浮かべて沈黙。
何か言い返したようだったが、遺族男性のパワーに圧倒されて声も出ないよう。
動揺も露にシドロモドロ、モゴモゴと口ごもるばかり。
結局、
「う・・・う・・・うるさい!」
と一言吠えただけで玄関を閉めてしまった。
幸いなことに、その後、二度と隣室男性の顔を見ることはなかった。
ただ、振り返ると、隣室男性の心を怒らせたのは“死”だったのかもしれないと思う。
高齢独居の隣室男性にとって、隣人の孤独死は他人事では済まされなかったのかもしれない。
そして、あれは、死を嫌悪し、死を恐れるあまりの態度だったのかもしれない。
激高した遺族男性も然り。
父親を一人で死なせ、また、すぐに気づけなかったことで湧いてきた後悔や罪悪感のようなものが、感情を極端に激させたのかもしれなかった。
そう思うと、あの仕事の時々で隣室男性に対して抱いた不快感も少しは中和されるような気がするし、怒りを抑えることができなかった遺族男性の心の痛みも少しはわかるような気がする。
私も、死を前にし、死に悩み、死を避けられない ただの人間だから。
とにもかくにも、“怒”というヤツは面白いもの。
感情の中でも特に“怒”は、自分でコントロールすることが難しい。
そして、まるで別人格のように人を変え、また、普段にはないパワーを発揮させる。
しかし、それがプラスに働くことは少ないような気がする。
制御可能な怒りならまだしも、制御不能の怒りは自分に災いをもたらす。
多くは、時に自分を見失わせ、時に取り返しのつかないことを引き起こす。
怒りを鎮めるのは理性良心の中にある寛容さ、冷静さ、謙虚さ、そして、忍耐力。
では、それらを育むのは何か。
それは、“自己愛”・・・多くの人が持っている、“自分のため”という自分を大切に想う気持ち。
大局的にみて、長期的にみて、それが自分のためになるかどうか考えれば、自ずと答は現れる。
そして、その答に従えばいいのである。
なんて、偉そうなことを言いながら・・・
友達でもないのに年下の人間にタメ口をきかれたとき、
渋滞で自車の前に割り込ませてやった車がハザードランプを点滅させないとき、
レジで、手を触ろうとしていると思われたくなくて掌を平にしているにも関わらず、女性店員に釣銭を落とすように渡されたとき、
等々・・・
つまらないことにムッとして余計なストレスを抱えてしまう、歳の割に未熟な私である。
公開コメント版
特殊清掃についてのお問い合わせは
特殊清掃プロセンター
0120-74-4949
前回、「梅雨明けはいつ?」なんて余裕こいたこと言っていたら、その翌日、さっさと梅雨は明け、猛暑・酷暑の時季がスタート。
ただでさえ、日々、色んなものと戦わなければならないのに、これから更に“暑”を相手に戦わなければならないわけ。
で、不快指数は急上昇。
ちょっと動いただけで、身体は汗まみれ脂まみれ。
お陰で、些細なことでイライラしてしまう。
この暑さは、結構、厄介。
やはり、気温が高いと肉は腐りやすく、現場が凄惨なものになりやすい。
肉体は腐敗ガスを含んでスポンジのようになり、それがどんどん膨張していく。
想像しにくいと思うけど、生前の2倍・3倍に膨れ上がる。
そして、体表(側面が多い)の各所には水疱が現れ、その中には腐敗ガスとともに黄・赤・茶、時には緑色の腐敗体液がたまる。
そのうち、肉は固体の維持力を失い、著しい悪臭を放ちながら溶解を始める・・・髪、爪、骨などの固形物を残し、液状化していくのである。
そうなるのは、長期放置の遺体ばかりではない。
敗血症の遺体の場合、極めて短時間でこの症状が現れる。
前夜には眠っているようにしか見えなかった故人が、翌朝になると、まるで別人のようになっていたということは珍しくなく、家族でさえ遺体に恐怖心を抱く人もいる。
私も、これまで、何度となく腐敗の進んだ遺体を柩に納めてきた。
その作業は、かなりキツいものがある。
特殊清掃の相手は、髪、爪、歯、皮膚、骨、血、脂、体液、溶肉、あっても小骨や耳くらい。
そういった“部品”が相手。
しかし、遺体処置業務の場合は、遺体本体が相手。
変容著しいとはいえ人間のかたちをしており、特殊清掃とは次元を異にした過酷さがある。
呼ばれた現場は、街中に建つ古いマンション。
依頼者は、故人の息子(以後、遺族男性)。
約束の日時、1Fエントランスで待ち合わせた我々は、周囲に目立たないよう小声で短く挨拶。
それから、私は遺族男性に、遺体発見の経緯や部屋の状況を訊ねた。
亡くなったのは老年の男性(遺族男性の父親)。
