遺品処理の依頼が入った。
依頼者は老年の男性。
「自宅の一部屋に家族の遺品がまとめてあるので、それを片付けてほしい」
とのこと。
私は、例によって、事前の現地調査が必要であることを説明し、その日時を約した。
訪れた現場は、古びた感のある一般的な一軒家。
約束の時間の五分前に家の前に車をとめると、その音を聞きつけてだろう、インターフォンを押す前に家の中から一人の男性がでてきた。
「こんにちは」
「お待ちしてました」
お互い、お互いのことはすぐにわかったので、すぐに 視線を合わせて挨拶を交わした。
目的の部屋は、家の二階の一室。
玄関を通された私は、男性の後をついて二階へ。
そこは、普通の六畳間ながら、日常の生活で立ち入っているような生活感はなく、色々なモノが所狭しと並べられ、また積み重ねられ、様相はまるで物置。
段ボール箱に入った荷物も多く、引っ越してきたばかりの家で、荷解きする前の荷物を仮置きしているような光景だった。
部屋には、老年の女性がいた。
女性は、男性の妻で、小さな椅子に腰掛け、自宅に現れた見ず知らずの私には目もくれず、ただ宙を見つめていた。
その顔は無表情で弱々しく、私は、ちょっと異様な空気を感じたが、とりあえず笑顔をつくって
「お邪魔します」
と挨拶。
すると、女性は、うつろな視線を私に移し、椅子に座ったまま私にお辞儀をしてくれた。
女性が身体の健康を損ねていることは一目瞭然。
それだけではなく、精神を弱めていることも容易に察せられた。
ただ、そんな心情を態度に出すと男性が余計な気を使うと思い、私は、そんなことは気にも留めていないフリをして事務的に事をすすめた。
勉強机、本棚、ゲーム玩具、レコード、カセットテープ、ミニコンポ、雑誌書籍、辞典辞書、洋服etc・・・
部屋には色々なモノがあったが、どれもこれも、時代を感じさせる古びたモノばかり。
ただ、よく見ると、「家族」と言っても夫妻の親兄弟が使っていたモノではなさそう。
私は、荷物の持主が誰であるかということが気になってきて、黙って荷物を見分しながら、そのことについて考えを巡らせた。
思いついた“答”は、夫妻の子供。
置いてある品物を確認すればするほど、それが最も合理的な結論となった。
成人し独立した子が昔使っていたモノで、実家に放置したままにしている可能性はあったが、ただ、男性は最初に電話で話したとき、荷物を「遺品」と呼んでいた。
と言うことは、夫妻の子は、もう亡くなっているということになるわけで・・・
つまり、“夫妻は子に先立たれた親”ということになり、私は、礼儀のつもりで浮かべていた笑顔を消し、神妙な面持ちに変えていった。
そして、訊かれたくないことかもしれなかったので、私は余計なことを訊かず、黙々と見分を進めていった。
荷物は六畳一部屋分のみで、散らかっているわけでもなし。
現地作業は半日もあれば充分で、必要な作業内容もかかる費用もシンプルなものとなった私は、それを男性に説明し、男性は、それについて私にいくつかの質問をした。
そして、男性は、傍らでそのやりとりを聞いていた妻の同意を丁寧に確認したうえで、契約書にサインと押印をした。
作業日は、双方の都合を調整し、現地調査から一週間後のある日に決定していた。
しかし、作業日の前日になって、男性が電話をかけてきた。
用件は、作業中止の申し出。
日時の都合が悪くなっての延期とかではなく、作業(契約)そのもののキャンセルを依頼するものだった。
一旦結んだ契約が解除になるのは仕方がない。
予期せぬ事情が後から生じたり、気が変わったりするなんてことは珍しいことではない。
そうは言っても、一旦成立した契約をキャンセルされるのは、決して気分のいいものではない。
しかも、前日になってのキャンセルはマナー違反。
気分を悪くした私は、相応の理由、もしくは相応のキャンセル料がないと承諾したくなく、権利をもってその理由を訊ねた。
「妻が拒んでいるもので・・・」
男性の口から出たのは、身勝手にも思われる理由だった。
現地調査のときには、妻も荷物の片付けに同意したはずであり、その場にいた私も自分の目でそれを確認していた。
が、その直後、妻は翻意し、荷物を片付けることを拒否。
その抵抗は強く、男性が説得を試みても、頑として受け付けず。
結局、男性は、作業中止を判断せざるを得なくなったのだった。
とりあえずの理由を聞いた私だったが、それでも納得はできず。
「だったら、もっと早く言ってくれればいいのに・・・」
と、不満を覚え、その気持ちを口から吐き出しそうになった。
しかし、目くじらを立てるほどの実害を被ったわけではない。
また、男性は、礼をもって詫びてくれている。
連絡が間際になったのも、直前まで妻を説得し続けていたことによるものと推察できたし、私は、不満を爆発させるエネルギーを、頭を冷やすほうに向けた。
男性は、とにかく私に平謝り。
電話の向こうで平身低頭になっている姿が思い浮かぶくらい、何度も何度も詫びの言葉を口にした。
そして、事情を詳しく説明する責任があると思ったようで、今回の遺品処理にまつわる経緯を話し始めた。
夫妻は、子供を三人もうけた。
最初は女の子。
しかし、長女は生後間もなく先天性の病で死去。
次は男の子が生まれた。
が、長男も若くして病死。
三人目の子、次男がいたが、一人残っていた彼も、中年を迎えることなく病気で亡くなってしまった。
つまり、夫妻は、せっかく授かった三人の子供全員を亡くしていたのだった。
夫妻が味わった悲しみは、どれほどのものか・・・
襲ってきた喪失感と寂しさはどれほどのものか・・・
その悲哀は、辛酸の真味を知らない私が想像できるものではなく・・・
亡くした子の人数で親の悲嘆の大きさが計れるものではないはずだけど、経緯を聞いた私は自分の耳を疑いながら絶句。
電話の場合、相手の表情や態度が見えないから、私は、「話はちゃんと聞いてますよ」という意思の表れとして、相槌の代わりに小刻みに返事をしていたのだが、あまりの気の毒さに、その短い返事すら口にすることができなくなった。
三人の子を授かって、三人とも自分達(親)より先に死ぬなんて・・・
普段の行いが悪いせいか、何かの罰か、何かの祟りか・・・夫妻は、そんな風に考えたかもしれない。
私は、そんなところに理由はないと思うけど、自分達の子供が短命で人生を終わらなければならない理由、自分達が子供を奪われる理由を欲しただろう。
そして、それが、“運命”“宿命”“摂理”等・・・人の力ではどうすることもできない領域にあるものだと頭では理解しても、心底では納得することができず、悲しみを超えた強い憤りを覚えただろう。
それでも、前向きに生きようと、出口の見えないトンネルを夫妻は必死で歩いたものと思われた。
しかし、紆余曲折を経て、女性は鬱病を発症。
結構な重症で、通院と服薬だけではラチがあかず、一時は入院し療養。
症状が深刻な時期、男性は「後追い自殺するんじゃないか」と、女性を独りにしておくことが心配でならなかった。
そして、男性の口から具体的な話はでなかったけど、夫妻の過去に、男性が心配していたような良からぬ出来事が残ったことは、受話器から流れてくる空気が感じさせた。
そう・・・現地調査の日、私が部屋で見た品々は、三人の子の遺品。
夫妻は、その部屋には三人の子の遺品と想い出を大切にしまっていたのだった。
ただ、時間は人の心に関係なく流れていく。
「一周忌を過ぎたら片付けよう」と思っているうちに三回忌が過ぎ・・・そのうち、七回忌、十三回忌、十七回忌、そして、二十三回と、事あるごとに気持ちを固めながらも、結局、寂しさに負けて、それを延々と引きずってきた。
しかし、夫妻も齢には勝てず。
自分達の死も視野に入れて生きなければならない年齢になってきた。
そして、子供達の遺品を片付けることをようやく決意し、今回の件に至った次第だった。
男性は、思い出したくないはずの苦しい過去を話してくれた。
私は、そんな男性の心情に報いたいという気持ちもでてきたし、夫妻の悲哀と苦悩を想うと、ここは後腐れなく承諾するのが私の道だと思った。
だから、
「事情はよくわかりましたので・・・気になさらないで下さい」
と、男性には見えない顔を真摯にして、電話を終えたのだった。
“笑顔の想い出”は、人生の宝物。
今の自分にも笑顔をくれる。力をくれる。
では、“悲涙の想い出”はどうだろうか・・・
今の自分に笑顔をくれるだろうか・・・力をくれるだろうか・・・
苦しみを甦らせ、悲しみを煽るばかりではないだろうか・・・
そして、人生に影を落とすのではないだろうか・・・
また、人生には、色んなことがある。
色んなことに遭遇する。
嬉しいこと、楽しいことばかりではない。
苦しいこと、悲しいこと、辛いことも多い。
乗り越えられそうにない壁にブチ当ることがある。
奈落の底が見える崖淵に立たされることもある。
それでも、人は生き、時間は流れる。
人には自分では如何ともし難い、無力さ、愚かさ、悲しさ、寂しさ、切なさがある中で、時間は人の苦悩を癒してくれ、人の精神を練ってくれる。
確かに、子供達の死は、夫妻の人生に暗い影を落としていた。
しかし、そこに光を当てるのもまた、亡くなった子供達の笑顔・・・
影があるから光があるのではなく、光があるから影がある・・・
そして、そこに“想い出”という名の希望があると、私は思うのである。
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依頼者は老年の男性。