死後数日が経過して後の発見。
ただ、季節は真冬。
暖房がついていると夏場に近い感じの変容が起こる可能性が高かったが、不幸中の幸いで、部屋の暖房を切られた状態。
低温乾燥の影響だろう、死後数日が経過していても特段の腐敗は進行せず。
変容と言えば、肌の色がわずかに黒ずんでいたことくらいだった。
したがって、検分に入った部屋にも違和感はなし。
一般的な生活臭や、どこの家にもある固有臭は感じられたけど、いわゆる腐乱死体臭も感じず。
亡くなっていたのは寝室のベッドだったが、そこに汚染痕もなし。
ウジ・ハエの発生もなく、事前情報以外に人の死を知らせるものは何もなかった。
ところが、遺族男性は、
「隣の人から苦情がきてまして・・・」
という。
そして、
「苦情???」
と、首を傾げる私に、
「後で、そちらに、室内の状況と作業の説明をしに行ってもらえますか?」
「第三者の客観的な意見だったら、聞いてもらえるかもしれないので・・・」
と、何やら事情ありげなことを言ってきた。
怪訝に思いながら、我々は、高齢の男性が一人で暮している隣の部屋を訪問。
遺族がインターフォンを鳴らすと、中から住人の男性(以後、隣室男性)がでてきた。
隣室男性は憮然とした表情で、
「換気扇・換気口・排水口は全部ふさげ!」
「窓・ドアは眼張りしろ!」
「玄関を開けるときは、事前にその日時を知らせて許可をとれ!」
「作業内容を事前に説明し、許可をとれ!」
「エレベーターは使うな!階段を使え!」
「室内で着ていた作業服で外へ出るな!」
等と、こちらの説明には聞く耳も持たず、一方的に注文をつけてきた。
故人の部屋からは異臭がでているわけでもなければ、害虫がでているわけでもなし。
したがって、周囲に目に見える実害はなし。
ただ、「亡くなって数日の間、その身体が部屋にあった」というだけのこと。
にも関わらず、隣室男性は大騒ぎ。
その態度に、「何様のつもりだ?」と、私の不快指数は急上昇。
故人にどれほどの落ち度があって、また、隣室男性にどれほどの権利があってそんな命令をするのか、到底、納得できるものではなかった。
それでも、遺族男性は、隣室男性に対して平身低頭。
「隣の部屋で死んでたわけですから・・・」
「イヤな思いをさせてしまったのは事実ですから・・・」
と、謙虚に隣室男性の文句を聞き、ひたすら頭を下げていた。
また、その様は、発見まで時間がかかったことに対し、故人に頭を下げている姿にも見え、遺族男性のただならぬ心痛が察せられた。
それからも、隣室男性からのクレームや注文は頻発した。
私は、元来、気の弱い臆病者ではあるけど、そんな私でもそれに対して内々でキレまくっていた。
しかし、矢面に立たされてもジッと辛抱している遺族男性を前に表立ってキレるわけにはいかない。
結果、遺族男性に迷惑がかからぬよう、私も辛抱に辛抱を重ねながら仕事を進めていった。
それから後のある日、必要ではなかった消臭消毒作業をあえて行い、家財の荷造梱包を終わらせた段階で、家財の搬出作業についての許可を得るべく、管理会社と管理組合に申請した。
ただ、双方とも作業は了承してくれたものの“隣室男性とは関わりたくない”といった物腰で
「隣と揉めないように気をつけて下さい」
「あの人、こっちにも苦情を入れてくるので・・・」
と、揉め事に巻き込まれるのを嫌って、我々と距離を空けてきた。
ただ、私と遺族男性は、それはそれで仕方がないものと割り切り、次に、家財搬出の件を伝えるため、足取り重く隣室男性宅を訪れた。
出てきた隣室男性は、相変わらず憮然とし、横柄な態度。
家財搬出の日時と、その際は玄関ドアを開けたまま作業させてほしい旨を伝えると、
「ダメ!ダメ!」
と、あっさり却下。
更に、
「少しは、人の迷惑も考えなよ!」
と、人を見下すように鼻で笑った。
人間の堪忍袋の尾の耐久力は、人それぞれ。
遺族男性の尾は、かなり強い方だった。
しかし、隣室男性の度を超した言い草に、とうとう、その尾はプチッと切れた。
「迷惑」という言葉と鼻で笑った隣室男性の態度が、遺族男性の逆鱗に触れたようだった。
「迷惑!? 迷惑って何ですか!!」
「その言葉、そっくりそのままお返ししますよ!!」
と、それまでの温和な顔を鬼の形相に豹変させ、遺族男性は、いきなり怒鳴り始めた。
そして、
「父はそんなに悪いことをしたんですか!?」
「自分の家で亡くなるのが、そんなに悪いことですか!?」
「アナタの身内は誰も亡くなっていないんですか!?」
「アナタは死なないんですか!?」
と大爆発!