「自宅の一部屋に家族の遺品がまとめてあるので、それを片付けてほしい」
とのこと。
私は、例によって、事前の現地調査が必要であることを説明し、その日時を約した。
訪れた現場は、古びた感のある一般的な一軒家。
約束の時間の五分前に家の前に車をとめると、その音を聞きつけてだろう、インターフォンを押す前に家の中から一人の男性がでてきた。
「こんにちは」
「お待ちしてました」
お互い、お互いのことはすぐにわかったので、すぐに 視線を合わせて挨拶を交わした。
目的の部屋は、家の二階の一室。
玄関を通された私は、男性の後をついて二階へ。
そこは、普通の六畳間ながら、日常の生活で立ち入っているような生活感はなく、色々なモノが所狭しと並べられ、また積み重ねられ、様相はまるで物置。
段ボール箱に入った荷物も多く、引っ越してきたばかりの家で、荷解きする前の荷物を仮置きしているような光景だった。
部屋には、老年の女性がいた。
女性は、男性の妻で、小さな椅子に腰掛け、自宅に現れた見ず知らずの私には目もくれず、ただ宙を見つめていた。
その顔は無表情で弱々しく、私は、ちょっと異様な空気を感じたが、とりあえず笑顔をつくって
「お邪魔します」
と挨拶。
すると、女性は、うつろな視線を私に移し、椅子に座ったまま私にお辞儀をしてくれた。
女性が身体の健康を損ねていることは一目瞭然。
それだけではなく、精神を弱めていることも容易に察せられた。
ただ、そんな心情を態度に出すと男性が余計な気を使うと思い、私は、そんなことは気にも留めていないフリをして事務的に事をすすめた。
勉強机、本棚、ゲーム玩具、レコード、カセットテープ、ミニコンポ、雑誌書籍、辞典辞書、洋服etc・・・
部屋には色々なモノがあったが、どれもこれも、時代を感じさせる古びたモノばかり。
ただ、よく見ると、「家族」と言っても夫妻の親兄弟が使っていたモノではなさそう。
私は、荷物の持主が誰であるかということが気になってきて、黙って荷物を見分しながら、そのことについて考えを巡らせた。
思いついた“答”は、夫妻の子供。
置いてある品物を確認すればするほど、それが最も合理的な結論となった。
成人し独立した子が昔使っていたモノで、実家に放置したままにしている可能性はあったが、ただ、男性は最初に電話で話したとき、荷物を「遺品」と呼んでいた。
と言うことは、夫妻の子は、もう亡くなっているということになるわけで・・・
つまり、“夫妻は子に先立たれた親”ということになり、私は、礼儀のつもりで浮かべていた笑顔を消し、神妙な面持ちに変えていった。
そして、訊かれたくないことかもしれなかったので、私は余計なことを訊かず、黙々と見分を進めていった。
荷物は六畳一部屋分のみで、散らかっているわけでもなし。
現地作業は半日もあれば充分で、必要な作業内容もかかる費用もシンプルなものとなった私は、それを男性に説明し、男性は、それについて私にいくつかの質問をした。
そして、男性は、傍らでそのやりとりを聞いていた妻の同意を丁寧に確認したうえで、契約書にサインと押印をした。
作業日は、双方の都合を調整し、現地調査から一週間後のある日に決定していた。
しかし、作業日の前日になって、男性が電話をかけてきた。
用件は、作業中止の申し出。
日時の都合が悪くなっての延期とかではなく、作業(契約)そのもののキャンセルを依頼するものだった。
一旦結んだ契約が解除になるのは仕方がない。
予期せぬ事情が後から生じたり、気が変わったりするなんてことは珍しいことではない。
そうは言っても、一旦成立した契約をキャンセルされるのは、決して気分のいいものではない。
しかも、前日になってのキャンセルはマナー違反。
気分を悪くした私は、相応の理由、もしくは相応のキャンセル料がないと承諾したくなく、権利をもってその理由を訊ねた。
「妻が拒んでいるもので・・・」
男性の口から出たのは、身勝手にも思われる理由だった。
現地調査のときには、妻も荷物の片付けに同意したはずであり、その場にいた私も自分の目でそれを確認していた。
が、その直後、妻は翻意し、荷物を片付けることを拒否。
その抵抗は強く、男性が説得を試みても、頑として受け付けず。
結局、男性は、作業中止を判断せざるを得なくなったのだった。
とりあえずの理由を聞いた私だったが、それでも納得はできず。
「だったら、もっと早く言ってくれればいいのに・・・」
と、不満を覚え、その気持ちを口から吐き出しそうになった。
しかし、目くじらを立てるほどの実害を被ったわけではない。
また、男性は、礼をもって詫びてくれている。
連絡が間際になったのも、直前まで妻を説得し続けていたことによるものと推察できたし、私は、不満を爆発させるエネルギーを、頭を冷やすほうに向けた。
男性は、とにかく私に平謝り。
電話の向こうで平身低頭になっている姿が思い浮かぶくらい、何度も何度も詫びの言葉を口にした。
そして、事情を詳しく説明する責任があると思ったようで、今回の遺品処理にまつわる経緯を話し始めた。
夫妻は、子供を三人もうけた。
最初は女の子。
しかし、長女は生後間もなく先天性の病で死去。
次は男の子が生まれた。
が、長男も若くして病死。
三人目の子、次男がいたが、一人残っていた彼も、中年を迎えることなく病気で亡くなってしまった。
つまり、夫妻は、せっかく授かった三人の子供全員を亡くしていたのだった。
夫妻が味わった悲しみは、どれほどのものか・・・
襲ってきた喪失感と寂しさはどれほどのものか・・・
その悲哀は、辛酸の真味を知らない私が想像できるものではなく・・・
亡くした子の人数で親の悲嘆の大きさが計れるものではないはずだけど、経緯を聞いた私は自分の耳を疑いながら絶句。
電話の場合、相手の表情や態度が見えないから、私は、「話はちゃんと聞いてますよ」という意思の表れとして、相槌の代わりに小刻みに返事をしていたのだが、あまりの気の毒さに、その短い返事すら口にすることができなくなった。
三人の子を授かって、三人とも自分達(親)より先に死ぬなんて・・・
普段の行いが悪いせいか、何かの罰か、何かの祟りか・・・夫妻は、そんな風に考えたかもしれない。
私は、そんなところに理由はないと思うけど、自分達の子供が短命で人生を終わらなければならない理由、自分達が子供を奪われる理由を欲しただろう。
そして、それが、“運命”“宿命”“摂理”等・・・人の力ではどうすることもできない領域にあるものだと頭では理解しても、心底では納得することができず、悲しみを超えた強い憤りを覚えただろう。
それでも、前向きに生きようと、出口の見えないトンネルを夫妻は必死で歩いたものと思われた。
しかし、紆余曲折を経て、女性は鬱病を発症。
結構な重症で、通院と服薬だけではラチがあかず、一時は入院し療養。
症状が深刻な時期、男性は「後追い自殺するんじゃないか」と、女性を独りにしておくことが心配でならなかった。
そして、男性の口から具体的な話はでなかったけど、夫妻の過去に、男性が心配していたような良からぬ出来事が残ったことは、受話器から流れてくる空気が感じさせた。
そう・・・現地調査の日、私が部屋で見た品々は、三人の子の遺品。
夫妻は、その部屋には三人の子の遺品と想い出を大切にしまっていたのだった。
ただ、時間は人の心に関係なく流れていく。
「一周忌を過ぎたら片付けよう」と思っているうちに三回忌が過ぎ・・・そのうち、七回忌、十三回忌、十七回忌、そして、二十三回と、事あるごとに気持ちを固めながらも、結局、寂しさに負けて、それを延々と引きずってきた。
しかし、夫妻も齢には勝てず。
自分達の死も視野に入れて生きなければならない年齢になってきた。
そして、子供達の遺品を片付けることをようやく決意し、今回の件に至った次第だった。
男性は、思い出したくないはずの苦しい過去を話してくれた。
私は、そんな男性の心情に報いたいという気持ちもでてきたし、夫妻の悲哀と苦悩を想うと、ここは後腐れなく承諾するのが私の道だと思った。
だから、
「事情はよくわかりましたので・・・気になさらないで下さい」
と、男性には見えない顔を真摯にして、電話を終えたのだった。
“笑顔の想い出”は、人生の宝物。
今の自分にも笑顔をくれる。力をくれる。
では、“悲涙の想い出”はどうだろうか・・・
今の自分に笑顔をくれるだろうか・・・力をくれるだろうか・・・
苦しみを甦らせ、悲しみを煽るばかりではないだろうか・・・
そして、人生に影を落とすのではないだろうか・・・
また、人生には、色んなことがある。
色んなことに遭遇する。
嬉しいこと、楽しいことばかりではない。
苦しいこと、悲しいこと、辛いことも多い。
乗り越えられそうにない壁にブチ当ることがある。
奈落の底が見える崖淵に立たされることもある。
それでも、人は生き、時間は流れる。
人には自分では如何ともし難い、無力さ、愚かさ、悲しさ、寂しさ、切なさがある中で、時間は人の苦悩を癒してくれ、人の精神を練ってくれる。
確かに、子供達の死は、夫妻の人生に暗い影を落としていた。
しかし、そこに光を当てるのもまた、亡くなった子供達の笑顔・・・
影があるから光があるのではなく、光があるから影がある・・・
そして、そこに“想い出”という名の希望があると、私は思うのである。
公開コメント版
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