相当に鬱憤がたまっていたようで、敬語が敬語に聞えないくらいの勢いで、隣室男性に言弾を撃ちまくった。
その場にいた私は、胸のすくような思いがしたものの、それに対して罪悪感・羞恥心みたいなものを感じなくもなかった。
ただ、とりあえず、何かのときには男性の援護射撃をするつもりで言弾は用意した。
が、結局、その出番はなし。
怒ることには慣れていても、怒られることには慣れていないのか、隣室男性は驚きの表情を浮かべて沈黙。
何か言い返したようだったが、遺族男性のパワーに圧倒されて声も出ないよう。
動揺も露にシドロモドロ、モゴモゴと口ごもるばかり。
結局、
「う・・・う・・・うるさい!」
と一言吠えただけで玄関を閉めてしまった。
幸いなことに、その後、二度と隣室男性の顔を見ることはなかった。
ただ、振り返ると、隣室男性の心を怒らせたのは“死”だったのかもしれないと思う。
高齢独居の隣室男性にとって、隣人の孤独死は他人事では済まされなかったのかもしれない。
そして、あれは、死を嫌悪し、死を恐れるあまりの態度だったのかもしれない。
激高した遺族男性も然り。
父親を一人で死なせ、また、すぐに気づけなかったことで湧いてきた後悔や罪悪感のようなものが、感情を極端に激させたのかもしれなかった。
そう思うと、あの仕事の時々で隣室男性に対して抱いた不快感も少しは中和されるような気がするし、怒りを抑えることができなかった遺族男性の心の痛みも少しはわかるような気がする。
私も、死を前にし、死に悩み、死を避けられない ただの人間だから。
とにもかくにも、“怒”というヤツは面白いもの。
感情の中でも特に“怒”は、自分でコントロールすることが難しい。
そして、まるで別人格のように人を変え、また、普段にはないパワーを発揮させる。
しかし、それがプラスに働くことは少ないような気がする。
制御可能な怒りならまだしも、制御不能の怒りは自分に災いをもたらす。
多くは、時に自分を見失わせ、時に取り返しのつかないことを引き起こす。
怒りを鎮めるのは理性良心の中にある寛容さ、冷静さ、謙虚さ、そして、忍耐力。
では、それらを育むのは何か。
それは、“自己愛”・・・多くの人が持っている、“自分のため”という自分を大切に想う気持ち。
大局的にみて、長期的にみて、それが自分のためになるかどうか考えれば、自ずと答は現れる。
そして、その答に従えばいいのである。
なんて、偉そうなことを言いながら・・・
友達でもないのに年下の人間にタメ口をきかれたとき、
渋滞で自車の前に割り込ませてやった車がハザードランプを点滅させないとき、
レジで、手を触ろうとしていると思われたくなくて掌を平にしているにも関わらず、女性店員に釣銭を落とすように渡されたとき、
等々・・・
つまらないことにムッとして余計なストレスを抱えてしまう、歳の割に未熟な私である。
公開コメント版
特殊清掃についてのお問い合わせは
特殊清掃プロセンター
0120-74-4949